無難に紅茶かコーヒーで
まっとうに古文書を目指したいあなたは、紅茶かコーヒー。食いしん坊なら醤油、ナチュラル派ならコーラ、サスペンス好きなら茶色の絵の具。そしてオリーブオイルについては、「こぼすのは仕方がないが、漬け込むのは愚の骨頂」だということがわかった。
そして実験がたいした波乱もなく予想通り終わってしまった今、この記事を書いたことによる僕の最大の収穫は、ベーリング海峡の位置がわかったことかもしれない。
たとえば打ち合わせの場で、相手がカバンからふっと取り出したノート、それが古文書だったらどうだろう。一気に注目の的である。「そのノートどうしたんですか?」から始まって、話は古文書談義で盛り上がり、すっかり場が和んだところで商談もスムーズに成立!だ。
そんな都合のいい展開、100円ショップやドンキホーテにあるジョークグッズのパッケージに書いてありそうな売り文句だが、ついつい素でそんな展開も想像してしまった。「普段づかいの古文書」、それだけのインパクトがあると思う。
※2009年7月に掲載された記事の写真画像を大きくして再掲載しました。
なんでいきなり古文書とか言いだしたかというと、このあいだ打ち合わせをした人が、そういうノートを持っていたのだ。思わず「なんですかそれ!」ときいたところ、「オリーブオイルをこぼしちゃって…」だそうだ。
古文書には憧れるが、問題となるのは入手のしにくさ。しかしオリーブオイルをこぼすだけで簡単にで古文書を作ることができるのであれば、あとは古文書にはいいところしかない。インパクトがある、歴史のロマンを感じる、字が下手でもかえって様になる、なくしても特徴的なのですぐ見つかる、見つからなかった場合は博物館に展示される可能性がある、などなど。
そういえば昔、なにかで「古い書類の偽造のしかた」みたいなのを見たことがある。あのときは紙を紅茶かなにかに浸していたような気がする。
かたやオリーブオイル、かたや紅茶。もしかして自分で材料を開拓してみたら、いろんな風合いの古文書ができるかもしれない、というのが今回の主旨だ。
7つの液体と、ノートを7冊用意した。これで古文書を作ってみよう。
書き文字の変色具合も見るため、3種類のペンで文章を書いた。右からボールペン、水性ペン、筆ペンだ。
ちなみに実験に使うノート、普通の大学ノートを使うつもりだったが、間違えて縦書きのノートを買ってきてしまった。偶然のおかげでここでも古文書度アップだ。せっかくなので文例も手紙っぽいのにしておいた。(最近僕が実際に人に送ったメールです)
さて、素材はそろった。実験開始です。
まずはこの実験の発端となった、オリーブオイルからだ。
バットにオリーブオイルをなみなみそそいで、そこにノートを投入。「オリーブオイルが少しこぼれたノート」が発端のこの企画だが、より古文書感を出していくため、オリーブオイルはケチらない。なみなみとバットに注いでいく。
オイルはかなりたくさん入れたのだが、紙の吸収力がすごい勢いで追い上げる。ノートをいれた瞬間に、バットの中のオイルが半分になった。
浸した瞬間、ノートからはオリーブオイルのいい香りが広がる。…ということはなくて、嗅いでみるとなんだか油くさい。
ページ全体がうっすらとオリーブオイルの黄色に染まり、染み具合によって色ムラもある。このムラが黄ばんだ紙を彷彿とさせるのだ。これは期待できそうだ。
このあと乾燥の工程にはいるのだが、そのあたりは次ページ以降に譲る。このページでは次々浸す作業をやっていきます。
事前にネットで古文書の作り方を調べたところ、いちばん定番としてよくヒットしたのが、この紅茶と、次のコーヒーだ。
ティーバッグを2個使って、できるだけ濃くいれる。そしてゆっくりノートを浸す。油と違って、いれた瞬間に紙がふやけて盛り上がってくるのがわかった。
さらに全面に浸透させるため、1ページずつ、ちまちま開きながら紅茶に浸していくと…
すごい。この時点でもう申しぶんなく、古文書である。この色味といい、ムラの出方といい。目の前であっという間に数百年の年が経過してしまった。ドラえもんの22世紀にはタイムふろしきがあったが、21世紀には紅茶があったのだ。
こちらも定番らしい、コーヒーである。紅茶であのようすだ。さらに色の濃いコーヒーはどれほどのものか。
コーヒーにも色々あるが、古文書づくりにはインスタントコーヒーがいいようだ。濃いめにいれて、浸す。
浸しこごちは紅茶と同じ。1ページずつ丁寧に染み込ませる。
きた。こういうの見たことある。3年ほど前に川崎の妖怪展を見に行ったとき、かまいたちの絵が図解されていた、あの紙である。今ここに書いてあるのは、僕の名前である。俺は妖怪か。
しかしコーヒーの真価は、さらにこの先にあるのだ。
変色した紙に、さらに粉をちりばめる。そう、インスタントコーヒーにしたのはこのためだった。粉の部分がポツポツとしたカビ汚れを作り出してくれるらしい。これがどんな効果を生み出してくれるのか、それはあとからのお楽しみだ。
オリーブオイル、紅茶、コーヒーと、外国のものばかり試してきた。ここらで日本の心意気も見せてやろう。日本が誇る黒液といえば、これである。万能調味料、醤油だ。
この醤油、ペットボトルに詰めてはあるが、妻の実家から送られてきた自家製の醤油だ。もちろん妻が留守の隙に、内緒で使っている。
丹誠込めて作ってくれた自家製醤油をバットになみなみ注ぎ、そこにノートを浸す。この罪悪感や負の感情をエネルギー源として、ノートには何百年という時間が一瞬にしてふりそそぐ。もうこうなってくると、実験というより呪術だ。
バットの醤油はすぐになくなってしまった。他の液体よりもずいぶん紙の吸収力がいい気がする。塩分が多いため、浸透圧とかそういうのが関係しているのかもしれない。あるいは醤油を作ってくれた義父母に対する後ろめたさが、バットに注ぐ醤油の量を、知らず知らずにセーブしていたのかもしれない。
「かもしれない」というか、たぶんそうだ。その罪悪感が作用したか、色づきは「ちょっとつきすぎでは」というほどの色。
紙の経年劣化の原因には、日焼けの他に、酸による作用があるらしい。酸性であるコーラに浸すといいのではないか。
コーラにノートを浸した瞬間に、シュワシュワと勢いよく泡が出てきた。いかにもなにか反応が起こっている雰囲気。
なんだか紙がしんなりとした感じがするが、色はごらんの通りである。酸性×色素のタッグで2方向から攻められるのを期待していたのだが、現時点でそれほど色素が効いている感じはしない。今後、酸性がじわじわ効いてくる方向に期待。
コーラの色素がそれほど役立たないのなら、もっと純粋に酸のイメージのある、酢で攻めた方がいいかもしれない。
バットに酢を注いだ瞬間から、自宅キッチンに広がる酢の匂い。
ノートを浸すと、またブクブクと発泡した。コーラが泡立つのは炭酸が抜けているからかと思ったが、酢が泡立つとなると、やはりここでは何らかの、僕が期待しているような化学反応が起きているに違いない。
それから写真ではわかりづらいのだけど、他の液体よりも表紙がダメージを受けている。ふやけてモワモワになり、しかも破れやすくなっているのだ(右下の方が破れている)。やっぱり、何かが起きている。
最後、色がつけばいいなら、ということで、絵の具も用意した。ダメだろうなーとうすうす感づいてはいるが、どうダメになるのか、一応試してみたかったのだ。
さっきの実験でキッチンに立ちこめた酢の匂いを一瞬にして駆逐したのが、犯罪のにおいである。古文書というよりも、方向性としては完全に「被害者の所持品」という感じだ。そちら方面についてはかなりのリアリティ。時代劇ではなく、サスペンスドラマだ。
バットから引き上げても、より「それっぽさ」が強調される結果にしかならない。下敷きにしているキッチンペーパーの染みの色が生々しい。
この色は決して狙ったわけではなく、絵の具の色だって赤ではなく茶色を使ったのだ。しかしこのありさま。とりあえず、血糊に絵の具を使うなら、赤より茶色のほうがいいことがわかった。
7冊のノートはそれぞれの色に染まった。これから約1週間、浸透と乾燥をかねてじっくり寝てもらうことにする。
おやすみなさい
一週間待つあいだに、古文書インタビューでお楽しみください。僕が最初に打ち合わせで見て「古文書だ!」と思ったノート、その持ち主に、話を聴くことができた。
古文書ノートの持ち主は、中山さんという女性。といっても、別に中山さんは古文書マニアとか、古文書づくりの専門家とかではない。料理関係のお仕事をされている。僕がたまたま中山さんのノートを見て、「古文書だ!」と思っただけで、別に本人もそんな風に思ったことはなかったという。そんな身に覚えのないインタビュー依頼に、半分とまどい気味で応じてくれた。
石川:このノートを一目見たときに、僕は「古文書だ!」って思ったんです。やっぱり愛着とかありますか?
中山:別にないです。むしろ憎んでました。見る度に「コノヤロウ」って思ってた。
石川:ノートがそんなことになった経緯を教えてください。
中山:去年の12月3日のことですね。ここに日付が書いてあるからわかるんです。当時はこのノートもおろしたてでした。
その日は料理の写真撮影の仕事をしていました。時間もなかったので、作りながらどんどん撮っていくような現場で。狭い場所でバタバタとやっているうちに誰かがオリーブオイルを倒して、そこにちょうどまだ真新しかったこのノートが…。
石川:その時どうしたんですか?
中山:「あっ!」と思ってまずはオイルを振り切って、ペーパータオルで拭きましたね。応急処置はそのくらいで、それからは普通に使ってました。最初の1週間くらいは、カバンの中でいろいろなものに染みてました。仕事の書類とか、マンガとか。だいたい1週間たったらそういうのもなくなって、ぜんぶ染み込みきったかなと。
石川:その後、憎しみは和らいできました?
中山:今は特にどうも思わないですね。(少し考えて)…いや、若干の憎しみがまだあります。
石川:最初の憎しみを100とすると?
中山:16くらい…。うーん、26くらいかな。
石川:いいペースですね。ちょうどぜんぶ使い終わったときに0になりそうです。
憎しみを抱えてまで使い続けているのには理由があるんですか?
中山:私はいちど使ったノートって、古いのも捨てずに取っておくんですよ。だから、どちらにしろ取っておくのなら、せっかくなら使おうと。それに、油紙ってあるじゃないですか。あんな感じで紙が強くなったかも、と思って。水とか、雨とかに。
石川:実際のところ、強くなってますか?
中山:ちょっと濡らしてみますね…(ストローで飲み物を1滴たらす)…染みますね。
石川:強くなってないですね…。
中山:でも、こぼしたのが油でよかったです。水みたいに紙がビロビロにならないし。
石川:周りの人に「古文書っぽい」って言われます?
中山:いいえ。
石川:評判はどうですか?
中山:「染みてるね」、とか。匂いを嗅がせてあげたりもするんですが、たいてい嫌な顔されますね。
石川:料理って火を扱う仕事ですし、油だから燃えやすかったりとかしませんか?
中山:あまり意識したことはないですね。普通に扱ってます。
石川:いま古文書っぽいノートを作っているんですが、何かアドバイスとかありますか?
中山:特にないです。
石川:どうもありがとうございました。
当初は「普段づかいの古文書」についてその魅力を語ってもらうつもりだったのだが、いざきいてみると、ノートに対する中山さんの愛憎入り交じる複雑な感情を浮き彫りにするインタビューとなってしまった。(あと、古文書だと思ったのは僕だけだ、ということも浮き彫りになった。)
ノートははかなり分厚いものだったが、いまでは5分の3くらいまで使われている。いろんな気持ちを抱えつつも、それなりに愛用されているのだ。そして「水に強いかも」なんて、ちょっと頼りにしている部分もある。
…無理やり前向きな部分だけを抜き出してみた。そんな僕の気持ちを汲んで、どうか古文書に対するテンションをあげて次ページに進んでほしい。
さあ、次はいよいよ待望の実験結果だぞ!
ノートをいろいろな液体に浸した日から、1週間が経った。
いろいろ場所を移し替えることによって、梅雨時ながらなんとか一通り乾いた。少しは日にも当たった。それぞれのノートは古文書になれたのかどうか、順に見てみよう。
1ページ目とは順番が前後するが、ここは成績がよかったものから順に見ていきたい。
なんといっても完成度が高かったのは、紅茶とコーヒー。クオリティは互角だが、個人的な色味の好みで、紅茶を最初にあげたい。
すごいクオリティ。色といい、変形具合といい、申し分ない。あとはもうちょっと端のほうをボロボロにしたりすれば、古文書として差し出されても普通に信じるレベルだ。
全体に漂う枯葉みたいなカサカサ感。触ったら崩れそうなこの感じ、博物館でガラスケースに入れて大切に保管したい気持ちが湧いてくる。そうか、それが古文書か。
このページでは、古文書としての完成度の指標として、年代で表していこうと思う。これはだいたい280年くらい前の文書だろうか。(数字にはまったく根拠はなく、ほぼインスピレーションです)。
紅茶と並んで高い完成度を見せたのが、コーヒー。紅茶とコーヒー、どちらも小道具などで古文書を作る際の定番の材料である。
そして今回の実験、定番がその名前どおり、なんの波乱もなくトップを取る展開だ。「ノウハウ」という言葉に隠された滋味を思い知る。
さすがのクオリティ。色づきは紅茶より濃く、さらに年代が経った感がある。力強さすら感じる。側面は黒く変色しており、火災などの被害にあった可能性もにおわせる。いろんなピンチを乗り越えて、現代まで受け継がれてきた文書なのだ。
そして粉を散らした部分。黒点でクッキリ残るかと思われたが、いい具合ににじんでうすくなり、それっぽいムラになっている。
紅茶よりは確実に古く、年代でいえば320年物くらいとしよう。
そして醤油。色で言えばコーヒーと紅茶の中間といった感じ。見た目はかなりいい感じである。
しかし大きな問題がある。あれだ、匂いだ。
この古ぼけたノートを手に取ったとたん、急に誰かがせんべいを焼き始めるのだ。むかし何かのイベントで匂いつきの映画というのを見たことがある(花の映像と一緒に花の匂いがしたりする)が、これは匂いつきの古文書である。当時の匂いをそのまま再現した…というこじつけもできないことはないが、正体は僕が先週塗った醤油だ。(もっといえば、妻の実家から送ってきてくれた醤油だ。)
ただやみくもに、おなかのすく匂い。ノートとしての実用性を考えるなら、午前中の打ち合わせを早く終わらせたいときには有効かもしれない。
古文書レベル…300年前の文書(当時の匂いつき)
この古文書が書かれた頃のできごと
・イングランド王国とスコットランド王国が合併、グレートブリテン王国に(1707)
・富士山噴火(宝永大噴火)(1707)
・徳川吉宗、徳川幕府8代将軍となる(1716)
「浸透後に酸の反応が進んで変色するのでは」というもくろみは見事に外れ、最初に浸したときとさほど変わらない色。
この色、経年劣化と言うよりは、ナチュラルな味わいのベージュ。生成りの布みたいな、なんというか「エコ色」である。目にも優しそう。もう少しムラがなければ、元々こういう色のノートだと思えたかもしれない。
むしろ年代を感じさせるのは、ボールペンの色移り。他のノートでも色写りはあったが、ここまでクッキリしたものはなかった。
紙が変色するほどではないけど、インクはにじむ程度の時間。5年前くらいの文書だろうか。
そしてコーラの方向性をもう1歩押し進めたのが、酢。紙の色がエコ色。かつ、コーラにあったようなムラがない。無印あたりの再生紙使用のノートといわれれば、信じられるかもしれない。
しかしそれも「鼻をつまめば」という条件付きだ。このノートからは明らかに酢の匂いがする。コーヒーや紅茶がそれほど匂いを発していないにもかかわらず、この酢のしぶとさはすごい。(もっとも、醤油には負ける)
一言で表すと、「先月から使い始めた無印のノートの酢の物」という感じだろうか。
1ページ目で「被害者の所持品」と評した絵の具ノートだが、1週間経った今、改めて見てどう思うかというと、「事件から1週間が経った、被害者の所持品」である。
紙はくっついていて、めくるのに苦労した。空白ページに至ってはもう「血塗られた」という表現がぴったりである。
どんなにきまじめな人でも、このノートが道に落ちてたら確実に拾わないし、交番にも届けない。むしろ警察を呼ぶと思う。
ちなみにノートに「卵 食パン バナナ」と書いてあるのはダイイングメッセージではなく、文章素材として昔のメールを書き写していたら、たまたまこのノートで買い物メモのメールに当たっただけである。
さて、事件性を念頭に置いて見るとどうにもドキドキしてしまうこのノートだが、いったんそれを忘れてしまえば、左の写真のページなどはいい感じのムラがでているようにも見える。もしかしたら黄土色や黄色を使っていれば、もう少し違った結果になったかもしれない。
そして最後が、このオリーブオイルだ。中山さんの例よりもずいぶん派手に漬け込んでしまったわけだが、1週間で果たしてどうなったか。
これがどうにもこうにも、1週間キッチンペーパーに吸い取らせても、未だ油漬け状態だったのだ。ノートのアンチョビである。
これでは比較にならないので、1ページずつ油を拭き取ってみる。紙がかなり変質しているのがわかる。硬さがなんだか硬くなったような気がするし、色も透明になった。ちょうどトレーシングペーパーみたいな感じだ。もっとも、この紙を使ってトレースすれば、元の紙は油まみれになるが。
この紙を見ていると、前頁のインタビューでの中山さんの「紙が強くなった」という発言の気持ちがよくわかる。
まっとうに古文書を目指したいあなたは、紅茶かコーヒー。食いしん坊なら醤油、ナチュラル派ならコーラ、サスペンス好きなら茶色の絵の具。そしてオリーブオイルについては、「こぼすのは仕方がないが、漬け込むのは愚の骨頂」だということがわかった。
そして実験がたいした波乱もなく予想通り終わってしまった今、この記事を書いたことによる僕の最大の収穫は、ベーリング海峡の位置がわかったことかもしれない。
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