なんとなく開いたページから旅が始まる
1,700ページ以上あってズッシリ重たい『シマダス』をこれから適当に開く。開いたページに掲載された島がよっぽど普通に行くのが困難な場所でない限り、そこに行くと決めたのだ。
目を閉じて一呼吸。気合を入れて本を開く!現れたのは「横山島」という名の島だった。
ページ内の「天童島」、「土井ヶ原島」など、青い囲みの中の島は無人島なので今回はスルーするとして、有人島である「横山島」という島に行ってみることにする。『シマダス』の記載によれば、「賢島の南約400mの海上に浮かぶ小島。民宿を営む1世帯が住む。島への行き来は電話をすれば自前の船で賢島にすぐ迎えにきてくれる」とのこと。民宿が一軒あるだけの島らしい……なんだかすごく興味をそそられる。
記載にある通り、その横山島へ行くためには賢島(かしこじま)という島にまず行く必要がある。賢島は、三重県志摩市の志摩半島の南にある英虞湾(あごわん)に浮かぶ島。本州との距離は近くて、2つの橋がかかっていて行き来しやすく、近鉄の志摩線が乗り入れており、近鉄特急という電車に乗れば大阪難波駅から乗り換えなしで2時間半。一気に賢島まで行けてしまう。
その賢島から今回の目的地である横山島へ渡る船があるとのことで、調べてみればみるほど大阪に住む自分にとっては行きやすい島なのであった。我ながら“シマダスめくり運”がいい。
横山島には前述の通り「石山荘」という民宿が一軒あるだけなので、原則的に宿泊者しか渡ることができない。そこでまず石山荘の宿泊予約を事前に済ませ、宿泊日に賢島へ向かうことにした。
まず、賢島をうろうろしてみる
大阪・鶴橋駅から賢島行きの近鉄特急に乗る。ホームには「日本で一番小さなファミリーマート」があり、そこで発泡酒とポテチを購入してから乗り込んだ。
新型コロナウイルスの不安が世の中を覆う日々だが、車内は合宿にでも行くのだと思われる大学生グループで賑やか。はしゃぐ若人の声を聞きながら、次第にのどかな雰囲気になっていく車窓からの景色を眺めているうちに、海が迫る鳥羽駅あたりを過ぎ、終点の賢島駅に到着した。
賢島は英虞湾に浮かぶ島でも最も面積が大きく、周囲が約7.3kmあるという。2016年に開催された「G7伊勢志摩サミット」のメイン会場になった地である。駅近くには「志摩マリンランド」という水族館があったり、「エスペランサ」という帆船型の遊覧船があったりするが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて取材時は臨時休業中だった。
ちなみに私が泊まる予定の横山島にある民宿「石山荘」のプランは素泊まりのみで、食事の用意はない。事前に電話で宿のオーナーとお話しした際にも「うちは本当に何もない宿ですので」と繰り返しおっしゃっていた。天気のいい日に夕日がきれいに見えるのが自慢で、それ以外に特別なものは何もなく、静かな時間をゆっくり味わうだけの場所だという。
そのように聞いていたので、宿へのチェックインは日没の少し前、17時にお願いしてある。まだそれまでにはだいぶ時間があった。しばらく賢島駅周辺を散策してみようと歩いていると、英虞湾をめぐる遊覧船がちょうど間もなく出航するところだという。勢いで飛び乗ってみる。
定員50名ほどの遊覧船の船には屋内席と、外の露天ベンチがあり、取材当日は天気がよかったので迷わず外を選ぶ。
遊覧船に乗ったらもう、島が見放題
遊覧船では船長自らがマイクを持ち、周りの景色について解説してくれる。
この解説がまた、臨場感があって味わいもあって最高。随所にギャグも交え、ローカル版「ジャングルクルーズ」といった感じだ。
「正面左斜め、箱のついてるイカダ、これは魚釣り専用のイカダで、『イカダ釣り』といいます。イカダの上にある箱だけど、これはおトイレ、でも屋根はありません。衛星写真から丸見えです」とか、そんな調子。
周囲には次から次へと島が姿を見せる。真珠の養殖関連の作業をしている船、海苔の養殖のために広く張られている網などがあちこちに見え、島の人々の暮らしも垣間見える。
「これから島と島の間、船の通れる水路で一番浅くて狭いところを通ります。右が天童島、左が小さな天童と書いて小天童島といいます」と船長のアナウンス。
「シマダス」を運まかせでめくってここに来てみたらこんなにたくさんの島が一気に見られるなんて。心の中の島めぐりスタンプが一度に押されたような気分でうれしい。
船長の解説によれば、英虞湾には人が住んでいる島が3つある。駅のあった賢島、真珠養殖のさかんな間崎島、そして私が宿泊しようとしている横山島、その3つだけだという。「横山島には住民が2人いて民宿を経営しています」という解説もあった。
海の幸をお腹にめいっぱい詰め込んでおく
島めぐりが終わり、遊覧船を降りた。行こうとしている横山島では食事ができないので、賢島で限界までお腹を満たしておきたい。遊覧船乗り場の目の前にある「なかよし」という食堂へ。
風通しのいい店内は、各席の前に鉄板が置かれ、海の幸を目の前で焼いて食べることができる。店長おすすめのカキ、ホタテ、イカ、魚のフライ、「ビエ・マルク」がセットになったものをいただくことに。
「ビエ・マルクってなんですか?」と聞くと、「逆から読んでみー!」と店長。なるほど。さてはこの店、ユーモアの店だな!
これがもう、どれもこれも悶絶の旨さ。「うま!」などの言葉は出ず、ただ無言で涙をこらえるほどに旨い。
この場所にお店を出して10数年になるという。「仲良し」の方のなかよしじゃなくて、もともと店主のお父さんがやっていた「中義(なかよし)水産」という店から取られた店名らしい。
メニューの書いてある黒板にテレビ番組「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」のステッカーが貼ってある。
「充電、来たで。一年前や。充電させたったで。出川さんだけラーメン食べて、(おぎやはぎの)小木ちゃんとスタッフはあわびのステーキ。出川さん『なんで俺だけー!』いうてラーメン食べてたわ」と店長の弁。
店長は高校を卒業するまでこのあたりで過ごし、大阪に出てコックさんをしていたそう。地元に戻り、今は父のあとを継いでこの店を切り盛りしている。私がこの後、横山島に渡ることを伝えると「駅のファミマで飲み物とか買って行った方がいいでー」とアドバイスをしてくれた。
言われた通り、ファミマでお酒を買い込み、時間がまだちょっとあったので「はな屋」というホテルの食堂で「ホウボウ」という魚のお刺身定食を食べ、もうこれ以上はお腹に入らないという状態でいよいよ横山島へ渡る。
桟橋から電話をかけると船が迎えに来てくれる
さて、いよいよ横山島に渡る時が来た。島にある民宿「石山荘」に電話し、自家用船で駅前の桟橋まで迎えにきてもらうスタイル。
「それではお迎えにあがりますー」と言ってもらって待つこと数分。海の向こうから白い船がやってきた。
賢島の桟橋から横山島までは5分ほど。あっという間だが、さきほどの遊覧船よりもさらに海が近くて爽快だった。
創業よりまもなく半世紀、 現オーナーが父親から宿を引き継ぐにあたり、若い頃に旅した東南アジアの心地よさが忘れられず、その雰囲気をイメージして作り変えたのだという。
もともとの建物を活かしてリフォームされているため、日本の民宿風の雰囲気とバリ的なムードが混ざり合っているのが面白い。
石山荘の前から見る夕日は美しかった
宿のあちこちをじっくり見たいところだが、早くしないと夕日が沈む。部屋の窓からでも夕日が見えるそうだけど、やはり宿の前、船着き場からじっくり眺めたい。
一階の暖炉には火が入れられていてあたたかい。30分に一度ほどのペースでオーナーが薪をくべに来てくれる。
オーナーにこの島のことを聞く
日が沈んだら、あとは時間がゆっくり流れるのを感じながら過ごすだけだ。取材時は他に宿泊客がいなかったのもあり、オーナーが暖炉の火加減を見ながらたっぷりお話を聞かせてくれた。
――ゆったりした気分で過ごせていい宿ですね。いつからこういう、バリ風の雰囲気になったんですか?
「平成10年頃だから、20年以上前になるかな。それぐらいから徐々にやり出しましたね。35年ほど前に、夫婦でバリ島に行ったの。初めて見るものばかりで、カルチャーショックを受けて。カルチャーショックにも良い方と悪い方があると思うけど、非常に心地いいカルチャーショックだったのね」
――肌にあったんですね。
「一番驚いたのは、暗いって落ち着くんだなっていうことだった。単にその時代、電力事情が悪いだけだったみたいで、今のバリはもっと明るいんだけど、暗さが心地よかった。幼少期の頃を思い出させてくれるようでね」
――かなり大きく変えていったんですか?例えばこの1階部分は……
「柱から全部変えた。変わってないのはフロントの位置だけかな。それまでは1階にも客室が並んでたんだけど、夫婦二人でやっていくのにちょうどいいペースを考えたら『いらねーや』ってなって(笑)だったらお客さんが使えるユーティリティスペースにしたほうがいいんじゃないかって」
――部屋を増やすより居心地よさを重視したということですね
「その方が2階の客室にも専念できますから。客室を減らすことについては、同業者の仲間には『アホちゃうか』って言われたけど、でもアホちゃうかって言われるってことは正解だなって思ったの。一人一人が余裕を持って広々と過ごせる方がいいじゃない。それで少しずつ自分で手を加えて、でも、まだ自分の中では完成してないと思ってるんですけどね」
――この横山島には今は石山荘があるだけだそうですけど、裏手は山なんですか?
「そうそう。この裏は、原生林っていうのかな。昔は道があったんです。うちの他にも宿がありましたからね。それがやめていくと山を歩く人がいなくなる。すると、どんどん自然に戻っていきますよね。今いるのはたぬき、それからイノシシね」
――イノシシもいますか
「現れますよ。ですから、昔はお客さんがトレッキングをしたいとおっしゃったら自己責任ということでやってもらっていた頃もあったんですけど、今は立ち入り禁止にしています。危ないんです。もしケガでもされてしまったら大変ですから。イノシシに遭遇した時の対処法もみなさんわからないと思いますし」
――昔は他にも住民の方がいらっしゃったんですね
「今はうちの夫婦だけ。やっぱり、生活していく上で不便なことがたくさんあるからね。ガスは切れる前にガス屋さんに電話してプロパンを運んでもらわなきゃいけない。何か故障したら電気屋さんを送り迎えして来てもらわなきゃならない。どうしても一度、陸の生活を知ってしまうとね」
――そうですよね……
「だからここは『交通至便な不便な宿』なの。賢島駅までは特急に乗ったら都会からドアツードアで一気に着いちゃうでしょう。この宿も、桟橋までは駅から300メートル。だけどそこからは船に乗らないと行き来できない。不便だよね」
――海で切り離されているからこそ落ち着くような気もします
「この不便さを覚悟した上で来ていただけると一番ありがたいですね。かといって砂浜があって泳げたりするわけでもない。泳いだりトレッキングしたり、そういうアクティブなことを期待されても困るの(笑)もうただリラックス、ゆったりして欲しい」
――不都合とか不便を覚悟してゆっくり楽しむと
「そもそも旅に出るって不便の連続じゃん。一番便利なのは家にいることだからね。『トラベル イズ トラブル』、『トラブル イズ トラベル』っていう言葉が好きなんです。だからここで暮らせるんです。毎日天気は違うし、風が強いと波が立つから船でここから出られないこともあるし」
――オーナーにとって島で暮らすというのがやはり大事なことなんですね
「いや、この島に来たのは出会いがしらですよ。親父が戦争から帰ってたまたまここに来た。狙ってきたわけじゃないんです。本土でもどこでもよかった。来てみたら結構快適やったというだけでね。でもそういう場所が、最終的には僕の精神安定剤になったという。全部出会いがしらなんです。あんまり考えて計画しないからこういう場所に住めるんだと思う。自然にも翻弄される場所だし、台風が来たらお客さんに謝ってキャンセルしてもらわなきゃいけないし。朝起きて『今日は風が強いな。じゃあ何をしよう』って。『晴耕雨読』というやつですよ。天気の悪い日にがんばっても仕方ない。風の強い日だからこそできる作業もあるし」
――賢島に観光で来る人は増えたり減ったり変化していますか?
「(伊勢志摩)サミットの後は宿泊バブルが少しあったけど、あまり変わらないですね。バブルとかリーマンショックとか、そう影響を受けないところです。京都や東京みたいにオリンピックとかインバウンドの影響もあまりないし。ただ今回のコロナは大きいね。きびしいね!しんどいね!まあでも、『トラブル イズ ビジネス』だよ(笑)こんなんでダメになるのも割り切れへんやん!大丈夫、何とかなるでしょう、でもしんどいね」
最後にそう力強く語ってくれたオーナー。都会に出てお仕事をしていた頃もあったが、横山島に心落ち着く場所と自由な時間を見つけ、この場所でのんびりとしたたかに宿を続けていかれるつもりだという。
念のため、石山荘に宿泊する上で私の感じた注意事項をまとめておきたい。
・横山島には石山荘があるだけ。海で泳ぐとか山を歩くなどのアクティビティは無く、ただゆったりと過ごす場である。
・宿の中にはバリの民芸品や置き物などがたくさんあってケガをする危険もあるため、12歳以下の子ども連れは現在お断りしてるそう
・電子タバコも含め、室内室外オール禁煙
・飲食物の用意は一切ないので駅のコンビニ等で十分に買ってくるべし。1階には部屋ごとの鍵で使える共用の冷蔵庫がある
・電子レンジがあり、部屋のポットにお湯も用意されているので、カップ麺とかコンビニ弁当とかそういうものを用意しておくと食べられる
・共用のお風呂(男女別)がある
・スマホの電波も入る
・荒天時など、天候等の事情で島に渡れないこともある
海を渡って元きた場所へかえる
オーナーと楽しくお話ししてぐっすり眠り、朝起きて窓の外を見たら海だ。
帰りももちろん、オーナーが運転する船で送ってもらうことになる。
船に乗ってしまえばすぐに賢島。なんだか不思議な気がする。朝から営業している「なかよし」で、テレビのロケで出川さんが「なんで俺だけ」と言いながら食べたというラーメンをいただき、アッパ貝を焼いてもらって朝食とした。
食べ終えて店を出たら、近鉄特急の駅まで数分だ。電車に乗ると、うたた寝をしているうちに大阪まで一気に着いてしまった。まるで嘘みたいだが、リュックを開けるとおみやげに買ったあおさの匂いが確かに広がっていた。
“シマダスきっかけの旅”を実践してみた。しばらく尾を引くような充実した時間だった。いつもページをめくりながら、自分がその名を聞いたことのない島にも、当然ながら人が住んでいて文化や歴史があって、それはなんと不思議なことなんだろうか……と思っていたが、そこから本当に現地に行ってみるとその不思議さはますます深まった。
もっと色んな島に出かけてみたい。これはもう、終わりのないやつだな、と自分の前に広がった世界に呆然とする。
石山荘にもまた行きたいしなー!賢島ももっと堪能したいし、体が一つじゃ足りない!
店舗情報:
石山荘
http://losmen.info/index.html
住所:三重県志摩市阿児町神明 横山島
電話:0599-52-1527