横浜港に聳える三基の塔
横浜三塔のキング・クイーン・ジャックという愛称は、昭和初期に横浜港を訪れた外国の船員がトランプのカードに見立てたことに由来するという。随分と歴史のある呼び名なのだ。
その後、太平洋戦争における横浜大空襲を潜り抜け、高度経済成長期でも建て替えられることなく維持され、現在まで聳え続けてきた。まさに横浜港を見守り続けてきた存在である。
いずれも建築としてとてもカッコ良いので、まずはそれぞれの建物を見ていくことにしよう。
関内はその名の通り関所の内側という意味で、まさに国際貿易港横浜の中枢を担ってきた地域である。現在、貿易港としての機能はより広大な埋め立て地である本牧ふ頭や大黒ふ頭などに移されたものの、整然とした通りには官公庁舎や大企業のビルが建ち並んでおり、横浜における行政の中心地を担っている。
神奈川県庁舎は先代の庁舎が大正12年(1923年)の関東大震災で被害を受けたことにより、現在のものは昭和3年(1928年)に築かれた。鉄骨鉄筋コンクリートで築かれた近代的な大規模建築に和風の装飾が施された、いわゆる「帝冠様式(最近は“日本趣味を基調とした近世式建築”という言葉が使われるようだ)」の嚆矢と評価され、去年、国の重要文化財に指定された。
横浜というと洋風モダンのイメージがあるが、世界と接する横浜港のすぐ側にある庁舎だからこそ、日本の顔として伝統的なデザインを取り入れたのだろう。塔の高さは48.6メートル、キングの名にふさわしい実に堂々とした風貌である。
さてはて、こうして外観を眺めているのも良いのだが、せっかくなので屋上に上がってキングの塔を間近に見てみよう。開庁している平日限定ではあるのだが、神奈川県庁は屋上を見学することができるのだ。……というか、今回訪れて初めて知った。
キングの塔を間近で見られるというのも素晴らしいのだが、屋上に立つことでこれまで知らなかった神奈川県庁舎の姿を知ることができたののも嬉しい。
外側は石張りや茶色のスクラッチタイルで厳かに着飾っているものの、中庭に面した内側は装飾気のない白壁であったりと、外向き・内向きのギャップがほほえましい。王様のプライベートな姿を垣間見た感じである。
横浜税関「クイーンの塔」
さてはて、キングの次はクイーンである。「クイーンの塔」こと横浜税関は神奈川県庁舎の北西に位置しており、より横浜港に近い場所に建っている。その建造は神奈川県庁舎よりも少しだけ遅れた昭和9年(1934年)だ。
どっしりと威厳のあるキングの塔とは対照的に、スラっと細身でまさに貴婦人を思わせる。クイーンの名にふさわしい佇まいである。
その高さは51メートルと、実はキングの塔よりも高い。なんでも当初の設計では47メートルだったのだが、税関長が「税関は国の機関なんだから県庁よりも高くすべし」と主張したことで、51メートルに変更されたとのことである。
日本趣味のキングとは異なり、こちらは中世ヨーロッパのロマネスクを加えながらもアラビアンな感じでまとまっている。海の向こうを強く意識した、国際色豊かな港町らしい装飾の建物だと言えるだろう。これもまた良いものですな。
ちなみに横浜税関の内部は一般公開されていないものの、併設されている資料展示室の部分だけは見学が可能だ。神奈川県庁舎は平日のみの公開だが、こちらは土日も開いているのが嬉しい。
横浜市開港記念会館「ジャックの塔」
最後は「ジャックの塔」こと横浜市開港記念会館である。横浜三塔の中では最も古い大正6年(1917年)の建造で、国の重要文化財に指定されている。初めてこの辺りに来た人ならまず間違いなく目を止めるであろう、実にシンボリックな建築だ。
横浜市開港記念会館は一部に鉄骨鉄筋コンクリートを用いた煉瓦造で、東京駅や日本銀行本店などを築いた辰野金吾の様式を取り入れた「辰野式フリークラシック」で築かれている。ゴシックやルネサンスといった様々な建築様式を巧みに取り入れた、壮麗華美な洋風建築だ。塔の高さは36メートルでこれまでの二塔よりも小ぶりだが、低いと思わせない豪華さがある。
場所は神奈川県庁舎の南西と、横浜港から最も奥まった場所に位置している。港から見るとキングとクイーンの後ろに慎ましく立っているように見え、また赤に白が入った色合いがイギリス衛兵を思わせることもあって、まさにジャックといった様相だ。
開港記念会館という名前からは建物の用途が少し分りづらいが、要するに公会堂である。現在も横浜市中区の公会堂として現役であり、講演や講座、ワークショップなどで活用されている。
そのような都合上、講堂や会議室の内部までは見ることができないのだが(月に一度の一般公開日には部屋も見られるようだ)、ロビーや廊下など共用のスペースは誰でも自由に見学することが可能である。しかも無料だ。
いやぁ、これは見学のしごたえがある建築だ。外観も素晴らしくカッコ良いが、内部もまた素敵の塊ではないか。関内に来るたび幾度となく目にしてきた建物であるが、これまでは外側だけ見て満足していた自分を恥じたいものだ。
……とまぁ、ここまで横浜三塔を個別に見てきた。ここからがいよいよ本題、これらの三つ塔を一度に見ることができる場所の話である。
三箇所しかない「横浜三塔」のビューポイント
昭和初期には横浜港のどこからでも一望できた「横浜三塔」であるが、現在、三塔を一度に見渡せるビューポイントは次の三箇所に限られるという。
(1)赤レンガパーク
(2)日本大通り
(3)大さん橋
赤い塔のマークが三塔の位置、紫の望遠鏡マークがビューポイントである
なんでも神奈川県によると、この三箇所のビューポイントを一日に巡ることができれば願いが叶うとされており、その都市伝説のことを「横浜三塔物語」と呼んでいるそうだ(三都物語と三塔物語をかけているのだろうか?)。
都市伝説の真偽はさておき、各ビューポイントには目印が設けられているとのことである。横浜三塔を一度に見られる場所は本当にこの三箇所しか存在しないのかを検証すべく、それらを周ってみようじゃないか。
その1:赤レンガパーク
一箇所目のビューポイントは赤レンガ倉庫が建ち並ぶ赤レンガパークである。人気の観光スポットなので、訪れたことのある方も多いだろう。かくいう私も何度となく来たことがあるのだが、横浜三塔を見渡せる場所があるということは知らなかった。
なるほど、この足跡の場所に立つと横浜三塔を一望できるというワケか。このビューポイントからの眺めはどんなものなのかと、三塔の方向に目を向ける。
この場所からだとキングとクイーンはよく見えるのだが、一番奥のジャックは手間の白いビルに少し掛かってしまっている。できれば全容を望みたいところであるが。
プレートがある位置よりも東端のこの場所の方がよく見えるのに、なぜここにプレートを設置しなかったのだろう。ビューポイントを定めた時にはまだ手前のビルが建っていなかったのだろうか。真相は不明である。
その2:日本大通り
二箇所目のビューポイントは、神奈川県庁舎前の日本大通りである。三塔を眺められる場所というからには港側だとばかり思い込んでいたので、これはかなり意外であった。
なんということだろう。現在、県庁舎の正面にある分庁舎の建て替えが行われており、ビューポイントはその工事現場に飲み込まれてしまっているのだ。
どどんと聳える横浜県庁舎の右端にクイーンの塔が、左端にジャックの塔が僅かに見える。本来のビューポイントよりも手前からの眺めなので両塔ともかなりギリギリになってしまっているが、正しい位置からならばもう少しちゃんと見ることができるのだろう。
分庁舎の工事は来年の9月まで続けられるようなので、それまではこのビューポイントからの眺めはこれが精いっぱいという感じである。
その3:大さん橋
三箇所目のビューポイントは、現在、国際客船のターミナルが設けられている大さん橋である。ターミナルの屋上はウッドデッキのフリースペースとして整備されており、その一番高い位置にビューポイントがあるとのことだ。
このビューポイントはウッドデッキだからだろうか、これまでの二箇所のように金属のプレートは設置されてはおらず、ペンキで足跡マークが描かれているのみだ。まぁ、これはこれで場の雰囲気に合っているので良いのだが。
さて、それではここからの眺めはどんな感じだろう。
これは素晴らしい眺めだ。三塔からかなり距離があるので遠近感が薄れており、各塔の高さの差がよく分かる。配置のバランスもなかなかで、三箇所のビューポイントの中ではここが一番良いのではないだろうか。
ジャックの塔の可視範囲を探る
さて、これまで三箇所のビューポイントを見てきて分かったことは、やはり横浜港から見て最も奥に位置するジャックの塔が重要だということだ。
最も手前に位置するクイーンの塔は港のどこからでも見られるし、キングの塔もかなりの範囲から望むことができる。ジャックの塔が他のビルに被らない位置を見極めることが、新たなビューポイントを探す近道になるのだろう。
というワケで、ジャックの塔が他の建物に被らない範囲を示してみた
ジャックの塔が見える範囲を狭めているのは、北側のビルと北東の神奈川県庁舎である。それらの死角にならない位置を示したのが上図だ(なお、西側と南側はビルが多すぎて三塔はおろか二塔すら見える場所がないので省略した)。これまで巡った三箇所のビューポイントも、すべてこの範囲に含まれている。
私は今回の企画を思いついた際、三塔は割と近くにあるのだから見える場所が三箇所ってことはないだろうと安易に考えていた。しかし、こうして見ると、ジャックの塔が見える範囲は私が想像していたよりも遥かに狭かった。
とはいえ、この可視範囲の中でも三塔が見える場所はありそうだ。まず目についたのがここである。
可視範囲のど真ん中に位置する「象の鼻防波堤」だ
文字通り象の鼻のように湾曲したこの堤防は、明治期に整備された波止場の名残である。その後の拡張によって使われなくなったものの、2009年に防波堤として明治期の姿に復元された。
赤レンガパークのビューポイントにも近く、ここからならば三塔を見渡すことができるのではないだろうか。
いちおう見えてはいるのだが、さすがにドームだけでは厳しいか。せめて時計の部分が見えるくらいでないと、胸を張って「見えた」とは言いづらいものがある。
いや、でも、大さん橋のビューポイントもここと同じような角度じゃなかったっけ? あちらはなんで建物に邪魔されなかったんだ? と思い、先ほどの写真を見返してみると……。
国際客船ターミナルの屋上は緩やかなスロープで上るのであまり高所というイメージがなかったのだが、他のビルと比べると4階分ぐらいの高さがある。邪魔になる建物から十分に離れているということもあり、建物越しにジャックの塔を見ることができたのだ。
うーむ、これは誤算であった。意気消沈して象の鼻から立ち去ろうとしたその時、地面に見覚えのあるプレートが設置されていることに気が付いた。
これを見つけた時には、驚きのあまり思わず声が出てしまった。なんと、この象の鼻にもビューポイントプレートが設置されていたのだ。確かに、まぁ、いちおう三塔すべて見ることはできる場所ではあるが……。
前述の通り、象の鼻が整備されたのは2009年。他のビューポイントよりも新しい場所なのである。復元した際に曲がりなりにも三塔が見える場所と判明し、ウッドデッキのため設置できなかった大さん橋用のプレートを代わりに設置した、とかだろうか。
それにしても、この象の鼻からの眺めは何となく既視感あるなと思っていたのだが、帰宅してから考えてみると、私が2012年に書いた記事「横浜港の廃線たどって古いモノ巡り」でも全く同じ光景を目にしていた。まぁ、その時はプレートの存在に気付かなかったので、改めて訪れることができて良かったのだが。
さらに絞られたジャックの塔の可視範囲
港のすぐ近くにジャックの塔に被ってしまう建物があることが分かり、可視範囲の設定をやり直してみた。……のだが、これが物凄く狭い範囲となった。
この範囲内でしかジャックの塔を見ることができない
ビルとビルの間にジャックの塔がピンポイントで収まる範囲である。象の鼻防波堤も範囲から外れ、見られる場所は相当限定された感じである。
ここ、「山下臨港線プロムナード」はどうだろう
このプロムナードは先ほどの過去記事でも歩いた「横浜臨港線」の廃線跡である。高架橋になっているので地面よりも高さがある分、三塔を見渡しやすいのではないだろうか。
ままならない、実にままならないものである。ジャックの塔の可視範囲ではあるのだが、手前の建物に近すぎるせいでキングの塔が隠れてしまっている。もう少し建物から距離を取れば、キングの塔も顔を出してくれるような気がするが……。
具体的にはこの場所である。さあ、今度こそどうだ?!
ついにやった! 思った以上に苦戦したが、横浜三塔を一望できる場所を確認できた。やはり三箇所のビューポイント以外にも横浜三塔をキチンと見られる場所はあったのだ。この場所こそ、第四のビューポイントである。
楽しかった横浜三塔とビューポイント巡り
横浜三塔を一望できる場所がたった三箇所しかないと知り、「いやもっとたくさんあるんじゃないか?」という疑いのもと始めたビューポイント探しであったが、これが想像以上に可視範囲が狭く、なんとか一箇所見付けられただけであった。
今回改めて横浜三塔を巡ってみたが、やはりいずれも素晴らしい建築である。日本趣味のキング、イスラームなクイーン、洋風のジャックと、それぞれ趣向が違うのも多様性があって国際貿易港横浜にふさわしい感じだ。
残念ながら都市伝説のようにすべてのビューポイントを周っても願いが叶うことはなかったが、それでも横浜港の周辺は面白いものが多く、散策にオススメですよ。