砂丘近くの浦富台場
さぁ、鳥取県にまでやってきた。冒頭でも述べたとおり、鳥取県には八ヶ所のお台場がある。
鳥取といえば、とにもかくにも砂丘だろう。その鳥取砂丘から少し東に行ったところにある岩美町の浦富海岸に、そのうちの一つ、浦富台場がある。
普通の公園以上に簡素な案内標識。そしてその矢印が示している先は、潰れたガソリンスタンドのわき道。そこにはタイヤが積まれていたりするし、鳥取のお台場はなんだか凄い。
道から少し奥に入るとすぐに視界が開け、辺り一面の草むらと、土を盛った土塁らしきものが目に入った。
近くにあった案内板には、ちゃんと浦富台場跡と書かれていた。なるほど、確かにここはお台場らしい。その案内板の説明によると、このお台場は東京のお台場同様、黒船を追い払うために作った、鳥取藩の砲台跡であるということだ。
かつてこの場所にも大砲が設置され、日本海ににらみを利かせていたと考えると、確かにちょっと感慨深いような気もするが、住宅街の中に広がるただの公園だといわれたら、確かにそれで納得できてしまうような感じでもある。
いや、そもそも台場跡というのはそんなものだ。東京のお台場だって、たいしてモノが残っているわけではない。肝心なのは、砲台跡の周辺になにがあるかなのだ。きっとそうだ。
東京のお台場のように、この近くにもなにかお店とか、そういうものはないだろうか。東京カルチャーカルチャーならぬ、浦富カルチャーカルチャーというような、そんなお店とか。
何か、無いだろうか。
浦富台場跡の近くには、海辺らしく海の家がいくつか並んでいた。しかし、立入禁止。もともと営業していないのか、それとも今日はもう終了してしまったのか(訪れたのは夕方だった)。
まぁ、どちらにしろ、そこにえもいわれぬ哀愁が漂っていることには違いない。なんだろう、この感情は。
由良台場跡はコナンの里
翌日、私は新たなお台場を求め西へと向かった。浦富台場から海沿いに数十キロメートル、北栄町というところに次のお台場、由良台場跡はある。
この由良台場は付近一帯が公園としてしっかり整備されていた。駐車場も広く、子どもの遊び場なども併設されている。
うん、これは期待できそうだ。
どうだろう。土塁しか残っておらず、相変わらず原っぱというような感じではあるが、それでもここの土塁は要塞らしい構えとなっており、砲台跡という風情が残っている。そんな気がする。
さてさて、このお台場の周りには何があるのだろうか。
ここのお台場公園には道の駅が併設されていた。他には何も無いようだし、この道の駅を由良の東京カルチャーカルチャーこと由良カルチャーカルチャーに定めよう。
しかもこの道の駅、只の道の駅ではない。なんと、全国で初めて道の駅として公式に認められた、道の駅の第一号なんだそうだ。素敵すぎる。
実はこの由良台場のある北栄町は、名探偵コナンの作者である青山剛昌さんの出身地なんだそうだ。今ではコナンの里として町おこしをやっているらしい。
しかし、私としては密航禁止の看板の方が気になる。
二ヶ所回って分かったことだが(いや、正直言うと一ヶ所目から薄々感づいてはいたが)、はっきり言って、鳥取のお台場には何も無い。ただ唯一、土塁が残る原っぱがあるだけだ。
次に訪れるお台場もきっとそのような場所なのだろう。しかし、その何も無さ具合がだんだん楽しみになってきた。次はどのくらい何も無い場所なのだろう。楽しみだ。あぁ、楽しみだ。
私は三ヶ所目のお台場を求め、さらに西、境港へと向かった。