あなたは何か無性に気になることがあって、庭に穴を掘り始めた。周りの人達は「そんなとこ掘ってもなにも出てこないぞ」と忠告してくる。確かに何年掘っても金目のものは何も出てこない。さすがにあなたも「なんでこんな馬鹿らしいことやってんだ」という気持ちになってくる。そんなある日。なんと反対からも掘り進めていた人がいて、穴は突然繋がった。穴は世界を行き来できるトンネルとなった。
そんなことが実際起こるのである。
先日、ロシアの片手袋写真家夫妻とお会いすることができた。私が片手袋研究生活を始めてから来年で20年。「遂にこんな日が来たか」とひとり感慨にふけった。
2005年、25歳の時だった。玄関の扉を開けたら目の前に手袋が片方だけ落ちていた。片手袋だ。子供の頃から気になる存在だったので、なんとなく携帯で撮ってみた。
その瞬間、体に雷のような衝撃が走った。「これをやる為に生まれてきたんだ!」。直感的に悟った。それ以来、私は何かに取り憑かれたように片手袋発生のメカニズムや分類方法、季節や場所との相関関係などを研究し続けてきた。気付けば研究生活は来年で20周年を迎える。
勿論、精度を高めたところでなんの意味もない研究だ。それでも自分だけの新しい発見の連続が楽しくて続けてこられた。だが自分で決めた研究ルールが日常生活を脅かすレベルで厳しく、「なんで私だけこんな無意味なことに捉われてるんだろう…」と悩むことも増えた。
だがSNSの普及以降、それは少し違うことが分かってきた。試しにInstagramで「#lostglove」と検索してみて欲しい。なんと片手袋の写真を撮影してアップし続けている人は世界中にいたのだ。
それに気付いて以降、片手袋は私だけに呪いをかけたのではなく、世界中の人々を惹きつけているのだと認識を改めた。
とはいえ研究者は私以外にいなかったので、まずはこれまで積み重ねてきた研究成果を世界に問うてみたくなった。そこで2020年、クラウドファンディングを利用して英語版の冊子を作成した。
完成した冊子はクラファンの支援者や世界中の片手袋写真家に送付した。特殊な内容の冊子を恐怖新聞のようにいきなり送り付けたのだから、反応は薄いだろうなと予想していた。しかしこの時蒔いた種が今年、花を咲かせたのだ。
今年7月、見慣れぬアドレスからメールが届いていた。スパムメールだと思い削除しようとしたが、胸騒ぎがして文面をチェックした。
「私はロシアのブーラトと申します。あなたから片手袋の冊子を送って貰った者です。本棚の一番良い所にずっと飾ってます。来月日本に旅行に行くのですが、会えませんか?」
驚いた。なんと数年前、あの英語版冊子を送ったうちのひとり、ロシアの片手袋写真家の方だったのである。恐怖新聞、ちゃんと読んでくれたんだ…。
こうして2024年8月26日。私は銀座でロシアから来日したブーラトさん、イリーナさんご夫妻とお会いすることになった。
お互い話したいこと、聞きたいことが山ほどあったが、のっけから「片手袋あるある」が連発した。
「出会った片手袋には絶対触らないですよね!」「分かる~」
「片手袋だけでなく背景も記録するのが大事ですよね!」「分かる~」
「コロナ禍以降、明らかに使い捨てタイプの片手袋が増えましたよね!」「分かる~」
こんな会話、日本ですら成立しないのに、違う国の人と意気投合できるなんて夢じゃないだろうか?
お二人は一緒に片手袋撮影をしているが、最初に始めたのはブーラトさんだったという。そのきっかけが“なんとなく”というのまで、私と一緒だった。
今日も世界のどこかで、「なんとなく」から何かの沼にはまる人が生まれているのだろう。
勿論、共通点だけでなく相違点もあって、それは何よりロシアの寒さである。夏が短く厳寒な冬が長く続く国だ。みんな様々なタイプの手袋を持っていて、寒さのレベルに合わせてそれらを使い分けるそう。恐らく片手袋発生率も日本よりロシアの方が圧倒的に高いだろう。
それを聞いて「あ~、そうか」と腑に落ちた。何故なら片手袋史的に重要な作品が旧ソ連のものであることが多かったため、私は以前から「ロシア人は片手袋感度が高いのではないか?」という仮説を立てていたのだ。
まず、世界中の子供達に片手袋の存在を知らしめ続けている名作絵本、『てぶくろ』がある。
さらに1967年、旧ソ連のアニメ作家ロマン・カチャーノフによって作られた名作アニメ『ミトン』にも、片手袋は重要なモチーフとして登場する。
他にも旧ソ連の作家が片手袋にまつわる作品を発表している例は幾つもある。それは単純に、ロシアでの暮らしと片手袋が密接な関係にあるからだったのだ。
また、どちらかというと片手袋を理屈で考えてしまう私に対して、お二人は「違う場所に落ちていた片手袋が空間と距離を隔てた握手をしているように感じた」とか「片手袋を撮ることはゲームオブライフなんだ」とか片手袋を詩的に表現することが多かった。相違点ということではないが、とても感心してしまった。
興奮して話していたら、あっという間に2時間以上過ぎていた。まだまだ話題は尽きなかったが、お二人はこの日が帰国前日。色々と予定もあったので泣く泣くお開きとなった。
最後に記念撮影をしている時、「You are the father of the lostglove world」と言ってくれて、嬉しさと照れでよく分からない感情に襲われてしまった。
お互い最初は「こんなことで違う国の人と会えるなんて」と繰り返していたが、別れ際には再会を強く誓い合った。
初めて片手袋を撮った19年前のあの日に戻って、「将来世界と繋がる日が来るよ」と自分に教えても、きっと信じないだろうと思う。不思議な一日だった。
あなたは何か無性に気になることがあって、庭に穴を掘り始めた。周りの人達は「そんなとこ掘ってもなにも出てこないぞ」と忠告してくる。確かに何年掘っても金目のものは何も出てこない。さすがにあなたも「なんでこんな馬鹿らしいことやってんだ」という気持ちになってくる。そんなある日。なんと反対からも掘り進めていた人がいて、穴は突然繋がった。穴は世界を行き来できるトンネルとなった。
そんなことが実際起こるのである。
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