やはりこの子は天才ではないだろうか。
と、親が色めきたっていたであろうことが想像できる。どうもすいませんでした両親。
その後はこんなふうに字の鍛錬をしたこともすっかり忘れて、普通に小中高と漢字を覚えていったのだった。
最近になって、なぜか漢字検定を勢いあまって受けてしまったが、もしかしたらこれが起源だったのかもしれない。
実家に帰ったときなど、自分が幼児期に描いた絵を引っ張り出してきて見入ったりしませんか。
クレヨンで一生懸命描いた絵。それはいいとして、ページを繰るうちに妙な図絵が混ざるようになってくる。「?」
漢字のようだ。書いた当時は小学校に上がる前なので見よう見まねでやっと書いているはずだが、ひいき目に見てなんだかうまい気がする。私は神童だったのか。
でもやっぱり変だ。ちょっと見てもらっていいですか。
※2005年5月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
暇に飽かせて納戸をあさり、「じゆうがちょう(自由画帳)」(懐かしい響きだ)などをいろいろ取ってきた。
幼稚園年少組くらいまでは、ひらがなをめいっぱい使ってのびのびと描いている。
それが、いつしか興味の対象は漢字へと移っていく。何かを見ながら書いたとは思うが、幼稚園児にしてはまずまずのようだ。
「漢字を書く」ということに興味を覚え、手当たり次第に書き散らかしていたらしい。そのまま練習していたら天才児としてTVに出られたかもしれない。しかし奔放な幼児のイマジネーションはあさっての方向へ向かっていく。
こうやって見てみると、いかに幼児とはいえ、外国人が見よう見まねで漢字を書くのとはまた違い、割と勘どころを押さえているように見える。お箸の国のひとだもの。
今、汝のその幼き手に「漢字」といふ名の道具が授けられた。思うがまま創造するがよい!とか何とかご託宣を受けたんだろうか。そこに日常のテレビ的嗜好が加味され、このように展開していったらしい。以下、パターンが大体決まってきているので分類してみる。幼児期私がどんなものを見ていたか。
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やはりこの子は天才ではないだろうか。
と、親が色めきたっていたであろうことが想像できる。どうもすいませんでした両親。
その後はこんなふうに字の鍛錬をしたこともすっかり忘れて、普通に小中高と漢字を覚えていったのだった。
最近になって、なぜか漢字検定を勢いあまって受けてしまったが、もしかしたらこれが起源だったのかもしれない。
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