特集 2019年10月22日

愛媛で出会った"性のインディ・ジョーンズ"

"性は宗教なり、哲学なり、道徳なり、科学なり、生命なり、人生なりー。"

というのはこの記事で後述す出てくる人物が残した言葉。河、海、岩、山、身近な自然物は昔から信仰の対象になった。なるほどその意味では、人がいる以上は必ずある「性」もまた当てはまるのかもしれない。

愛媛に用事ができた。せっかくだとネタを探していたら、宇和島市某所にでっかなペニス(あえてそのまま書く)を祀っている社を発見。秘宝館?いやなんと正真正銘の神社らしく、併設された資料館がすごいと評判。館内撮影禁止のためかネットじゃ詳しい情報も出てこない。しかし神社と性の組み合わせが気になって、連絡をとって話を聞かせてもらうことにした。

いやぁもう、すごかった!映画になる話だった。

1984年大阪生まれ。2011年に旅先で誘われベトナム移住。ダチョウに乗って走ったり、ドリアンの皮を装備したりと、人は羨まないが平和な人生送ってます。世界のカルチャーを紹介するサイト「海外ZINE」編集長。(動画インタビュー

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> 個人サイト べとまる

世界最高の"性文化財資料宝物館"

まずは今回の舞台である資料館「凸凹神堂」。その鬼のような蒐集(しゅうしゅう)ぶりを見てほしい、なによりその方が話も早い。いつもは撮影禁止だが特別に許可をいただいたので、gifでドバーッと!ご覧ください。

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多賀神社の入口から凸凹神堂館内の展示品に至るまで

個々の詳細はおいといて、とんでもない数の展示品があるということは伝わっただろう。見るからにというものもあるが、これらほぼすべて「性」にまつわるもの

春画、吉原にあった縁起物、部族の信仰対象となった偶像…。しかも日本国内だけでなく世界各地から、中国、韓国、インド、ネパール、ヨーロッパや南米にいたるまで!その数はななな~んと、5万点にもおよぶという。

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男根関連が多めです

じゃ、なに、研究者たちが持ち寄ったとか?というと、むしろ逆。ほとんどが多賀神社八代目宮司でもあった久保凸凹丸(あいまる)(※本名です)さんという、いち個人が生涯をかけて集めつづけてきたものだ。ただし、当人はすでに他界しており、今は長男にあたる盛浩さんが多賀神社の宮司職とともに凸凹神堂を継いでいる。

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久保凸凹丸さんの長男であり九代目宮司、久保盛浩さんに話をうかがいました。
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多賀神社はその由緒は西暦269年まで遡るほど、とてつもなく歴史が長い。

 

「性文化財」蒐集は祖父の代から

久保さん「(父の凸凹丸さんからではなく、)祖父の代から集めていたんですよ」
水嶋「そこからはじまるんですか!」

もともと性にまつわるものを集めていた盛浩さんの祖父、盛丸さん。時代は戦前戦後、今と違い気軽に海外へ出られる世でなく国内を周って集めて数百点。その研究の成果(陰陽)を大正から昭和にかけて11種19冊の本にまとめて、「凸凹道場」(これがのちの凸凹神堂になった)を開いて人々に説いた。しかし、性はタブー視された時代の中で、それも発禁本に。さらに当局からにらまれたことに尾ひれはひれがついて「四つ足(牛肉)を食べたりと贅沢なことやいかがわしいことをしているのではないか」という風評被害まで立ったのだという。

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盛丸さんは芸達者で絵も上手く、オリジナリティあふれる春画はイタリアでも出版。
ほかに1000ページ以上に渡る郷土史本も書いており、地元では伝説の人とも呼ばれる。
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写真右の人物が盛丸さん。本題じゃないので流すけど、うしろの銅像になっている人類学者のフレデリック・スタール博士もかなりおもしろい人物みたいです。なお当時ご存命。

久保さん「祖父の名前が盛丸で、ほかの兄弟も全員同じように"丸"が付いていたんですよ。で、女の子は、やよい、いくさ、さつき、きしや…分かります?しりとりになっとったんです。その代(盛丸さんの祖父で盛浩さんの曾祖父)から変り者のDNAがあったんでしょうね」

そんな盛丸さんは書についても造詣が深く、名乗っていた雅号が「凸凹寺法主(でこぼこほうす)」。凸凹寺、そして息子の凸凹丸さんといい、その「凸凹」に対するこだわりから、いったい性にどれほどの関心、いやもはや執心があったのかと思わされる。もうお察しかもしれないが、冒頭の言葉はそんな盛丸さんによるものだ。

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凸凹神堂の正面玄関。凸凹は言うまでもなく男女のドッキングをあらわしている。
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珍しい名前として家族でテレビ番組にも出たことも(後述するけどこれ貼ってるの天井)

そんな凸凹丸さんが大人になり、父からシッカリと受け継いだ性への探究心が爆発、はたまた覚醒か。時代ゆえに日本を出られなかった盛丸さんからバトンを受け取ったかのように、凸凹丸さんは世界へ。中国、韓国、インド、ネパール、ヨーロッパ、南米、性あらばありとあらゆるところへ、つまり世界中に飛び出して、国内の数百点の蒐集物は世界規模の5万点に膨れ上がっていった

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さきほどのお父さんと同じアングル、同じ人物と撮った写真。

 

ボールペンとペニスケースを物々交換

水嶋「宮司としてのお仕事もあった訳ですよね?」
久保さん「なので海外へ行くのは年2回でしたね」
水嶋「年2回で最終的に5万点というのがすごい」
久保さん「とくに親父がよく通っていたのがインドでした、30回くらいかな」
水嶋「30!?もう出張だ」

しかし「世界の性文化財を集めるぞ」と言っても、ひょっとするとロクにお互いのコミュニケーションが取れない相手から物を譲ってもらう訳だから、そんな簡単な話でもないように思う。ましてや性にまつわるのなら渡したくないすら、あるんじゃないか。そこで聞けば凸凹丸さんは、単純かつ、予想だにしない方法をとっていた。

久保さんいつも大量に、ボールペン、使い捨てライター、あと5円玉を持っていくんです
水嶋「え…なぜ?」
久保さん「それをペニスケースなんかと交換してもらうんですよ」
水嶋「そんなんでいいんですか!?」

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今でこそ会うだけならむずかしくない"首長族"と呼ばれた人たちとも、30年以上前に。

今世界各地にありあふれているそんなものでも、当時、山奥に分け入った先では珍しく欲しがられたという。って、そもそもそんな未開の地へ踏み込んでいたということにビックリだ…。川口浩探検隊も真っ青だろう(あれはそもそもモキュメンタリーだけど)、まったく性に関係なくやってることがすごすぎる。にしても「ボールペンとペニスケースを交換」ってなんともシュールな。なんとなく、小さくなってんじゃんとつっこみたくなる。

5円玉は「穴が空いている硬貨は珍しがられた」から。聞いたことある。で、50円玉じゃないのは単に「もったいないから」。盛浩さんの話を通して、ところどころで凸凹丸さんの人間くささが伝わってくる。確かに5円玉で満足してもらえるなら50円玉はもったいないな。

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ベトナム(筆者は基本ベトナム在住)でも見覚えのある文化財があり、その文化の分布の広さに思いを馳せて震える。国ってほんと、近世になってからの線引きなんだよなー。

危ない目にも遭ったのでは?と聞くと、食中毒で帰国後即緊急入院したり、はたまた、御神体(場所)に誤って踏み入って槍を持って追いかけられたこともあったらしい。ほかにもゴールデントライアングル(タイ、ミャンマー、ラオスが接する山岳地帯でかつて麻薬密造地でもあった)でゲリラに銃を向けられたこともあったとか。

いやいや!えー、いやいやいや…。それほとんど、インディ・ジョーンズの世界じゃないか。ただし、追い求めるものは秘宝ではなく、性文化財という説明は要るが。

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"ダッチワイフのルーツ(原型)"だそうです

 

探検活動が注目されて一躍"時の人"に

話を聞いているうちに気になったのは資金源。今でこそ格安で海外へ行けるが、当時はそりゃ行けると言っても高額には違いない。その答えは、「凸凹神堂の売上(入館料やグッズ販売)」という真っ当なサイクルだった。

凸凹丸さんの探検とキャラクター、そして蒐集物を集めた凸凹神堂はテレビでも頻繁に取り上げられ、集客効果は抜群。いっとき名前だけ書かれた年賀状が届いていたというから、その人気ぶりと有名ぶりが分かる。凸凹神堂の来場規模は昭和45~60年がピークで(長いな)、一日で50万円以上も売り上げることがあったという。

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フジ出演
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日テレ出演
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読売テレビ出演

いっときはクイズ番組にまで出演した凸凹丸さん。しかし、あらゆる分野に精通していたが芸能だけはからっきしで賞金を獲得することはなかったとのこと。

久保さん「学校、農協、信金、いろんなところから団体客がやってきて、その人たちに親父が講義をするんですよ。部屋中いつも笑い声が響いていてね、とくにおばちゃんたちの反応がすごかった。あれ、映像で撮っとけば、いやせめて録音だけでもしておけばよかったなぁ」

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男女交合(要するにSEX)を教義としていたという真言立川流
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太鼓のバチは…ご覧の通り

一方で、ときには冷やかしもあり、「大人のおもちゃ売っとんのか?」と言う客に「そういうものじゃない!」と凸凹丸さんが叱りつける一幕もあったという。あくまで真正面に誠実に性と向き合う様が伝わる。その考えは記事冒頭に書いた、父・盛丸さんの言葉のままだろう。

そうして、凸凹神堂で得た収益を資金に、ふたたび大量のボールペンとライターと5円玉を持って海外へ…を繰り返し、5万点を抱える今の凸凹神堂が出来上がった。当時は有名人すぎて税関職員の間でも知られた顔だったそうで、ほとんど顔パスに近く、「(持ってこようと思えば)なんでも持ってこれるぞ」と話していたらしい

久保さん「あの時代だからこそ出来たことだね。今はどの国でも、文化財は簡単に外へ出させないだろうから」

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このあたりとかもそうかもしれない

そう考えると凸凹神堂は、海外に行けて、かつ個人間の合意で文化財が持ち帰れるという時代的にも、そして凸凹丸さんの情熱的にも、時代と人のタイミングが見事に噛み合った奇跡の宝物館なのではないか。もちろんそれは凸凹丸さんの父、盛丸さんが国内で数百点を集めてきたという流れがあってのものなんだろうけど。まさしく盛丸さんが耕し、凸凹丸さんが花を咲かせたと言える。

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雑誌でも特集が組まれた

 

盛浩さんが見た晩年の凸凹丸さん

祖父の盛丸さんは芸達者だったと書いたが、凸凹丸さんにも作品に対するこだわりは継がれているのか。展示はすべて自らの手で、壁のみならず天井にまでビッシリと貼り付けられ、説明文も遠目に見るとパソコンで印刷したかのような楷書体で、しかし手書きで書かれている。

紙はベニヤ板に貼ってから壁に取り付けるので接着剤を多用し、「(吸引で)頭がやられるのでやめろ」と周りが忠告しても無視して、頑なにつづけていたという。

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天井まで埋め尽くす展示物、実際に館内に立てばその情報量に圧倒される。
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手書きの極致と言わんばかりの、横一線にピシッときれいに並んだ楷書体。

そんな凸凹丸さんも60代中盤から痴呆がはじまり、うつくしかった楷書もパソコンで書いたようなシンプルな文字になり、それを見た瞬間に盛浩さんは「文字が死んだ」と思ったそうだ。それからは晩年まで凸凹神堂の前に日がな一日座りつづけて過ごしていた。「やっぱり、自分の城にずっといたかったんでしょうね」とのこと。

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凸凹神堂の噂を聞きつけて、世界各地から学者もしばしば訪れたという。

…こうして五時間ほどに渡り、凸凹丸さんを中心に凸凹神堂と久保家の話を聞かせてもらって帰路についた。まるで伝記を読み聞かせてもらったような気分だった。実は宇和島での予定はほかにも立てていたが、自分はこの話を聞くために足を運んだんだという確信が胸にある。

話の途中に60代くらいの男女グループがやって来て、応対する盛浩さんに「今はもう講義やってないの?」と聞いていた。凸凹丸さんが他界されてから、もっとその前に講義をやらなくなってからずいぶん経つはず。きっとこの人たちは30年以上前にテレビで見たそのインパクトを鮮明に覚えていてなにかの拍子に来たのだろう。

また、欧米系と思われる外国人女性の来館もあり、静かにひと通り館内を見て回って帰っていった。(愛媛の県庁所在地である)松山でも、アジア系はともかく欧米系の外国人はそれほどたくさんは見なかったし、それこそ宇和島ではひとりも見なかったことを考えると、きっとピンポイントでここ凸凹神堂にやって来たのだと思う。

盛丸さんがはじめ、凸凹丸さんがひろげ、盛浩さんが守っている性への情熱は、今もだれかを動かしている。


映画で観たい久保凸凹丸さん

主観ですよと断って書くと、素朴に感じた疑問が「こんなすごい人はもっと知られても良いだろうに」だった。

蒐集物の文化的価値もそうだし、その執念も生き様も歴史に名が残るほどだと感じている。かつてテレビで"時の人"となったとはいえ、残した価値はいっときのにぎやかしなんてものじゃない。あと純粋に、ボールペンとペニスケースの交換も、槍を持って追いかけられる話もおもしろすぎる。だれか映画にしてくれないかな。几帳面な性格で、ずっと日記をつけていたらしいですよ。

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買って帰ったお守り、見せる相手を選ぶギミック。

取材協力
名前:多賀神社/性文化財凸凹神堂(凸凹寺)
住所:〒798-0010 愛媛県宇和島市藤江1340
営業時間:8:00~17:00(年中無休)
連絡先:0895-22-3444
※入場料800円、団体割引あり、未成年者入館禁止

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