偉人の人生を新幹線の東京−博多間にたとえる
時間を距離に例えるというのは、つまり年表のことになるかもしれない。しかし、ふつうの年表ではなく、新幹線の営業キロ数で時間を例えてみるとどうだろう。
わかりにくい時間のながさの感覚を距離の感覚でつかめるのではないか?
例えば、ヘレン・ケラーの生涯を東海道山陽新幹線に例えると、こうなる。
東海道道山陽新幹線・東京博多間の営業キロ数1174.9kmを、ヘレン・ケラーの生涯の月数、約1044ヶ月で割ると、ヘレン・ケラーの人生1ヶ月あたりの営業キロ数が出てくる。
ヘレン・ケラーは、2才で猩紅熱にかかり、高熱で視力と聴力を失ってしまうが、これは東京駅を0才でスタートしたヘレン・ケラーの人生営業キロでいうと27km地点で、新横浜(28.8km)てまえということになる。
その要領で、ヘレン・ケラーの生涯のエピソードの月数を、文献に記されている年表からわりだし、それぞれ新幹線の営業キロ数にあてはめてみた。
サリバン先生とであい、モノに名前があるということにきづくあの有名な「ウォーター!」のくだりの営業キロ数は94.5321838kmとなり、小田原(83.9km)をでて11キロほどいった地点ということになる。
おそらくこのへんだろう。箱根の山を超える長いトンネルの中だ。
新富士(146.2km)を過ぎたあたりで『霜の王様』盗作騒動(148.550574km)というのが発生する。ヘレン・ケラーが11歳の時に書いたおとぎばなし『霜の王様』が、マーガレット・キャンピー作の『霜の妖精』という小説にそっくりで、書き写したのではないかと疑われた事件だ。
結局これは、ヘレン・ケラーが過去に『霜の妖精』を読んだことがあり、潜伏記憶でうっかり書いてしまったものだということが判明する。
豊橋(293.6km)と三河安城(336.3km)の間ぐらいで、今度は本当に自分が全部書いた『わたしの人生』がベストセラー(310.605747km)になる。
米原(445.9km)京都(513.6km)間で、ピーター・フェイガンというジャーナリストに告白され、プロポーズされる(486.165516km)が、なんやかんやあって破談になったり、京都(513.6km)で映画『救い』に出演してチャップリンと共演(513.174712km)したり、新倉敷(758.1km)手前でサリバン先生が亡くなったり(756.25747km)、3回も日本に来たり、いろいろあって、ヘレン・ケラーは1968年に87才で亡くなった。
野口英世はどうか?
では、千円札のひとでおなじみの、野口英世はどうか?
野口英世は1876年、野口佐代助・シカの長男として福島県で生まれ、清作と名付けられた。
清作は、ヘレン・ケラーと同じく、子供のころのアクシデントで、体に障害を負う。囲炉裏に落ちて、左手足に大やけどをする(34.5558824km)のだが、それが1歳半。新横浜(28.8km)をでてしばらくいったところだ。ちょうど相鉄西谷駅と東海道新幹線が交差するあたりではないか。
清作は、三河安城(336.3km)を過ぎたあたりで、左手の手術をうけ(345.558823km)指がつかえるようになったことに感激し、医師を目指す。
米原(445.9km)を通過したあたりで、医師の試験に合格(460.745098km)するものの、京都(513.6km)手前で、パトロンの血脇守之助に留学資金として出してもらった500円もの大金を、女遊びなどの放蕩(506.819608km)にふけり、消尽してしまう。
さらに、お金目当てで婚約したり(血脇守之助が、お金を払って婚約を解消してくれた)お金の無心に行った先で放蕩ぶりを怒られたりなんかしながら、京都、新大阪(552.6km)の間、たぶん山崎のあたりでアメリカに渡る。(529.857182km)
その後、海外でいろんな業績をあげたり、あげなかったり、勲章をもらったりなんやかんやしながら名声が高まり、ノーベル賞の候補にまでなる。
英世は1927年、アフリカ・ガーナ(当時は英領ゴールドコースト)に赴き、黄熱病の研究を行っている最中に、自身が黄熱病にたおれ、51才で亡くなった。
キリストの有名なエピソードのほとんどは九州、しかも博多駅構内で起こった
キリストは、西暦1年生まれではない。ほんとうは紀元前6年生まれぐらいだと言われている。
東京(0km)でのエピソードは皆さんご存知の、馬小屋で生まれるやつだ。
ただ、新約聖書に載ってるような有名なエピソードのほとんどは小倉(1107.7km)を過ぎてからのものがほとんどだ。
ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け(1129.27282km)たのは、筑前植木駅の近く、九州自動車道と新幹線が交差するあたりではないかと思われる。
キリストは、その後にエピソードが怒涛のごとくもりもり出てくる。
最後の晩餐、ユダの裏切り、ゴルゴダの丘、エリ・エリ・レマ・サバクタニあたりの話はもう、博多(1174.9km)駅構内でのできごとである。復活したくだりは、博多南駅のことだろう。
博多スタートで人類の進化を見る
偉人の生涯だけではなく、もっと大局的な、例えば、人類の進化とかの話を東海道山陽新幹線に例えたらどうだろう。
『地球全史スーパー年表』(岩波書店)という便利な資料がある。
宇宙誕生から人類の現在まで、時間のスケールを変えて、並列にいくつも比較した年表だ。この年表を参考に、人類が二足歩行開始を開始した地点を博多として、2019年の現在を東京にしたばあい、どんなふうになるのか計算してみたのが下の表だ。
直立二足歩行をしていたと考えられる、アルディピテクスラミダスを博多とし、現在を東京に設定した。
単位が100万年単位なので、めちゃくちゃ誤差があるとおもうが、そのへんは雑な計算なのでゆるしてほしい。
現在のヒトに直接つながっていると考えられているアウストラロピテクス・アファレンシスが出現したのは広島(280.7km)あたりである。アウストラロピテクス・アフリカヌスは岡山(442km)だ。アウストラロピテクスにB&B感がただよう。
人類が火を使い始めたのは、新大阪(622.3km)あたりではないかと言われている。
豊橋(881.3km)でジャワ原人、新富士(1028.7km)で北京原人、ウパーときたあと、ネアンデルタール人が小田原(1091km)通過直後ぐらいに出てくる。
ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスの祖先だと教わったよう気がするけれど、現在はホモ・サピエンスから別れた一亜種だといわれている。
現生人類のホモ・サピエンスは、新横浜(1146.1km)手前でやっと出てくる。
品川(1168.1km)を過ぎたあたりでやっと縄文時代、有楽町の交通会館が見える辺りで弥生時代がスタートして、そのあとめちゃめちゃ濃い3000年ぐらいが数十秒ぐらいで過ぎ去って2019年、東京駅である。
縄文時代の長さを思い知る
人類の二足歩行開始を博多に設定した場合は、縄文時代の開始が品川あたりになったわけだが、今度は、縄文時代の開始を博多に設定した場合、どうなるだろうか。
縄文時代の開始を1万6500年前と設定した場合、次の弥生時代のスタートは浜松(917.8km)を過ぎたあたりになる。広島、岡山、新大阪、京都、名古屋、すべて縄文時代である。
キリストが誕生するころ(1032.48787km)、西暦1年前後は、新富士(1028.7km)、三島(1054.2km)間、新富士をでてすぐのへん。大化の改新(1078.41578km)は、熱海(1070.3km)を8キロほど過ぎたあたり。
新横浜(1146.1km)てまえで関ヶ原の戦い(1144.99344km)、品川(1168.1km)をでてすぐで第二次世界大戦、東京オリンピック(1964年)は新橋か浜松町あたりで、東京駅構内ぐらいで、たまごっちブーム、東京オリンピック(2回め)ということになっている。
文字を使いはじめてから(エジプト文明ぐらい)のエピソードの盛り込みぐあいがすごい。
駅が目盛りになる
偉人の人生や人類の進化を、新幹線換算でみてみた。これはつまり、鉄道路線は駅を目盛りとしたものさしになるということなのかもしれない。
YouTubeなどに新幹線の車窓動画というものがたくさんアップされているので、それを見ながら上の表を確認するとおもしろいかもしれない。
参考文献
谷真介(2009)『キリスト』ポプラ社
東多江子・椎名優(2017)『ヘレン・ケラー物語』講談社青い鳥文庫
滑川道夫(1981)『見えない人類の敵にいどむ 野口英世』講談社火の鳥伝記文庫
『JR時刻表 2019年3月号』株式会社交通新聞社
清川昌一・伊藤孝・池原実・尾上哲治・日本地質学会 (監修)『地球全史スーパー年表』岩波書店
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