とはいえ大阪観光の一つです
とはいえ、やってることといえば29作の美術作品めぐりであり、ふつうの御堂筋観光である。御堂筋はいい。アクセスがいいし古い建築物も多く雰囲気がいい。
思ったことをダイジェスト的に書き出していくが、全体のベースには美術作品をたくさん鑑賞させてもらい満足しましたありがとうございます、みなさんも行ってみてください、という気持ちがある。
義理を果たしたつもりでここからは好き勝手に書く。
6車線が梅田からなんばへと向かう大阪のメインストリート、御堂筋。歴史のある建築物、高級ブランドや大企業が並ぶ。
DAISOまでめかしこむぞ
一体目、やっぱりそのへんにある
彫刻作品があるのは淀屋橋駅から心斎橋駅までの地下鉄で2駅の区間。今回は心斎橋駅側から見ていった。
一体目、あった。『少年と少女』という作品だ。やっぱり手の届くところにあった。持ってっちゃう人がいないか心配である。
「アンチ彫刻」「機能的な彫刻」「不安の幾何学」と呼ばれたりするらしい(※検索した)リン=チャドウィックの作品『少年と少女』。高そうだぞ
さわれる(さわってないが)。持ってったりしないのだろうか
こんな細い足、不安であるが持っていかれそうになった痕跡はない。作家のサインと4/4?
二体目、早くも、ない
やはりものすごくカジュアルに作品はあった。
この調子であと28作つづくのだろうかと思ったが2体目が見当たらない。おかしい、この辺に…と思ったら台座だけあった。
ない。もしかしたらもう怪盗に盗まれたあとのなのかもしれない。
あ、ない! ないぞ! 持っていかれたのだろうか…
「布」という作品があったようだ。しかし今は怪盗が来たあとのようだ
なさが飾られているな…後ろのビルも改装中だからその影響だろうか?
わしらの作品を見ていったらええがな
一体目を撮っていて気づいたが、街行く人が「何や? 何撮っとんねん?」とカメラの先にあるものを確認する。
その後みんな誇らしく、こちらに「感心や…、感心やでお兄さん、あんじょうよろしゅう…」という顔を向ける。自分たちの住んでるところに立派なものが置いてある心地よさがあるのだと思う。
だが、今回のような場合、確認した先に物がないと、みんな「なんなん…」という顔をしてくる。こちらとしては(おのれ怪盗め…)と撮ってるのだが、ただの奇行に映るようだ。
印象派の巨匠オーギュスト・ルノワール作だそうだ。彫刻もやってるんですか?
御堂筋にある会社が持ってる彫刻作品
この御堂筋彫刻ストリートは大阪市が呼びかけて沿道の企業が持っている彫刻作品を置いてもらってるらしい。
作家を検索すると彫刻史に名を残す者ばかり。バブル期の遺産なのだろうか。学校に関係ないものを持ってくると怒られたが、よく会社がこんなに彫刻を持ってるなと思う。
たとえばロダンは大阪ガス、他を見ると銀行が多い。資産として持ってるからか。
裸婦像につぐ裸婦像、女性の美しさを探求しすぎではないだろうか
裸の女性、多くないですか?
市によると、一応は「人」をテーマに作品を呼びかけて集めたそうだが、とにかく彫刻の「人」とは裸婦が多い。見ているとだんだん(…あっちも、こっちも、裸婦! 裸婦! 裸婦!)となってくる。
そう考えると美少女フィギュアはよく服を着ているなと思う。君たちの先輩はもう着せてないぞ。
めっちゃ傾いてるなこの裸婦像すごいな
裸婦像を見る基準ができてお気に入りが生まれた
フェルナンド・ボテロ『踊り子』もまた裸である。これだけ裸婦像を見た後では、お、ボテロ、これはすごいぞという思いがわいた。
初見でこれを見ても何も思わなかったろう。裸婦像を見すぎて自分のなかに「一定の基準」ができてしまったのだ。道を歩くだけで裸婦像とはこういうものという基準できるのはとてもありがたいことだ。
この裸婦なんかすごいぞ。めちゃくちゃ丸っこいがなんかいいぞ
この人の作品はずっとこんなんであるらしい
疲れてくると「なにこれ?」
ストリートに彫刻作品を置くこと。散歩のついでに見られるのはいいが、くまなく一作ずつチェックしていくと疲労を感じてくる。
とくに抽象性の高い作品においては疲れてくると「なにこれ?」「なんなん…」という感想が増えていってしまう。芸術に対しての心の狭さは致命傷だ。
美術館はよくできてるなと思う。狭いから。
ジョルジオ・デ・キリコ、意表をつきすぎて…(疲れてきている)
ロダン出た、さすがに高い!
そしてついに出た、ロダン。『イブ』という作品である。
ロダン、ロダン、と言ってるがロダンとは誰なんだろうか。ロダンとはオーギュスト・ロダンであり「近代彫刻の父」であるらしい。
この作品も検索してみるとバージョンによって違いがあるらしいが実勢価格(ハンマープライスとバイヤーのプレミアムを足した金額、意味はわからない)8000万円~、となっていた。
グランドモデル版?というのがオークションのクリスティーズのサイトを見ると実勢価格21億円だそうだ。
途方もないのでこれはきっと21円を置くほうのやつだろう。
ロダン『イブ』すごい。筋肉がむきむきである
こんなに筋骨たくましい裸婦像はこれまでにない
こそいで持っていかれそうになったような痕跡はない。ホッ。
彫刻とは複製可能なものだ
以前、街にあるでかい彫刻の見方を教えてくれ、とお願いした美術評論家の塚田優さんにこういうのって盗まれないんですか? そもそも本物なんですか? と聞いてみた。
塚田「こうした公共空間での彫刻作品は不思議と盗難のニュースは少ないですね。それよりも破損や撤去が話題にのぼることが多い印象があります。
こうした彫刻を公共空間に置くプロジェクトとしてはアプローチは異なるものの立川などにもあり、定着しているといえるでしょう。
レプリカなのか?という問題も、これはまた微妙です。
例えば作品を発注する場合、彫刻家はマケットとという模型を作ります。このマケットも美術館の蒐集対象になっていますから、マケットと発注された作品の関係は複雑です」
塚田さんの話を聞いて初めて知ったのが、彫刻作品はそもそも原型(マケット)の複製物だということ。ロダンのこの作品も国立西洋美術館にあるそうだ。日本に2つあるのか。
そういえばこの作品は「全く同じ女性像が向かいあわせになっている」説明があった。彫刻作品は複製可能なのだ
粘土などでマケットという原型を作ってそれをかたどって鋳造していくそうだ
大阪市に聞いたら「全部本物」
御堂筋彫刻ストリートを担当している大阪市の都市計画局にも電話をしてみた。
――彫刻作品が道にあるなあと思って行ってみたんですが、これは本物ですか? レプリカですか?
「いずれも本物のものです。彫刻作品は複製されるものなので本物だとされているのが一作品につきだいたい8体くらいあるとされてます。
作品にナンバーがふられているものがあるかと思いますが、何体作られたうちの何体目となっています」
なるほど、一番はじめに見た作品に「4/4」と刻印があったのは、4体作られたうちの4体目なのだ。作ろうと思えばどれだけでも作れてしまうため制限されてるようだ。ちなみにロダンは12体まで複製して本物としているという。
やはりよく考えると(…本物ってなんだっけ?)となってくる話だ。
心斎橋から淀屋橋に辿り着こうかというころ……これは! ここにあるはずの『ボジョレーの娘』が伏せられている!
箱が被せられている、しかも丁寧に銅像色に塗られている!
墓標のようになっていてなにか荘厳さが出てきている
やはり破損もあることはある
――なかった作品が2つあったんですが、これはもしかして盗まれました?
「『布』の方は設置してあるビルの方が現在改装中なので作品自体ビルの方にしまわれているということです。
もう一体の『ボジョレーの娘』に関しては残念ながら破損されていて、現在はカバーをかけている状態になっています」
――過去に盗まれたりするんですか?
「盗まれるというのはありませんが、破損することが過去にありましたね。年一回とかそんなペースではなく、ごく稀になんですけども」
こんなに何回も盗まれないのかと聞いているので、この人、盗むつもりなんじゃないだろうか…ということになってきてないだろうか
彫刻作品のわきに置いてある公共の園芸
花の方じゃなくてロダンの方をパトロールあげてほしい
自慢ではないか
御堂筋というのはちょっとしたシンボルのような通りであって東京でいうところの何なのかよくわかってない。銀座の中央通りに官公庁やら歴史的な建築物を合わせたものだろうか、存在感としては東京タワーくらいある。歌にもよく登場する大阪市民のちょっと自慢の通りであるし、そこにロダンが置いてあるというのは商都大阪の自慢でもあるのだろう。
彫刻作品を撮る筆者を見て道行く人は、おお、撮りなはれ撮りなはれ、という顔をしている。自慢であるのだが、なんとなくこう、鼻につかないというか。大阪の御堂筋愛がよく伝わる。
だが、その愛されたものを盗むのが怪盗である。
みなさんに言いたいことは彫刻作品をたくさん置いていただけるのはありがたいことだぞ、ということと、怪盗の恐ろしさである。