立ってるだけで意味が違う
しかしピエロのように顔ぜんたいを塗るわけでもなく、ちょっと頬にドーランを塗るだけである。女性ならばあたりまえのようにチークを塗だろうし、それでそんなに変わるのだろうか。
住さんの写真はイベント前にたまたま撮れただけかもしれない。そう思いつつも撮ってみたが。
こちら、メーク前です
ほほを赤く塗っただけで「乗り過ごしたので逆向きの電車を待ってる人」に!
意味が変わった。ぜったいにこの人ここで降りるはずじゃなかったんだろうな、と思わせる写真になった。写真の男はいま自分がどこにいるか分かってるんだろうか? なんでこんな明るいんだ?とか考えてそうである。
なんで僕がこんなに酔っぱらいの心情を察せるのか、それは経験があるからだ。乗り過ごして戻る電車でまた寝過ごす。すごろくの最後みたいになってて、家に永遠に帰れないんじゃないかと思う不安もよく分かる。
写真がストーリーをもつ
頬を赤く塗るだけで写真の意味が違ってくる。写真の前後が想像できるのだ。おもに酔っぱらいの行動だけど。
電車を待つサラリーマン
ベンチで寝始める5秒前
お茶を買うサラリーマン
「つり銭ないかにゃー」
コーヒーブレイクが
酔いざましに。
案内板を見るサラリーマン
「え、ここどごだ?」
写真が雄弁に語り出す。最後の乗り換え表示を見ている酔っぱらいも後ろを向いたらふらふらとそっちに行ってしまいそうで心配だ。
後ろに気をつけろ
もしくは下を向くと吐くから上を向いているだけかもしれない(坂本九さんの歌はそういう意味ではありません)。
山手線に乗ったら、何周もしてそうな人になった
酔っぱらいプレイ
原宿、竹下通りにきた。
酔っぱらいメイクの破壊力が面白くて、酔っぱらいがもっとも似合わない街にやってきた。反面、酔っぱらいがうっかり降りたら面白そうな場所である。
「姪にみやげのひとつでも買ってくか」
言ってみれば「朝まで飲んで帰りの電車で寝過ごして、しかも駅を間違えたのでついでになんか買って帰るおじさん」プレイだ。
しかし酔っぱらいが醸し出す物語は原宿の華やかな雰囲気に飲まれないか心配だ。原宿にいても酔っぱらいは酔っぱらいなのか、それともコスプレの一種になるのか。酔っぱらい vs 商業主義、僕の皮膚から10㎝ぐらいのところのせめぎ合いだ。
酔っぱらいに扮したまま竹下通りを歩く。
「うわー、こんなに食べられないなー」
着ぐるみを着た女の子がいたりして自由な街である。客引きも多いが、やっぱり酔っぱらいには声がかからない。酔っぱらい優勢だ。写真からも酔っぱらいとしてのストーリーが見える。
最後にラフォーレの前で写真を撮って原宿制覇の記念にしよう。
「ラフォーレってのはキムラヤみたいなものだろ?」
内面で負けました
ラフォーレの前で引きの写真を撮ってるときに思った。
はずかしい。
上の写真を撮った直後に見せた表情。ザ不安。
ネクタイを頭に巻いてみたり、シャツの裾を出したり。歩きながらズボンまた裾を入れたり。これじゃ酔っぱらいみたいじゃないか、いや、そうなんだけど。
僕はお酒の味が好きなんじゃなくて酔っぱらうのが好きなので、酔っぱらいメイクでも飲酒と同じ昂揚感が得られるのではないか。そう考えていた。
でも酔っぱらいの行動はアルコールを飲んでこそ、なのだ。体に心がついていってない。
酔っぱらいは心技一体である。
こんなところでシャツを入れたりさー
無能力化だ
頬を赤らめるだけでたいていの行動が台なしになる。ニュースでよく聞く言葉で言えば無能力化である。人がここまでビジュアルに左右されるというのも驚きである。
逆に、なにかを台なしにしたいときは頬を赤く塗って挑めば間違いない。
そんな機会あるのかよ、という内なる声には耳をふさいで、そう結論づけたい。そして思ったよりも奥行きのない企画だったなーと思う。
あと、酔っぱらいのまま人に指示すると「こんなやつに言われたくない」と思われます。