鼻に申し訳ない
30年来の花粉症である。スギに始まり、ヒノキやブタクサなど、1年中ありとあらゆる花粉に過敏に反応しては大量のくしゃみを発し、鼻には多大な負担を背負わせてしまっている。
わたしの鼻に配属されたばっかりに申し訳ない。いや、配属もなにもないのだろうが
スギ花粉が飛散し始めるこの時期、わたしの鼻周辺もたいがいに悲惨な状況になる。それにも関わらず、毎年医者に行くまでにタイムラグがある。近所のかかりつけの耳鼻科の医師がこわいのだ。
いい大人が病院に震えてばかりでは恥ずかしい気持ちもある。だが、医師は腕こそいいものの、遠慮なしにばすばす勢いよく装置を鼻の穴に押し込んでくる方針をゆずらない。思い出す度に辛い記憶の数々がよみがえり、おのずと足が遠のいてしまう。個人的には、歯医者の10倍くらいは耳鼻科が苦手だ。
しかし、どうだろう。やっとの思いでおびえながら耳鼻科に行くと、たいがい耳鼻医には「鼻、なんて酷い状態なんだ」「こんなに酷くなるまえにくるべきだ」と一喝される。
そんな日々の中で、ついうっかり思ってしまったこともあった。「鼻をとってしまいたい」と。
今思えばなんて酷い発言だったんだろう。来る日も来る日も、とめどない花粉と戦いつづけてくれていた鼻に対して、なんという冒涜だったのだろう。
ティッシュの選別がかなり雑であることにも申し訳なさしかない。トイレットペーパーでもさして変わらないだろうと思ったこともあった。まあ紙ナプキンでも問題ないだろうと思ったこともあった。そんな愚行を反芻しては、自責の念にかられている。
もっと率先して鼻セレブに手を伸ばすべきなのだろう
だからというかなんというかなのだが、ここらで鼻をもっとあがめたいのである。方法が正しいのかはわからないのだけど。
「はながら」を鼻で
鼻をあがめる方法として思いついたのは、「柄」への昇華であった。「はながら」と聞くとなぜか人は花を想像し、鼻を想像しない。なんと不憫なことなのだろう。鼻だって立派に「はな」である。(ふりがなが)
リアリティを求める気持ちと感謝の念を込めたい思いから、自分の鼻の写真を使うことにして、まずは素材集めをはじめる。
自分ばかりがずらっと並んでいるフォルダができてしまった
ここから1枚1枚順繰りと
鼻だけ切り取る
作業途中、ふと気がつくとパソコンの画面が自分熱烈LOVEみたいになっていた。恥ずかしい。コワーキングスペースやファミレスで作業しなくてほんとうによかったと思う。
並べたら二日酔いしたような気分になった。くらくらする
さまざまに集めたつもりが、ぜんぶ自分の鼻なため、まったくかわり映えがなく、どうしたもんだろうとも若干思った。だが、まあ仕方ないといえばそうなのである。
花っぽくしたらかわいいかなと思い、花っぽくしてみた
なお、自分に一からワンピースをつくる度量があるか否かに関しては、多大なる不安があったため、最終的に既製品に頼る方針となったことをそっとお知らせさせてください。
鼻を着て町へ出よう
既製品の上にぺたぺた貼付けた
第一印象、そんなに違和感がない。わりとふつうにワンピースである。作業途中、あんなに酔いそうになった気持ちはなんだったんだろうというくらいに鼻っぽくない気がする。
手にはやはりティッシュを持つべきだろう
余談だが、パンダ柄見ると、どうしても上野のシャンシャンを思い出してしまう。シャンシャンに会いたい
マックに入ってみたが、周囲に気がつかれている様子はない。勝利を感じる
まあ、近くで見るとけっこうきもいのだが
集合体というのは、異質さをうまいこと隠蔽するのにはなかなかいい手段なのだろうか。もうちょっと着用しながら動揺してみたかったのだが、これはこれで平和なのかもしれない。
生身の鼻のほうは、ぜんぜん平和じゃないんだけどな
花粉症のみなさんがんばろう
この記事が世に出たころにもきっと花粉は空を舞い、花粉症のわたしたちを苦しめているのだろう。同士のみなさんに心よりのお見舞いを申し上げつつ、わたしもがんばろうと思う。そして、一刻も早く勇気を出して耳鼻科に行きたい。