「人間なら一度は行った方がいい」はほんとうだった
まずはラスベガスのそのイカれっぷりをご覧ください。
イカれてる。なんだこりゃ。
その名も「パリス」というカジノ・ホテル。中もこんなふうにイカれてる。
エッフェル塔の脚が空を突き破ってますけどだいじょうぶですか。
パリの街を模した広大なカジノスペースの一画に「セクシー」という名の寿司屋。
こちらは「シーザーズ・パレス」といういちおうローマを模したことになっているホテル。ラスベガスでも一二を争うイカれっぷりだ。
皇帝がお出迎えの向こうに、さっそくスロットマシン。
要所要所でとりあえずローマっぽい映像が垂れ流し。
様式の正確性など気にならなくなるイカれっぷり。
どうかしてる。さいこう。
広大なカジノをぬけると広大なモールにそのままシームレスに移行。
疲れて休もうとすると、
ベンチがシーザー。いいのかこれで。
とにかく広大であらゆる享楽があって「アメリカ人が想像する古代ローマ」がふんだんに盛り込まれている。ぼく、ずっと笑ってた。
その名も「エクスカリバー」というカジノ・ホテルはこんな。アーサー王にあやまれ。
パリ、古代ローマ、ブリテンといったラインナップに並ぶ「ニューヨーク・ニューヨーク」
ラスベガスにとってニューヨークは古代ローマとかと同じ位置づけなんだな、と思った。
"Welcome to the greatest city in Las Vegas" って言ってニューヨークの絵って、どう考えたらいいのだ。
どうだろうか。全力で本気のばかばかしさというか、本物の偽物というか。とにかくすごい。びっくりしつつ笑っちゃって、感心しつつあきれた。やっぱりアメリカってすごいよ。
この感じがちゃんと伝わるといいのだが。ちゃんと写真に撮れば撮るほど絵はがきみたいになっちゃって、既視感が先立つ。この「見知ってるつもりだったけど、いざ実際行ってみたら圧倒されちゃう」感をどうお伝えしたものか。「インスタ映え」なんてもはや超越してる。
とりあえず妹の言う通りだ、ということだけは重ねて強調しておきたい。煩悩と理性の両方をこんなにも刺激する場所はそうそうない。
潤いへの執着
なんだかただの「旅行の土産話」みたいになっちゃってる気がする。超有名観光地に行ったら楽しかった、なんて話をここで書くべきじゃないですよね。「京都にはじめて行ったけど、古いお寺がたくさんあるのな!」とか。
ご安心ください。これから多少かわった話をします。
その手始めとして、まずラスベガスの「渇き」について述べよう。
フーバーダムに行ったときの記事の結論は「まわりの砂漠ぐあいがすごい」というものだったが(今回のこのラスベガスのついでに行ったのがフーバーダムでした)、それはそのままラスベガスの街にも当てはまる。
砂漠の中に水と電気をつくるためにつくられたのがフーバーダムで、使うためにつくられたのがこの街だ。
もうほんとどうしようもなく砂漠なので、ラスベガスのカジノ・ホテルはとにかく水推しだ。
潤いエンターテイメントの先駆けとも言える伝説的なホテル・ミラージュは、満々と水を湛える。
現在ぼくらが想像するラスベガス観を決定づけたといえるトレジャー・アイランドのテーマの選び方は水オリエンテッド。
慢性的な水不足に悩むラスベガスだが、それで水をふんだんにつかった演出をやめることはない。それほど、この場所にとって水はだいじなものなのだ。この水に対する飢え:「渇き」は日本人にはすぐにはぴんとこない。
ちなみにこういう潤いがちな今日的ラスベガス観をつくった最初が上のホテル・ミラージュで、ここからはじまる現在のラスベガスに到る歴史はたいそう面白いのだが、長くなるので割愛。別途じっくりお話ししたい。
潤いのもうひとつの象徴であるグリーンに対する飢えも感じた。ただ、大量に水を必要とする芝生ばかりは養えないので、ラスベガスの芝生はぜんぶ人工。
カジノ内にはしばしば温室がある。
本物・擬木まじえてグリーンでせまる。
グリーンの傍らでスロット。これすごくラスベガス的風景。
「渇き」をいちばん象徴しているのが、現在のラスベガスを代表するホテル「ベラージオ」の噴水ショー。音楽に合わせて水が舞い踊る。デザイン・施工したのは WET Design という会社。彼らは日本では博多のキャナルシティの噴水を手掛けている。
夜は15分ごとにショーが行われる。部屋を取って鑑賞した。べらぼうな高さまで水が吹き上がる。
アリアやシナトラなどの各種名曲に合わせ水が踊る。最終のショーは24時ということで、何の曲で締めくくるのだろうと待ち構えていたら、アメリカ国家だった。しかも
ホイットニー・ヒューストン バージョンの。うっかり感動してしまったが、いうなればこれNHKの放送終了時と同じだ。
ものすごくディズニー
ベラージオと同じくイタリアをモチーフにしたカジノ・ホテルに「ヴェネツィアン」というのがある。なぜヴェネツィアを採用か。それはかの街が水の都だからだ。
エントランス付近がすでにおかしな水具合。
入ってびっくり。なんじゃこりゃ。
念のため言っておきますが、ここ、カジノです。
車寄せの上空には巨大なロレダン提督が。
これでもか、というヴェネツィアモチーフの傍らで、スロット。
カジノフロアの上、2階は巨大なモールになっていて、そこになんと水がとうとうと流れている。あまつさえゴンドラが。めまいがする。
重ねて言いますが、ここ、2階です。
この圧倒的なディズニー感。そして徹底した水へのこだわり。
街中にいても、ふと遠くを見やると不気味に圧倒的な砂漠が見える。「ああ、ここが人工的に無理をして『オアシス化』されていることを意識させないように一生懸命潤わせているのだな」と思う。
油断するとビルの間に木が一本も生えていない岩山が見えちゃう街なのだ。
車でものの10分も走れば、こんなぐあい。
航空写真で見ると、いかにラスベガスが無理やりな街かがよくわかる。この砂漠の中のぽつんと具合、こわい。
過日公開された「ブレードランナー2049」には廃虚になったラスベガスが出てきた。人が住まなくなってぱっさぱっさに乾ききっていた。電気が止まれば何日もかからずにあっという間にあのようになるのだ、ラスベガスという街は。
MGMリゾート グループが描くラスベガスの街のイメージが、実によくできていた。
ちなみにラスベガスのホテルとカジノのほとんどが所在するのは、実はラスベガス市ではなく"Paradise" という区域である。
イカレポンチ代表・ルクソール
砂漠の中の「パラダイス」・ラスベガス。その中でも倒錯しているのが「ルクソール」というカジノ・ホテルだ。
その名の通り、エジプトをモチーフとしているのだが、これが例によってどうかしている。
こんなだ。どうかしてる。
何が倒錯しているのかというと、砂漠の中で砂漠を再現しているのだ。
ほっとけば砂漠になる土地柄で、わざわざ砂漠を再現。このシミュラークルはいったい何なのだ。頭を抱えた。
どのカジノ・ホテルもイカれているが、ルクソールのイカれ具合は逸品だ。
遺跡風の奥に見えるのはスロットの数々。
まさか内部がピラミッド状とは思いませんでしたよ。しかもなんか建ってるし。
オベリスクとミニスフィンクスがピラミッド内部に。もう、ほんと、なんなんだ。アメリカ人はバカだ。さいこうだ。
そして、なんと、夜は光ります。
銃乱射事件とヴェンチューリの「ラスベガス」
さて、いまラスベガスの話をするとなると、あれについて触れないわけにはいかない。あの悲劇的な銃乱射事件である。
光るルクソールのすぐそば、ストリップ(ラスベガスの目抜き通りはこう呼ばれます)の中央分離帯に集まる人びと。
実はここ、事件の犠牲者の慰霊と追悼のための場所になっていました。
実は、ぼくの滞在中にあの事件が起こった。後で気がついたのだが、発生時に現場から数百メートルの場所にいた。
ラスベガス中心部には公園がないので、中央分離帯がその代わりになったと思われる。信号が変わるたびに人がやってきて足を止め、次の青信号まで祈りを捧げるというサイクルができていて、いい場所だなと思った。
滞在中、何回かたずねた。何度訪れてもこの悲劇は何なのか分からなかった。いまでも分からない。ここにいる人たちもみんなそう言っていた。
フーバーダムに行ったのは実は事件の翌日。ダム記念碑の国旗も半旗であった。
事件が起こってから1時間ぐらいは、何が起こったのか分かっていなかった。事件が起こった会場の外はいたって変化なく、ぼくをふくめて道行く人は何も気づいていなかった。
そのうち街中にパトカーと救急車が走り回るようになって、これはなにかあったのでは? と思ったものの、周りにいるのは全員観光客なので、まったく事情が分からない。Twitterで検索してはじめて事件を知った。現場にいながら、世界中のサーバーを何台か経由しないと足元のことが分からないというのは奇妙な経験だった。
この事件は、ぼくがラスベガスに来た理由に深く関係していることに気がつくのにそう時間はかからなかった。
妹に言われたから、というのもきっかけのひとつだったが、より直接的な理由は建築家 ロバート・ヴェンチューリが書いたその名も「ラスベガス」という本にある。
建築を勉強する人なら必ず読むであろう名著「ラスベガス」。いわゆるポストモダンの先駆けといわれる。日本では1978年に出版された。
学生のときに一度読んだのだが、当時はなにも思わなかった。というよりあんまり意味が分かってなかった。バカだったのだ。
先日ふと本棚の奥から出てきて読みなおし、衝撃を受けた。すごくおもしろかった。これはラスベガスに行かねば! と思った。多少バカではなくなったのだ。
70年代のストリップ。ここでヴェンチューリは「ロードサイド」を発見した。建築は見えず、巨大な看板だけがサインを送っているのが印象的。(同書より)
大枚はたいて現地に行くほどこの本の何が面白かったのか。それはヴェンチューリがラスベガスでいわゆる「ロードサイド」のを発見した点にある。
何もない砂漠の広大な空間の中につくられたラスベガス。人はそこを車で移動する。敷地の最も道路側に過剰にデコられたサインが道路に対して直角に立ち、その後ろには広大な駐車場、道路から見えない奥に建築がぽつんとある。
「それらを取り去ってしまうと何も残らない。砂漠の中の町は、高速道路沿いの誇張されたコミュニケーションそのものなのだから」(同書41ページ)。
つまり、看板は建築から引きはがされたファサードなのだ。看板の巨大さは車のスピードに最適化されていて、それはちょうどバザールの店から歩行者に対して呼びかけられる売り声と同じだ、というのだ。なるほど。
バザールの小さな店+歩行者:ラスベガスのカジノ+自動車という相似形。なるほど。(同書より)
実際、いまでも車のスピードに最適化された巨大な看板がフロントガラスから見えるように直角の向きで立っている。
建築の正面ファサードあるいは呼び声がロードサイドに出張して聳えている。
何が言いたいのかというと「広大な土地の中にぽつんと建築が建つ」というラスベガスの特徴がこういう風景を生んでいるのだが、今回の事件もこの構成が可能にした、ということだ。
事件の犯人は、ストリップの南端に位置しことさらまわりが開けた場所に建つ高さ146mのビル、その32階から広大な屋外イベント会場に向けて発砲された。
狙われたコンサート会場はこのように、すごくラスベガス的な「広大で何もない」場所。
そして犯人が撃ったのは、この「広大な土地の中にぽつんと建った」ホテルから。
「広大な土地の中にぽつんと建築が建つ」からこその犯行だった。まさにあれはきわめてラスベガス的な事件といえる。ヴェンチューリが見抜いたラスベガスの構造、その延長線上にあの悲劇はあったのだ。
カジノの中に入れ子状に街がある
ただ、ヴェンチューリが説いたラスベガスは70年代のもので、現在の姿は当時とはかなり違う。ひと言で言うと「ロードサイドからモールへ」と言えるだろう。
前述のように、現在では看板だけでなく建築自体がデコられてかなりの主張をしている。
当時にはなかったパリやヴェネツィア モチーフといったけったいな建築は、いわばヴェンチューリが予言したポストモダンを忠実に実践したものだ。
この変化の原因のひとつは、道路を人が歩くようになった、という点にある。
それでもストリップにいまも「車に向けて直角に立つ巨大な看板」は健在だ。
今もラスベガス ストリップの「正面」はフロントガラスの方向を向いている。
歩行者からは巨大すぎてほとんど見えない、高さ数十メートルの看板。
下の方に歩行者向けの表示、上の方は車向け、という構成になっている。
おもしろいのは、車向けに道路に直角に立つ看板の中を、歩行者向けの広告を背負った車が行き交うという光景。
そしてカジノの中をあらためて見ると、スロットマシンがちょうどストリップの看板のように見える。
通路に対して直角に、かつ高さを競うようにデコられたマシンの上部。これはストリップの看板と同じではないか。ラスベガスではストリップが入れ子状に展開しているのだ。
ディスプレイ化する建築
もうちょっと話を続けさせてください。
けったいな建築目白押しのラスベガスだが、実はこういったトンチの効いたデザインのものは時代遅れになりつつあるように感じた。
パリスやヴェネツィア、ルクソール、ニューヨーク・ニューヨークなどはいずれも90年代につくられたもの。一方、2000年代に開業したものは、ロンドンやニューヨーク、東京などにありそうな「普通の今どきのビル」なのだ。
これらが2000年代以降の建築たち。なんか斜めになってたりはするが、ふつうだ。
お城モチーフとかじゃない。すごいけど、なんか残念。
規模はすごいし、威勢がいいな、とは思うが、ラスベガスらしくない。
ただ興味深いのはこれら今どきの「ふつう」のビルは、モチーフの代わりにディスプレイをまとっていること。
モチーフはない。かわりにLEDで覆われている。
つまり、建築がテーマや意匠、モチーフといったものから「ディスプレイ化」しているのだ。建築は表示装置になった。
これもまたカジノ内で見た風景と相似形である。
スロットマシンのテーマもたいがい節操がないが、結局のところディスプレイで表示されているだけなのだ。
これにしたって、なぜタイタニック、と思うが全体を見ればただのディスプレイのかたまりである。
ぼくの好きな「ビッグバン・セオリー」のスロットもあってちょっとうれしかった。バジンガ! それにしてもただのディスプレイ。
セックス・アンド・ザ・シティ、マイケル・ジャクソン、ダウントン・アビーにいたるまで「なんでそれをスロットにした」というモチーフがたくさんあって、それらを紹介するだけで記事がひとつ書けるぐらいおもしろかった。「なるほど、これは要するに『パチンコ冬のソナタ』だな!」と思った。
ともあれ、ストリップもカジノ内もつまりすべてはディスプレイになりつつあるのである。
そして、今回の事件は、このディスプレイ化した風景がどのように機能するかを見せもした。これを見てふるえた。
事件翌日から、ディスプレイ化した看板がいっせいに追悼と励まし、サポートのメッセージを表示するようになった。
ディスプレイ化する、というのはこういうことなのだな、と感じ入った。
ストリップが一斉に黒地になった。
そしてカジノ内もまた。
「広大で何もない」がもたらすもの
長い上にデイリーポータルZらしからぬ内容で申し訳ない。が、あとひとつだけ。
ラスベガスには「核実験博物館」というものがある。実はラスベガスがあるネバダ州にはネバダ核実験場(Nevada Test Site)というその名の通り核実験を行う場所がある。この博物館はその歴史を紹介するもの。
墨痕鮮やか "NATIONAL ATOMIC TESTING MUSEUM"
もちろん、基本的に「核兵器を発展させるために多くの人が尽力したんですよ!」とその功績を讃える内容。日本人にとってはすごく違和感があるが、実にアメリカらしい。
当然のことながら展示内容に関して詳しく語るとあと10ページぐらい必要になるし、これほどデイリーポータルZらしくないものもない、ってことになるので割愛する。興味ある方はぜひ現地へ。いろいろな意味で非常に興味深いです。
ここで紹介したいのは、なぜネバダに核実験場がつくられたのか、というその理由だ。
展示パネルより。白い「NTS」とある部分が実験場。
上の地図だと小さく見えるが、広大。これは航空写真。同様に展示パネルより。
のべ900回以上の実験が行われてきた。その跡がクレーターのように。
なぜネバダに核実験場がつくられたのか。そう、広大な砂漠で、何もない場所だからだ。
つまり、ラスベガスの背景と同じだ。
「パラダイス」がつくられ、ポストモダンが発見されるロードサイドが生まれ、銃乱射事件を可能にし、核実験が行われる。これらすべての根底に「広大でなにもない」がある。
バカみたいなまとめだが要するに「圧倒的に日本じゃない!」ということだ。
この核実験博物館は "Desert Research Institute" と同じ敷地にあるのが印象的。
人間なら一度は行った方がいい
思わぬ現場に居合わせ、思わぬ事を考えた。犠牲者のみなさんの冥福を祈る。二度とあのような悲劇が起こりませんように。
ともあれ、妹の言ったことはほんとうだったので、みなさんも一度は行ったほうがいい。ぼくはまた行きたい。
【告知】1月11日 東浩紀さんとラスベガスの話をします
今回の記事で書いたことは、ぼくがラスベガスで考えたことのほんの一部。ほかにもいろいろと思うことがありました。特にショッピングモールとの関係とかね。
そこで、きたる1月11日に東さんとトークイベントをやります。おもしろくなること間違いなしなので、みなさんぜひ。詳しくは→
こちら