世の中には2種類の人間がいる。バッタに噛まれたことがある人とない人である
バッタに噛まれるために河原に来た。噛まれたい人を募集したところ、ライターの大北君と、編集部から安藤、古賀、藤原、あわせて4人が来てくれた。だけど、誰もバッタに噛まれたことがないのだという。
「ないよ」(大北)、「ないです」(藤原)
「石川君がバッタを見つけるとすぐ捕まえようとするの、そもそもおかしいと思ってた」(古賀、写真右)
僕は幼少期を岐阜の田舎で過ごした。田舎といっても岐阜市内なのでたかが知れてるけど、それでも家の周りは普通に田んぼや空き地に囲まれていて、時期になると道路をトラクターが走っていた。
そういうところで育ったので、小学校低学年くらいまで最大のレジャーは虫とりで、夏はセミ、秋はバッタを狂ったように捕獲していた。
だから今でもバッタを見ると即座に手が伸びてしまう。10月撮影の
この記事より
当時のことを思い出すと、必ずよみがえるのが「バッタに噛まれると痛かったな…」という記憶である。あいつらはつかまえると噛んでくる。草食だと思って甘く見ると、思いのほか強いアゴの力で痛い目を見るのだ。
ただ、幼少期の記憶というのはえてして誇張されていたりする。大人になってから通学路を通った時の、あの道の狭さ。バッタの噛みつきも、実際のところ本当に痛いのだろうか。懐かしさ半分、検証半分で、あらためて噛まれてみよう。というのがこの記事の趣旨である。
各自、マイバッタを捕獲しに散る
しかし、今日集まったメンバーたち。噛まれたことあるとかないとかの前に、そもそも噛むの?みたいな態度である。なるほど、日頃いっしょに仕事をしていて似たような文化圏にいる人たちだと思っていたが、意外なところで断絶を感じることとなった。
今日は同じ経験を共有することで、その溝を埋めたい。
みんなで噛まれれば痛くない?
さっそく編集部 安藤が捕獲
イナゴだ!
続いて僕もイナゴを捕獲
この日は11月も後半にさしかかっており、バッタの旬はすぎていた。それでもこのあたりにはイナゴがたくさんいる、というのは川で釣りをしていたおっちゃんにきいた情報だ。ものの数分で、安藤さんと僕はマイバッタを手に入れることができた。
さっそく、指先を噛まれてみよう。
「噛まなくない?」(安藤)
あれ…。
背中を掴もうとしてちょっとでも手元が狂うと、すぐに指先に牙をむいてくる。そんな記憶があるのだが。
「噛まないですね…」(筆者)
指を顔にグイグイ押しつけてみるも、バッタは迷惑そうにするばかり。表情筋のない彼らは終始無表情だが、足をちょっと踏ん張ったりして、しぐさだけで迷惑さを表現してくる。
わかったこと:バッタはそうそう噛まない
そう、噛まないのだ。
すぐに噛みついてくるイメージがあったが、全然噛まない。あれは何だったのか。子供だから舐められていたのか?
こうなったら長期戦に持ち込むことにした。指にバッタを当てたまま、次の獲物を探すのだ。
標準装備として手にバッタを掴む一同
ムググ…
バッタを装着(?)したまま歩き回るのは、なんとなく点滴に似ている。点滴を刺したまま売店に買い物に行くように、イナゴを当てたままイナゴを捕まえる。
大北くんがカバンを地面に置いた瞬間に、その上にストールを置いた古賀さん。「いま下敷きに使いましたよね!?」という言い争いが起きるが、その間も、手にはバッタ。
もちろんバッタを抑えていると片手が使えなくなるのだが、気温もだいぶ下がってきた11月下旬、バッタは心なしか動きが鈍っており、片手でも容易に捕まえることができた。フフフ、変温動物め。
さっきの1匹を指に当てたまま、もう1匹捕まえた
で、やっぱ噛まない
わかったこと:バッタはやっぱり噛まない
だんだんわかってきた。バッタはそうそう噛まないのだ。
この記事の序盤に、「幼少期の記憶というのはえてして誇張されていたりする」と書いた。もしかしたら誇張されているのは痛みではなく、「よく噛まれた」という事実そのものかもしれない。もしかしたら長いバッタ捕り生活の中で、1度や噛まれただけ。その印象が強かっただけだ、という可能性すらある。
「もっと皮膚の柔らかいところがいいんじゃないですか?」と首筋に当てられる安藤さん
仕返しに耳たぶに当てられる大北くん
「草を食べさせてから途中で指にすり替えるといいんじゃない?」という名案を実行中
草と指、すり替えるには何もかも違い過ぎる
あと、ちょっといまさらな話ではあるが、もう一つ思い出したことがある。
バッタの種類が違う気がするのだ。何度か(おそらく)噛まれたうち、1回だけはっきり覚えている「噛まれ」があって、その時はイナゴではなくショウリョウバッタだった気がする。ということは、イナゴしかいないこの河原はちょっと噛まれるには不向きなのかもしれない。
「だんだんなついてきた」と言ってバッタと一緒に自撮りをし始める
このあと安藤さんはイナゴに気を許しすぎて、腕につけたオメガにフンを乗せられていた。
草と同じ色の編集部 橋田さんが合流するもやっぱり噛まれず
無理だね…ということになった
噛まれ袋
30分ほど粘ってはみたがやっぱり普通に噛まれるのは無理そうなので、もうそういう装置を作ることにした。
コンビニの袋に
みんなで捕ったイナゴを詰めて
ここに手を入れる
「噛まれ袋」と名付けた。
マイルドな拷問器具みたいな感じだが、そもそも噛まれないのであれば苦痛はない。そして噛まれたら噛まれたで目的達成ということになる。どっちに転んでもハッピーな、幸せ袋なのだ。
こうして袋をつけたまま帰路についた
高架の下を抜け
バッタと一緒に駅前を通るのは妙な気分
なんかイベントをやっていた。ゆるキャラも捕獲されそうになると人を噛んだりするのだろうか
だんだんミトンみたいに見えてきた
お金を下ろすときもバッタと一緒である
バッタが跳ねる音を聞きながらのハロウィン限定アイス。秋味の組み合わせ
バッタ同伴でオフィスに戻るのは気が引けたので、寄り道をしてしまった。しかしここまでやっても噛まれないとは。
あきらめて、バッタたちは茂みに連れて行って逃がした。
袋の中は僕の体温のせいか蒸し暑く、心なしかバッタたちも動きにキレが出てきた気がした。
袋の中に茶色い液体がついていた。そうそう、こういう唾液(?)がつくのだ。噛まれると。
違うバッタならどうだ
結局、バッタに噛まれることはできなかった。
ただ、上でも書いたとおり、イナゴは記憶にあったバッタと種類が違うのだ。そのせいで噛まれなかったのかもと思うと、どうにも心残りである。
それからしばらく、草地を見るたびにバッタを探すのが習慣になっていた。すると…
芝生の脇の雑草の上に
いた!
ショウリョウバッタだ!小さいころ、僕が噛まれたのはこいつだった!
とぼけた馬面
幼少期の思い出の残像が、いま手のひらの中に。
噛むだろうか?噛むよね?
そっと指に当ててみる。
……噛まない!
ショウリョウバッタは触覚を直角に曲げて、ただひたすらに困っていた
来年こそは噛まれる
結局、バッタは噛まなかった。初冬の気温のせいでそんな元気がなかったのかもしれないし、あるいは東京のバッタは都会育ちで覇気が足りないのかもしれない。それともこちら側に手荒さが足りなかったのか、単に運が悪かっただけか。
念のためネットで検索してみると、ヤフー知恵袋に「バッタは噛みますか?」という質問が投稿されており、「噛みますよ。痛いです」「痛いですよねー」等と和気あいあいの交流が行われていた。悔しい。バッタが噛まないのではなく、やっぱり僕が噛まれなかっただけなのだ。
来年、まだバッタが元気な時期にリベンジしてみたいと思う。
(追記)ショウリョウバッタだと思ったバッタも違う種類だったみたいです。ウウッ…