開国させるための資料を作ります
自分がペリーになったつもりで日本に開国を促す提案書を作ってみた。ペリーの肖像画は著者の死後50年が経っているために自由に使えるようになっていた。ラッキー。
表紙がこれ
ペリーはアメリカの東インド艦隊という部隊に属していたそうだ。なので所属組織と肩書きはこうなる。
1ページ目はまずは自分たちの説明だろう。たぶん。
まずは自分たちの紹介
弊社と書きたいところだが、艦隊なので弊艦隊とした。そんな言葉があるのかどうかは不明(たぶんない)。
アメリカの都合で開国させたかったのだが、そこはやっぱり提案書なのでシナジー創出というなんとなくお互いにメリットあるような言葉でぼかしておいた(そういう場合、たいていメリットは片方にしかありません)。
ペリーの好きな色と食べもの、乗員の推移はうそです。
では次のスライド。「次のページをめくっていただきますと、私どもの実績となっております(ペリーのセリフ)」
円グラフはいれたいですよね
東インド艦隊は日本に来る前にシャム(タイ)と清で和親条約を結んでいたらしいのでそれを実績として入れておいた。
シャム国政府のスチンダ氏はすべて僕の創作です。
いよいよ本題に入ります
次が本題。開国してください、条約結びませんかーという要求である。
提案の本題
さすがに最近Win-Winなんてことをいう人はいなくなったが、これぞ王道の提案書語なので入れてみた。
Win-Winの関係は滅多になく、Lose-Loseといういったい誰が得して何のためにやっているのか分からない関係はよく見かける。風流ぐらいの言葉でしか誉めることができない関係である。
スキームという言葉を聞くたびにスキムミルクを思い出す
ペリーは日本人を驚かせようとしてたくさん献上品をもってきたのだが、そのなかにあった蒸気機関車は客車の上に人がまたいで乗るものだったらしい。
それは遊園地でサルが運転しているようなものではないのか。
しかしそれに驚いちゃった幕府もお礼に相撲を見せたというのでこの時代の話はわけがわからない(でもペリーは相撲を見てヤバーンとしか思わなかったそうだ)。
プレゼンも終盤に
言いたいことは伝えたので、周辺の話である。サポート体制やプロモーション計画だろうか。なんてさらっと書いてみたけどペリーのプロモーション計画っていったいなんだ? 今回はサポート体制だけでいきます。
安心・安全・健康がいまのキーワードですね
不平等条約はまったく安心安全ではないが、治外法権なうと書きたかっただけなのでスルーしていただきたい。
いよいよ佳境に入ってきてスケジュールである。
スケジュールもロードマップとかマイルストーンというと少しかっこいい
説明を無視して資料を最後までだーっと読んでしまう人がいるので、このへんになるともう読み終わって別の話をされてしまうことが多い(特に偉い人)。
和んだ空気になっているか、もう帰りたい!と思う空気になっているかのどちらかである。では最後のページ。
最後はどーんと抽象的な感じで
文章は適当にビジネスっぽいカタカナをつなげただけの意味のないものである。そういうときに参考になるサイトないかなと思って探していたら7年前のデイリーポータルZの付録を発見した。
いまでもけっこう使えたのでメンテナンスして2010年度版をそのうち公開したい。アジャイルとかクラウドとかカツマーなど入れとけばいいだろうか。
創作パワポ
仕事でたまにパワーポイントを使うことがあると、取りかかるまで2時間ぐらいぼんやりしてしまう(めんどくさいから)。
しかし今回のような創作だと楽しい(以前の記事「
どうでもいいことをプレゼン資料にする」でも楽しかった)。これを活かして仕事の資料づくりのあいだにこのような創作スライドを入れておくとやる気が出るかもしれない。
資料の作りとしてはかなり唐突になること間違いないが。