特集 2017年7月27日

石のヤクルトはヤクルト約3本分

ヤクルト約三本分
ヤクルト約三本分
ヤクルトは何でできているだろうか。

そう、みなさまご存知のとおり、乳酸菌シロタ株だ。

しかし、福岡市には石でできたヤクルトが存在するらしい。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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唐人町駅からあるいてすぐ

福岡市のヤフードームの最寄り駅、唐人町駅にやってきた。

唐人町はその名の通り、唐人(からびと)つまり、中国や朝鮮半島の人が住んでいたというロマンチックな語源があるが、今はふつうの住宅街だ。
うっかり遠回りしてしまい、いけどもいけども石のヤクルトは出てこない
うっかり遠回りしてしまい、いけどもいけども石のヤクルトは出てこない
乳酸菌シロタ株ではなく、石でできたヤクルトはここにあるという。 編集部の古賀さんと共に、石のヤクルトのあるところへ向かう。
あっ!
あっ!
ありましたよ! 石のヤクルト! はちきれんばかりの笑顔。ヤクルト見ただけでこんなにうれしくなることはめったにない
ありましたよ! 石のヤクルト! はちきれんばかりの笑顔。ヤクルト見ただけでこんなにうれしくなることはめったにない
そう、そこにあったのは、まごうなく、石でできたヤクルトだ。
石のヤクルトこちらです
石のヤクルトこちらです
正面には「健腸長寿」と揮毫してあり、左右側面にそれぞれ『ヤクルト事業創業の地 昭和十年(一九三五年)』『福岡ヤクルト販売株式会社 創立五十周年記念碑 二〇〇九年六月一日』とある。

せっかくなので、途中買っておいた、乳酸菌でできたヤクルトと比べてみた。
だいたい3つ分ですね
だいたい3つ分ですね
写真で見ると、結構でかくみえるこの石碑だが、実際に現場で見るとかなり小さい。

このサイズのヤクルト、頑張れば飲み干せるんじゃないかという気がする。

ヤクルトの自販機と乳性飲料

さて、この石碑のある場所は、ちょっとしたスペースになっており、自動販売機が5台並んでいる。
トリコロールカラーっぽさがある
トリコロールカラーっぽさがある
残念ながらヤクルトの自販機は、いちばん手前の一台だけだ。
ヤクルトだけどオロナミンCがあるな
ヤクルトだけどオロナミンCがあるな
パチもんぽいけどオフィシャルのヤクルト、なぜか見本と出てきたもののデザインが違う
パチもんぽいけどオフィシャルのヤクルト、なぜか見本と出てきたもののデザインが違う
子供の頃から「ヤクルトをもっとたくさんごくごく飲みたい」とおもっていたが、それはぼくだけじゃないだろう。

でかいヤクルトをのみたい……、そんな思いを、ビックルがささやかながら叶えてはくれた。が、やはりビックルはビックルであって、ヤクルトではない。

しかし、今はヤクルトのオフィシャルがヤクルトっぽい飲料の500ミリリットル版を売っている。しかも100円という異常な安さ。(ここの自販機では)

すばらしい世になった。
500ミリリットルペットボトルとほぼ同じ高さ
500ミリリットルペットボトルとほぼ同じ高さ

なぜここが創業の地なのか?

さて、石碑には「ヤクルト事業創業の地」と書いてはあるものの、詳細については全くわからない。ぼくらのだいすきなヤクルトが、どのように生まれたのか、もう少し詳しく知りたい。

国会図書館にやってきた。
国立国会図書館(イメージ画像)
国立国会図書館(イメージ画像)
国立国会図書館には、日本で出版された書籍の大部分が収蔵されているが、各企業の出版した社史もかなりある。

ヤクルト本社が2014年に出版した『ヤクルト75年史』という書物をひもといてみる。以下『ヤクルト75年史』に基づく。後のヤクルト本社初代社長となる永松昇が、1935年に「ヤクルト研究所」を創業したのは、福岡市浪人町二番地で、現在の唐人町二丁目である。
たしかに、あの石碑のある場所は、唐人町二丁目だが、正確な場所はあの場所からは少し離れているらしい。

永松は、京都にあった「エリー」という乳酸菌飲料の製造販売会社に勤めていたが、「エリー」が株の投機に失敗し倒産したのを期に、同僚で、元力士だったという変わった経歴の神谷龍之介とともに、故郷の福岡で「ヤクルト」の事業を始めた。

ちなみに、このころのヤクルトには、代田稔博士が開発した乳酸菌「ラクトバチルスカゼイシロタ株」は使われておらず、他の乳酸菌が使われていた。カゼイシロタ株がヤクルトに使用されるのは、もう少し後になる。

当時のヤクルトは、ワインボトルほどの大きさのびんに詰められた濃縮液で、飲むときに希釈して飲むタイプの飲料だった。イメージとしてはカルピスに近かったのかもしれない。
1本1ヶ月分で、2円70銭。当時の牛乳が8銭ほどだったらしいので、日割りで計算すると、ほぼ牛乳と同じ値段だったといえる。

石碑のモチーフにもなっている、あのおなじみのプラスチック容器になったのは、戦後1967年(昭和42年)からだ。

ヤクルトの新容器は当初、紙製のテトラパックと、プラスチック製の両面から検討され、最終的にガラス瓶に近いプラスチック製が採用されることになった。

新容器は、デザイナーの剣持勇(1912—1972)が「親しみやすく、楽しく、飽きがこず、食卓にふさわしく、機能的に飲みやすいが、一口では飲めない」というコンセプトでデザインした。

ヤクルトは、それまで80グラムあったガラス製に比べ、3.6グラムという軽さ(容器のみ)になり、回収の手間も省け、ヤクルトレディと呼ばれる販売員の負担が劇的に減っただけでなく、輸送や保存が容易になり、その後のヤクルトの驚異的な成長の原動力となったという。

あの見慣れたあれが、石に! という興奮

石でできたヤクルト。それは、創業の地に建てられた石碑である。トンチみたいなものいいだが、そういうことだ。

ふだんみなれたあのヤクルトの容器が、石で再現されている、しかも、微妙な大きさ! という体験は、事前におもっていた以上に、妙な興奮を伴った。

石のヤクルト、知っていることの確認作業である観光の本質をついているのではないか?
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