私は焼き飯(チャーハン)とインスタントのコーンポタージュ!
半ドンランチといえば、我が家は焼き飯(関西でのチャーハンの呼び方)とコーンポタージュが主流でした。確実に溶け残るコーンポタージュ、そのままでは味が濃いので、焼き飯の最後の一口といっしょに食べちゃう。
テレビのチャンネルは決まって吉本新喜劇、これは大阪ならド定番、関西であっても多くの方がそうでしょう。そのあとはだいたいスーファミかプレステを引っ張り出してゲームをするか、友達の家へ遊びに行っていた…という思い出です。
そんな、今だからこそもう経験できなくなった、郷愁を覚えるような半ドンランチですよ!きっとみなさまにもあるはず、ランチとシチュエーションを聞きたいな。投稿例として、友人やデイリーのライター陣のみなさんに聞いてみました。
カップラーメン・チョイス・システム
家にあるカップラーメンから自由に選んでいいシステムでした。だいたいカップヌードルのシリーズ。ふつう、カレー、シーフードとか。安い時にまとめて買ってきてストックしてあった。たまにチキンラーメンも。姉や母の好みでドラマの再放送とか見てたような。可能な限り家族みんなで食べてた。
マツモト
あー、インスタント麺が入っている専用の箱とか…ありましたね!なぜか自然発生的に生まれる家庭内のシステム。私だったらカレー味ばかり選んでしまいそう。ふつうも食べろ!とか怒られそう。
インスタントカレーと揚げ物は鉄板です
自営業だったので、常に家族全員で食っていた。ボンカレーと、近所の肉屋で買ってきたメンチ。そのメンチを薄く引き延ばして、ソースじゃばじゃばにかけて食べた。おじいちゃんはいつもカレーにウスターソースかけてて、意味が分からなかった。食べながら何か見てたわけじゃないけど、土曜帰ってきてからは、プロレス見ていた記憶が。馳浩のヒップアタックを妙に覚えている。
華麗なる船山
出た!インスタントカレーと揚げ物系の惣菜は鉄板。私の家庭でも一時期、母が隣町の商店街にある一個30円のコロッケにハマって毎週テーブルの上にありました。嬉しかったけど。まだあるのかな、今里商店街のコロッケ。あと、小1か小2の頃に祖父がカレーを食べる前に混ぜている光景に衝撃を受けたなぁ。二世代違うと洋食に対する接し方が違ってビックリしますよね。
ダイエーとパートしてたからドムドムランチ
チャーハン、ちょっとどんぶり、ドムドムバーガー、新喜劇。母親がダイエーでパートしてたから、手抜きしたい時はダイエーに入ってるドムドム、父親が家にいる土曜日はホットプレートでみんなで焼きそば、あと、冷凍ピラフブームもあった。インスタントカレーはLEE?の20倍とか流行ったよね。
れいちゃん
みなさん、ドムドム知ってます?ドムドム。ダイエーに必ず入っていたドムドム。近所の遊び場と言えばダイエーだった私も、ちょうどこの原稿を書いているときにドムドムが事業を売却するというニュースを知りちょっと泣きそうになってます。ホットプレートは一時期全国的に流行った気がする!兄弟のいる家庭では一気に大量のランチをつくることができる、半ドン革命だったのかもしれない。
つづいてはライターのみなさんから~!
家だけど給食っぽい
ソース焼きそばを牛乳で流し込みながら、「独占!女の60分」を観ます。山岸真弓がわんこそばに挑戦する回が好きでした。
玉置豊さん
家にいながら給食のようなランチ!極力家で牛乳を飲まなかった私からすると健康少年という言葉が玉置さんの上に燦然と輝きます。ちなみに、ピザを食べるときだけは牛乳を飲んでました。
永谷園チャーハンの素信仰
永谷園のチャーハンの素を父が信仰しており、よく食べました。豪華な日は味噌ラーメンにわかめとコーンと餃子を乗せるやつが出ます。テレビはつけさせてもらえない家だったのできょうだいでわりと無言で食べてた気がします。
古賀及子
土曜のランチの話でさらっと「信仰」というワードが飛び出すところに笑います。それだけよく食べていたんですね。あと、私の知る限りでは餃子はラーメンに乗せるものではないのですが、古賀さんの豪快さはお家由来なのですね。
実家が肉屋とか全少年憧れの的
実家が肉屋だったので、トンカツとかコロッケとかの揚げ物を食べていたような気がします。多分テレビを見ていたと思うのですが、何を見ていたかハッキリ思い出せません。グラハム・カーの世界の料理ショーだったかな?揚げ物はすでにある物を出すだけでランチとして作ってないからある意味手抜きかなと思っていました。
馬場吉成
実家が肉屋って少年からするとすごい羨ましいですよ!玄関がオートロックの家よりも羨ましいです。分かりづらいたとえですみません。揚げ物が手抜きという認識と、馬場さんのお仕事(料理人)がきれいに結びつきました。
焼くならそばじゃなくてうどん
土曜の昼は学校から帰ってよく焼きうどんを食べていました。愛知の実家はなぜか焼きそばはあまり作らず、焼きうどんだったと思います。うちの地域は土曜の午後は少年野球の練習が強制的にいれられていた気がします。あまり楽しくなかったのか、ほぼ記憶が抜け落ちています。
安藤昌教
私も焼きうどん派でしたが、いつ頃からか我が家にそばめしブームが訪れてからそちらの派閥に転向しました。私も中学の頃は帰宅後すぐに柔道部の練習だったので、ランチの記憶はいまいち薄いです。練習後、フライングして少年ジャンプを売っているタバコ屋へ走っていたことは明確に覚えてる。
塩・オア・ケチャップ?イン・チャーハン?
母親が教師だったのですぐ帰れず、会社からバイクで急いで帰った父親がチャーハンを作ってくれていました。味付けは塩かケチャップか選択制でした。「バラエティー生活笑百科」をよく見ていたと思います。上沼恵美子が面白かった。学年が上がるとお昼代500円置いてあるシステムに変わったような気もします。
クリハラタカシ
本当にいい話。我が家でも母が外出して父だけがいるときは、雑炊をつくってくれました。有無も言わさず雑炊でしたが、美味しかったです。お昼代システムは、むしろ日曜の朝食がそうでした。500円握り締めてローソンに行きすぎて、ついには寝ながらにして行ったこともあります。ちなみに、やしきたかじん亡き今、大阪のテレビ界は上沼恵美子の帝国ですね(偏見)。
ジブリっぽくソーメンを食べる
どさっと茹でた乾麺を大ザルに盛ったやつが、テーブルの中心で幅をきかせている昼食が多かった気がします。つつきあって、各自めんつゆに浸して食べてました。あれ、色彩は淡白なくせに見た目にささやかなパーティ感があるのでずるいなと思います。わたしも、見ていたのは「独占!女の60分」でした。アタッカーさんが長距離を歩く企画があったような……(あいまい)
ネッシーあやこ
水気のないやたら粘質のソーメンがどんと、ざるに入っててテーブルの中央に置かれていました。上に撒かれた細切りの海苔達は完全に生気を失ってソーメンに取り込まれるようにペットリと貼りついていました。ちょっと掴んだだけで思いっきり塊で取れるのでそれをはがすようにほぐして適量にして食べていました。今思うとあれはほんとうにソーメンだったのか、学研の付録の配合飼料かなにかだったのかもしれない。
伊藤健史
ネッシーさんと伊藤さん、ともにソーメン(乾麺)!うちも夏にはたまにあった。とくに伊藤さんの表現が細部まで想像できてしまいます。そう、我が家でも塊状態。水に浸すとめんつゆに漬けたときに薄くなるし、あれって解決策あるんでしょうか。それにしても、「独占!女の60分」は関東での定番なのね。
弁当は手抜きどころか愛情ほとばしってます
母が働いてたので土曜日はだいたい母の手作り弁当でした。帰ると父が駐車場で洗車していて、洗車後は大体雨が降り家族で『意味ね~』とほぼ毎週言ってました。母が『まだ動くから!』と当時で20年ものの電子レンジを使っていてうまく冷凍食品が温められずに冷凍食品おかずが鬼まずかったです。電子レンジを買い替え、その途端に冷食がとてつもなく美味しくできて『技術の進歩を舐めたらいけない。今まであなた達に悪いことをした』とお母さんが謝罪してきたのを思い出しました。
ぬっきぃ
手抜きどころかむしろ愛を感じるランチですね!毎週雨を降らせるお父さんの雨男ぶりは何なんですか。電子レンジはうちでも30年物を使っていたので分かります。お母さん、誠実すぎます。
私も新喜劇を見ると胸がジュワッとします
帰るとだいたい「バラエティー生活笑百科」をやっていたので、あれを見るといまだに土曜の学校帰り気分を味わえます。昼食は麺類や焼き飯が多く、たまにチキンラーメンが出てくると嬉しかったです。
さくらいみか
すぐおいしいすごくおいしいは伊達じゃない…。バラエティー生活笑百科、知らないな~と思ったらNHKなので関西でも放映しているはずなんですよね。まったく知らないってことは(見覚えくらいはあるだろうけど)、それだけ関西では吉本新喜劇が制していたのだろうと思います。
そんな訳で、半ドンランチお待ちしております!
改めて、午前中で授業が終わる土曜(半ドン)の手抜きランチをお待ちしております。ぬっきぃさんのように弁当といった手抜きじゃなくても、土曜ならではであればOKです。そのときのシチュエーションも教えてください。
最後に、冒頭で「年代によって経験した時期がー」と書きましたが、1992年には第二土曜が休日に、1995年には第二・第四土曜が休日に、そして2002年には完全に週休二日制に…という推移を経たので、とくに1984年生まれの私は土曜に対する国の扱いに翻弄されまくっているんですよね。執筆に当たって調べて出てきた「第二土曜」「第四土曜」という響きに、「あったな~」と懐かしくなりました。
休日と半休のどちらが良いかと問われればそれは休日なのですが、授業が完全にないよりも短い方がお得感があった。あの状況ならではの全国の少年少女が味わっていた多幸感のようなものはもう味わえないと思うと、少しさみしい気もしますね。さぁ、思う存分にノスタルジーに浸ろうではありませんか!