整氷車は「ザンボニー」と「オリンピア」の2強
「整氷車」と聞いてもピンとこない方が多いかもしれない。こちらの車に見覚えはないだろうか。
醸し出る「はたらくくるま」感
テレビでフィギュアスケートの中継を見ていると、開始前や試合の合間にスケートリンクの上をブ~ンと走っているあの車である。
氷の上をスケートで滑ったりジャンプしたりすると、氷の表面に溝ができてデコボコしてしまう。デコボコした氷は滑りにくい。そこで整氷車の出番。デコボコになった氷をツルツルピカピカにしてくれる憎い奴なのだ。
ザンボニー(アメリカ) 小さい目(ライト)とでっかい頭がかわいい。
実は、整氷車のシェアは2強で占められている。こちらの青と白のカラーリングが特徴的な整氷車は、アメリカ製の「ザンボニー」という車種。
世界シェア断トツのトップであり、その信頼度の高さからオリンピックなどの国際大会では必ずザンボニーが走っている。スケートファンには「ザンボ」の相性で親しまれているほど。鼻先がずんぐりむっくりしていてかわいい。
オリンピア(カナダ)。流線型のボディがこれまたかっこいい
ザンボニーに次ぐシェアを持つのが、カナダ製の「オリンピア」。銀のボディがまぶしい。ザンボがキュートならオリンピアはビューティーと言ったところ。
カナダで開催されたバンクーバー五輪では、いつものザンボニーではなくオリンピアが整氷作業をしたそうだ。地元メーカーの強さがこんなところにも出るのだった。
リンクをツルツルにする仕組み
……と、訳知り顔でお伝えしてきたが、こちらは取材で聞いた話の受け売り。今回うかがったのは埼玉県上尾市にある埼玉アイスアリーナ。営業時間前の朝8時にお邪魔した。
リンク内の温度は4℃!あまりの気温差に「こいつは寒いや」と笑ってしまう古賀さん
営業時間前にすいません……と思ったら、既に午前5時台から小学生が練習しており、そのまま学校に行ったそう。アイスリンクの朝は早い
埼玉アイスアリーナを運営している株式会社パティネレジャーさんは、ザンボニーとオリンピアを扱う国内唯一の正規代理店でもある。日本で一番整氷車に詳しい会社といっても過言ではないのだ。
お話を聞いた埼玉アイスアリーナ マネージャーの須賀さん。
埼玉アイスアリーナには、ザンボニーとオリンピアがそれぞれ1台ずつある。オリンピアは電気自動車タイプの車種で、国内では2台だけしかない。
車庫で出番を待つオリンピア。ボディが反射する光のまぶしいこと!
車体後部の「コンディショナー」という部分でリンクをツルツルにする。
整氷車は通ったあとはリンクがツルツルピカピカになってしまう。「触るものみな傷つけた」の真逆の魔法だ。
どういう仕組みになっているかというと、ポイントは2つ。「けずって」「水をまく」。
ブレードと呼ばれる刃で氷の表面を薄く削り取り、その後に水をまく。
すると、デコボコだった表面がならされ、まいた水が再び凍ることでフラットな氷面ができあがる。これら一連の作業を、車を走らせながらやってくれるのだ。人がやるかと思うとゾッとする。楽ちん極まりない。機械文明でよかった。
整氷車に取り付けるブレード。人の背丈くらいある。
で、整氷車がリンクからゴリゴリと削り取った氷はどこにいっちゃうかというと、車体前方のタンクにもりもり貯められる。タンクを開けるとこうなる!
ガバー!
実際は16~7秒かけて「ブゥーン……」とオープンするタンク。まさかのトランスフォームにのけぞった。見た目はビューティー、たまにワイルド。オリンピア、恐ろしい子……。
運転席のスイッチの多さに萌える
いよいよ氷上に出陣である。スタッフの鈴木さんがリンクの上までオリンピアを出してくれた。「乗りますか?」と声をかけられ向かうも、ツルツル滑ってなかなか近づけない。革靴オンアイスである。
教科書通りのザ・へっぴり腰。
座席は運転席1つのみ。大きなハンドルにたくさんのスイッチとランプ。萌えどころである。
右下にキーを挿すところがある。その上の小さなレバーはギアで、F(前進)・N(ニュートラル)・R(バック)の3段階。
あとで写真を見て気がついたけど、上に「HORN」のボタンがあった。整氷車のホーンの音、聞いてみたかった……
「男の子ってこういうの好きなんでしょ」と言われたら「はい」とうなずくしかない。
いよいよ運転します
整氷車を運転するために免許や資格は必要ない。教習所もないので、運転の練習は営業時間外に行うそう。
本来は一人乗りのところ、今回はスタッフの鈴木さんを横に乗せ、指示をもらいつつ試乗させてもらった。
スタッフの鈴木さん。目の前にある黒いハンドルを回して、ブレード(氷を削る刃)の高さを調整する。
ペダルはアクセルとブレーキの2種類。サイドブレーキを降ろし、ギアをFに入れ、アクセルをゆっくり踏み込む。
「ペキペキ……」とスパイクタイヤが氷をつかむ音を響かせて、車体がスルスルと前へ進んだ。
実際は「動いた……!」という興奮でこんなに冷静ではなかった
さすが電気自動車、加速がスムーズ。揺れも少ない。「もう少し速くてもいいですよ」と言われ、おっかなびっくりアクセルを緩めていることに気づく。
未知なる乗り物、というのもあるのだけど、視界が高いうえに前がよく見えないのだ。目の前のタンクがすごくデカいのである。
運転席からの眺め。せり出したタンクのせいで前が見えない。普通自動車に比べて死角だらけ。
ブーン!というより、どんぶらこ……といった面持ちで、やっとリンクの中央部分まで来た。「じゃぁ氷を削ってみましょう」と鈴木さん。
指示通り、パネルのスイッチを操作して準備態勢に。ゆっくり進みながらスイッチを操作するので、よそ見しているうちにフェンスにぶつかっちゃうじゃないかとハラハラする。
広いリンクに整氷車1台。フェンスまでの距離は遠いけど、やっぱりぶつからないか不安になる。
鈴木さんがブレードを氷面に落とすと、アクセルがグッと重くなった。氷を削りだしたのだ。
氷を削って水をまいた跡が、ピカピカになってるのがわかりますか……!
フェンスぎわの氷をかき出す「ボードブラシ」。
プロは速い
リンクの中央部分をゆっくりと一周し、夢の試乗タイムは終了。
このあとリンクが貸し切りになるので、鈴木さんが急いで整氷作業を行う。さっきまでどんぶらこと運転していたので、鈴木さんのスピードの速さに目が覚める。ステアリングに全く迷いがない。そのうえフェンスギリギリまで来るのだ……!
びゅーん!
……ぅぅぅーん!
あのスピードでここまで寄れるのか!
めちゃめちゃ速くないですか!と指さしながら須賀さんに聞くと、それでも最高15km/h程度とのこと。ホントか。ウラシマ効果かな(勘で言っています)
10分ほどでリンク全てをピカピカにし、オリンピアは再び車庫に戻っていった。
0.2mmを「勘」で削る
出口付近にたまった氷をかき出すお二人。
それにしても、整氷車はどれくらい厚さの氷を削るものなのだろうか。ミリ単位とか?
「いやいや、ミリだと削りすぎです。0.2mmとか0.5mmとかっていう世界ですね(須賀さん)」
整氷車の運転席にはスイッチがたくさんあったが、「氷を削る量」はハンドルで、「水をまく量」はレバーで強弱を調節できるようになっていた。どちらもアナログの操作。機械に「0.2mm」と打ち込めばあとはお任せ、というわけではないのだ。
0.2mmと簡単に言うが、職人の勘で「削る」「足す」の塩梅を調節しているのである。
「どれくらい氷を削るか、どれくらい水を足すかは、リンクの状態を見て判断します。例えば、アイスホッケーの練習後なんかは激しく削れているので、少し氷を削ってから30~50℃くらいの温水をまいたりします。その逆で、氷が緩んでいるときは多めに削って水を弱めることもありますね」
水の温度を設定する操作盤。お湯のほうが氷の溝を埋めやすいが、その分沸かす燃料費もかかるし、再びリンクを凍らせる電気代もかかっちゃう
平らなリンクをキープするためには、常に氷の厚さを把握せねばならない。整氷車を同じ方向にグルグル走らせていると削り方に「癖」ができてしまうこともある。
「氷厚板っていう金属の板を、リンクのあちこちに埋めてあるんです。週1回、ドリルを板にぶつかるまで刺して、氷の厚さを測ります。リンクのどこか厚いか・薄いかを把握して、場所ごとに水をまく量を調整するんです」
矢印の先にある赤い四角が氷厚板。ドリルで繰り返し穴を開けるため、真ん中が黒くなっている
「ただ整氷車を運転できればいいってものではないんです。氷は常に変化しつづける。生き物なんですよね」
氷は生き物。
整氷車に乗ったぞ!わーい!みたいな記事を想定していたけど、どんどん「整氷」の深みにはまっていく。この辺りから「へー!」「ほー!」としかリアクションしなくなってきた。
音を聞けば氷の状態がわかる
こうした氷の知識ってどこで覚えるんだろう? 会社で講習会みたいなものがあるのかな?
……と思って聞いてみたら、答えは「先輩から盗む」。完全に職人の世界だった。
「根本的なところは自分で勉強して、あとは経験です。先輩から『今日は水少ないぞ!』『削りすぎだぞ!』と言われたら、じゃぁ次は……と考える」
須賀さんの整氷トークに「へー!」が止まらない
「氷の状態はね、滑っている音を聞けばわかります」「今日堅いな、とか」と、どんどん整氷エピソードが飛び出す須賀さん、なんと長野五輪のスケートリンクにも携わっていたという。
水をろ過して不純物を取り除く設備。ろ過すると熱効率が良くなり、いい氷ができるそう。ただし、やり過ぎ注意。
水に含まれる不純物をはじめ、外気温や湿度など、氷が変化する要因は多種多様。大会などで客席が人で埋まれば、室温も変わってしまう。
全てを把握しないと、完璧なリンクは作れない。単純な足し算じゃない。
ご協力ありがとうございました
スケートができないと整氷はできない
「僕がいま入社したら、どれくらいで一人前になりますか?」と質問したら、「スケートできますか?」と逆に聞かれた。滑る人の気持ちを理解する必要があるため、整氷車運転にはスケートが滑れた方がいいのだそう。
つまり、須賀さんも鈴木さんもスケートはがっつり滑れるのだ。もうどこまでスゴいのだ、整氷の職人たちよ……。
整氷車では届かない部分を調整するハンディタイプもあった。小さいガスボンベがキュート。