「怒りのメール」から冷戦状態へ
「どっちも自分が正しいと思ってるよ、戦争なんてそんなもんだよ」
かつて、とある傑物がこんな名言を残した。名をドラえもんという。彼なら、もつれた糸も秘密道具で容易くほぐしてしまうことだろう。
だが、5年におよぶ冷戦の火種となった出来事に関してはこちらに非はなく、いくらドラえもんでも譲るつもりはない。世界から戦争がなくならないわけだ。
僕としては、彼から折れてくれば、いつでも抱きしめる準備はできていた。しかし、一向にその気配はなく、「さてはあいつ、仲直りする気ねえな」と薄々気づき始めた今日この頃である。このままではこの先も互いの人生は交わることなく、今生の別れとなる気配だ。
恋愛でもそうだが、惚れた側の負けなのだ。べつに彼に惚れているわけではないが、仲直りしたい、昔のように「笑笑」とか行きたい、という気持ちは強い。ならば僕から歩み寄るしかあるまい。謝らないけど。
ただ、当時のいざこざについて、一方的に語るのはフェアではないので僕の「言い分」は省く。状況だけを説明すると、「甲(筆者)」と「乙(相手)」は先輩・後輩の関係である。8年前、「甲」が勤める会社に「乙」が短期バイトとしてやってきた。フリーライター志望だが仕事がほとんどないという「乙」に「甲」は人や仕事を紹介し、「乙」がバイトを辞めたあとも、逆に「甲」が独立してフリーランスになったあともそれは続いた。ほどなく「トラブル」が起き、「甲」が「乙」に送りつけた怒りのメールを最後に音信不通に。現在へと至る。
……分かりやすくするため契約書風にまとめてみたが、かえってややこしくなってしまった。要するに、「トラブル」を発端に、先輩が大人げないメールを送って嫌われた話である。
ところ変わって、ここは都内の居酒屋。僕は今、「乙」ことKくんと対峙している。
「乙」ことKくん
再会までの道のり
いろいろとすっとばしたが、彼がなぜここにいるのか。順を追って説明しよう。
遡ること8カ月前の2016年7月、僕はFacebookを始めた。知り合いに友達申請したり、承認したり、「いいね!」を押したりしているうち、「知り合いかも」に懐かしい名前が度々表示されるようになった。Kくんだ。おお、そいつ友達。絶交中だけど。
気まずい相手をぐいぐいレコメンドしてくる無邪気なSNSに辟易としながら、しかし「知り合いかも」のリストから消すこともできずにずるずると時が過ぎた。
共通の友達は僕らが絶交中であることを知らない
白状するが、彼と連絡が途絶えてからこれまで、度々名前を検索するなどしてその近況をつぶさにチェックしていた。彼がペンネームでこそこそ書いている記事もだいたい把握している。どうだ、気持ち悪いだろう!
インターネットで知るKくんのライターとしての活躍ぶりは嬉しくもあり、頼もしくもあり、少し寂しくもあった。しかし、その感情は概ね好意的なものだ。とうに怒りなど消え失せている。謝りたくないだけなのだ。
それはあくまで一方的なストーキング活動であり、彼はその一切を知る由もない。だが、僕がFacebookを始めたことで、潮目は変わった。きっとKくんの「知り合いかも」にも、彼にとって気まずい名前がレコメンドされているはずだ。どうしよう、友達リクエストを押してもよいものだろうか? もしかしたら、これは謝らずしてよりを戻す好機なのではないか? 僕がしれっと友達申請を送り、向こうもしれっと承認する。ソーシャル時代の和解とは、案外そんなカラっとしたものなのかもしれない。
だがしかし、そもそも向こうは和解を望んでいるのだろうか? 望まざる相手からの友達申請って、たしかソーシャルハラスメントって言うんじゃなかったっけ?
うだうだと考えているうちに、またも半年が経過してしまった。ようやく決心がついたのは、今年の2月。酔った勢いでリクエストボタンを押した。
送信してしまった…
……承認が下りたのは、それから約30時間後。「しれっと」承認はしてくれなかったが、ともあれ5年ぶりに僕らはつながったのだ。程なく、Kくんからメッセンジャーが届いた。
いきなり謝られた
ここで、「こっちも大人げなかったよワハハ」とか謝ってしまえば和解が成立するのだろうか。すごい! 簡単だ、和解。
和解はいかが?
というわけで、みなさんも気軽に和解してみてはいかがでしょうか?
いや、だめだろう
いや、こんなことでは終われない。5年という歳月は、音信不通の期間としてはそれなりに重いものだ。メッセンジャーのやりとりだけでその空白を一気に埋めてしまうのは何となく納得できず、Kくんに対しても失礼な気がした。彼だって、こうして謝罪しているものの、僕に対して言いたいこともあるだろう。当時、僕はKくんの言い分を十分に聞いてやっただろうか? 一方的に怒りのメールをよこした僕に対し、彼のほうこそ失望していたのではないか? 気を抜くと、うっかり謝罪しそうになる。
これはもう、直接会うしかなさそうだ。
とりあえず、いくつかのメッセージをやりとりしたあと、食事に行く約束をとりつけた。メッセンジャーでお手軽に彼の気持ちを知るのが嫌だったので、なるべく余計な質問をせず事を運んだ。
そして、居酒屋に至る、というわけだ。
まずは来てくれてありがとう
平謝りのK、真意はいかに
Kくんは着座するなり、「トラブル」の件について改めて謝ってきた。僕としては、それはさておき、互いの近況などを語り合ったうえで、少しずつその話題にフェードインしていこうと思っていたのだが、彼はまずその案件をクリアにして一刻も早くラクになりたがっているように見えた。
気持ちは分かる。しかし、その謝罪を一方的に受け入れるだけでは、Kくんの内面に潜んでいるかもしれない僕へのモヤモヤは解消されずに燻り続けることだろう。それは本当の和解ではない。もしかしたら謝るべきは僕だったのではないかというセンが数パーセントでも疑われる限り、謝罪を受け入れる前に彼の「本音」を引き出す必要がある。
酔わせて本音を探る
そこで、いくつか聞きたかったことを聞いた。ここ5年で二番目に緊張するインタビューだった。一番目は、大地真央さんへのインタビューだ。
―― Kくん、ぜひ本音を話してください。僕に対して怒っていることないですか?
Kくん(以下、同)「本音とか、怒っているとかは本当にないです。僕が全面的に悪いと思っていて、本当にすみませんでした、という気持ちのみです」
―― でも、5年前にけっこう大人げない怒りメールを俺が送っちゃったでしょ。あれはさすがにむかついたんじゃ?
「いや、それを言われても仕方がないことを僕がしてしまったので……」
僕が悪いんです、の一点張り
なかなか口を割らない。別角度から攻めてみよう。
―― そうはいっても、Facebookの友達リクエストをなかなか承認しなかったのは、やっぱり僕に対してむかついてたからでしょ?
「あっさり承認してしまうと『こいつ反省してねえな』と思われそうで嫌だったんです。承認ボタンを押したあとに送るメッセージもすごく考えて、悩んでいたら時間が過ぎてしまいました」
―― そもそも、Kくんは仲直りしたいと思ってた?
「それは本当に思ってました。でも、僕からしれっと連絡するのは違うなというのはずっとあって。今だから言いますけど、エナミさん(筆者)の名前をネットで検索して、会社を作ったことも知っていましたし、記事も読んだりしていました。こないだの記事もおもしろかったです!」
……お、おう。俺もしてたよ、それ。君の名をずいぶん検索したし、記事もめちゃめちゃ読んだよ。こちらこそ、正直おもしろかったよ!
言葉を交わさなかった5年間。しかし、互いに互いを検索し合っていたのだ。高校生の男女なら純愛ものとして映画化されそうな話だが、互いに30を過ぎたおっさんの友情話に置き換えると途端に気持ち悪い。思春期の恋愛に限らず、そういうことが起こるから人間関係とはめんどくさい。
3杯目のホッピーで、ようやく腹を割りはじめたK
5年越しの本音
ちなみに、険悪になったこの5年の間、僕らは共通の媒体で記事を書いていた(※デイリーポータルZではありません)。だが、Kくんは媒体の企画会議や新年会、忘年会など、僕と「鉢合わせしそうな場所」には一度も現れなかった。
―― あれはやっぱり、避けてた?
「正直、飲み会などで顔を合わせるのが気まずい部分はありました。でも、避けていたというより、最後がああいう形だったのでノコノコと出ていくのは自分的にないなと思っていたので。そもそもあの媒体の仕事自体、エナミさんから紹介してもらったものでしたし……」
―― 蒸し返してごめん(※)。あの「トラブル」が起きたのも、紹介した仕事の一つだったよね。(※この「ごめん」は蒸し返したことへの謝罪なので、僕から謝らないルール的にはノーカン)
「あれは正直、色々とややこしい案件で、当時の僕には難しい面もありました。5年前はフリーのライターとして駆け出しの頃で、自分が勝手にいっぱいいっぱいになっていた部分もあります。でも、たとえ難易度の高い仕事でも、エナミさんから紹介されるものは断れないと勝手にプレッシャーを感じてしまっていたんだと思います」
絞り出すように語る
「本当にただの言い訳ですけど……」と前置きしつつ、ようやく本音らしきものを吐き出してくれた。そして、5年越しに「謎」が解けた気がした。
彼は5年前からデキる人だった。原稿もうまかった。どこにでも安心して紹介できる優秀なライターだった。それだけに、新人ということを考慮せずに色々と丸投げしてしまったのは僕である。
おじさんは「若いんだからたくさん食べるだろ」と、若者の食欲を過信しがちである。しかし、吐くまで食わされる若者からしたらたまったものではない。僕はその時点でのKくんの力量や容量を慎重に推し量ることもせず、「仕事を世話して」いい気になっていたのだろうか。
「ごめん」
これは、謝るしかなかった。
話してくれてありがとう
そのあとは5年の空白を埋めるように、色んな話をした。
仕事の悩みやプライベートのことまで、打ち解け合った者同士ならではの会話が弾んだ。すぐに酔っぱらってしまったので覚えていないが、翌日スマホのメモを見返すと「Kくんは絶倫」と書いてあった。かなり深い話をしたらしい。
覚えている限りでは、「ゴルゴ13のようなライターになりたい」とKくんは言っていた。意味はよくわからないけど、ぜひスイス銀行の口座に原稿料が振り込まれるようなライターになってほしいと心から思う。
最初は緊張しきりだったKから、最終的にはダブルピースを引き出すことに成功した
和解の儀式やろう
その日の別れ際、Kくんに「和解の儀式」をやらないかと申し出た。改めて別日に集まり、関係修復の証となるような思い出を作ろうと持ち掛けたのだ。
「やっぱり、めんどくさい先輩」と疎ましがられるリスクを負ってまでそんなことを言い出したのは、儀式を経ることで二人の仲はより盤石になると考えたからだ。
気持ち悪いことを言っている自覚はある。
また会おう
「和解ノック」で地固まるか
というわけで、いま僕は野球場に立っている。
野球場
プロ野球ファンならご存じの方も多いと思うが、先月、中日ドラゴンズのキャンプでコーチと選手の「内紛」が勃発した。スポーツ紙にも大きく取り上げられたが、二人は翌日すぐさま「和解ノック」を執り行うことで関係修復をアピールしていた。
僕はこれだ!とピンときた。和解にはノックがいい。殴り合うより爽やかだし、思い出にも残る。
知らない人は「和解ノック」で検索
もちろん、本当にそんなことをしなければならないのかと聞かれたら、僕にもよくわからない。強いて言うなら「デイリーポータルZだから」ということだと思う。
Kくんには場所を伝え、「16時から18時までそこにいるので、気が向いたら来てください」とメッセージを送った。彼は「記事のネタに付き合わされる」ことも飲み込んだうえで、こう返してきた。
「あえて行ける行かないは、ここで連絡しないことにします!(笑)」
100点の回答である。あえて行く・行かないを明言せず、終盤に山場をつくるとは。さすがライター、記事の盛り上げ方を心得ている。もちろん来てくれたほうが嬉しいが、たとえ来なくてもリアルでいい。それはリアルに嫌われているということになるのかもしれないが。
ここからは、予定調和なしのドキュメンタリーである。果たして彼は来るのだろうか?
来るかなー
30分が経過した。待ち人は現れない。このグラウンドは時間ごとに撮影料がかかるので、できれば早く来てくれると有難いのだが、それはこちらの都合でKくんには関係ない。
それに、これくらいは想定の範囲内だ。そんなにアッサリ来てもらっては張り合いがない。
素振りの練習
ウォームアップは万全だ
来ない
1時間経過。残り1時間だがKくん来ず。プレッシャーをかける意味でも、グラウンド代のことをメールしてみようか。いかん、5年前のように、また圧をかけようとしている自分がいる。
立会人 兼 撮影係として同行してもらった編集部の石川さんは「僕だったら残り30分で現れますね。そのほうが盛り上がるし」と励ましてくれたが、僕は本当に来なかった場合のことを考え始めていた。和解の儀式に来ないということは、それすなわち拒絶のメッセージなのではないだろうか。
これ、本当に来ないやつかもしれない
さらに30分が経過。来ず。いっしょに食べようと思って買ってきたおいなりもあるのになー。
うずら付きのやつは彼にあげようと思う
待ちくたびれてしゃくれてきた
こういうのって、なんだかんだいって最後には待ち人が現れ、綺麗におさまるのがセオリーだと、僕が見てきたバラエティ番組では教わってきた。しかし、ドリフ世代とダウンタウン世代の「お約束」は違うのかもしれない。
残り10分
結果的にKくんは来なかった。先ほどは「来なくてもいい」などと強がったが、正直なところこのオチは想定していなかった。というか、このままじゃオチないので、誰か僕の頭に金ダライを落としてください。
うん、来なかったよね
次に会うのはまた5年後かもしれない。雨降って地を固めるつもりが、儀式とかめんどくさいことを言い出したばかりに新たな遺恨の火種を作ってしまった。
というわけで、僕には仲直りしたい人がいる。……振り出しに戻ってしまった。
Kくんからのメッセージ
……と、そんなことを考えながらこの原稿を書いている最中、Kくんからメッセージが届いた。
「今日はすみません! いやだったわけではなく単純に時間が無かっただけです。むしろ行かなかったところに僕の気を許している感じ分かっていただければ」
これについては色んな捉え方があると思うが、僕は正直ホッとした。5年前、僕らは僕が送った怒りのメールを最後に親交が途絶えた。僕はそれを彼からの拒絶ととらえ、以来、自分から連絡することはなかった。
しかし、今回はメッセージが届いた。それだけで、彼が5年ぶりに紡がれた縁を、今回は切らないでいようと考えてくれているのは分かる。
それに、彼にとって僕が「気を遣う先輩」ではなく、適当にあしらうくらいの関係に昇格できたのかと思えば喜ばしい。昇格というより、むしろ降格なのかもしれないが。
「めんどくさい先輩でごめん」と素直に謝罪し、「笑笑行こう」と返信した。