特集 2017年3月1日

「蛇崩」という地名の陰に大蛇伝説

屋上に立つ蛇崩研究家
屋上に立つ蛇崩研究家
先日、目黒区内で開催されるパーティーに誘われて行った。パーティーは楽しかったのだが、会場の目の前の交差点名が気になってしょうがない。蛇崩。「じゃくずれ」と読むらしい。

江戸川乱歩的な怪奇テイストに惹かれる。過去にここで蛇が崩れたのか。検索すると、その由来を調べている人がいた。
ライター。たき火。俳句。酒。『酔って記憶をなくします』『ますます酔って記憶をなくします』発売中。デイリー道場担当です。押忍!(動画インタビュー)

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タクシー運転手の間では有名な交差点

橋本孝之さん(51歳)。蛇崩交差点角にある橋本酒店の3代目である。取材のオファーにこころよく応じてくれた。
橋本酒店に向かう。最寄り駅は祐天寺。ちょっとがんばれば中目黒や池尻大橋にも歩いていけるが、いずれにせよ用事がないと来ない場所だ。
これが噂の蛇崩交差点
これが噂の蛇崩交差点
さらにズームアップすると…。
出た、「蛇崩」
出た、「蛇崩」
店に着いたのは午前9時。
店内の様子
店内の様子
「店が開く午前10時までの間ならいいですよ」と言われたのである。ちなみに閉店は深夜12時。よく働く方だ。
生まれも育ちも蛇崩だという橋本さん
生まれも育ちも蛇崩だという橋本さん
ここは昔からタクシーの運転手の間では有名な交差点で、「蛇崩交差点まで」といえばすぐに通じたという。

「でも、いまはカーナビ頼りだから知ってる人も減ったかもね」と橋本さん。
店の隣には焼肉店「じゃくずれ」もあった
店の隣には焼肉店「じゃくずれ」もあった

蛇崩という地名はもうない

「どうぞ、どうぞ」と案内されたのは地下の部屋。おお。酒屋さんのバックヤードはこんな風になっているのか。
蛇崩に関する膨大な資料
蛇崩に関する膨大な資料

ここで、昔の写真を見ながら話を聞く。まず、出てきたのは店の創業3年後にあたる昭和12年頃の写真。
創業者の橋本孝吉さんと妻のコトさん
創業者の橋本孝吉さんと妻のコトさん
「江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』に蛇崩に関する記述があるので、実際はもっと前からの地名だったはず。いまは交差点名としてだけ残っており、このあたりの地名は目黒区上目黒5丁目となっています」

あら、蛇崩という地名はもうないんですね。
昭和25年頃
昭和25年頃
昭和20年5月の目黒の空襲で焼夷弾によって店が全焼。終戦後数年間はこの急造バラックで営業していたという。

「昭和30年代半ばまでは人通りの少ない交差点でしたが、徐々に車の交通量も増えていきます。そうそう、昭和38年頃と思われる大渋滞の写真も残っているんですよ」
まだ信号機もないのでカオス状態…
まだ信号機もないのでカオス状態…
翌年39年に開催された東京オリンピックによる整備工事では、付近の幹線道路に通行規制が敷かれた。そのため、迂回路となる蛇崩交差点に大量の車が流れ込んできたらしい。

急勾配の谷底に蛇崩川が流れている

さて、本題の蛇崩である。橋本さんいわく、地名の由来には諸説あるらしい。

「ひとつは先述の『新編武蔵風土記稿』に記されている『昔、大水の際に崩れた崖から大蛇が出た』という大蛇伝説です」

ほかにも、「この地を流れる蛇崩川、いまは暗渠化されて緑道になっているが、この川が大雨で増水すると激流となり、蛇がのたうちまわっているように見えた」、「川岸の砂利や砂がよく崩れたので砂崩(さくずれ)川と呼ばれ、それが転じて蛇崩川になった」などなど。
赤い点が蛇崩交差点(『大東京三十五區内目黒區詳細図』(人文社刊)より)
赤い点が蛇崩交差点(『大東京三十五區内目黒區詳細図』(人文社刊)より)
「これは昭和16年頃の地図。左下から右上に向けてうねっているのが当時の蛇崩川です」
蛇崩川は蛇崩川緑道として残っている(『目黒の地名』(目黒区立図書館刊)より)
蛇崩川は蛇崩川緑道として残っている(『目黒の地名』(目黒区立図書館刊)より)
橋本さんとしてはロマンのある「大蛇伝説」説を推しているという。ひととおり説明を聞いた後は、蛇崩エリアを案内してもらった。
もともとは崖だったと思われる階段
もともとは崖だったと思われる階段
坂ではのぼれないほど急勾配の地形。その谷底に蛇崩川が流れているのだ。
梅が咲き乱れる蛇崩日和だった
梅が咲き乱れる蛇崩日和だった
「昔、このあたりの一軒家にリリー・フランキーさんが住んでいたんですよ。ベストセラーになった自伝小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の中に『蛇崩交差点の酒屋、寿司屋から次々に配達が届く』という一文がありますが、その酒屋はウチのこと(笑)」

おお、すごいじゃないですか。
蛇崩川にかかっていた橋の記録
蛇崩川にかかっていた橋の記録
緑道の支柱の上には何やらかわいいオブジェが。暗渠になる前にいた生き物たちだろうか。
スズメ、エビ、ナマズ、カメ?
スズメ、エビ、ナマズ、カメ?
「蛇崩に住んでいた佐藤佐太郎という歌人の碑を見に行きましょうか。蛇崩にちなんだ作品も残っていますよ」
「櫻散る昨日も今日も伴(ともな)はむ連(つれ)なき一人蛇崩をゆく」
「櫻散る昨日も今日も伴(ともな)はむ連(つれ)なき一人蛇崩をゆく」
享年77歳。佐藤さん、晩年はこのあたりをよく散歩していたという。せつない歌である。
気になる激細物件もありました
気になる激細物件もありました
「そういえば、父は子供の頃に蛇崩川に落ちたことがあると言っています。当時、自転車のホイールを棒で押す遊びが流行っていて、そのまま勢い余ってドボンと(笑)」

「屋上から蛇崩エリアを一望できますよ」

散歩の最後は烏森稲荷神社に立ち寄った。蛇崩と橋本酒店と僕のますますの発展を祈る。
いろいろよろしくお願いします
いろいろよろしくお願いします
数年ぶりにおみくじも引いてみた。ちなみに、橋本さんのお父さんは、ここの氏子総代とのこと。
キッズたち、蛇崩の未来を頼んだぞ
キッズたち、蛇崩の未来を頼んだぞ
店に戻ると橋本さんが言う。

「じつはこのビルには屋上があって、そこから蛇崩エリアを一望できますよ」

おっと…。
一度は上がろうとしたものの…
一度は上がろうとしたものの…
無理だった。極度の高所恐怖症なのだ。以前書いた「夕焼けハンターと行く夕焼け鑑賞ツアー」という記事でも、六本木ヒルズの屋上スカイデッキで泣いている。
3分でギブアップした苦い思い出
3分でギブアップした苦い思い出
撮影は同行してくれた編集部・橋田さんに任せた。それがこちらの写真である。
なるほど、正面も左も下り坂
なるほど、正面も左も下り坂
橋本さんもかっこいい。
トップ画像はこちらでキマリ
トップ画像はこちらでキマリ
はしごを降りてきた橋田さんに聞くと、「端っこにフェンスも何もないので、めっちゃ怖かったです!」とのこと。しかし、後で編集部アカウントによるツイートを見ると「楽しかった」とある。肩を落とす僕を気遣ってくれたのだろうか。

ホッピーの容量、一般用は330mlで業務用は360ml

最後にお土産を買って帰りたい。橋本酒店では「蛇崩」というオリジナル企画の日本酒と焼酎を販売しているのだ。
買うしかない
買うしかない
また、ホッピー大好き人間としてはホッピーと金宮の黄金コンビも気になる。
盤石の二遊間といった佇まい
盤石の二遊間といった佇まい
「ふつう、スーパーや酒屋に置いてあるのは黄色いラベルが貼られたホッピー。でも、うちはラベルがない業務用にこだわっています」

ホッピーの一般用は330mlで業務用は360mlと、容量も違うんだそうだ。へえー、知りませんでした。

麺は蛇である。それを崩しながら食べる

予定時間を大幅に超えて対応してくれた橋本さんに何度もお礼を言って店を出る。ちょうどお昼時だ。蛇崩交差点近くの蕎麦屋にでも入ろう。
なぜ柿の木坂?
なぜ柿の木坂?
店に入って驚いた。「蛇崩 更科」という書が飾ってある。店の人に聞くと、もともとここからだいぶ離れた柿の木坂にも店があったが、そこを閉めていまはこの蛇崩店のみとのこと。たしかに、食べログなどでは「蛇崩 柿の木坂 更科」となっている。
書は元東大寺館長の筆、銅像は店の創業者
書は元東大寺館長の筆、銅像は店の創業者
「いちばん蛇崩っぽいメニューはどれですか?」という質問はかるくスルーされつつ、「更科膳A」(1100円)を勧められた。
蕎麦とうどんの両方を楽しめるわがままメニュー
蕎麦とうどんの両方を楽しめるわがままメニュー
そこで気づいた。
麺は蛇である
麺は蛇である
もう一度言う。細くてうねる麺は蛇である。それを崩しながら食べる。すなわち、蛇崩である。

「失物 高い所にあり」…それって

この日の夜は、大蛇伝説に想いを馳せながら日本酒「蛇崩」をちびちび飲んだ。美味い。焼酎「蛇崩」とともに、贈答用としても人気だという。

蛇崩の由来を特定することはできなかったが、知らない土地の伝説を聞くのは楽しい。そして、おみくじにはこうあった。「失物 高いところにあり」。屋上に上がっていれば、蛇崩の秘密に一歩近づけたのかもしれない。
大吉でしたが
大吉でしたが

<取材協力>

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