ひとりで撮るという企画である
嫌われない飲み会写真、それはすなわちひとりで撮った写真である。
ひとりなら仲間とのウェーイな感じもなく、盛り上がっているのに他者を閉ざしている感じもない。むしろ誰か来て欲しい。
今日の飲み会会場。カルチャーカルチャーがあってよかった
カメラマン
こういう完全ひとり撮影は久しぶりである。最近、ウェブのリッチコンテンツ化が激しく、もう個人プレーの時代ではないことを感じるがやっぱりひとりがいい。
服装を変えていろんなポーズで写真を撮る。
家に帰ってからちまちまと画像を加工する。ちまちまと、とネガティブな書き方をしたがじつはこの作業が大好きである。
ハイボール飲みながら切り抜きする時間が至福の時である。好きな音楽を聴きながら。
飲んで文章書くとろくなこと書かないので切り抜きがいちばん!
まごうことなきフェイクニュース
これが嫌われない飲み会写真である。この飲み会は酒を飲まないので身体に良いというメリットもある。つまみだって独り占めだ。
しかも小道具として買ってきた焼きそばは持ってかえって夕食として夫婦で食べたという慎ましさだ。
反応はどうなのか
本当に嫌われないのだろうか。Facebookにアップロードしてみた。
197いいね。とても好評である
濃いメンツという陳腐なコメントについても好意的であった。確かに濃いと同意すらあった。ではそうではない工夫のない飲み会写真はどうだろうか。
過去にアップしてしまった写真の反応を見てみよう。
1いいね
1いいねにびっくりした。まさかここまで無視されていたとは。
地味な仮装限定ハロウィンの第1回で少しはネタ的な要素があったにもかかわらず、である。
フェイク飲み会写真こそ自尊心とSNSとの調和である。
ほかのシチュエーションでもほのぼのする
飲み会でなくてもオール自分ならば賑やかな写真でも疎外感を感じない。
大勢の人が笑っているようすは自分の孤独さを浮かび上がらせるものである。
「勉強会に来ています!」「アウトプット出しまくり~」
どことなく合成っぽさを感じる。受講者に対して、ホワイトボードの前の講師が小さい気がするのだが、実際もこんなものなのだ。
ね、こんなものでしょ?
本筋に関係ないが林家ペーさんっぽい
ホワイトボードの横から顔を出している隠れキャラも入れてみたのだが、手前にアフロの人間を配置してしまったのでアフロから飛び出しているようになってしまった。
悔やまれる点である。
ホワイトボードの裏から覗いたつもりが
とんだUMAに
あと、アフロは切り抜きが大変なのでこういう企画に向いてない。もっとつるつるした切り抜きやすいカツラや帽子がおすすめだ。
切り抜きが(楽しいけど)たいへん
憧れの視察旅行も
視察団はなぜか横断幕を持って写真を撮る。視察旅行なんて実は観光なのではないかと皮肉られたりするが、素直にうらやましい。景気が良かったころの日本の話である。僕もしたい。
行くチャンスも仲間もいないので自分で作った
フォトショップだけが友達である(アンパンマンの歌的な感じで)。
嫌われたくないのになんで飲み会の写真をあげたいんだろう
中世の貴族は自分の富を自慢するために、テーブルにぶどうやロブスターを描いたらしい。雑誌で読んだ。
いま、飲み会の写真をアップするのは自分の関係性の多さ誇りたいからかもしれない。
富が食べ物から関係に移ったのだなと感じる。
きっと中世にもロブスター食べてないけど、テーブルに描いておいてよという貴族がいただろう。