生活における一例
一体なんのことかわからなかった方にまずこれをご覧いただきたい。私達が生活の中で「もしかしたらこれはお茶じゃないかもしれないな」と思う瞬間である。
まずペットボトルのお茶を用意しよう。
まず最初にお茶のペットボトルを用意しよう。もちろんお茶である。
パッケージをむいた。おそらくお茶であろう。
へらして泡立ててみよう
さあ、わからなくなってきました
はたしてお茶なのかこれは!?
大変なことになった。
たしかにこれはお茶であった。ペットボトルのパッケージをむいて量をへらして少し振った。するとその自信はゆらいできた。お茶ではないなにかではないか。
お茶を使ってお茶じゃないなにかが生まれようとしている。もしかしたらこれが現代の錬金術なのかもしれない。
そして衝撃の事実はまだある。ここからさかのぼってみるとまた見え方が変わるのである。
なんてこった。パンパンである。
このようにお茶をむいて減らして泡立てるだけでお茶はお茶じゃなくなるのだ
容器をかえてみる
なんとなくパッケージをむいた飲みかけのお茶をカバンの中からとりだしたとき、私達はおどろく。
それはお茶であるはずなのに、そのとき私たちはお茶でない何かを見ている。その力の根源とはなんだろう。条件を変えてさぐってみよう。
まずはペットボトルである。ちがうペットボトルだとどうか?
まだ納得できてない方のためにペットボトルを変えてみよう
コーラの容器にお茶が入るはずはないのでそうなるとこれは……ああ、私たちはパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません
完全にお茶じゃない。キリストの絵を踏めなかった者の気持ちがようやくわかった。だれがなんといおうとこれはお茶じゃない…
透明なカップだとお茶である。しかしこれを紙コップにしてみると……
暗い夜の海に足を入れたときのような不安が襲ってくる。これはお茶じゃないかもしれない…
目盛りがついた。なんてこった、お茶を量ることなんてあまりないぞ。ということは…
目盛りがついたうえに密閉感が強まった。漏れるとそうとう困るということは…
これがお茶だといって税関を通ろうとしたら即別室行きである
また、ろうとを置いてもお茶でなくなってくる。なぜろうとが必要だったのか。そう、ここにストーリーが生まれたのだ! 物語が動き出したのである
量を変えてみる
実験系の容器に近づくとお茶でなくなってくる。他のペットボトルやろうとがついてストーリーが生まれるとそこでもまたお茶でなくなってくる。
また、容器とはべつに量も重要であろう。それは比べると顕著だ。
どちらかがお茶である。相当入り込んでる方は右側も「たっぷり」と見えるかもしれない
人との関係を変えてみる
またお茶をどう扱うかも重要である。持ち方には人がそれをどう思ってるかが見てとれる。
このように容器の液体部分に手がかかるように持つとお茶である
しかしこう持つとお茶でない可能性が高まる
両手で持つとお茶であるが
顔から離すとお茶じゃなくなってくる
ああ、こうなるともう一体なにを大事そうに持っているのかわからなくなる
見上げるとまたお茶じゃなくなってくる
人を変えてみる
今度は人を変えてみる。だれが持っているとお茶じゃなくなってくるのか。たとえばお茶農家の方が持っていたらお茶だろう。それではこれはどうだろうか。
人を変えてみた。お茶の会社の開発部の方であろうか
さっきから頻発する「これは一体どういうことなのだろう」
今この瞬間、覚せい剤が検出されたも同然である
お茶でないなにかは確定。問題はそれが私達のよく知るあれなのかだ。
お茶を嗅いでるはずなのになにか意味が出て来る
危ない!!
私たちは今、悪夢を見ているのだろうか
お茶じゃない人といえば警察官である。完全にお茶ではない。事件である
「これは君のかね」私の社会的存在価値が音を立てて崩れた
「本官はアブノーマルであります!」このお茶でないなにかを飲み干しそうだ
同じような格好からワッペンや帽子の紐を変えるだけでこんなに変わってくる。パイロットがコックピットからお茶を持って出てきた
しかしこれは一体どういうことだろう……がまんできなかったのだろうか
なぜ不思議がっているのだろう。拾ったのだろうか。自分のだろうか。
私達の脳は今、ストーリーの読解にフル稼働中である
でも無事に着陸できてよかった……パイロットの恥よりも乗客の命である
人を増やす
今度は人を増やす。実はある特定の状況でものすごく力が強まった。それは「警官に1m程度下がって立ってもらう」という条件である。
これは完全にお茶ではない
お茶でなさすぎる
これはもうパンパンにみたされてパッケージ化されたお茶じゃないなにかだ
これをパイロットにするとまた私達の脳はストーリーのデコードにフル稼働である
ここまで目を慣らしておいてから飲んでみよう
これが冷たくてうまいふつうのお茶なのである。信じられなくて思わず笑ってしまう
私達が見てきたなにか
大日照りや大洪水、自分たちで解決できないことが生活の中で起こったときに私達のご先祖さまはどうやって納得してきたのだろうか。
神話の力であったり妖怪のしわざであったり、きっと彼らは論理を超えたなにかを生み出してきたはずだ。
論理上お茶であるはずなのに、目の前にあるこれは確実にお茶でない。
私達が見てきたお茶ではない何か、そこには神様が宿り宗教が生まれる余地がある。お茶から覚せい剤が検出されたとしてもムリはない。それはきっと彼が信じていたのだ。新しい世界の仕組みを。
予約開始は1月14日から。すでにやった東京公演の感想は
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