深センにやってきた
国境を歩いて越えて、路面電車に乗り「銀座」に行く……そのため、まずは中国の深センにやってきた。
「日本じゃねえのかよ」というご意見をありがたく拝聴させていただきつつ、話をすすめたい。
これぞ深センという写真があまりなかった
みなさまご案内のとおり、深センは香港の隣りにある町(というよりも大都市ですが)だ。
かつてイギリスの植民地であった香港は、1997年に中国に返還され中国の一部となったが「一国二制度」というしくみにより、香港の社会体制はそのまま引き継がれた。
したがって、深センと香港の間にあった国境もそのままで、深センと香港を行き来するには、イミグレーション(出入国管理)を通過しなければいけない。
日本の県境みたいな感覚で越えようとすると、たぶんめちゃめちゃ怒られる。
というか、その前に深センと香港の間には川があり、フラフラ歩いて越えられるような場所があまりない。
赤いほうが中国で緑色なのが香港
ここで「おいおい、ちょっとまて、一国二制度とはいえ、同じ中華人民共和国だろ、国境とはなにごとか!」と、おかんむりのかたもいらっしゃるかもしれないし、いないかもしれない。
たしかにこの境目は「国の境目」なのか? といわれると、すこし考え込んでしまうポイントであるのは否定できない。
しかしながら、実質的に中国と香港は別の国といっていいほど様々なものが違う。社会のしくみだけではなく、使っている文字も通貨もまったく違う。中国人は勝手に香港に住んだりできないし、その逆もまた然りということを考えると、この境目を国境と考えてもさしつかえないのではないか?
と、そんなことを考えているうちに、羅湖駅に到着した。
国境を越える感動
簡体字で「羅湖」と書いてある
深センと香港を行き来できる「口岸」とよばれる出入国検査場は、国境沿いに五ヶ所ほどあるが、そのひとつが羅湖にもある。
香港の色が薄い路線図
深センの地下鉄、羅湖駅からそのまま地上にでると「往香港」の文字が見えてくる。
香港に行けるんだろうなーというのがわかる漢字表記
自動査検? 人工査検? たぶん人工の方だろうなー
漢方薬などを取り扱う免税品店が並ぶ通路を抜け、外国人用の窓口を探し、入国審査カードを記入し、パスポートを用意してイミグレーションで出国スタンプを押してもらう。
羅湖【出】
空港じゃないのにイミグレーションを通過するという、この今までに味わったことのないスペシャル感。
国境は刻一刻と近づいている。
人の流れに従って歩いていると、連絡通路に入った。川の上の渡り廊下である。
おぉ、この川が国境の川だ。
これが国境の川
島国生まれの島国育ちにとって、またいだだけで国が変わる。という体験は、衝撃的だ。
国境、こんな感じですね
うやうやしく国境をまたぎ、共産主義から資本主義へ、ユーラシア大陸から香港へ、境目を越えた実感をあじわう……暇もなく、人々は流れていく。
ここでそんな感傷にひたるひとなんて誰もいない。壁には「請勿停留」……とどまるなと書いてあるのだ。
国境を越えると、今度は香港の入国審査カードを記入し、入国のイミグレーションを通過、手荷物検査を経て香港の羅湖駅まで流れ作業のように進んでいく。
「請勿停留等候」とどまるなってことかー
「羅湖」の文字が繁体字になった
香港に入ると、簡体字だった羅湖の表記も、繁体字に変化する。漢字が繁体字になっただけでも若干雰囲気が変わる。
やはり国境は、ある
しかし、深センの繁華街、老街(いちばん最初の写真の場所)から、この羅湖駅まで、国境があってイミグレーションがあって、なんやかんやあって1時間ほどかかったが、直線距離では2キロほどしかはなれていない。
東京駅と新橋駅ほどの距離である。ちょうど、数寄屋橋の交差点あたりに国境がある感じだ。
名古屋市役所からだと矢場町ぐらいになるかもしれない。そのばあい、国境は栄あたりだろうか?
真ん中の鉄橋の向こうが深セン、こちら側が香港
線路はつながってんだなー
羅湖駅は、辺境禁区と呼ばれる緩衝地帯の立ち入り禁止区域内にあるため、もともとそこに住んでいた羅湖村の村民以外は駅の外に出ることはできない。
香港は中国に返還され、ひとつの国になったとはいうものの、中国と香港のあいだには依然として国境は存在している。
軽鉄=LRT=路面電車
さて、歩いて国境を越えた次は、路面電車に乗って銀座に行きたい。
羅湖駅から水上駅に向かい、そこからバスに乗って元朗までやってきた。
AKIRAの最後のシーンみたいな景色
軽鉄、これだ。
香港の路面電車といえば、二階建ての路面電車をおもいうかべるひとも多いだろう。
実際、ぼくも昨年その
路面電車のかわいさに衝撃を受けて記事にした。
しかし、香港島ではなく、新界にも「軽鉄」とよばれる路面電車が走っているのだ。
お、これは……
あー、こりゃかっこいい
路面電車というよりも、LRTと言ったほうがいいかもしれない。
軽鉄は、元朗から屯門、天水など、新界西側のニュータウンを網の目のように走る路面電車で、いちばんさいしょの路線が開通したのが1988年、以降2003年まで段階的に路線をふやしてきた。
そんな軽鉄の駅の中に銀座があるのだ。
路線網はけっこう複雑だが、きちんと色分けされており、そんなに見づらくない
読みも「Ginza」なのだからすごい。
いったい、香港の銀座はどんなところなのか? 路面電車に乗って向かいたい。
信用乗車方式の路面電車
香港のスイカ、「オクトパスカード」が使える
この路面電車は「信用乗車方式」になっており、電車に乗る前と、降りるときに、香港版スイカの「オクトパスカード」をカードリーダーにあてるだけでいい。
駅には改札もなく駅員もいないので、キセルをしようとすればたぶん簡単にできてしまう。しかし、たまに検札があり、そのときに無賃乗車が判明すると運賃の50倍ぐらいの料金をとられてしまう。
じゃっかんカラフルな感じがする車内
この軽鉄は、どの路線も基本的に終点でループする形になっているので、運転席が前にしかついておらず、座席もみんな前向きになっている。
おー、街ン中を走りおる
あー、望遠レンズ持ってくればよかった
ちょっとごちゃっとした元朗の町を抜けると、とつぜん、端正にととのった町並みが出現する。
香港って感じの高層マンション
銀座だ、まぎれもなく銀座
香港の銀座駅周辺は高層マンションとショッピングモールのある街だった。雰囲気的には千里ニュータウンとか南千住の汐入みたいな雰囲気にちかいかもしれない。
立ち並ぶ高層マンション
ショッピングモール
有楽町? 星が飛び出てる
Gtt谷にみえるけど、たぶん日比谷だ。英語の教科書の表紙みたいな日比谷
銀座だけではなく、有楽町と日比谷まであった。ちなみにこの有楽町と日比谷の前にある公園が「銀座広場」となっていた。
このショッピングモールは、もともと「稱嘉湖銀座」(キングスウッドギンザ)として1999年にオープンした。もちろん、日本の東京の銀座にあやかって命名されたのだろう。
しかし、近年、経営母体が変わったようで、ショッピングモールの名称は「置富嘉湖」(フォーチューンキングスウッド)となり銀座の名前は消えたようだが、駅名は残った。
というわけで、香港の銀座駅は、ショッピングモールの名称が元である。
銀座駅のショッピングモールに築地ラーメンがあった
外国の地名がついた地名
中野ブロードウェイとかアメリカ村みたいに、施設名や俗称で外国の地名を付けちゃうことってよくあるけれど、駅名にまでしちゃうのはなかなかないのではないか? と思って思いをめぐらしてみる。
香港でよく見かける日本城もあった、なぜかただようジャパネットたかた感、しかし中身はきれいなドンキホーテ
ディズニーランドの最寄り駅、舞浜駅は、アメリカのマイアミにあやかって「舞浜」名付けたらしいが、漢字で当て字にしている。
もっと古い例だと、岐阜は中国の岐山が由来という説もあるし、神奈川の湘南は中国の湘江の南という意味だというひともいる。
適当に入ったレストランで適当に頼んだランチ。肉に骨が入って無くてうまかったです
イミテーションが似合う町、銀座
というわけで、香港の銀座はショッピングモールの名前が由来の駅名だった。
そもそも、銀座という名称が入った鉄道駅は戸越銀座が最初である。戸越銀座駅は、本家の銀座に駅ができる前、1927年に開業している。銀座線の銀座駅ができたのはそれから遅れること1932年のことである。
そういう意味でも銀座というのはつくづくイミテーションが似合う街である。