その名は千早赤阪村
声に出して読みたくなる村、千早赤阪村(ちはやあかさかむら)。後の取材で分かったことだけど、広瀬すず主演で映画化もした百人一首の漫画「ちはやふる」のちはやは、もともとこの村が由来らしい(由来の由来の由来…と、間にいくつか挟んでいるけど)。
近鉄電車、大阪阿部野橋駅から30分弱で富田林駅へ。駅からバスに乗って20分程度で到着する。市内から一時間以内で村!想像の3倍は近かった。
取材日は初夏(遅くなってすみません)、日本の夏はホーチミンと違って蒸し暑くてこたえる。
調べてみるとこの村、テレビ番組の企画でAKBが来ていたり、大阪で唯一コンビニがない市町村ということでテレビで誘致を呼びかけていたりと、メディアに対してオープンだ。
それならウェブメディアも!…と思って問い合わせたら、なんと村役場で職員の方からお話を聞けることになったのです。後半に、移住者の方への取材もありますよ。
村役場から!
徒歩2,3分でこの景色!すげー村っぽーい。
窓口で案内され、まちづくり課へ。
「まちづくり課」とはシンプルだけど、後に聞いた話ではここに、観光、林業、国際、商工、農業、企業、都市計画、開発、NPO、公共…と、村と聞いて想像する以上の部署が入っていた。関係ないが、立て続けに部署名を聞くと今はどうしてもシン・ゴジラを思い出してしまう。
先日、友人の結婚式に出るべく行った台湾で観に行ったのだが、ベトナムではやっていないので二度目の鑑賞ができず口惜しい。でもこれ今関係ないので本題に戻る。
左から、まちづくり課の倉さんと中島さん。 以降、「倉」「中」と省略させていただきます。
楠木正成の出生地、今では韓国の受験生に大人気!
私「村ができてからどれくらい経つんですか?」
中「ちょうど今年で60年になります」
私「ん、あれ!意外に若いんですね」
中「えぇ。とはいっても、もともとふたつの村だった千早村と赤阪村が合併してからの60年なんですけどね」
私「なるほど、それはそうですね」
村の歴史が書かれた書籍、地元にもこういうものがあればぜひ読みたい。
私「千早赤阪村というと、まず何が有名ですか」
中「やっぱり、楠木正成の出生地としてですね」
私「おぉー…楠木!正成…」
私と同じく名前くらいしか知らない人のために。楠木正成は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将。足利尊氏とともに後醍醐天皇を支え倒幕を実現した。
中「彼の産湯に使った井戸が今でも残っていて、観光地になっています。それと楠木正成の居城だった千早城は一度も落とされたことのない難攻不落の城として、縁起が良いと受験生やその家族にも人気なんですよ」
私「受験生!?意外」
さらに、千早城に接する金剛山と同名の山が北朝鮮にあり、韓国も含めたひとびとにとって一度は登りたい憧れの聖地なのだとか。しかし、2008年頃に両国の関係が悪化してから容易には行けなくなってしまったため、千早城へゲン担ぎに来た受験生も含め、韓国からこちらの金剛山に登りにやって来た観光客が急増したとのこと。
金剛山から望む朝日
千早赤阪村、世界に開かれたグローバルな村だった
私「外国人の観光客はおもに韓国からだけですか?」
中「いえ、中国、台湾、フランス、オーストラリア…」
私「多い!」
中「8月にも6カ国の領事がバスツアーで来られました、村の魅力を知ってもらうべく招待したという経緯で」
私「それもうちょっとしたサミットじゃないですか!」
近年盛り上がりを見せる外国人の訪日観光において、大阪は定番観光地。見どころは独特の文化と都会の街並みだが、金剛山も含めて千早赤阪村のような自然もあると、ツアーでは良い緩急になるのかもしれない。
11月上旬に開催される棚田夢灯り、4000人の人が訪れる。
ほかの季節(写真は春)でもこの美しさ
そんな棚田を望む領事や関係者のみなさま
外国との接点は観光に留まらず、村内の英語教育にも力を入れているそうで、なんと千早赤阪村では3歳から中学三年生まで英語教育が受けられる(国が設定する義務教育では小学校5年生から)。
ガーナから招いたノア先生による英語教室の生徒の年齢層も、下は3歳で上は89歳。ひょっとすると、世界で一番世代の幅が広い英語教室なのでは。最近はそんな教育行政を気に入ってやって来る移住者も増えているのだとか。
ノア先生(左奥)による英語教室の様子
正直、村と聞くとどこか排他的でドメスティックなイメージを抱きがちだけど、そんなことなかった!むしろかなり攻めている。千早赤阪村は大阪府内で唯一の過疎地域、しかし、それゆえに小回りが利いて意思決定と着手も早いのかもしれない。いや、それもあるけど、そもそもそこに付いていく村人のモチベーションの高さがまずすごい。
イベントは目白押し。
動画でのPR展開も!この女の子は村在住のエイミーちゃん。
そんな千早赤阪村、現在コンビニ募集中
私「コンビニを誘致するというお話ですが…」
倉「それは私から」
まちづくり課・主査の倉さん
私「最寄り駅の富田林にはあったし、バスで少し離れたくらいでゼロになるということは意外な気がしますね」
倉「だからこそですね。ほとんどの家に車がありますし、隣町に行けばいいから村内に必要としない。でも、高齢者やお子さんなど車で移動できない人もいる訳です」
私「そうか、それはそうですよね」
富田林駅前ならいくらでもありそう、というよりある。
倉「そこで村では、村内に出店したコンビニには年間400万円の補助金を組むことを決め、テレビや新聞に取り上げてもらったりとPRを打っているところなんです」
私「それでなおも決まらない理由って何なんですか?」
倉「流通網の行き止まりなんです。村に商品を卸すと、そのまま先へ行けずに来た道を引き返すしかなくなる」
私「あー、それではあとはコストと需要のバランスと」
倉「そういった状況を踏まえた上で、大手も含めて7,8件ほど問い合わせは受けているのですが、オーナーを誰にする、土地はどこにする、という課題もあってなかなか先へと進みません」
そんなコンビニ問題だが、現在庁舎を建て替える計画があり、その一階に入れてはどうかという案も挙がっているらしい。確かにそれなら職員さんは使うし、役場に用がある村民の方も立ち寄りやすい。すごくいいんじゃないか?千早赤阪村でコンビニを経営したい!という人はご連絡ください。
村の特産物もあり、野菜はもちろん、みかんやしいたけ、あとマコモダケというイネ科の植物がよく採れる。タケノコやトウモロコシのような味がするんだとか。それらも村のコンビニになら新鮮な状態で置けるとのこと。
中島さんの、村で働くまでの話が濃かった。
ここまでは村の話。そして気になることが、中島さん。若いのだ。と言いながらあとで聞いたら私とひとつしか歳が違わなかったのでそれは単に見た目だったんだけど(31歳ということになります)、中島さんが村で働くまでの経緯について伺ったらこれがすごく濃かったので書きたい。
SAWAYAKA!
私「中島さんはもともと村の人なんですか?」
中「いや、私は大阪狭山市(隣町)の出身です」
私「違うんだ!近いけど。でもそれなら、なおのこと、なんでまたこの村の職員になろうと思ったんですか?」
中「それはいろいろとありまして…もともと私、両津勘吉みたいな警察官になりたかったんですよね」
私「ん!?全然違うところに飛びましたね話」
夏場はマス釣りが楽しめる
私「あらー」
中「それからしばらくアルバイトをした後に、(大阪府の)八尾市にある造園会社へ飛び込んで雇ってくれと」
私「ここでなんでまた造園会社に?」
中「父の趣味がアウトドアで、よく昔から週末に連れていってもらっていたんです。それもあって自然が好きだったので、八尾に造園会社があると聞いて訪ねました。その場でトントンと話は進み、『明日からおいでや』と言ってもらい、事務職として就職し三年間働いたんです」
私「展開はっや!」
中「そこがたまたま、全国各地から仕事を受けるような凄腕集団で、一番若くても60代で上は80代の職人気質の人ばかり。武勇伝もたくさんありましたね。たとえば、四国の現場へ向かう高速道路で割り込みされて、揉めごとになり、相手の車からキーを抜いて高架から放り投げちゃうとか」
私「気が荒い!」
中「14階で作業していたとき、若いとび職人が足を滑らせてはずみで職人さんも服を引っ張られて落ちたけど」
私「落ちた!」
中「骨折だけで済んだとか」
私「14階でしょ?命綱は?」
中「そんなもんは要らんという感じの人で」
私「いやそれは超人ですよ」
中「そう、超人で変わり者。でも、自分たちは先が長くないからちゃんと勉強しておけよとよく言われました」
私「最後の一言でええ話になりました」
それがこの造園会社。この門構えに、よく飛び込もうと思ったな…。
それから新聞で偶然、千早赤阪村が9年振りに職員を募集するという新聞記事を見つけて募集。父親のアウトドア趣味の一環で金剛山にはよく行っていたので愛着もあり、公務員試験を受けて採用になって、現在に至る。
中「同時期にほかの市や東京での試験を受けたんですが(全国で公務員が募集される時期は同じ)、村の面接だけ聞かれる質問が全く違って、おもしろかったですね」
私「たとえばなんと?」
中「『草刈機使えますか』と」
私「なんと返したんですか?」
中「『ショベルカー使えます』と」
私「あ~造園会社で働いてたから!…じゃなくて、そもそもそれって公務員の面接で聞かれること!?」
中「そうですよね(笑)。でも実際に業務は、村での困りごとの解決が多かったんです。たとえば小学校の校長から『トイレのタイルが割れたから直してくれ』とか」
私「造園会社での経験、めっちゃ活きてますね(笑)」
中「そうなんです」
中島さんの話を聞いていると、ドラマで見るような「村人に頼られる駐在さん」というイメージが浮かんだ。警官として両さんにはなれなかったかもしれないけど、人は紆余曲折を経て望んだ形に落ち着くものなのかもしれないな。
「正直に言えば、働きはじめてしばらくは、市町村同士のやりとりにおいて村であることが恥ずかしいと感じるときがあったんです。でも今では、この村には人の優しさや温もりがずば抜けてあるんだということをよく知っているし、他の市町村から唯一の村として(観光などにおいても)不可欠な存在だと見られているところに、村で働くことに誇りを感じます」…と、中島さんは話してくれた。実はこれには少しだけつづきがあるが、それは最後に記したい。
移住者の里田さんは、百姓で、アフリカン・ドラマー。
移住者視点での話を聞きたいと中島さんに伝えると、「里田さんという方はおもしろいですよ!」と紹介してもらった。自然農法を実践し、週末は田んぼでアフリカンバンドの仲間たちと太鼓を叩いているらしい。なんだそのプロフィール、それだけですでにおもしろい。(「百姓」という呼称には世間でいろんな意見があるようですが、ここでは里田さんを尊重する形で使います)
何気に今回は2日に分けて取材を行いました。
ジブリに出てきそうなバス停で降り、
ジブリに出てきそうな路地裏を歩く。
教えてもらった住所に向かうと、それまで聴こえていた「ミーンミン…」という蝉の鳴き声が、徐々に大きくなる「ドントコドンドコドコ…」という太鼓の音にかき消された。間違いない、この音の発信源が里田家で間違いないぞ。
ほら間違いなかった。
里田さん。
と、長男の響くん、そしてアフリカンバンド・メンバーの皆さん。※左端は私です
私「里田さん、移住はいつ頃からなんですか?」
里「2012年の5月に。堺に長く住んでいたんだけど、以前から長男が生まれる時期に合わせて引っ越しを考えていて」
私「千早赤阪村に?」
里「いや、古民家に住みたいなぁとね」
現在住まわれている古民家、自転車以外は完全に日本昔話の装いだ。
里「それを不動産屋に伝えたんだけど、紹介される物件はニュータウンばかり!『へーキレイですねー』って言うんだけど、全然違う、なんかズレてるなと。そんなときに大工やってる音楽仲間から『ツリーハウスつくらへん?』って誘われて行った場所が、千早赤阪村だった」
私「それがきっかけ」
里「うん。で、最初はそういうつもりじゃなかったけど、もうこのへんでええやん!ってことになり住もうと。そこからはトントン拍子で、音楽仲間つながりですでにいる移住者の人を紹介してもらって、『古民家あるで』ってなって、『畑あるけど借りる?』ってなって…」
私「展開、早い」
人懐っこい長男・響くん
このとき何があったんだろうか
自然農法って何ですか?
私「自然農法をやっていると聞いたのですが…」
里「農薬も肥料も機械も使わないっていう農法」
私「大変…そうですよね、自給自足になるってことですか?」
里「そうそう、もともと江戸時代まではほとんどの日本人が百姓でそうしてたけど。家族ひとつが自給自足するにはそんな農薬に頼ったりせんでもええもんよね」
私「確かに、考えてみれば、大量生産する理由はそれを商売としているからですもんね。家族が食べていく分には、実は農薬うんぬんはオーバースペックってやつなのか…たとえばどういうものをつくっているんですか?」
里「大豆とかジャガイモとか玉ねぎとか人参とか大根とかきゅうりとか、今年からは米やハスクトマト(食用ほおずき)もつくりましたよ」
私「いやー、ぎょうさんつくってますね…!」
夏を感じる野菜たち
ハスクトマトは販売も!
里田さんが尊敬する「百姓のレジェンド」に関する書籍たち
里「今時、機械を使わないで農業する人は珍しいからね。畑をクワで耕してると、そばを歩く人たちが『どうやー?』って気に掛けてくれる。道で会ったらナスをドサッとくれたりする、その距離の近さは田舎の魅力だと思う」
私「そうか!何もつくったものしか食べられないって訳じゃないですもんね。自給自足でも、お互いにつくったものを交換すれば想像以上にいろいろ食べられるのか」
近所からもらった野菜たち!ツヤッツヤしてるなー。
この水も井戸から汲み上げたものだとのことで。
味噌や梅干しも手作り。
里「田植えにしても、裸足でやる方がやりやすいのよ」
私「どういう理由で?」
里「足で泥を掴めるから安定するし、微生物がいるからか作業後は肌がスベスベになる。マムシもいるけどね」
私「マムシて、危なくないですか!?」
里「でもやっぱり長靴にすると効率が悪すぎるから」
私「本当に実践!って感じですね…」
里「このへんだとイノシシや鹿も出るから、たまには肉も食べたくなるし、最近は猟師の免許を取ろうと思ってる!」
私「肉が食べたいから猟師になるって、初めて聞きましたよ!」
田植えをする里田さん
農業と太鼓はセット
私「太鼓の演奏はどういうときにやるんですか?」
里「うーん、こうして週末に集まってやるのもあるけど、田植えのときとかにやってるね」
私「農業と音楽の融合ですねー」
里田さんが所属するバンド「タイコライコ」が、田んぼで演奏する様子
里「融合というより、そもそも田植えをするときに歌があったくらいだし、農業と音楽はセットなのよ」
私「そういえば、昔観た『座頭市(北野武版)』で農作業が音楽になっていくシーンがありました」
里「あとは地元の小学生たちに畑仕事を教えるイベントもやっていてね、『畑の小学校』っていう。そこでも太鼓を演奏する。そうしたら、道端で会った近所の小学生から『太鼓のおじさんだ!』って言われるようになったわ」
畑の小学校!楽しそうだな…
そのほか、村には建水分神社(たけみくまりじんじゃ)という神社のお祭りがあり、こちらでも演奏を奉納しているとのこと。このお祭りで担がれるだんじりは少し特殊で小さな舞台があるのだけど、そこで披露された演芸がのちの漫才になった…という説もあるそうだ。
建水分神社のだんじりの様子
部屋の隅に置かれていた太鼓、叩かないときは響くんの飛行機(オモチャ)の発着場となる。
そして、先日次男の宝くんが産まれたばかりということで、彼の誕生を歓迎する演奏を披露してくれた。途中で音に合わせて踊り出す響くんがかわいい。この暮らしの環境だと、兄弟は将来生粋のアフリカンバンドマンか。
頭の上にパノラマカメラを載せて囲まれたので、祈祷を受けているみたいになった。
村は村であることがアイデンティティ
それぞれ最後に、里田さんは「今の若い人たちは自分自身の暮らしを求めて、都市部を離れて地方に向かっている」、と。中島さんは「過疎地域化に対し人口を増やすことも大切だけど、村民の優しさや温もりといった思いを後世につなげていくことこそが、千早赤阪村の魅力を高め伝えていくことにつながる」、と、話してくれた。
村は、村というユニークな存在だからこそ、ユニークな人たちを引き寄せるのかもしれない。個人的には、小2の頃の疑問を覚えていて、確認しに来てよかったと思う。妙な言い方かもしれないが、大阪はいい村を持ったなぁ。
最後に関係ないけれど、帰りにみかけたくすり屋の年季がすごかった。