伊能忠敬のGPSログは日本列島を描く
スマホのアプリで、GPSの位置情報を記録してくれるものがある。GPSロガーというやつだ。何ヶ月かすると、その記録はその人の軌跡を描く。
以下はぼくの場合だ。
まあだいたい自宅と職場を往復している。たまに遠出している。
これを伊能忠敬の場合で見てみたい。
調べてみると、彼は測量の間じゅう日記をつけていたそうだ。その日のお昼ごはんはどこで何を食べて、どこで泊まったかみたいなことが書いてある。
「
伊能忠敬e史料館 」というサイトに、日記をもとにした移動の記録の要点がまとまっていた。それをもとに伊能忠敬のGPSログを復元してみたのが次の図だ。
なるほど。だいたい日本だ。ぼくのGPSログと全然違う。
よく見ると北海道の上半分がない。そこは間宮林蔵が引き継いで地図を作ったらしい。「宗谷岬なう」って言ったのは林蔵さんだったのか。
当サイトの大山さんはGPSログで地上絵を描いている。その際に、実際にどう移動したかを動画でも教えてくれている。それが面白い。こんな感じだ。
VIDEO
伊能忠敬が日本を描いたようす(Google earth に表示したものをキャプチャ・加工。Google / Image @ 2016 DigitalGlobe Data SIO, NOAA, U.S. Navy, NGA, GEBCO / Data Japan Hydrographic Association [Google Earth ガイドライン による権利帰属表示])
よくもまあ移動したものだ。「人生とは一筆書きのログである」とは大山さんの言葉だが、伊能忠敬の半生は日本列島を一筆書きするログそのものだったのだろう。
伊能忠敬の一日の移動を再現
伊能さんは一日にどれくらい移動したんだろう。1801年5月14日、第二次調査の初日の行程を再現してみることにした。
午前8時 東京、富岡八幡宮
彼は東京の深川に住んでいた。測量調査の旅に出発するときはいつも近所の八幡さまにお参りしていたらしい。
日記には「朝より曇天、五ツ頃(中略)富ヶ岡八幡宮を参詣し(後略)」とある。もしもiPhoneを持っていたら、ここでGPSロガーアプリを起動したことだろう。
お昼 品川でごはん
お昼には品川についた。日記には「村田といえる料理茶屋にて酒宴昼食なして別れぬ」とある。昼間から飲んだとは意外だった。「濃いメンツにて酒宴す。」みたいな写真をfacebookに投稿していたと思われる。
品川とは今でいう北品川(旧品川宿)のあたりだろう。伊能忠敬は基本的に海岸線沿いに移動した。品川も昔は海岸線ぎりぎりだったのだ。
午後4時 神奈川県、川崎
この日は川崎の新田屋というところで泊まったらしい。こういうのを見ると、川崎って宿場町だったんだよなあと改めて思う(写真は川崎港だけど)。新田屋は有名なお茶屋さんだったらしいけど、いまはもう残ってないようだ。
この日の行程は、距離にすると20kmくらい。それくらいなら歩けるかなと思うけど、実際はいちいち測量しながらだし、本人はおじいさんだし、しかも毎日だから大変だ。
第二次調査ではこの調子で東日本を一周して青森まで行って帰ってきたのだ。今の暦だと5月に出発して翌年の1月まで、半年以上の旅。
グーグルマップでみる行程
彼の測量調査の行程をグーグルマップでもまとめてみたので、ぜひ見てみてください。
江戸から蝦夷地とか四国とかに辿り着くまでの行程は省略してます。
まとめるだけでも本当に大変なのに、これを実際歩いたんだと思うとその苦労は想像もつかない。彼の調査は16年かかってる。
でもできれば一日くらい参加したかった。GPSロガーを持って。
GPSロガーを持たせたかった
彼はこの大変な行程を、すごい重い鎖とか量程車とかの道具を持ちながら移動したのだ。測量のために。
できればスマホを持たせてあげたかった。すごい喜んだと思う。
でも真面目な彼のことだから、GPSログも取りつつ、ちゃんと測量器具を使った測量もしただろう。