普段の読書の姿勢
まずはふだんの姿勢を見よう。被写体にいつもと同じ姿勢で本を読んでもらったのが写真1である。
写真1(本を読む-普段の姿勢) 被写体に普段の姿勢で本を読んでもらったのがこちらである。
姿勢がよい読書
次に「できるだけ姿勢をよくして読んでください」と被写体に指示をしたものがこちらである。
写真2(本を読む-よい姿勢) アンケートをとると「頭が悪そう」「知性が感じられない」という印象が多かった。ただし「ものすごく勉強してそう」という印象も多かった。
無作為に抽出したサンプルから写真から受ける印象についてのアンケートをとる(写真はイメージである)
写真3(本を読む-よい姿勢) 「頭が悪そうだ」「テストで0点とってそう」「なぜ公園でこんなことをしているのか」など全体的に混乱が見られた
本を読む姿勢がよすぎると頭が悪く見える
被写体の印象についてアンケートをとってみると姿勢をよくした方に変化が見られた。
「頭が悪そう」や「知性が感じられない」といった声が多く寄せられたのだ。
これは一体どういうことだろうか。本を読むいろいろな姿勢で印象を探ってみることにしたのが写真4からである。
写真4(本を読む-低い姿勢) 「具合が悪そうだ」「本が重いのだろうか」など。特に知性についての言及は見られなかった
写真5(本を読む-近い姿勢) 「文字を初めて見た人のようだ」「なにかを嗅いでいるのか」
写真6(本を読む-本が近い姿勢) 「中は性的な本なのだろう」「ひどく性的な顔を隠しているのだろう」など正面からの写真はなぜか性的ななにかを想像させるようだ
写真7(本を読む-本が遠い姿勢) 「双眼鏡は必要なのだろうか」「頭が悪そうだ」「大きく間違っているが言いようのない自信を感じる」
写真8(本を読む-より本が遠い姿勢) 「何がしたいのだ」「双眼鏡のテストをしているのだろうか」「バカなんだろうか」
写真9(本を読む-くつろいだ姿勢) 「器の大きな人間である」「社会的な余裕を感じる」「グリーンジャイアントに育てられてそうだ」
写真10(本を読む-寝た姿勢) 「自由を感じる」「頭が悪そうである」「村の困り者といった趣がある」
写真11(本を読む-良い姿勢) 「元気のよさと頭のわるさを感じる」「100点とりたいです!と大声で言ってそう」など
姿勢がよいとはなにか?
さまざまな姿勢を見てきたが、やはり姿勢がよい(よすぎる)のが一番頭がわるそうに見えるという結果になった。
ここで少し考えてみたい。そもそも「姿勢がよい(よすぎる)」とはなんであろうか? 写真12の比較を見てみよう。
写真12(本を読む-足の比較) 「足を閉じた方に知性のなさを感じる」「行儀のよさが頭のわるさにつながる」など
写真13 ポイントはこのような足の閉じ、すなわちまっすぐな身体である
写真14(本を読む-本の角度の比較) 「本を立てると頭がわるそうだ」「なぜ本を立てて読むのか」
直線的な身体が元凶では?
足を閉じると頭がわるそうに見える。同様に本を立てて読むとこれも頭がわるそうに見える。
二つに共通することとはなんだろうか。それは直線的な身体、それも垂直水平方向に直線的な身体である。
ここでひとつの仮説が浮かび上がる。
写真14(本を読む-良い姿勢) 「品行方正さと知性のなさを感じる」「ベンチでくつろぐ人たちが心配である」
写真15(本を読む-良い姿勢) 「勉強熱心さと反比例するような知性のなさを感じる」「ひらがなが多そうだ」「学生さんたちに注意を喚起したい」
身体が直線的であれば頭がわるそうに見えるのか?
さてこの「身体が直線的であれば頭がわるそうに見える」というのは普遍的なものなのだろうか?
【本を読む】という条件の方を変化させることで、この仮説を検証してみたい。
読書は知性的だからか?
そもそも本を読むという行為は「知性のありそうな/知的な」行為である。これを本来でない姿勢で行ったため「知性のなさそうな」ことになったのかもしれない。
それなら知的でなさそうな本を読むとどうなるだろうと、児童書を読んでみたのが写真16である。
写真16(児童書を読む-直線的な身体で) 「大いに頭がわるそうだ」「盛大に頭がわるそうだ」「お祭りのはじまりだ」
写真17(児童書を読む-直線的な身体で) 「もはや暴力的なまでのイノセンスを感じる」など
他の知的な行為だとどう見えるか?
児童書に変えたところ、頭がわるそうだと答えた人の割合が増加した。
読書の他にも知的な行為を見てみよう。パソコンを直線的な姿勢でしたもの、スマートフォンでのブラウジングなどである。
写真18(PCを使う-直線的な身体で) 「姿勢のよい人だ」「真面目そうな印象がある」「なぜ画面を見ないのか」など
写真19(PCを使う-より直線的な身体で) 「この人は大きく間違っている」「使い方をわかっているのだろうか」など。そもそもこのようにパソコンをする人は現実的にいない
写真20(スマートフォンを見ている-直線的な身体で) 「カメラを使っているのではないか」「カメラでないとしたら相当なまじめさを感じる」
写真21(スマートフォンを見ている-直線的な身体で) 「こう言ってはなんだがやはりバカなんじゃないだろうか」
スマートフォンを直線的な姿勢で見るとカメラ撮影に近くなりそちらのイメージが強くなるようだ。パソコンは姿勢がよいことが自然であるという結果が出た。
どうやら知的な行為を変な姿勢で行うから頭がわるく見えるというわけでもなさそうだ。
ここからはさまざまな行為の姿勢を手当たりしだいに探ってみよう。
写真22(おにぎりを持つ-直線的な身体で) 「おにぎりに対しての真面目さを感じる」「おにぎりとの強い絆を感じる」「頭はわるそうである」
写真23(おにぎりを持つ-直線的な身体で) 「どちらを食べようか迷っているように見える」「頭はひどくわるそうだ」
写真24(バナナを持つ-直線的な身体で) 「騎士のそれである」「爵位を与えたい」「大きな自信と知性の低さを感じる」
写真25(バナナを持つ-直線的な身体で) 「バナナへの過剰な信頼を感じる」「坂本龍馬が海の向こう側に感じたものをバナナの向こう側に感じてそう」
写真26(ラジコンのコントローラーを持つ-直線的な身体で) 「家に帰ったら公文してそう」「この人は厄介だぞという危険信号のようなものを感じる」「ラジコンに対してまじめそうだ」
写真27(ラジコンのコントローラーを持つ-直線的な身体で) 「ビルを動かそうとしている」「頭がひどくわるそうである」
写真28(早押しボタンを押す-直線的な身体で) 「なぜこんなにボタンが遠いのか」「真面目そうだしでいい人なんだけど全問不正解そう」
写真29(ブーメランをかまえる-直線的な身体で) 「飛ばなさそうだ」「オーストラリアの人に怒られそうだ」「語尾がでしゅましゅで喋りそう」
写真30(ブーメランをかまえる-直線的な身体で) 「投げたあとすぐに走ってブーメランを取りに行きそうだ」
自信や誠実さを感じる
直線的な姿勢によって概ね頭のわるさは増大したようだ。ただし同時に、誠実さや正直さ、自信といったものも印象として増えたようである。
そこにあるのは典型的な一種の像である。真面目、堅物、ガリ勉といったものが想起されてるのではないか。
自由に動いてきた身体を否定すること
垂直とは重力と同じ向きだということである。垂直な身体とは重力に対して素直であるということだ。
重力によって真下に産み落とされた動物たちは右往左往しながらお乳を探す。人間も同じだ。人間の身体も重力に逆らうことで自由を獲得してきた歴史がある。
重力にさからって4本足をやめて腕は自由に動くようになった。そして行為にもっとも適切な形をとれるようになった。
それこそが人間の知性であり、垂直方向の直線的な姿勢は知性の否定として映るのであろう。
健康的であったり自信があるように見えたり姿勢をよくするといいことはたくさんある。ただし度が過ぎると失う何かもあるようだ。
イギリスのコメディ番組に『シリーウォーク』という冗談があった。近衛兵の直線的な動きをよりユーモラスにしたものだと思われる