川べりにふつうの格好でたたずむ
先の例の条件は大きく2つある。「川べり」であることと「とある職業(そば屋)」の格好であることだ。
この2つの条件をそれぞれ外していく。
まずは「とある職業」でなく普段着でのぞんだのが写真1である。失敗してるように見えるだろうか。
写真1 被写体のふだん着で川べりに立ってもらった。失敗した人に見えるだろうか
無作為に抽出したサンプルからアンケートをとる(写真はイメージである)
ふつうの格好では失敗感は少ない
独自に調査したアンケートによると被写体に対しての印象は「中になにかがあるのか?」「魚を見ているように見える」など失敗感とは関係のないものが印象が多かった。
ただ川べりに立つだけでは失敗してるようには見えないようだ。
それではこの被写体にエプロンを一枚追加したのが写真2である。カフェの店員のように見える格好だ。そば屋でなくても失敗したように見えるのだろうか。
写真2 エプロンを足してカフェの店員風にしたもの。どうしたことだろう「オーダーを間違ったのだろう」「お皿を割ってしまった人」「売り上げとレジが合わなかった」など失敗を想起させる回答が多かった
写真3 「エスプレッソの少なさに迷いを感じている」悩んでるという印象も多かった
職業の格好だと失敗したように見える
今度はうってかわって失敗を感じさせるものが多かった。そば屋風だから出前の失敗を感じさせて、カフェの店員だから注文の失敗を感じさせるようだ。
そば屋もカフェの店員もそうである。どうやら川べりに職業の服でたたずむとその仕事の失敗を感じさせる可能性は高い。
今度はもう一つの条件「川べり」をうたがってみることにした。川べり以外だとどういうことになるのか。
カフェの店員風の格好はそのままに、川べり以外の場所にたたずんで何かを見つめてもらったのが写真4~10である。
写真4 自販機のそばに立ってもらった。「のどが乾いているのか」「この人は自販機を店のライバルだと思っているのかもしれない」など失敗は想起されなかった
写真5 ポスターの前で立ってもらった。「自衛隊に入るのだろう」「店をたたんで自衛官になるのだろう」ポスターの意味に印象が引っ張られる結果となった
写真6 コンビニのそばに立ってもらったのがこちら「コンビニを敵視している店の人」「コンビニをライバルだと思っている頭の悪そうな人」となぜか頭のよさについての言及があった
写真7 何かが流れる風景が近いのかもしれない。線路を見てもらったのがこちらである。「電車が好きなんだろうなと思った」「電車が好きなカフェ店員」「陽気につられて出てきてしまった感」路面電車の珍しさに印象が引っ張られたようだ
写真8 川と同じように自然をながめるという意味で木や葉を見てもらったのがこちら「森に帰りたいのか」「セミへのあこがれを感じる」など失敗感はみられなかった
写真9 川の流れのように道路の流れを見てもらったのがこちら「どういう状況がよくわからない」「救急車が珍しくて見に来たのだろうか」など失敗とは関係なさそうな回答が
写真10 工事現場の前に立ってもらった「お父さんを探してるのだろうか」「はたらくお父さんの姿を見てるのか」工事現場を見つめるというシチュエーションの少なさに印象が混乱しているようだ
場所にストーリーが生まれる
色々なシチュエーションを用意したが失敗を感じるようなものはなかった。
しかしわかったこともある。これらのシチュエーションを通して頻出したのは「ストーリーを感じる/られない」という言葉だった。
自衛官のポスターの前にたたずむと「自衛隊に入る」ストーリーが、川べりにたたずむことで「失敗した」ストーリーが生まれるということだろう。
さて川べりではもれなく「失敗した」ストーリーを生むのだろうか。カフェの店員風以外にももう少し事例を見てみることにした。
被写体の衣装として種類を増やしたのが写真11~21である。
写真11 パイロットの衣装を着てもらったのがこちら。「墜落させたのだろう」「墜落させたんだな」印象としては墜落の一択である
写真12 「これで3体目かという雰囲気」墜落が前提条件となっている回答も
写真13 研究者のような雰囲気がこちら 「実験の捏造への後悔」「新しい細胞を発見してなかったパターン」などの失敗意見もあったが「水質を調査している人」が多かった。川べりにいることが自然な職業だと失敗感は少ないようだ
写真14 警察官の衣装を着てもらったのがこちら。「拳銃をなくしたのかな」「パトカーを盗まれた人に見える」など失敗感が生まれたようだ
写真15 ここで被写体がそのまま敬礼のポーズをとった。「意味がわからない」「どこに敬意を表しているのか」などアンケートにも混乱がもたらされた
写真16 敬礼した先にカメラをむけて撮影した写真がこちら。鴨が写っている。被写体がなぜ敬礼をしたのかは未だ明確な答えは得られていない
写真17 手術着風の衣装に着替えてもらったのがこちら。「医療ミス」「またやってしまったのだろう」「確実に人が死んでいる」「安いが腕は悪い、逆の意味でのブラックジャック」など、失敗色は強い
写真18 「意味がわからない」「川の生物になにか手術をするのだろうか」「川を手術するのだろうか」被写体のポーズちがいの写真でアンケートに混乱がみられた
写真19 被写体が手術ポーズをとった先にカメラをむけて撮影をした写真がこちら。鴨が写っていた
写真20 被写体に巨人帽をかぶってもらったのがこちら。「巨人軍の選手ではない」「巨人軍の選手は巨人帽をかぶっていないだろう」「もしかしたらインディーズの私設巨人軍の選手かもしれない」など職業として認識されていなかった。コスプレの失敗である
写真21 「この野良を保護しなければ」というポジティブな意見もあった
唯一、写真13の研究者の格好で川べりにたたずむと失敗感がうすれた。「水質の研究者=川べりにいて当然」という印象が多かったのだ。
考えてみればほとんどの職業が川べりと縁のない仕事である。なのにこの人物たちは川べりにいる。しかも仕事の服を着ていることから仕事中である。
仕事中であるのに仕事よりも川の水面を優先しているこの状況は「仕事場にいられない=大きな失敗をしている」という理由を想起させるのではないか。
川べりで見たそば屋が出前をひっくり返したように見えたのはこんな理由があったのだ。
社会にひそむ謎の化学反応
もちろんそば屋の出前がそばをひっくり返したことなど実際見たことがないし、そんな話も聞いたことがない。それでもそば屋が川べりにたたずむとそれは出前をひっくり返した状況なのである。
こうした印象は私たちがマンガやテレビドラマなどのフィクションを目にして学習して獲得してきたものである。それは個人的なものではなくて世の中にこびりついているものではないか。
川べりもそば屋も自然なものだが合わせると何かが生まれる。社会通念のポットホール(甌穴)のようなものが川べりにそば屋なのである。
コスプレを失敗したのがこちら「歯が痛いのか」「わけがわからない」などまとまりを欠いた結果に