葛西からも見える
今僕が住んでいるのは『葛西』という場所で、浦安とは川を1本隔てている。この川が千葉県と東京の境だ。
葛西は東京都江戸川区、浦安は千葉県浦安市である。
葛西からでも見える東京ディズニーランドホテルの屋根。
『旧江戸川』の向こう側が千葉県。
川の向こうにディズニーリゾートが広がる。
舞浜大橋の真ん中が境界
旧江戸川に掛かる舞浜大橋という橋の真ん中に東京都と千葉県の境界線があった。ここから先は千葉である。
ここから千葉。葛西は千葉と思われがちだが、どっちかと言えば東京です。
『ようこそ千葉県へ』という看板に、いやがおうでも千葉感が盛り上がる。
千葉側から東京側を見る
旧江戸川の土手を降りて見ると、葛西臨海公園の観覧車が見えた。葛西に9年住んでいるが乗ったことはない。
ちょっとここで泳ぐのは厳しそうだ。
土手の上に『舞浜地蔵尊』というお地蔵さんがいた。ポータルかと思ってイングレスを開いてみたけど違った。
舞浜大橋の少しだけ北にある土手を降りると、護岸に通路があって先に進めるようになっている。釣りをする人が数人、ここから海の方へ歩いていった。
ゲートがあったが特に立入禁止でもないようなので進む。
僕は建造物の中では橋が好きだが、橋の裏側が特に好きだ。橋の裏側見放題である。素晴らしい。
右の青いトラス橋は京葉線。風が吹くとすぐ止まることで有名だったが、最近は色々工夫して風に強くなった。むしろ、3kmほど上流を走っている東西線の方が止まりやすい。
上の写真を左右反転した。人によってはこっちの写真と同じ風景を見た事があるかも知れない。
進むと、リゾートを囲む岸壁に出られる。ここで幅は7mくらい。左にある防波堤の内側がリゾートだ。
リゾートの外側は時間の流れが違う気がする。
植物がワイルドに育っている。
ワールド・ウォーZでイスラエルの壁を越えるゾンビの群れみたいな植物。
なかなか良い
水平線の先には東京ゲートブリッジが青く霞んで見えた。数年ぶりに来たが、やはりここは良い。
もはや『地形』と言っていい巨大さ。
リゾート外縁の南側に来ると、ぐっと幅が広がって、30mくらいはあるだろうか。ローラーなんとかで遊ぶにはうってつけの広さ、平らさである。
叫びながら自転車でダッシュするのも楽しいですよ。
この辺のリゾート側は高級ホテルが建ち並んでいて、ガラスで出来たチャペルなんかも見えた。
防波堤に『LOVE OR DETH』って書かれていたが、『DEATH』の間違いだろうか。
普通に海岸
コンクリとアスファルトで出来た岸壁だが、そこは普通に海岸である。大量の漂着物が落ちていた。主にペットボトルや流木の類。
ビーチコーミングの趣味がある人もどうぞ。
浦安に住んでた頃、何度かここに遊びに来た。
その頃はブルーシートで出来た家が何軒が建っていて、そこの住人が漂着物を仕分けしていたのだが、今回行ってみたらなにも無くなっていた。
彼らは一体どこに行ったのだろう。
下の写真は2005年に撮った写真だ。11年前にはちょっとした集落が出来ていた。
2005年のリゾート外縁。人も生き物も多かった。防波堤が作り替えられているので、工事の時に退去となったのだろう。
リゾートと外縁の境界
岸壁をぐるっと一周してきて、反対側のゲートに着いた。ここから先はディズニーリゾートである。
植生がクッキリ分かれている。
余談を書く。浦安に住んでた頃、浦安で育った人に聞いた話。
昔々、まだランドもなにも無くてただの埋め立て地だったころ、この辺は広大な原っぱで、葉っぱがギザギザしたあの植物が自生してたそうな。
それを見つけた浦安のやんちゃボーイ達は収穫し、乾燥させ、煙を鑑賞していたという。『だから葉っぱの目利きは自信あるんすよ!』って目をキラキラさせて言っていた。
夢の国が出来る前も別の意味で夢の国だったのだ。おしまい。
防潮堤の内側に猫の居住スペースが作られていた。
防波堤の内側に入るとそこは舞浜。道も建物もピカピカにキレイである。この辺は埋め立て地の出来も良いらしく、東日本大震災の時も大した被害は無かった。
かつての夢の原っぱの上に、浦安市の競技場などが建っている。
一部で道路の陥没や隆起はあったが、今ではすっかり直っている。
舞浜アンフィシアター。元々はシルク・ドゥ・ソレイユ専用劇場だったが2012年にリニューアルオープンした。
舞浜は道路の向こうに火山が見えたりして、景観として色々おかしい。
舞浜駅にやってきた。元々は『舞浜』という地名はなくて、ランドを作る時に付けられた地名だそうだ。
『舞を舞いたくなるほどの浜辺』をイメージしており、マイアミビーチに引っかけてるのだそうだ。舞茸と似たような発想である。
舞浜駅南口。『南舞浜』という駅はない。
こっちはほとんどの人が見た事がない舞浜駅北口。ちなみに、舞浜商科大学という大学もない。
南口からはランドやイクスピアリなどリゾートに行けるが、北口にはなにもない。驚くほど本当になにも無い。
駅からランドに向かう通路の下は駐輪場になっている。
イクスピアリという商業施設の駐輪場だが、どう考えてもいつも台数が多すぎる。
舞浜エリアから北東に進むと、リゾートと日常の境界線があり、ここから先は鉄鋼団地になっている。
『鉄鋼通り』という通りがあり、主に鉄鋼関係の会社や倉庫、配送センターなどが建ち並んでいる。
クッキリ分かれた境界線。日常エリアには電柱があり、リゾートエリアにはヤシの木が生えている。千葉の人はなにかって言うとヤシの木を植えてリゾート感を出したがる(冬は結構寒いのに)。
多くの人が抱いている舞浜のイメージ、リゾート感はここですっかり終わる。
船の荷揚げをする場所。屋根付きである。
浦安鉄鋼団地の一角。休日に行ったので車も人も全然いない。リゾートから500mでこういう感じ。
浦安鉄鋼団地って書くと、なんだか浦安鉄筋家族(という漫画)に字面が似ている。
鉄鋼団地を抜けるとそこは新浦安。浦安全体から言えば『新町』と呼ばれているエリアだ。
一度に全部埋めたてられたわけではないので、街の真ん中に堤防がある。東日本大震災の影響か、少し崩れていた。
左側が昭和46年までに埋め立てられたエリア。右は昭和50年に出来たエリア。
すっかりキレイになってます
2011年の大震災の直後は液状化現象で道路が結構壊れていた。都心の近くとしては被害が大きかったのでニュースなどで見た人も多いだろう。
当時は凸凹になっていた道路はキレイに。
2011年3月の写真。新浦安はかなり広い範囲で道路が壊れていた。
イトーヨーカドーの玄関。元は段差はなくて平らだった。陥没した分で階段やスロープが出来たのだ。
震災から3週間後、陥没した分を埋めるようにアスファルトのスロープが出来ていた。
液状化の動画で有名になったあのコンビニはすっかり元通り。別のマニアには別の意味で聖地だったりもする。
当時は店全体が傾いて沈んでいた。
海っぺりの公園も結構な被害だった。
当時はもう葛西に住んでいたが写真に残しておこうと思って浦安に向かった。葛西からは舞浜を経由して新浦安に行く事が多い。
舞浜はなぜか道路の陥没などが少なかったので、意外に普通だなーと思って新浦安に着いてみると、あちこちで道路が波打ち、割け、建物が傾いていた。ショックを受けた。
が、今ではあの頃がウソのようにキレイに直っていた。それでも細かい部分は崩れていたり、直した痕跡があったり、確かに震災はあったんだ。
こういうのは地道にやっていくしかないんだなぁ。
ツインタワーなんて呼ばれたりする。舞浜タワーレジデンス、じゃなくて、マリナイースト21。
タコの滑り台だったはずだが、なぜか白くなっていた。
元町はどうか
ここまでで浦安の海側を見ていただいた。次は浦安市の北側、『元町』と呼ばれている辺りを見ていただきたい。
旧江戸川の上流で、千葉側を見た写真左下に裸族がいる。
元町は一転して港町
舞浜や新浦安はリゾート感とか高級感があるが、元町はすっかり庶民的というか、下町情緒溢れる良い雰囲気なのだ。
東京メトロ東西線の鉄橋。地下鉄だけどこの辺は地上を走っている。
右側は東京。左の白い島は『妙見島』という島。
同じ場所で夜。鉄橋を東西線が渡る。
橋を渡ると、毎度お馴染み『ようこそ千葉へ』。
旧江戸川の横には釣船屋さんが多い。
元は小さな港町だった
浦安市の北の方は元々陸地で、古くは港町だった。昭和30年代に工業廃水によって川は真っ黒に汚染され、同時に埋め立て計画が持ち上がる。
もはや漁業を続けていくことは不可能となり、漁業権の放棄と広大な埋め立て計画が実施され、浦安市は今の姿になった。
元町はそんな港町の雰囲気をまだ残している。
オリエンタルランドによる遊園地計画は昭和30年代半ばにはあったそうなので、20年以上掛けてランドが開業したことになる。気の長い話だ。
上の写真と同じ場所で、夕方に撮影。
埋め立て地側の発展の影に、漁民達の苦難や苦闘があったのだ。
浦安の高齢者は元漁師という人もいるので、会話をすると漁師言葉で懐かしい(実家の辺りの言葉と似ている)。
清瀧神社。
夜の清瀧神社。秋に銀杏を拾いに来たことがある。
清瀧神社には立派な富士塚がある。
裏側には大沢崩れも再現されており、よく出来ている。
登山者(富士講だろうか)の姿も。
路地に入れば立派に下町。旧宇田川家住宅など、文化財な建物がカジュアルに建っている。
立派な木造家屋。
ちなみに浦安では『宇田川』という名前をよく見かける。室町時代から続く豪族の姓で、江戸の開発などにも携わっていたという。
残念ながらもう閉まってて入れず。
こちらは大塚家住宅。茅葺きの家が浦安で見られるとはね。
浦安市役所の近くにある『郷土博物館』では、昔の浦安の街並みを見る事も出来る。
1/1スケールで昔の浦安が再現されている。入館料無料だし行ってみるといいよ。
米の湯。すぐ近くには『松の湯』って銭湯もある。
路地がゴチャゴチャしてて良い。浦安鉄筋家族の雰囲気がある。小鉄が出てきそうだ。
下町だけあって狭い路地、複雑な分岐、唐突な社など、非常にゴチャゴチャしている。だがそれが良い。
猫実の庚申塔。『猫実』と書いて『ねこざね』と読む。某漫画のファンは『ねこみ』と読みがちなので注意されたし。
実は以前、当サイトのライターの小野さんが、ここで毎月25日に買える『たまごフライ』を取り上げている。
記事はコチラ。
居心地がいい
適度に下町で、水辺があり、雰囲気が故郷に似ていつつも東京が目の前。浦安は本当に居心地がいい。
川っぺりで東京側を見たらやけに神々しかった。あの光、天使のハシゴとか薄明光線って言うらしい。
海の方を見るとディズニーリゾート。
市役所が新しくなっていた
ところでつい最近知ったのだが、市役所の庁舎が新しくなっていた。下の写真の奥にある大きい建物が新庁舎、手前の黄色いのが旧庁舎だ。
2016/6/20から新しい方が稼働しているらしい。
いつの間にやら巨大になっていた浦安市役所。
旧庁舎は取り壊して立体駐車場になるのらしい。マジか。
何回か手続きをしに行ったことがある。
カレー屋さんが出来ていた
そして浦安を走り回って気付いたのだが、インド料理のお店がいくつか出来ていた。
葛西は以前からインド人が多く、カレー屋さんもやたら多かったのだが、ついに浦安にも進出したのだ。
以前住んでいた場所の近くに出来てたインド料理店。元はカフェだったのだが、居抜きでカレー屋さんになっていた。
猫実(ねこざね)三丁目の交差点にあった和菓子屋さんもカレー屋さんになっていた。さすがに居抜きは無理だったか。
ここは元スナックで、それが薬局になったんだけどカレー屋さんになっていた。同じ『キャラバン』というお店が葛西にもある。隣は『おんごろや』という豚骨ラーメンのお店があり、こちらは健在。
インド人とネパール人の区別は付かないが、彼らは可能な限り居抜きで使う。
葛西には元和風居酒屋のカレー店があるが、居抜きなので内装はまんま和風だ。畳に座ってインドカレーを食べるという不思議な体験が出来る(そして日本語は通じなかった)。
座敷で本格インドカレー(ナンですけど)という不思議。
浦安魚市場
東西線浦安駅の近くには『浦安魚市場』という市場がある。
一度買い物に来たことがある。面白いっちゃ面白い。
魚市場の横には宇田川さんの海苔店。
市場の裏にはズラリと居酒屋とスナック。ああ、港町っぽい。
浦安に住んでた頃、mixiで知り合った仲間と毎週木曜日に来ていたお店も健在だった。
木曜の夜はたしかビール中ジョッキが100円だったので、浴びるように飲んでいた。しかもみんな地元なので終電関係無い。
食べ物も300円均一で、散々飲み食いしても3000円いかないのだ。
もう10年くらい行ってないなぁ。駅のすぐ近く。
ビストロの近くにあるサルバトーレ。一時期葛西にも出来たんだけど、あっという間に撤退して、今そこにはスタ丼と家系ラーメンのお店がある。葛西的には本格ピッツァより、スタ丼やラーメンだったのだ。
葛西臨海水族園。B・バージンや劇場版パトレイバーに出てくる。
夕方、対岸のディズニーリゾートには灯りがついていた。
浦安と葛西が好きだ
もうこの辺に住んで12年以上になる。海からの風が気持ちよかったり、毎日20時半になると花火が上がって、ああ、もうそんな時間か、なんて思ったりする。
リゾートに遊びにくるのもいいですが、住んでみるといい場所ですよ。
そう考えると、葛西が東京で浦安が千葉とか、そんなのどうでもいいかって思えるのでした。