こうしたビデオカメラのズームで被写体ににじり寄る。どういった変化があるのか
ふだんの行動もじわじわ寄るとどう印象が変わるか
最初に「迫力」とはなんだろうか。
「迫力」とは「心に迫る力」である。対してズームでじわじわ寄ることは物理的に距離を「迫って」いる。物理的な迫りがそのまま心に迫る力となり得るのかを実験してみたい。
実験は日常のなんでもない行動から開始する。パソコンで作業をしてもらったものが写真1である。
ここからビデオカメラのズーム機能を使ってじわじわ寄っていったものが写真2-1~4である。印象は変わるのだろうか。
写真1.パソコンで仕事をする被写体
写真2-1~4.独自にとったアンケートをみると「迫力を感じた」「自信に満ちあふれている」「採用してみたい」などの意見が集まった
写真3.一方「仕事はどうなっているのだ」というマイナス意見も多く寄せられた
たしかに迫力が出た
こちらで映像を見てもらったうえでとったアンケートの結果によると「迫力がある」に多くの声が集まった。「自信に満ちている」という意見が寄せられたのも心に迫るなにかがあったものだと思われる。
ただのパソコンの作業であるが迫力が出た。しかし同時に仕事の方はどうなったのかという声も上がった。これは被写体の手が止まっていることが原因であろう。
実際の動画はこちらである。動画の方が効果がわかりやすいので視聴できる環境であればぜひご覧いただきたい。
動画1.映像だと効果はより顕著である。被写体の手は完全に止まっているので実際仕事は進んでないだろう
写真4.被写体を増やした。打ち合わせのような場面ではどうだろうか
写真5-1~4.「迫力を感じる」の他に「なにか責められてるような気になる」という声が多かった。2対1の関係性を強く感じるようだ
写真6.二人のときも同様に「打ち合わせはどうなっているのだ」「この人たちは本当に仕事があるのか」などの一歩引いた視点での意見も多かった
じわじわ寄ることは「1対1」であること
人員を増すことでチームとしての迫力が出た。だがそれは「なにか責められているような気になる」といった心理的な圧迫ともいえるなにかでもあった。
複数になったことで「2対1」のような状況を作っているのかもしれない。ということは被写体が1人であった場合にも「1対1」感を強調していたことだろう。
じわじわ寄ることは対人の距離を詰めることであり、外の情報がなくなることでより人の関係性が強調されるようだ。
動画2.「言いようのない自信のようなものを感じる」「この会社の株を売りたい」などさまざまな声が
迫力のない場面ではどうか?
今まではパソコン、打ち合わせ、といった仕事でよくあるような状況だった。仕事に迫力は出てもいいだろう。
しかしこれが迫力の出ようのない場面ではどうだろうか。
たとえば何かを食べている状況。それもバナナを食べてみたものが写真7である。
写真7.バナナを食べている被写体にも迫力が増すのか?
写真8-1~4.アンケート結果によると「迫力がある」「バナナが好きな人だと思った」「何事にも一生懸命な人という印象を受けた」「ゴリラかもしれない」など
写真9.「人類にとって進化とはなんであったのか、猿のままでもよかったのではないか」そんなマクロな視点も喚起される
意味がないままに迫力が出た
一見なにも意味のないような状況であるが「自信を感じる」「真剣味を感じる」という意見に代表されるように被写体になにか力が宿ったように見えたようだ。
有無を言わさぬズームの効果で、意味はないままに迫力だけが出たような状態だろうか。動画だとその効果は顕著である
動画3.映像だとわかりやすいかもしれない。「わかったから」「だからどうしたんだ」というあきらめのような感想も寄せられた
写真10.食べ物で迫力といえば大食いではないだろうか。食べ物の数を増やしてみたものがこちらである。食べ物なりの迫力というものが何かわかるかもしれない
写真11-1~4.「迫力がある」「迫力のある食いしん坊だ」「なぜか正直さを感じる」「おにぎりが好きなんだろうな」「たぬきと知恵くらべしてそう」など感想は多岐にわたるが知性の欠如が多く見られた
動画4.食事における炭水化物比率の高さに知性の欠如を感じたのかもしれない。どうして炭水化物ばかりだと頭が悪そうに見えるのかは別の機会をまた設けたい
食べるのではなく飲むのではどう違うのか
食べているときの迫力とはなんだったか。バナナとおにぎりの感想で多く見られたのは「自信」「好きなんだろうな」といったキーワードであった。
それは自己の行為における肯定を示している。じわじわ寄ることで被写体に肯定感が宿るのだ。
しかしその肯定感は好き嫌いがほぼありえない「水」の場合どのように映るのだろう。
写真12.被写体が水を飲むだけでも多少の違和感を感じる。考えてみれば大人になって公園で水を飲む機会というのはそう多くない
写真13-1~4.「迫力がある」「なぜ水を飲まないのか」「飲み方がわからないのか」「一緒に市役所に相談に行こう」などの声があがった。とまどいや混乱の声が多かった
動画5.肯定されなさそうなものに自己肯定感が宿ると、見てる側が戸惑いを感じることがわかった
写真14.さきほどは「好き嫌いのないもの」であったが今回は「嫌いなもの」レーズンパンのレーズンが嫌いだから取り外すという状況である。自己肯定感はどうなるのか
写真15.「自信を持っている」「本当に嫌いなのだなと感じた」「干しぶどうに親でも殺されたのか」「給食で残されている人を思い出した」などぶどうを外す行為の肯定感は感じているようだ
動画6.「だめな人がこっちを見ているという事実をどうすればいいのだろうか」などの声があった
ダメさに拍車がかかる
じわじわ寄ることで迫力や自信、自己肯定感といったものが宿った。
それがおにぎりを両手で食べたり、水を飲んだあたりから様相が変わってきた。それは「ダメさに拍車がかかる」というものであった。
行為の肯定である。その行為が社会的に「ダメ」とされる行為の場合、より「ダメ」になるのである。
次の写真を見ていただきたい。
写真16.ダメな方向をもう少し見てみよう。三角座りをする大人にズームしてみよう
写真17-1~4.「非常にダメである」「自信をもっていてよりダメさを感じる」「この人はここが合っている」「これが約束の地か」などの感想が寄せられた
動画7.映像だと「ダメなりに迫力がある」という感想がよくわかる。
写真18.三角座りに人員を追加してみたのがこちらである
写真19-1~4.「説明がほしい」「観葉植物はトリオなのか」「人としてどうなのか」など混乱した感想が多かった
動画8.「売れてないペットショップと同じような視線を感じた」という感想はダメさからきているのだろう
写真20.怒られている状況にズームをした。どういった迫力が出るのだろうか
写真21-1~4.「非常にダメである」「心配である」「その自信はどこからわいてきたのだ」「村に災いをもたらしそう」などの声が寄せられた
動画9.「悪い意味で胸がキュンとなる」など迫力を好意的にとらえない意見が多かった
写真22.ダメから離れて意味のない行為をしてもらった。大きなバネをビヨンビヨンさせている状況にじわじわ寄っていく
写真23-1~4.「なんていう自信だ」「これがなんなのかはわからないが、とにかくがんばってほしい」「ニッポンのものづくりを感じた」など
動画10.「これがトヨタのKAIZENだ」など投げやりな好意もあった
実験は他にも多岐にわたった。こちらは道がわからなくなった人にズームしたもの