桂記章さんって、そもそも何でしょう? キーホルダー屋さんではないんですか?
ものすごい量のキーホルダーに圧倒される
石川県金沢市にやってきた。
金沢駅です
日本全国で売られている観光地のキーホルダーのほとんどを作る会社が金沢にあるらしいのだ。
桂記章の澤田さん
その会社は、金沢市郊外にある桂記章株式会社だ。
ここで日本全国のを作ってるのか?
日本各地と言われてもちょっとピンとこないかもしれない。まずはこれを見て欲しい。
はいズドーン
このキーホルダーの山っていうか壁。過去に桂記章で製造されたキーホルダーの数々だ。とにかく見ていただきたいので撮ってきた写真を並べます。
北海道の横に沖縄のキーホルダー
鳥取、石川、埼玉、福井、淡路島
男鹿半島だけのキーホルダーなんてのがあるのか
北は北海道から南は九州沖縄まで。日本各地のありとあらゆる観光地の名前が入ったキーホルダーが保管されている。
そして、地図だけじゃなく、観光地で売ってそうなありとあらゆるキーホルダーが掛けてあるのだ。
そして、地図だけじゃなく、観光地で売ってそうなありとあらゆるキーホルダーが掛けてあるのだ。
ファンシー絵みやげだ
阿蘇山と能登半島のちょうちんキーホルダー
ファンシー水戸黄門
でけえ通行手形
これ、わらじキーホルダーですね
伊達政宗、なまはげ、琉球花笠……
あぁ、無くなってしまった施設のキーホルダー……
高速道路の看板と盃
あー、ヘッドマークだ!
圧倒的な物量をまのあたりにすると、言葉を失う。ぼくは、ただ「うっわぁー」といいながら写真を撮ることしかできなかった。
この部屋、キーホルダーコレクターのみならず、キーホルダーにたいして興味ないひとでも数時間は時間が潰せるんじゃないだろうか。できれば、酒を飲みながらこのキーホルダーをひとつづつ鑑賞したい。
マルコポーロのいう黄金の国ジパングって、金沢だったかもしれない。
この部屋、キーホルダーコレクターのみならず、キーホルダーにたいして興味ないひとでも数時間は時間が潰せるんじゃないだろうか。できれば、酒を飲みながらこのキーホルダーをひとつづつ鑑賞したい。
マルコポーロのいう黄金の国ジパングって、金沢だったかもしれない。
ダメ押しにもうひとつ
捨てようと思ってた(!)
ところで、澤田さんの話によると、この壁にかけてあるキーホルダー。実は廃棄するつもりだったらしい。
桂記章では、キーホルダーを受注すると、注文を受けた分だけ在庫が残らないように作る。
したがって、この残っているキーホルダーは、色の見本でひとつづつ残していたものがたまっていき、この量になったのだという。
事務所を整理して片付けるときに、もう必要ないので廃棄しようという話になった。
しかし、さすがにすべて捨ててしまうのはなんだかもったいないということで、資材置き場の壁に掛けてそのまま10数年たっているらしい。
桂記章では、キーホルダーを受注すると、注文を受けた分だけ在庫が残らないように作る。
したがって、この残っているキーホルダーは、色の見本でひとつづつ残していたものがたまっていき、この量になったのだという。
事務所を整理して片付けるときに、もう必要ないので廃棄しようという話になった。
しかし、さすがにすべて捨ててしまうのはなんだかもったいないということで、資材置き場の壁に掛けてそのまま10数年たっているらしい。
倉庫の壁にどっさりあるキーホルダー
この貴重なキーホルダーの山、危うく捨てられちゃうところだったけれど、間一髪でなんとか残ってくれた。
工場の人たちにとっては、キーホルダーは場所をとるだけで、まったく役に立たないわけだけど、ぼくたちのような部外者にとってはこれがいちばんおもしろい。
おもしろいのだけど、ながめておもしろがって終わるわけにはいかない。なぜ桂記章は日本各地の観光地のキーホルダーを作るようになったのだろうか?
工場の人たちにとっては、キーホルダーは場所をとるだけで、まったく役に立たないわけだけど、ぼくたちのような部外者にとってはこれがいちばんおもしろい。
おもしろいのだけど、ながめておもしろがって終わるわけにはいかない。なぜ桂記章は日本各地の観光地のキーホルダーを作るようになったのだろうか?
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もともとはバッジを作っていた
応接室にも商品がどっさり
もちろん、キーホルダーも作っていますが、最初はバッジからです。私の祖父、澤田岱里(たいり)が戦後まもなくバッジの加工などを請け負って始めたのが最初なんです。
金沢には金属加工をされる業者が多かったんですか?
いや、それがまったく逆で、バッジやメダルを作るような工場はむしろ、関東に多くて金沢にはなかったんです。金沢のひとはみんな県外に発注してたんですね。
あえて、誰もやってないことをやるわけですね。
澤田さんの祖父、澤田岱里氏が立ち上げた工場は、学校の校章、会社の社章、役所のバッジなどを請け負いながら工場を続けていた。
今でも徽章づくりは続けており、上場企業の何割かは桂記章製造のバッジをつけているという。
今でも徽章づくりは続けており、上場企業の何割かは桂記章製造のバッジをつけているという。
もちろんバッジは今でも作っている
そんななか、1961年、転機となる注文が舞い込む。
「妙高高原や野尻湖周辺で販売する登山記念のバッジを作ってくれ」という注文がきたんです。
登山記念のバッジ……山のふもとのお土産物屋や山小屋で売ってるやつですね。
これが転機になるんですか?
これが転機になるんですか?
こういうバッジを山小屋やふもとのお土産物屋で売ってるんですね(写真は製作途中のものです)
なったんです。当時、こういうバッジを登山客相手に売るのは本当に画期的だったんですよ。
カメラなど高価だった当時、登山の記念になるようなものは、神社仏閣があれば御朱印をもらう、御札を買うぐらいしかなかったわけで、そこに小さくておしゃれなバッジがあれば、そりゃ買うな。とおもう。
1960年代は戦後の混乱も落ち着いてきて、余暇にレジャーを楽しむひとがぐんと増えたんです。で、当時のレジャーはまず、登山だったんです。
ちょうど団塊の世代が20代に差し掛かるころですね。そういう若者たちに登山ブームがきたんですね。
団塊の世代の世代の登山ブーム。今でいうと、フジロックとかのフェスに行く感覚だろうか。登山バッジを買うのは、フェスに行って、Tシャツを買う行為に近いのではないか。
登山記念バッジは大変良く売れたんですが、これがきっかけととなって、観光地のお土産品の市場に乗り出すことになったんです。
地図のキーホルダーだから売れた
ところで、地図のキーホルダーというのは桂記章さんのところが最初なんですか?
いえ、最初というわけではないんですが、当時地図キーホルダーを作っていたいくつかのメーカーのひとつですね。
ただ、現在、観光地で売られている地図キーホルダーの大半はうちの商品ですね。
ただ、現在、観光地で売られている地図キーホルダーの大半はうちの商品ですね。
埼玉の地図キーホルダー、鉄道路線とともに「関越自動車道」としっかり書いてある
しかし、地図をキーホルダーにするというアイデアはどこからでたんでしょうかね?
それは「地図」の「キーホルダー」だからですよ。よく考えてください。キーホルダーって車のキーにつけるんです。で、地図というのは、車でドライブするときに必ず見ますよね。
あぁー。こんどは乗用車が普及してきたわけか。なんなんだろう。この謎解き感……。
1970年代ごろに、自家用車が一家に一台という時代になってきて、レジャーも列車に乗って登山からドライブで観光地に行くというスタイルに変わってきた。そこで、観光地やドライブインで地図つきのキーホルダーが売れたんですね。
登山で記念のバッジを買っていた団塊の世代が、ちょうど30代から40代にさしかかり、家族ができ、子供が生まれて自家用車を購入する時期に、地図キーホルダーは売れ始めた。
そうか、さっき見せてもらったキーホルダーに高速道路のキーホルダーがいくつかあって、道路マニアって昔からいたんだなって思ったんですが、そういうわけじゃなく、この高速道路を走ったよっていう記念なんですね。
将棋の駒の形の交通手形なんかも、まさにそういうドライブしたひとたちが買っていくようなキーホルダーだったんです。
北陸自動車道のキーホルダー
登山記念バッジからマイカーの普及で地図キーホルダーに変化した記念品。その変遷はそのまま日本の高度経済成長期を鏡のようにうつしているといえる。
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海が付いてるのは製造上の都合
地図キーホルダーは様々な種類がありますね。
地図キーホルダーも、作っているメーカーごとに特徴があって、うちのやつは海を入れたり、方位磁石をつけたりして、県ごとに縮尺を変えてたんです。
デイリーでも連載中のクリハラタカシさんのキーホルダーコレクションの一部、ここに写っているものは全て桂記章の商品でした
縮尺が統一されているメーカーのもありましたよね。
そうなんです。ただ、県の縮尺を統一すると、面積の大きい県と小さい県でどうしても大きさがマチマチになってしまって、製造コストがかさむんです。
なるほど、海をつけたり、縮尺を変えてサイズを統一してたのは、製造上の理由なんですね。
ただ、製造やめてしまった他のメーカーの型を引き取って、うちでも縮尺を統一した地図キーホルダーは作っていました。たしかに縮尺が統一されていると、県同士つなげられるからいいんですよね。
他のメーカーが製造をやめてしまっているということは、やはり売れる数としては前に比べると少なくなってきている?
そうですね、うちで作るものは、並カンをつければキーホルダーになるし、ピンをつければバッジになる、紐をつければ根付になるし、ストラップをつければ携帯ストラップになる。
キーホルダーのあの部分の名前
ちょっと待って下さい。並カンってなんですか?
キーホルダーの上の部分ですね。クイッと空けてカチッとはめるやつ。
あー、あれか! あれ並カンって言うんですね。
これは、並カンというらしい
この部分は、他のメーカーから買って付けてるんですけど、ここにも流行りすたりがあるんです。
並カンはよく壊れるんで、近頃あまり見かけませんし、逆に最近よ見かける途中でくるくる回転するものは「シーベル」って呼んでます。
並カンはよく壊れるんで、近頃あまり見かけませんし、逆に最近よ見かける途中でくるくる回転するものは「シーベル」って呼んでます。
これ、シーベルっていうのか
ネコとネズミに負けている
なるほど……すみません、話が脱線してしまった。キーホルダーが少なくなってきているという話でした。
一時期、ストラップをつけて携帯ストラップにするのもはやりましたけど、最近はスマホになってしまって、ストラップもつけなくなってきて。ずいぶん厳しくなりましたね。
登山バッジから車のキーホルダー、携帯、スマホ……。戦後の生活史を眺めてるようですね。
それだけじゃなくて、キャラクターのご当地ものが増えたんですよ。キティちゃんとミッキーマウスですね。ネコとネズミです。
あの、仕事を選ばないことで有名なキティちゃんですね。
さらにもっと言うと、やはり外国製のコピー品のキーホルダー。これも多いんです。
キーホルダーを取り巻く環境はかなり厳しいですね……。ただ、その中でもいまだにキーホルダーは売られてますが、どういう人が買うんでしょう?
いまでもキーホルダーが、よく売れるのは「京都」「奈良」「日光」なんですけど、これってようするに小学生が修学旅行に来てキーホルダーを買う場所なんです。
小学生は……買いますね。たしかに。買いましたもん。
で、いちばん売れているのが「金閣寺」の金色のキーホルダーと、奈良の地図の裏に大仏が彫り込まれているキーホルダーですね。
貫禄充分ですね。ちなみに、奈良の大仏のキーホルダーは画像を準備できなかったのでこちらをごらんください。
売れているものは、40年ちかく同じ金型をつかって作り続けており、安定して売れているという。
今後、どんなものが売れるのか考えると、やはり外国人向けになっていくのかな? と思うんです。
沖縄に観光にきた中国の観光客が、おいしいからって夕張メロン買って帰るんです。彼らにとっては北海道も沖縄も同じ「日本」なんですね。
沖縄に観光にきた中国の観光客が、おいしいからって夕張メロン買って帰るんです。彼らにとっては北海道も沖縄も同じ「日本」なんですね。
たしかにぼくたちも、北京と上海はなにがどう違うかって聞かれてもわからないです……。
そのうち、北海道の地図の上に「東京タワー」って書いてある「日本」のキーホルダーを作らなければいけないかもしれないですね。じっさい、銀座や秋葉原の免税品店は日本のキーホルダーを多く置いてあります。
日本のキーホルダー(写真は桂記章の商品ではありません)
ところで、先ほど見せていただいたキーホルダー、80年代テイストのイラストのいわゆる「ファンシー絵みやげ」がかなり混ざってました。知り合いにこの「ファンシー絵みやげ」の保護活動を行っている山下メロ院長という方がいるんですが、その方から質問を預かってきてまして。
「ファンシー絵みやげ」はこういう感じの絵のおみやげですね
どうぞ。
まずは、こういったファンシーな絵のイラストのおみやげ、いつごろうまれて、いつごろから下火になったのか。ということなんですが……。
うーん、これは難しいですね……。いつからというのはもう曖昧でわからないんですが……。土産物をプロデュースする商社みたいな会社が長野県に2社あるんですが、その会社がまず軽井沢でどんなお土産が売れるか調査するんです。で、そこで売れたものが全国にぱーっと広まるかたちで流行ってたんです。80年代の話ですね。
長野県ってのはお土産物の最先端だったんですね。
あと、ひとつ言えるのは、サントリーのペンギン(「パピプペンギンズ」あれのインパクトはすごかったですね。あのイラストが出た前後でああいう雰囲気の絵がものすごく流行りましたね。
桂記章に所属されてたデザイナーさんで、ああいうテイストの絵を描いてらっしゃった方はいらっしゃいますか?
もちろんすでに退職されてますので……お元気であれば70歳前後かな。当時、発注元からああいうテイストの絵をまねて描いてくださいって注文がくるんですね。それでまねて描いてもらってたんです。
残念ながら、確実な最初のお土産というのはわからなかったものの、長野がお土産の流行の最先端を行ってたという話はなんだかすごい。80年代における軽井沢の位置付けのものすごさを垣間見た。
すっかり、キーホルダーについての話を聴きこんでしまった。せっかく工場にきたので、製造工程も見せてもらうことにした。
すっかり、キーホルダーについての話を聴きこんでしまった。せっかく工場にきたので、製造工程も見せてもらうことにした。
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製造工程を見せてもらう
キーホルダーにしろメダルにしろ、まずは元となるデザインをしなければいけない。
まずはデザイン画を元に、粘土で原型を作る。
まずはデザイン画を元に、粘土で原型を作る。
かなりでかいです
原型はデカイ。このままの大きさでバッジやメダルができるわけではない。
できあがった原型は、石膏や樹脂で型をとる。すると、左右と凹凸が反転した原版ができる。
できあがった原型は、石膏や樹脂で型をとる。すると、左右と凹凸が反転した原版ができる。
まだ巨大だ
この原版を、彫刻機という機械にかける。
これが彫刻機ですね
彫刻機は、原版の形そのままに縮小した模様を彫刻することができる機械だ。コンピューターなどは一切使わずに、アナログな方法でそういうことができる機械があるんですね。
この機械、ぼくは池袋の造幣局の資料館で見たことがある。ということはつまり、硬貨も昔はこの機械をつかって金型を作っていたのだ。
この機械、ぼくは池袋の造幣局の資料館で見たことがある。ということはつまり、硬貨も昔はこの機械をつかって金型を作っていたのだ。
プレスか鋳物で作る
出来上がった金型を使って、プレスか鋳物でキーホルダーやメダルを作る。
プレスの機械
プレスして模様をつけた金属は、まわりの余計なところを切り取る
鋳物の機械
鋳物も、まわりの余計なバリをとりさって、メダルの元ができる
プレスしたもの、鋳物で作ったものはそれで完成ではない。このあとにさまざまな加工を施こす。たとえば、薬品でわざと黒くしてから磨いて、メリハリをはっきりさせたり、メッキを施したりなどして完成の状態にもっていく。
メッキ工場の水槽。この水槽の中でメッキを行う
金メッキ完成
メダルの完成品がこちら
普通、メダルやキーホルダーやバッジを作るメーカーというのは、原版を作るだけ、鋳造するだけ、プレスするだけ、メッキをするだけという風に、それぞれ専門分野が違う会社がバラバラで、桂記章のように原画の作成から製造、出荷まで一貫して生産しているところは非常に少なく、日本で唯一といっていいほどらしい。
たのしそうでいい
黄金のゆたんぽ
澤田さんが、応接室で黄金のゆたんぽをみせてくれた。
これは、ゆたんぽを作っている会社の社長と、意気投合し、ノリで作ってしまったものらしい。
1個50万円もするらしいが、なんと数個売れてしまったという。
澤田さん、思いついたらとりあえず作っちゃうタイプらしい。なんだかたのしそうでいい。
かなり親近感がわいた。