特集 2016年3月18日

ソ連時代のガイドブックでロシアに行く

ソ連のガイドブックを持ってロシアに行きます!
ソ連のガイドブックを持ってロシアに行きます!
1991年までこの世界に存在していた国がある。「ソビエト連邦」、略称「ソ連」だ。現在ではロシアとなり、社会主義国から、資本主義の国となった。

国が変わるとはどのようなことなのだろうか。そこでソ連時代に出版されたガイドブックを持って、ロシアに行ってみようと思う。今はなき国を歩き、その変化を探そうではないか。
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮

ソ連のガイドブック

1989年に出版された「ソ連」のガイドブックを手に入れた。ガイドブックとは説明するまでもなく、その国や地域の観光地、レストランなどを紹介している本だ。毎年新しい情報が載ったものが出版されるが、ソ連のガイドブックはもう出版されていない。
ソ連のガイドブックを2冊手に入れました!
ソ連のガイドブックを2冊手に入れました!
ソ連は1922年から1991年まで存在した、政治家「レーニン」によって作られた社会主義の国だ。1991年の暮れになんだかんだあって、ソ連は崩壊し、ロシアとなった。それまでソ連だったウクライナなどもソ連崩壊に伴い独立している。
2冊とも、ソ連崩壊前のガイドブックです!
2冊とも、ソ連崩壊前のガイドブックです!
社会主義国のソ連と、資本主義国のロシアでは、何か変化はあるのだろうか。そこで、ソ連のガイドブックを持って、本当にロシアに行ってみようと思う。自腹で。ソ連のガイドブックでロシアを歩くのだ。
ということで、ロシアに行ってきます!
ということで、ロシアに行ってきます!

ソ連への旅

このガイドブックは二冊とも1989年に出版されている。日本ではゲームボーイが発売されたり、ドイツではベルリンの壁が崩壊したりと、大きな動きがあった年だ。日本はバブル景気であり、ソ連に旅行する人も多かったのかもしれない。
今回はモスクワに行きます
今回はモスクワに行きます
ソ連時代のガイドブックには「ソ連航空」を使ったモスクワへの渡航方法が紹介されている。現在、「ソ連航空」は「アエロフロート・ロシア国際航空」となっており、飛行機にも当時の匂いを感じることができる。なんでもかんでも、ソ連だったのだ。
当時は「ソ連航空」
当時は「ソ連航空」
今は「アエロフロート・ロシア国際航空」
今は「アエロフロート・ロシア国際航空」
ロシアへと向かう飛行機の乗客は多かった。ただこの飛行機に乗っている日本人のほとんどはモスクワを経由してヨーロッパへと行く。

後でロシアの方に話を聞いたら、この時期にモスクワに来る日本人はほぼいない。6月-9月がオススメと言っていた。ガイドブックを見ても、雪景色がゼロで、どの写真も暖かそうである。この価値観は今も昔も変わっていないようだ。
ソ連時代のガイドブックに雪景色はゼロ!
ソ連時代のガイドブックに雪景色はゼロ!
ただ私は冬のこの時期に飛行機に乗り、
ただ私は冬のこの時期に飛行機に乗り、
モスクワにやってきました!(やっぱり雪景色でした!)
モスクワにやってきました!(やっぱり雪景色でした!)

レーニンの影

モスクワの有名な観光地と言えば、「クレムリン」や「赤の広場」になると思う。ソ連のガイドブックにもバッチリと書いてある。世界政治はクレムリンとアメリカのホワイトハウスで形成されているとある。大統領府などがある場所だ。
ソ連時代のガイドブックにある「クレムリン」
ソ連時代のガイドブックにある「クレムリン」
当時のガイドブックを見ればカテドラルだけなら入場は無料と書いてある。素晴らしいではないか。モスクワを代表する観光地を無料で見ることができるのだ。問題はそれはソ連時代のことで、今も無料かだ。自腹でロシアに来たので無料がいいのだ。
昔は無料だけど、
昔は無料だけど、
現在はお金を取るっぽい
現在はお金を取るっぽい
チケット売り場に行くと500ルーブルと書いてあった。無料ではなくなったのだ。受付で「カテドラル、オンリー」と言ってはみたが、強く「ノー」と言われ、もう一度「カテドラル、オンリー」と言ってみたが、「500」と言い返され、「OK」と言ってしまった。
500ルーブル払ってクレムリンの中に入りました!
500ルーブル払ってクレムリンの中に入りました!
ちなみに日本に戻り確認したらカテドラルだけなら350ルーブルらしい。どちらにしろ無料ではなくなったけれど、とりあえず私の150ルーブルを返して欲しい。あんなに強く「ノー」と言ったのに。ちなみに現在1ルーブルは「約1.6円」で、ソ連時代は1ルーブルが230円だった。すごい差だ。
クレムリンの中は基本的には、
クレムリンの中は基本的には、
ガイドブック通りだった
ガイドブック通りだった
クレムリンには宮殿兵器庫や大砲の王様、鐘の王様などがあり、ソ連時代のガイドブックと変わらない風景が広がっていた。ソ連からロシアになっても変わらないのだ、と思ったら、一個だけ大きな違いがあった。
この人です!
この人です!
ソ連のガイドブックによると、クレムリンにはレーニン像があったそうだ。レーニンはソ連を作った人だ。彼は執務を終えるとここを散歩していたらしく、十月革命50周年を記念して銅像も作られている。一国を創設した男の愁いがひしひし伝わる像らしい。ぜひ見たい。
ソ連時代のレーニン像
ソ連時代のレーニン像
現在のレーニン像(ガイドブックとは逆から撮ってしまった)
現在のレーニン像(ガイドブックとは逆から撮ってしまった)
あちこち探し回ったけれど、レーニン像はなかった。レーニン像があったところは、ぽっかりと何もなく、ただ雪が積もっていた。ソ連時代の象徴とも言えるレーニンがなくなっているのだ。これはこの旅で何度も起きることで、さらにそれを納得できる場所にも出会うことになる。それが昔のガイドブックの魅力だ。
次に行きましょう!
次に行きましょう!
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移動手段

モスクワでの移動手段は「メトロ」「トローリーバス」「バス」「市電」の4つがメインだそうだ。もちろんソ連時代の話で、今はどうなのだろう。トローリーバスはかつて東京でも走っていた。
ロシアでは今も走っていました
ロシアでは今も走っていました
市電も走っています! さらにモノレールも!
市電も走っています! さらにモノレールも!
ロシアでは現在もその4つが健在で、さらに今はモノレールも走っている。メトロも当時と比べれば、路線が増え、便利になっている。どこまで乗っても値段は同じで、改札から出なければ、延々に乗っていられるのも嬉しいポイントだ。
ソ連時代のメトロの路線図
ソ連時代のメトロの路線図
現在の路線図
現在の路線図
ソ連時代のメトロには切符がなく、改札で5カペイカ(現在の価値で100円程度)のコインを入れて改札を通ったそうだ。

しかし、今は切符が存在し、値段も1回の乗車が50ルーブル(今のレートで約80円)。切符がカードっぽいのがカッコいい。というか、メトロ全体がカッコいいのだ。
ソ連時代の改札
ソ連時代の改札
現在は券売機があります!
現在は券売機があります!
これが切符です!
これが切符です!
切符を改札にかざして中に入ります
切符を改札にかざして中に入ります
ガイドブックを見ると、メトロでの写真撮影は禁止と書いてある。ロシアのメトロは地下深くを走っていて、地下シェルターとしの役割もあるらしく、その辺のこともあり、禁止となっていたようだ。
ソ連のガイドブックに「撮影禁止」と書いてありました!
ソ連のガイドブックに「撮影禁止」と書いてありました!
でも、現在は撮り放題!
でも、現在は撮り放題!
近年になって写真撮影が許可されたそうだ。動画はダメだけれど、写真は撮り放題。駅内の路線図にも写真いいよ! 的な表記がある。モスクワの駅は綺麗で美術館のような装飾のところも多いので嬉しいことだ。ロシアになり、いろいろとゆるくなったようだ。
関係ないがFacebookのお知らせボタンが日本とロシアで違う
関係ないがFacebookのお知らせボタンが日本とロシアで違う

ロシア人、銅像が好き説

次は「KGB」を見に行こうと思う。「KGB」は「ジェルジンスキー広場」にあり、広場の中央には「フェリックス・ジェルジンスキー」の巨大全身像があるそうだ。ジェルジンスキーはポーランド出身の貴族でレーニンの片腕として活躍した人だ。
ここに行きます!
ここに行きます!
KGBとは国家保安委員会で、ジェルジンスキーはその始まりである国家秘密警察チェカの初代長官。ちなみにKGBは絶対に撮影禁止らしく、ソ連のガイドブックもうまい具合に写らないように撮ってある。向かって右側にKGBがあるようだ。
ただ、現在は「ジェルジンスキー広場」がないね
ただ、現在は「ジェルジンスキー広場」がないね
ガイドブックと街中にある今の地図を見比べると、ジェルジンスキー像がある「ジェルジンスキー広場」がない。今は「ルビャンスカヤ広場」という名前になっているようだ。とにかくレーニン臭を消したいらしい。レーニンの片腕だったジェルジンスキーを残すわけにはいかなかったのだろう。
とりあえずルビャンスカヤ広場に向かいます!
とりあえずルビャンスカヤ広場に向かいます!
銅像と一緒にガイドブックに写っている建物は「子供のデパート」と呼ばれる子供用品が揃うデパート。それは今も健在だった。ただ健在でないものがある。この写真のメインと言える「ジェルジンスキー像」がやっぱりないのだ。
ソ連時代の「ジェルジンスキー広場」
ソ連時代の「ジェルジンスキー広場」
現在の「ジェルジンスキー広場」(現在はルビャンスカヤ広場)
現在の「ジェルジンスキー広場」(現在はルビャンスカヤ広場)
見事に銅像はなくなっていた。ぽっかりとただの空き地になっている。家族四人が暮らせそうなサイズの空き地だ。さらに撮影禁止だったKGB本部も今はロシア連邦保安庁となっていて、当時ほど緊張感なく撮影することができた。
これが元KGBです!
これが元KGBです!
レーニンやその関係の銅像がなくなり、ロシアはソ連色を消したいのかもしれない。ただ、メトロの駅に行くと、ソ連時代の名残が多々あることに気がつく。鎌と槌はマルクス・レーニン主義のシンボル。それが壁や天井に残っている。
駅などにはソ連時代の名残がある
駅などにはソ連時代の名残がある
そして、ソ連時代も、ロシアになった今も、銅像は好きらしい。レーニンなどの銅像はなくなったけれど、ソ連時代のガイドブックになかった新たなる銅像が続々と誕生しているのだ。いま目指している「レーニン図書館」も、現在は「ロシア国立図書館」になっているが銅像は誕生している。
ソ連時代の「レーニン図書館」
ソ連時代の「レーニン図書館」
現在は「ロシア国立図書館」
現在は「ロシア国立図書館」
レーニンの名前が消えた図書館だけれど、新たにカラマーゾフの兄弟で有名な「ドストエフスキー」の銅像ができていた。ソ連時代はなかったので、ロシアになってから作ったのだろう。ソ連時代もロシアになってからも、銅像が大好きなお国柄なのだ。大きな銅像を作っちゃうのだ。
なんか姿勢が悪いのが哀愁あるよね!
なんか姿勢が悪いのが哀愁あるよね!

十貨店が百貨店に

赤の広場に隣接する場所に「グム百貨店」という国営百貨店があるそうだ。ソ連ナンバーワンの品揃えらしいが、ガイドブックには「百貨店ではなく十貨店」と揶揄する人もいると書いてある。国営の百貨店があるのが社会主義国らしい。
ソ連時代の「赤の広場」(左の建物がグム百貨店)
ソ連時代の「赤の広場」(左の建物がグム百貨店)
現在の「赤の広場」(今も左の建物がグム百貨店)
現在の「赤の広場」(今も左の建物がグム百貨店)
十貨店と呼ばれた百貨店に行ってみると、有名な道の駅くらいの混み具合だった。建物も美しく、お店も多い。現在は200店のお店があるそうだ。十分に百貨店だ。十貨店の面影はない。さらに現在は民営化している。ソ連からロシアになり民営化の波があったのだろう。
ソ連時代のグム百貨店
ソ連時代のグム百貨店
現在のグム百貨店(たまたま人がいない瞬間でした)
現在のグム百貨店(たまたま人がいない瞬間でした)
グム百貨店から出ると民族衣装を着た人が私に近づき、無理やり一緒に写真を撮り、「マネー、マネー」とお金を要求した。私が「ノー」と繰り返していたら、「アイムアクター」と言うので、「ミートゥー」と答えたら、肩をすくめてどこかに行ってしまった。ソ連時代もこんなことがあったのだろうか。ガイドブックには書いていなかった。
次に向かいます!
次に向かいます!
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嫌われレーニン

次は泳ぎに行こうと思う。ガイドブックを見ると泳いでいる写真が多いのだ。もっともガイドブックの写真は全て冬以外。泳いでいても不思議はない。というか、ガイドブックの写真には雪が一切なく、全ての景色が今と違うと言える。冬にロシアに来る人なんていないのだ。
こういう写真が多い!
こういう写真が多い!
ということで、冬でも泳げる場所に行きます!
ということで、冬でも泳げる場所に行きます!
冬だけれど、私も泳ぎたいと思いガイドブックを探すと「モスクワ水泳場」というものがあった。クロポトキンスカヤ駅から歩いてすぐの場所にある野外温水式プールで、真冬でも28度に水温が保たれ、湯気が立ち上がっているそうだ。行かねばなるまい。
ソ連時代の「クロポトキンスカヤ駅」(ということで、最寄駅に来ました!)
ソ連時代の「クロポトキンスカヤ駅」(ということで、最寄駅に来ました!)
現在の「クロポトキンスカヤ駅」
現在の「クロポトキンスカヤ駅」
最寄駅はソ連時代とあまり変化がなかった。薄化粧の女性のスッピンと化粧後くらいの変化だ。泳ぐ気満々で水着も準備してきた。期待を胸に、右手に水着を、左手にガイドブックを、右足と左足に靴を履いて、「モスクワ水泳場」に向かった。
ソ連時代の「モスクワ水泳場」
ソ連時代の「モスクワ水泳場」
現在の「モスクワ水泳場」
現在の「モスクワ水泳場」
なくなっていた。面影を全く感じない。別の歴史ありそうな建物が鎮座している。私の水着の居所がない。彼がかわいそうに見える。アメ横で880円で買った水着の晴れの舞台として最高だったはずなのに。私と彼の「モスクワ水泳場」はどこに行ったのだろう。
現在は「救世主キリスト聖堂」
現在は「救世主キリスト聖堂」
「モスクワ水泳場」になる前、ここには「救世主キリスト聖堂」があった。これはナポレオンがロシア侵略をした際の防衛戦「祖国戦争」に勝利したことを記念して建てられたものだ。しかし、ここにレーニンが登場する。1931年、「救世主キリスト聖堂」を爆破したのだ。
遠くにはロシアになってから作られた銅像が見える。銅像好きすぎるだろ!
遠くにはロシアになってから作られた銅像が見える。銅像好きすぎるだろ!
祖国戦争勝利のシンボルを爆破。ロシアになって、軒並みレーニンが消されている理由がなんとなくわかる気がする。爆破後は「ソヴィエト宮殿」を建てる予定が、なんだかんだあって、「モスクワ水泳場」となったのだ。直径130m、2000人が泳ぐことができる円形のプールだったそうだ。
救世主キリスト聖堂から、モスクワ水泳場になって、また救世主キリスト聖堂
救世主キリスト聖堂から、モスクワ水泳場になって、また救世主キリスト聖堂
ただソ連崩壊後、新生ロシアの象徴として「救世主キリスト聖堂」の再建が始まり、「モスクワ水泳場」はなくなり、2000年に「救世主キリスト聖堂」が完成した。

マイナス20度のモスクワに野外温水プールを作る発想はすごいが、勝利のシンボルを爆破してまで作るものではなかったな、と思う。
次に向かいます!
次に向かいます!

ソ連の景色、ロシアの景色

ソ連時代と変わった景色もあれば、変わらぬ景色もある。ロシアはそもそも地震などが少なく、古い建物が多く残っている。今はなき国の変わらぬ景色に出会うのも楽しい。タイムスリップしてきたみたいな感じなのだ。
ソ連時代の「ボリショイ・カーメンヌイ橋」
ソ連時代の「ボリショイ・カーメンヌイ橋」
現在の「ボリショイ・カーメンヌイ橋」
現在の「ボリショイ・カーメンヌイ橋」
高い建物が少なく空が広く見えるのが気持ちいい。またモスクワには基本的に山がない。平坦な地形なのだ。それもまた空が広い理由だろう。そして、街並みに社会主義国の匂いを感じる。こいつ長男じゃね、みたいな雰囲気と同じような説明できない雰囲気があるのだ。
ソ連時代の「モスクワ川」
ソ連時代の「モスクワ川」
現在の「モスクワ川」
現在の「モスクワ川」

ソ連だけの博覧会

ガイドブックに「国民経済成果博覧会」なるものを見つけた。ソ連が経済と科学技術の進歩を誇示するために作った、一国だけで行う巨大な恒久的博覧会らしい。宇宙館や原子力館など300の展示スタンドがあったそうだ。恒久的なら今もあるのではないだろうか。
なんか、すごい、社会主義国っぽいイベントな気がする!
なんか、すごい、社会主義国っぽいイベントな気がする!
会場のあるヴェーデンハーにやってきました!
会場のあるヴェーデンハーにやってきました!
会場の近くには「コスモス」というフランスとの合弁で完成したホテルもあるそうだ。ただ雰囲気はアメリカンらしい。冷戦時代に作られたホテルなのにアメリカンというのがすごい。意外と自由な感じだったのだろうか。
ソ連時代の「ホテルコスモス」
ソ連時代の「ホテルコスモス」
現在の「ホテルコスモス」
現在の「ホテルコスモス」
コスモスホテルは今もあったが、一つだけ大きな違いが存在した。ロシア人が大好きな銅像が建物の前に鎮座しているのだ。誰の銅像なのか知りたいけれど、ロシア語でしか書いていなくて読めない。アメリカンを打ち消そうと銅像を建てたのだろうか。
ホテルを後にして、国民経済成果博覧会場へ
ホテルを後にして、国民経済成果博覧会場へ
当時は300の展示スタンドがあったみたいだけれど、現在はそんな展示スタンドを見つけることができなかった。パビリオンかな、と思って近づいても工事中だったり、中は人気のない体育館みたいな感じだったり。ただ変わらぬ風景もあった。
ソ連時代の「国民経済成果博覧会」
ソ連時代の「国民経済成果博覧会」
現在の「国民経済成果博覧会」
現在の「国民経済成果博覧会」
ほとんど変わらぬ景色が広がっていった。あえて違いをあげれば、現在は「国民経済成果博覧会」ではなく、「宇宙飛行士記念博物館」になっている。300の展示スタンドがない理由が分かった。今は宇宙に特化して、当時の宇宙館だけが残っているのだ。
あと飛行機のソ連色が消え、ロシア色を出してきていた!
あと飛行機のソ連色が消え、ロシア色を出してきていた!
あと、プリクラがあったので撮ったら、
あと、プリクラがあったので撮ったら、
全然宇宙と関係なかった(証明写真みたい!)
全然宇宙と関係なかった(証明写真みたい!)
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おそロシアではない

ガイドブックを読むと、ソ連ほど治安のよい国はない、と書いてあった。女性が薄着で夜中に歩いても問題ないらしい。よくロシアを「おそロシア」と言ったりするが、全然そんなことはないようだ。この時期だから薄着で歩く必要は全くないけど。
愛の国なのかもしれません
愛の国なのかもしれません
治安のよさはロシアになった今も変わりない。駅に英語がなくて困っていたら、向こうから地図を指して教えてくれる。財布を落としたのだけれど、拾ってくれた。ロシア語のメニューしかなくて困っていたら、根気よく付き合ってくれるなど、全然怖い要素がないのだ。
当時は体重を測ったらしい
当時は体重を測ったらしい
そんなロシアにはソ連時代、路上に体重測りがあったそうだ。公園や広場に体重測定屋がいて、5カペイカで測ってくれるらしい。ロシアに細身の若い人が多かったのは、このように体重を測って、レコーディングダイエットをしていたからではないだろうか。
今は全然いないけど
今は全然いないけど
体重測定屋はどこを探してもいなかった。いなかったと言えば、あの「帽子」もいないのだ。ロシアで帽子と言われると、毛皮のモコモコの大きな帽子を思い浮かべる。私は嬉々として買ったのだけれど、誰もかぶっていないのだ。
帽子はかぶっているけど、この帽子は私以外誰もかぶっていない
帽子はかぶっているけど、この帽子は私以外誰もかぶっていない
おそらく日本で考えれば、「笠」のボジションにあるのだと思う。私が喜んでダンキンドーナツでかぶってコーヒーを飲んでいたら、隣のロシア人カップルは大爆笑だった。日本でも笠をかぶっていたら、笑うだろうからそういうことだと思う。
写ってないけど、向かって右側で大爆笑が起きています!
写ってないけど、向かって右側で大爆笑が起きています!

ロシア語のメニュー

ソ連の公用語は「ロシア語」。それは今も変わらない。ただ100近い言葉があって、場所によってはロシア語すら通じないらしいが、モスクワに限れば、まずロシア語で問題ない。ただロシア語なんて全くわからないのだ。
メニューがロシア語オンリー
メニューがロシア語オンリー
基本的に英語の表記が一切ない。ロシア語だけのメニューから注文しなければならない。しかし、読み方が全く分からない。ファーストフードなのにメニューが手元になく、口に出して注文する必要がある。ロシアで寒さ以外で困ったことは、この注文だった。
お店も雰囲気で探す(スタバ)
お店も雰囲気で探す(スタバ)
マクドナルド
マクドナルド
ガイドブックには「一般人には英語の通用度が低い」とある。現在は、若い人には英語が通じる感じだった。ただ若者以外には英語が通じず、もはや諦めて日本語で話していたけれど、その方が通じていた。会話とは心と心でするものなのだ、きっと。
ソ連時代は通じなかったらしい
ソ連時代は通じなかったらしい

レーニン丘に行く

最後はモスクワが一望できる「レーニン丘」に行く。フランスから遠征したナポレオンはここでモスクワを眺めたそうだ。ただナポレンはその戦争に負け、ロシア側は勝利を記念して「救世主キリスト聖堂」作り、レーニンがそれを爆破してプールを作り、また救世主キリスト聖堂を作った。全てが繋がっている気がする。
ここに行きます!
ここに行きます!
山のないモスクワで一番標高が高い場所だ。メトロの「ウニヴェルシチュート駅」から、モスクワ大学を通り、向かうそうだ。駅に降りると学生っぽい人がたくさん歩いている。ロシアで一番優秀な大学らしい。
ウニヴェルシチュート駅で降りて、
ウニヴェルシチュート駅で降りて、
まずは大学を目指して歩く
まずは大学を目指して歩く
ガイドブックには「ソ連の大学は要人の子弟ならコネで入学できる」と書いてある。ただモスクワ大学だけは例外で、コネが通用せず、本当に賢くないと入学できない。ここを卒業すれば、ソ連社会のエリートが約束されているそうだ。
ソ連時代の「モスクワ大学」
ソ連時代の「モスクワ大学」
現在の「モスクワ大学」
現在の「モスクワ大学」
雪景色という違いはあるが、大学自体はかわらず、スターリン様式の美しい建物のままだった。ソ連社会のエリートは約束されていないけれど、今も賢くないと入学できない大学だ。ここを横切り、レーニン丘を目指す。
歩いて、
歩いて、
到着!
到着!
駅から20分くらいだろうか。レーニン丘に到着した。微妙に遠い気がしたけれど、眼下に広がるモスクワの景色は本当に美しいものだった。中央には「レーニン中央スタジアム」があるが、今は「ルージナヤ・大スポーツアリーナ」と名前が変わってる。レーニンという名前が消えるのがソ連とロシアの大きな違いだ。
そして、リフトがあった!
そして、リフトがあった!
レーニン丘を目指して、ウニヴェルシチュート駅から歩いたけれど、今は「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」で降りて、リフトに乗るのが一番楽で早い道のりだったみたいだ。ただソ連のガイドブックを見ると、リフトのことは書いていないし、ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅なんて駅も存在していない。
ソ連時代は「レーニンスキエ・ゴルイ駅」
ソ連時代は「レーニンスキエ・ゴルイ駅」
現在は「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」
現在は「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」
「ゴルイ」の部分は表記の問題だけれど、前の部分は完全に変わり、「レーニン」の名前が消えている。国が変わるというのはそういうことなのだ。レーニンの名前は無くなるし、リフトはできるし、アクセスが楽になるしなのだ。
冬季はリフトが動かないらしいので、結局、歩いて降りたけど
冬季はリフトが動かないらしいので、結局、歩いて降りたけど
レーニン丘だけは名前が残ってよかったな、と思う。レーニン丘には特に「ここはレーニン丘」みたいな看板がなかったので、名前の確認ができなかったのだ。だから、勝手に今も「レーニン丘」だと思っていた。ただ丘を降りて驚いた。
日本語で「雀が丘」となっている
日本語で「雀が丘」となっている
レーニン丘は現在、「雀が丘」となり、やはりレーニンの名前が消えていた。消えすぎである。もはやレーニンの存在をなかったことにしたいのではないだろうか。ただ、蚤の市などに行くと、レーニンやソ連に関連したものがたくさん売られていた。キャラとしてのレーニンは優秀なのかもしれない。
蚤の市は基本ソ連臭(プーチンもいるけど)
蚤の市は基本ソ連臭(プーチンもいるけど)
今回、ソ連時代のガイドブックで訪れた場所をマッピングした。ソ連時代とロシアになってからの変化がわかると思う。大きな変化は結局はレーニンなのだけれど。

ソ連を歩いた

今は亡き国を歩いてみたくて、ソ連時代のガイドブックを持ってロシアを歩いた。名前が変わっていたりするけれど、全体的にソ連の雰囲気を色濃く残していた気がする。物価も日本より少し安い感じで生活しやすかった。問題は、このソ連時代のガイドブックが2万円もしたこと。一番高い気がした。

競馬が日本とは違うスタイルだった!
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