初舞台を前にした役者のようである
突然の申し出を快く受けてくれたのは、東京・下北沢の「東京DOME」というバー。この街で「ARENA下北沢」、「BUDOKAN下北沢」、「Gijido」などを展開する「呑もうぜグループ」の系列店だ。
人で賑わう駅南口
「BUDOKAN下北沢」の雰囲気が好きで、何度か行ったことがある。オーナーに打診したところ、「それなら、バーっぽい『東京DOME』の方がいいんじゃない?」と、トントン拍子に話が進んだ。
店は老舗劇場「ザ・スズナリ」の下にある
ふだんの取材ではあまり緊張しないが、今回はわけが違う。積年の夢が叶うだけに、数日前からドキドキが止まらない。初舞台を前にした役者のようである。
こちらがナイスバー「東京DOME」
カウンターには日替わりでいろんな店員さんが入るが、今回は「BUDOKAN下北沢」で顔なじみの山崎カズユキさん(40歳)が指導に当たってくれる。
ニックネームは「やまにょ」
彼の本業は
俳優だが、飲食業の面白さに魅了されて時々こうしてカウンターに立つそうだ。
本日はこちらのスタッフでお届けします
さあ、始まってしまった。時刻は19時半。開店準備をしたのち、20時に店がオープンする。
ちなみに、山崎さんが初めてお酒を出したのは3年前。
「初日はやっぱり緊張しましたね。お客さんに出した1杯目ですか? えーっと、ジントニックです。けっこう覚えているもんですね」
「さっぱり系」と言われたらサザンカンフォート
「まあ、ぶっつけ本番でいきましょう」ということで、開店前の短い時間で基本的な作り方だけを教わった。
メジャーで計量し、バースプーンでかき混ぜる
「メジャーは容量の少ない方が30ml、多い方が45ml。これで基本的なお酒は全部作れます」
いちいち洗う手間を省くために、こうして水に浸しておく。なるほど。
メジャーの持ち方
「まあ人それぞれですが、僕はこれが一番やりやすいので。このまま手首を返して右に置いたグラスにお酒を注ぎます」
奥に倒すと泡が出る…と
「ここは気取らないバーなので、ハイボール、ウーロンハイ、生ビールあたりがよく出ますね。たいていは、ウイスキー、リキュール、焼酎などのお酒と、炭酸水、トニックウォーター、ウーロン茶などの割り物との組み合わせでOK」
生ビールの泡は表面をすくう…と
「緑茶は粉を使っているので、緑茶ハイを頼まれたらまず氷を入れないお酒だけの状態でスプーンに半分ぐらい入れてかき混ぜてください」
女性に「さっぱり系」と言われたらサザンカンフォート…と
「氷をガッ」の作業がじつは楽しい
開店時間になった。不安は募るが、ちゃんと作れなくても殴られたりはしないはずだ。お茶目なてへぺろキャラでいこう。
20時10分、まだお客さんは来ない
「うちは午前3時までなので、盛り上がりのスタートが遅いんですよ」という山崎さんの説明を聞いている時、いらっしゃった。第一号のお客さんが。
女性だ
ハッ、これはサザンカンフォートのパターンか。そもそも、サザンカンフォートとはなんだろう。甘いお酒を飲まないので、まったく縁遠い世界なのだ。
果たして、オーダーはジンソニックだった。え、ジントニックなら習いましたが、ソニック?
すかさず、横から先生が「ジントニックに炭酸水を加えたものです」とナイスアシスト。
氷をガッ
この作業がじつは楽しい。れんげでチャーハンをすくうような、妙なカタルシスが得られる。
ボトルの場所がわからないバーテンダー
果汁が飛ばないように
「おいしくな~れ」と念じながら作るとおいしくなる
おぼつかない手元を見られていると思うと、緊張感も増す。たぶん、ここまでで5分ぐらいかかっている。
スプーンでグラスの底から全体を静かに混ぜる
「ジンソニックでございます」
初のバーテン体験だと伝えているため、いろいろと面白いようだ。
ひと口飲んで…
「わ、おいしい」と言ってくれた。ありがとうございます。
ここで山崎さんが「じゃあ、俺ももらおうかな。ジャックダニエルのソーダ割りで」。
うん、ハイボールならいつも飲んでいるので感覚はわかる。
「どうぞ」
こちらも、「うん、おいしい」とのお言葉をいただいた。
山崎さんいわく、「おいしくな~れ」と念じながら作ると本当においしくなるそうだ。今後はそうしよう。
店内のBGMがユニコーンの「働く男」に変わった。うん、まさにいま働いている。そして、BGMが耳に入ってくる程度の余裕も生まれた。
お会計後の伝票
「名前がわからない人は、見た目の特徴や話した内容を書いておくんです」
こうすると、次来てくれた時に「覚えてますよ」感が出せるのだという。山崎さんは、さらに詳細をメモしたノートも持っていた。すごい。
「シモキタボール」を下北沢名物に
夜が更けるにつれ、お客さんが次々にやってきた。常連の男性が生ビールを注文する。この近くで整骨院を営んでいるそうだ。
「昔、高円寺に住んでて、こないだ久しぶりに行ってみたら、もう完全にピーターパンでさ」
それを言うなら浦島太郎では…という言葉を飲み込みつつ、生ビールを作る。
嬉しそうに生ビールを出すバーテンダー
ちなみに、下北沢では「シモキタボール」というお酒を名物にしようとしている。ロックグラスに養命酒を注ぎ、レモンをちょっと絞り、炭酸水で割ったものだ。
ひと口飲ませてもらったら、おお、かなりおいしかった。
男気のあるデザイン
また、店には乾き物しかないが、すぐ近所の居酒屋「十七番地」から出前が取れるそうだ。
こだわりの串焼き
奥はマッシュポテトチーズ500円
それ以外で「いいな」と思ったのは、各スマホキャリアに対応した充電ケーブルを常備している点だ。
助かりますよね
話がだんだんバーテンダーから逸れていったが、こうしたホスピタリティも飲食店の魅力を測る物差しのひとつかもしれない。
ジャグリングはボールが偶数だと難しい
気づけば午後11時過ぎ。お客さんは、さらに来る。
男性客から「チンチン」と言われた。さすが、深夜になると下ネタ解禁かと思いきや、チンザノロッソとチンザノエクストラドライで作るハーフ&ハーフとのこと。
「あ、そのボトルね」
初めて来店したというのに、バーテンダーより早くボトルの位置情報をつかんでいる。
聞けば、彼は副業でサーカスやジャグリングのプロデュースをしているそうだ。ここで、隣の客が「ボールのジャグリングって最高何個までできるの?」と聞いた。
答えは「たしか世界記録が13個だったはず」。
チンチンからのボールトーク
「ジャグリングの運動原理から、ボールは偶数だと難しい」という話が面白かった。いまここにいないと一生知らないままの知識を得られるのも、バーの醍醐味だろう。
スピーカーから流れるのは銀杏BOYZの「BABY-BABY」だ。
近くのバーのマスターが休憩がてら来店
店は「みたび」というダイニングバーで、朝までやっているうえに料理がおいしいため、山崎さんは自分の店を閉めた後に時々行くという。
そこへ、「先生、SNSでの告知を見たよ」と言いながら塾講師時代の生徒が登場した。うわー。
右がその柴田、左は柴田の先輩
東久留米市で塾講師をやっていたのは27歳まで。当時、柴田は中学生だった。いまの年齢を聞くと34歳だという。
「いま役者をやってて、ちょうど下北沢の劇場で公演中なんだよ」
僕はおもに数学を教えていて、3年2学期の数学の成績を2から3に上げた記憶がある。それを伝えると、「そうだっけ? でも夏期講習の地理の授業が、なんか怪しかったのは覚えてる」と言われた。
うん、突然ピンチヒッターで頼まれた授業で、地理には一切詳しくないからしょうがない。
話を聞いていた常連さんがチケットを買ってくれた
テスト前しか勉強しなかった柴田は「
慈五郎」という役者ネームで活動しているので、皆さん応援してやってください。
お客さんのお酒を作ることを最優先に
そして、バタバタしているうちにあっという間に閉店時刻が迫ってきた。
明日に備えて帰っていく柴田たち
かなり密度の濃いひとときで、充実感がある。そして、ずっと立ちっぱなしだったので腰が痛い。
常に画面は割れている
今日はたくさんお酒を作った。慣れてくるとカウンター内での無駄な動きがなくなる。そして、たくさん話をした。常連さんから沢尻エリカママの最新情報も聞いた。
幸いにもシェーカーを振る機会はなかった
売り上げの計算をしている山崎さんに「人生初バーテンダー体験、どこがよかったですか? そして悪かったところは?」と聞いてみた。
「飲み込みが早いですね。やっぱり、お酒が好きな人が作る感じがしました。気づかいもバッチリ」
逆に改善点は?
「メモを取ったり伝票に書いたりするのは後回しにして、お客さんのお酒を作ることを最優先にした方がいいと思いました。ある程度続けて、常連さんが好きなお酒も覚えてくると、また違う楽しさが生まれますよ」
納得。
1日ありがとうございました
またやりたくなっています
店を閉めて山崎さんと「みたび」でお疲れさまの乾杯をした。カウンターの中と外では、こんなにも景色が違うのかと驚いた。
カウンターの中はステージだった。バーテンダー体験、一回だけのつもりだったが、正直、またやりたくなっています。今夜、すべてのバーで。