みんなたぬきに化かされてないか
たぶん、たぬきは目の前の人を化かして枯れ葉をごちそうに見せるが、Facebookに載った写真まで変えることはできない。
デジカメに念写する人もいないし、SDカードに入ったおまもりもない。信仰や伝説はデジタルと相性が悪いのだ。
こういうことである
図解してみたが結局はフィクションである。下書きまでして考える必要もなかった。
具体的な例をあげて説明したい。
これぞFacebookという写真である。僕がたぬきに化かされていたとしたら、ほかの人からはこう見えるという写真を撮ってみた。
こういうことになる。
「化かされているぞ」ボタンが欲しい投稿である。
自分にとっては居酒屋にいたつもりでも、他人から見たら雑木林でピースしているだけなのだ。こういう写真をあげている人がいたらたぬきに化かされていると思って間違いない。
はしゃいだ写真も
枯れ葉
自分で書いた「イタい」というコメントが自虐でもなんでもなくなっている。
『タノシイナー』
たぬきに化かされている人のFacebookを見ていこう
着地点のない記事書き始めちゃったぞ、という胸のざわつきには耳をかさず、たぬきに化かされている人のFacebookをもっと考えてみたい。
Facebookといえば肉だ。どうしてみんなそんなに肉ばっかり食べているのか。人間ドッグのコレステロール値でひっかかったりしないのか。
こんな肉を食べている人がいたとする
こんなものでありますように
会社だと思っていたのも
切り株かもしれない
iPhonePlusは大きいので
板だったとしてもわからない
悲劇である。当事者にとっては悲劇だけど他人には喜劇でもある。
チャップリンも人生は近くで見たら悲劇、遠くから見たら喜劇と言ってるので僕だけがひねくれているわけではない。
化かされているのは自分説
そしてFacebookといえばカフェでマックブック。
「競合とのSWOT分析の結果、インプレッションに違いがあることがわかりました」
カフェでも安心はできない。たぬきは現代のカフェを観察して僕の脳にプロジェクションマッピングしているかもしれないのだ。
「ハクビシンとたぬきって似てるけどさ、比べたら鼻がぜんぜん違うんだな」
電話もマックブックも板きれだ。たぬきに化かされている人の写真を撮ったのだが、デイリーポータルZではよく外でおかしなことをしているので写真に違和感がない。僕の自宅PCのハードディスクにはこんな写真が10万枚ぐらいある。
もしかしたら13年間たぬきに化かされているのかもしれない。
街で見かけたおかしな看板をよく撮るが、
森かもしれない
木
実際、この写真を撮ってるときにだんだん木がおもしろく見えてきた(30秒ほど見続けてください)。いよいよもってたぬきに化かされた人のウェブサイトかもしれないぞ。ここは。
スイーツでもそう思ったのだ。
Facebookといえばスイーツの写真もよく見かけますよねーということで
こんなスイーツも
本当はこんなだったりして。
たぬきに化かされた人のスイーツはこんな枝切れと葉っぱかな、と思ってそこらにあるものを拾って積み重ねていたのだが。
しかしなんだかいい感じになってしまった
だんだんいける気がしてきた。ドイツ生まれのお菓子でこんなのがあったような気がするし、乃木坂あたりに店があった気がする。いや、あったぞ。サクッとした甘い食感も想像できる。
食べてみたけど松ぼっくりでした
バースデー&診断ゲーム
Facebookに嫌味を言いたいだけの記事(言っちゃった)がだんだんこちらに矛先が向いてきたのでページ分けして気持ちをリセットした。
誕生日に「おめでとう」とずらりと並ぶのも、たぬきに化かされている可能性が高い。自分にとっては知人に見えても、ほかの人からはこうなっているのかも。
たぬきにしか祝われてない人
アイコンが猫や子ども、電車の人もいるがあれもたぬきみたいなものかもしれない。
しかし子どもがアイコンの人に仕事の催促のメッセージをもらうと中世の農奴みたいな気持ちになる。
リアルにはたぬきではないかと思うのがFacebookの診断ものである。
こんな見覚えがない結果が出たらたぬきに化かされている可能性大だ
しかしたぬきにメールアドレスを抜かれたところで家のポストにどんぐりを詰められるぐらいの被害しかなさそうだ。
ずっと化かされていたい
枯れ葉をお金だと思って拾っていたらだんだんそんな気がしてきた。
枯れ葉をバスタブにつめて「たぬきに化かされてる人の札束風呂」というイベントもいいかもしれない。
撮影しながらそんなことを話した。