特集 2015年12月18日

血と汗と涙と苦労の結晶で作られたボタ山を登る

普通の山に見えますが、ボタ山です!
普通の山に見えますが、ボタ山です!
日本にはいろいろな山がある。富士山や六甲山など挙げればきりがない。最近でもないが「山ガール」などという言葉も生まれ、山登りに出かける人も少なくない。

そんな山とは少し成り立ちが違う山がある。人工的に作られた山があるのだ。それが「ボタ山」である。石炭の採掘により生まれた山で、現在は普通の山に見えるけれど、鉱員の血と汗と涙と苦労の結晶なのだ。
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮

佐賀のボタ山

昭和初期、日本には炭鉱の町として栄えていた町がいくつもあった。九州にもたくさんの炭鉱があり栄えていた。多くの鉱員が石炭を掘ったのだ。24時間休むことなく掘られ、町はいつも人で溢れていた。
佐賀県の大町町にやってきました!
佐賀県の大町町にやってきました!
佐賀県の大町町もそんな炭鉱で栄えた町のひとつだ。大町町には杵島炭鉱というものがあり、幕末から明治まで様々な人が早い者勝ちで始めていた炭鉱を高取伊好氏が統合し、明治42(1909)年に創業した炭鉱である。
大町町は「タロメン」が有名
大町町は「タロメン」が有名
タロメンは鉱員が愛した味! 美味しいです!
タロメンは鉱員が愛した味! 美味しいです!
そんな大町町という「町一個多いんじゃね?」と思える町にあるのが、ボタ山である。現在では普通の山に見えるけれど、その昔は石炭の発掘で出る「クズ」の集積場で、どんどんと積み上げることで、いまでは地図に載るほどの山になっている。
この中にボタ山があります!
この中にボタ山があります!

炭鉱の力

知り合いの持ちギャグに、普通の山を指差し、「あれ何かわかる?」と言い、こちらが困っていると、「あれな、ボタ山やで」と言ってだますというものがあった。何が面白いのかピクリともわからなかったけれど、「九州人にはバカ受け」とその人は言っていた。
私は九州人なんです!
私は九州人なんです!
私は福岡県出身なので、九州人なのだけれど、そのギャグの面白がわからなかった。ただボタ山に興味を持ったのは事実だ。そこで、大町町教育委員会事務局の岩永さんにボタ山や炭鉱のことについてお話を聞いた。
大町町教育委員会事務局の岩永さんにお話を聞きました!
大町町教育委員会事務局の岩永さんにお話を聞きました!
大町町は昭和10年代には県内一の出炭量を誇り、人口も約24,000人ほどだった。閉山した現在は7000人ほどなので、石炭の凄さがわかる。昭和33年、大町小学校は86学級、生徒数4000人という日本一のマンモス小学校だったそうだ。
当時の小学校の運動会
当時の小学校の運動会
街には24時間活気があった。鉱員は三交代制だったので、常に誰かが石炭を掘り、常に誰かがお店を必要としていた。街には寿司屋やパーマ屋、映画館などがあり、眠らない街だった。新宿以外にも眠らない街があったのだ。
当時の街の様子
当時の街の様子
現在の街の様子
現在の街の様子
当時は「炭鉱の鉱員と結婚すれば食いっぱぐれない」と言われた。今のポジションで考えると「公務員」みたいなことだ。大学初任給の2倍ほどの給料があったそうだ。また10日ごとに給料をもらえるので、給料日が月に3回あることになる。これも街が常に賑わっていた要因だったのではないだろうか。
これが石炭です(ピカピカしていた、カメラのピンが合わなかった)
これが石炭です(ピカピカしていた、カメラのピンが合わなかった)
これは石炭を掘り出す道具のひとつ
これは石炭を掘り出す道具のひとつ
石炭は軽いと言われるが十分に重い。さらに石炭を掘り出す道具も重い。全てが重いのだ。鉱員は1日8時間石炭を掘り出していたそうだ。炭鉱内は火気厳禁で入る前に身体検査があるが、囮のライターとたばこを没収させ、無理矢理持ち込んだ人もいた。豪快だ。
資料館もあり、当時の様子を知ることができる!
資料館もあり、当時の様子を知ることができる!
作業にはダイナマイトを使うこともあったけれど、リュックで運んでいたそうだ。豪快。ダイナマイトは危ない気がするけれど、焚き火にいれても爆発しないらしい。むしろ雷管の方が危ない。これで怪我をする人は少なくなかった。
いろいろな資料を見せていただいた!
いろいろな資料を見せていただいた!

ボタ山に登る

鉱員が頑張って石炭を発掘するわけだけれど、掘ったものが全て、石炭というわけではない。多くは普通の石や土で燃料にならないのだ。しかし、掘り進める必要があるので、掘ったものを元の場所に戻すわけにはいかない。
このように貯めます!
このように貯めます!
そこで先にも書いたように、集積場を作りどんどんと貯めていくことになる。それが大きくなり、山になり、やがて地図に載るほどの大きさになるのだ。当初は酸性土壌だから植物が育たない山と言われていが、現在は努力や技術で緑化され、知らなければ普通の山と見分けがつかない。
このボタ山が、
このボタ山が、
こうなりました!
こうなりました!
ボタ山は掘ったら石炭が出てくるところもあり、山としては脆く、ほかの地域では立ち入り禁止になっているところも多い。オフィシャルでボタ山に登ることは本来難しいのだ。もっとも登ったところで、いまでは普通の山と変わらない。
公園にしました!
公園にしました!
大町町では、ボタ山を「ボタ山わんぱく公園」として、公園にした。上に登れば大町町はもちろん、佐賀平野を望むことができる。草スキーもあり、これが子供向けとは思えない斜度を誇る。当時の豪快さを狙ったわけではないが、どこか受け継がれている気がした。
見晴らしのいい公園です!
見晴らしのいい公園です!
すごい怖い
すごい怖い
豪快
豪快
見晴らしはいいけれど、地面を見て歩くのがボタ山の楽しみ。石炭が落ちていたりするのだ。私も探したけれど、驚くことに全ての石が石炭に見えた。岩永さんに、「これ石炭ですか?」とその都度聞いたけれど、「石だね」と言われた。パーフェクトだった。
岩永さんはすぐに見つけることができるけれど、
岩永さんはすぐに見つけることができるけれど、
素人にはどれが石炭とかわからない(矢印が石炭)
素人にはどれが石炭とかわからない(矢印が石炭)
これが石炭です!(言われたら軽い気がした)
これが石炭です!(言われたら軽い気がした)
地域によっては、ボタ山から石炭を探す人々もいたそうだ。ちなみに鉱員の奥様方の仕事の一つが掘り出されたものから、ボタと石炭を分けるものだった。そして、石炭でないものが山になるのだ。この街には多くの歴史がある。大町町は来年2016年には町制施行80周年になるそうだ。
寂しい感じの顔ハメもあった
寂しい感じの顔ハメもあった

ボタ山に思い出

ボタ山だけを見る予定だったけれど、当時の様子を知ることもできた。国のエネルギー政策が石油へと移行したため、掘ってもコストに見合わないということで、この炭鉱も昭和44年に閉山して、街の活気も徐々になくなっていったそうだ。ボタ山で石炭を見つけた時の私の活気はすごかった。石炭は美人並みの力を持っている。
唯一今も残っている当時の施設
唯一今も残っている当時の施設

協力・写真提供
大町町教育委員会
http://cms.saga-ed.jp/hp/omachi-t/home/homeMain.do
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