中国の故事成語「臥薪嘗胆」
かつて神童だった大北です。子供のころマンガの『日本の歴史』が好きで、好きすぎてマンガ『中国の歴史』まで家にあったんですね。好きすぎると国が変わってしまいます。
そこに出てくるのが臥薪嘗胆の逸話なんですね。
先代の仇を忘れないために毎日薪で寝た王様がいました。そして同じように恨みを忘れないために胆をなめる王様も。
薪(たきぎ)で寝るのが「臥薪」このつらさが恨みを維持する
苦い胆(きも)をなめて恨みを忘れないようにする「嘗胆」。合わせて臥薪嘗胆
おもしろいぞ、臥薪嘗胆
マンガですが薪の上で寝て痛そうにする人、そして胆をなめて苦そうにする人を見た感覚、今でも覚えてます。どうやらこれはなんかおもしろいことしてるぞと。
あれを実際にやったらどんな感じなんだろう。今になって思い立ってたきぎを取り寄せてみました。
さあカモン! インターネット! ピーヒャララ~
ヨドバシカメラからその日中に届いた薪。たきぎで寝るにも便利な世の中です
薪がとどく
たきぎなんてあるのかなと思ってましたが、ヨドバシカメラの通販でその日中に届きました。
呉王闔閭の仇を忘れなかった夫差さん、見てますか……世の中はたきぎで寝るのにすごく便利になりましたよ。
「ベッドに」とは書いてないですよね
軽くて運びやすい、乾いててよく燃える、カタくて痛い、3拍子そろってます
これが寝具としての薪、イガイガです。大塚家具がこっち方面にリニューアルしたなら先代の反対も道理だと思いますが…
痛い! とくに頭が痛い!
いってえ……とにかく寝てみましょう
一応眠れます
寝っ転がってみるとやはりゴツゴツしてる。酔っ払って外で寝て「寝にくいなー」と思ったことないですかね。あれのきっちり7倍寝にくいです。
あと臥薪嘗胆するときにパジャマ着るのか問題があると思うんですよ。おまえはつらい目にあいたいのか楽したいのかどうかという。
でもこれはパジャマじゃなくて服が必要。ささくれがささりそうなんですね。そのつらさが臥薪嘗胆だろという理論もありますが、その理論は死への一直線をアクセルベタ踏みですからね。
木の香りはいい匂いだなー、臥薪嘗胆ってリラックス効果は高いなーとかはあるんですが総じて(こんなもん寝れるか!)と思います。
とはいってもぼくは眠れなかったことがないので寝れましたが。
痛え。起きてからのほうが夢っぽい現実
クッションの悪さで恨みを維持しよう!
一応寝れましたがうなされます。痛くて何回も起きます。
目がさめて体勢変えようとするんですけど、変えたところで痛い。これ笑います。寝てるときに痛さに笑うってあんまりないと思うんですけど。なんなんだこれって笑いますよ。
起きてみると背中がバキバキ。多分たきぎに合わせた形になってたことでしょう。あとは喉が痛かった。保温力ないんですね。たきぎ。燃えてないし。
あー、痛かった。
それにしてもクッション性の問題で恨みを維持しようとするこのシステム、なんなんでしょうか。恨み言を紙に書いてトイレにでも貼っておけばいいのに……
あー、いってえ、腰痛っえ! 寝返りゼロでバキバキしてます
多少恨みが発生するが、たきぎに対して
さて寝る前はなんの恨みもない状態だったんですが、薪で寝てなにか変わったのでしょうか。
もちろん基本的にはイヤな気分です。朝のニュースに大体3割増しでいらつきました。その背景にはもっと大きな恨みがあったのでしょう。先代の仇というより薪の硬さについてです。
たきぎ……たきぎめ……なんであんなカタいところで寝ないといけないんだ……と薪に恨みをいだきます。
でもそこから「そうだ、先代を殺されたからおれがこんな目に!」とはなかなかならないと思うんです。論理の飛躍がありますよね。
だからちょっと頭をやわらかくしておかないと臥薪嘗胆ってできないと思うんですよね。
「わー、おもしろそう、寝た~い!」と娘。この血は続くのかもしれません
嘗胆は熊の胆だそうですが…
さて残すは臥薪嘗胆のアブノーマルな方、苦い胆をなめるんですが……検索するとどうやらあれは熊の胆だとか。熊胆(ユウタン)という漢方薬なんですね。
じゃあいっちょ買ってみるかと検索したり電話したりすると一応1グラム5800円で売ってるところを見つけました。覚せい剤じゃないんだから、って思うでしょ。
でも覚せい剤で検索すると「末端価格1グラム数万円」って出てくるんですね。さすが! これが末端価格というものか! となりました。
熊膽圓Sという胃腸系にきく薬があります。元は熊胆なんだと思いますが
牛の胆になりました
ところがですね。熊胆で検索すると採取法がかなりエグいんですね。ここで「熊ちゃんがかわいそうだろ!」と、5,800円の出したくなさから熊胆反対派にまわります。
代わりに登場するのが市販薬の熊膽圓。これは牛の胆汁を使ってるそうなんですね。元々なんの胆かははっかり書かれてないので苦ければこれでもいいのではと。
これでもいいというか、元々頼まれてないこと勝手にやってるので何やってもいいんですけど。
今は牛の胆汁なんですね。あとセンブリなど苦そうなものも入ってます
しっかり苦いです
熊の胆じゃなくともご安心ください。しっかり苦いです。罰ゲームで有名になったセンブリとか入ってるので。熊じゃないけど苦くしときましたんでというメッセージしか伝わってこないですね。
口に入れるとほとばしる苦味。唾液によって口中いっぱいに広がります。いつもはこのまま飲みますが今日はここで我慢です。
口の中が苦味でいっぱいになります。唾液がしみでて、しみじみ苦い。慣れることなくずっと苦いです。
夜はたきぎで寝るわ、昼は熊の胆なめるわ、ある種の非行ともいえます
苦え! だがこの顔、見覚えがある! 水木しげるが描くサラリーマンだ!
ここから飲まないで我慢! 苦さがしみわたります。
気づいたらズボンのすそをしっかり握りしめていました。子供の注射みたいだ!
コーヒーが甘いという逆転現象がおきます。薬を飲んだあとも口がしばらく苦い。
怒! 怒!
怒! 怒! 怒!
これが臥薪嘗胆後の感情をぶつけてできた鬼瓦です
鬼瓦を作りました
一体どれだけ負の感情が増幅したかなと思って鬼瓦を作りました。
手塚治虫の漫画『火の鳥 鳳凰編』で主人公は理不尽な社会の怒りをぶつけて鬼瓦を作るんですね。そのときのキャプションは「怒! 怒!」だったと思います。
なのでぼくも(怒! 怒!)と思いながら作りました。読み方は「ドッ。ドッ。」でした。
二日目(まだつづきますよ!)飲んで帰ってきて薪を見たときの写真
二日目、あのダンボールハウスがうらやましい
臥薪嘗胆は毎日行われたらしいのでぼくも三日くらいはやってみようと思います。
この日は新宿を通りがかったとき路上で寝られてる方々の家を見かけました。寝やすそうだなと思いました。どうして呉の王、夫差はダンボールで寝て恨みを忘れないようにしてくれなかったのでしょうか。
寝具が薪という軽い絶望
外で飲んでたんですが家に帰らない旦那の気持ちもちょっとわかりました。「これ(ふとん)がこれ(たきぎ)なもんで」というやつです。
食べてるときには舌をかみました。体全体が疲労してるのでしょう。実感できるほどバキバキですから。
最後の方は「薪で寝たくねえ! 寝たくねえよ…!!」とそのままの言葉が口をついて出て驚きました。
どうやら恨みは確実に醸成されるようです。ただし薪に、ですが。
枕を導入しました。酔いにまかせていったれ!
二日目の薪、よく寝れた
実は初日は子供の寝かしつけに失敗して5時間布団で寝たうえでの薪での2時間だったんです。でも今日は午前1時就寝。6時間くらい寝る予定です。
起きたのは5時半。痛え、と目がさめます。少し体を動かすとミシミシと木が鳴ります。そして寒さ。寝具が木だと通気性がよすぎるんですね。なぜ人は木で寝てこなかったのかよくわかります。
でもそこから一時間寝られました。痛えという気持ちは変わらないものの、よく寝たなという充実感はありました。
痛ぇ、痛ぇ、おはよう世界。バカじゃないの!という気持ちもあります
そして今日も胆は猛烈に苦いです。でもやりすごすコツもおぼえはじめました
慣れてきたのではないか
もしかしてこれは慣れてきてるのではないか。二日目の胆なめ中に思いました。
苦いのは相変わらず苦いんですが、やりすごす方法を編み出してるんです。(…どうして人間は苦いとイヤなのだろう。…苦味? そもそも苦いってどういうことだ?)と根源を問うようにすればやり過ごせるんです。でもこれって拷問中の人の発想法ですよね。
朝も起きてきたとき思ったんです。辛いのは辛いけどよく寝れたなって。あー、よく寝た、という感情が先に来たんですね。
人間はこんなことでも慣れるのかと。臥薪嘗胆システムもしかしてウソなのではないか?という疑念がここで頭をもたげます。
コーヒーの甘みに喜びを感じます。これは慣れてきたのではないか
怒! 怒!
ぶつけろ! 貧民への圧政を、自然現象の理不尽さを! 怒りを鬼瓦にぶつけるんや!
こうして二日目の鬼瓦ができました。
恨みをためながら胃腸に良い臥薪嘗胆
二日目は日中にサッカーをしました。体はこてんぱんに疲れてましたが、いつもと違って背中が痛い。何かなと考えたら薪で寝てるせいでした。これ毎日疲れそうですね。
それと飲んだ翌日なのに胃腸が元気です。熊胆も胃腸薬的な効能があったんですね。臥薪嘗胆は背中に悪く、胃腸に良いという効能があるようです。
3日目。もうなれたもので「これから(薪で)寝ま~す」というアイドルの自撮りみたいな気分です。パジャマはジージャンなどの分厚いものが臥薪嘗胆にはぴったり。
なぜおれは風呂あがりにジージャンを着てるのか
夜、風呂に入って体をきれいにしてからジージャンに着替えます。寝るときには分厚い服の方がいいんですね。
風呂入ったあとジージャンの袖に手をとおすと(バカじゃねえの)って思いますね。思ってなくてもそういう音がジージャンからしてきます。「バカジャネエノ!」って。
よく寝たしジージャンだし慣れてきたので余裕が生まれます。木の香りがただよってきて、はは~ん、薪で寝るのもいいものだなという気さえしてきます。
人間は慣れる! 恨みなんてそもそもなかったんだし、今日はよく寝られることでしょう!
イヤじゃあ、もうこんなんイヤじゃあ、という気分に。慣れてなかった
3日目の胆なめ。無我の境地にいたって感覚を殺すという方法を編み出します
慣れたうえで飽きた
3日目の臥薪を経て、起き出すとやっぱり痛い。よく寝れたものの(……もうええっちゅうねん)という痛みです。
なぜか納得のいかなさがここにきて生まれました。平面に寝てるのになんでこんなに痛いのか納得できないんです。
嘗胆も苦い。抵抗感はなくなったもののやっぱり苦いのは苦い。感情を殺して苦さをやりすごすという方法は生きてるものの、なんというか飽きたんです。
慣れたのは慣れた。しかしそれでも(……もうええっちゅうねん)という飽きにも似た怒りがこみあげてきました。
臥薪嘗胆、これは思ったよりも複雑な恨み維持システムかもしれません。
はいはい、怒! 怒! 怒!
思ったよりも怖いものができた
初日→2日目→3日目 鬼瓦が育ってきました。本気でイヤになってきたのがよくわかりました
恨みは形を変えながら育つ
初日は大きな負の感情を抱きます。どこにもぶつけられないやるせない気持ちです。
二日目のお昼くらいに5歳の娘の友達が泊まりにきました。この木はなんだ?と言ってました。説明してあげたかったんですが、ぼくには何も言えませんでした。
人が泊まりにくると布団が足りなくなるのですが、今日は薪があったのでちょうどよいなとさえ思いました。薪に対して慣れのような感覚があったのです。
三日目になるともういいだろうという気持ちになります。しかしそれでも続きます。薪も、胆も、そして先代の仇も恨みもつづくのです。
少しずつ形を変えながら負の感情は育っていきます。次第にその負の大部分は「もうええっちゅうねん」になってきます。つまりその根源は臥薪嘗胆そのものなのです。
憎しみの連鎖。それは憎しみを忘れないというその決意に宿ることもあるのではないでしょうか。薪で寝ずにふかふかの布団で寝よう。甘い飴をなめよう。
以上、世界への提言でした。
鬼瓦、五歳児にすぐつぶされケーキに変わる。憎しみが甘いものに!