『シチューうどん』を求めて大阪へ
案内人のナオさんによると、シチューうどんを出す店は大阪に2軒あるらしい。1軒だけなら『個性』ですませられるが、2軒あると『地域性』と呼べる共通点があるかもしれない。
まずやってきたのは、通天閣や天王寺動物園の近くにある『あづま食堂』。新世界と呼ばれるこのエリアのネーミングと、シチューうどんという正体不明の食べ物という組み合わせに心が躍る。
『あずま』じゃなくて、あくまで『あづま』なんですね。指をさしているのが案内役のナオさん。
この店は2014年10月から改装工事をしていて、リニューアルでシチューうどんがどうなるのかと危惧されたそうだが、ファンの期待を裏切ることなく、看板メニューとして堂々と残ってくれたそうだ。
赤字で書かれたシチューの文字。なぜこの並びにシチューが。
看板には『名物シチューうどん』と書かれている。まさに看板メニューのようだ。
まずはシチューうどんを想像して楽しもう
ナオさんの情報によると、以前はテーブル席もあって飲み屋寄りの食堂だったそうだが、新しくなった店内はカウンター席だけとなっている。
冷蔵庫に入ったセルフサービスの小鉢は、ご飯のおかずにもなり、酒のつまみにもなるのだろう。勝手な思いなのはわかっているが、一度は前の店舗でシチューうどんとやらを食べてみたかった。
あの冷蔵庫の扉を開けて一杯やりたいが今日は我慢だ。
注文するものはシチューうどんの一択だが、この店におけるシチューうどんのポジショニングを確認するために、メニューを確認してみようではないか。
ここではカレーは丼物の隣だが、シチューはめしと味噌汁に挟まれている。なるほど、そういう感じね。
そして下の段に目を移すと、カレーうどんの隣に並ぶシチューうどん。ふむふむ。
左上の『玉吸』ってなんだろうと調べたら、お吸い物に卵を浮かべたものらしい。『たますい』ではなく『ぎょくすい』。
これらの情報から察するところ、そば屋のダシ汁でルーを溶いた、和風のシチューといったところだろうか。カレーうどんのシチュー版である。
問題は白いクリームシチューなのか、茶色いビーフシチューなのかだが、カレーうどんとの対比を考えるとクリームシチューなんだろうな。きっとグリーンピースが乗っているに違いない。
となると、具は親子丼からコンバートされた鶏肉とタマネギあたりだろうか。
「まあ頼んでみればわかるよ」と、余裕でビールを継ぐナオさん。
私はシチューうどんを注文したのだが、ナオさんはシチュー単品を頼んで、それをビールのつまみにするそうだ。
ははーん、ビールのつまみになるシチューとなると、ビーフシチューの方かもしれない。わかった、メニューにある豚汁をベースに、味噌の代わりにビーフシチューのルーを入れたものだ!
……こういうどうでもいい予想をしながらのビールが最高にうまいのよ。
これがシチューうどんの正体だ!
厨房をのぞいていると、なにかが小鍋で温められている。あれこそが、きっと我々が注文したシチューなのだろう。
さすがは食にうるさい大阪で生き残ったメニューだけあって、かけうどんにレトルトのシチューを掛けるというような、単純なカラクリではないようだ。
さあさあさあ、白か茶色か!クリームかビーフか!
そして目の前に差し出されたシチューうどんは、白かった。
いや、白いからクリームシチューだとは限らない。
白いというか透明なのだ。
まさかの透明なシチュー!
具は牛肉とジャガイモとタマネギ。ニンジンこそ入っていないが、ビーフシチューの材料である。
しかし、肝心のルーが入っていない。これはシチューを作る途中の、ルー次第でカレーにもなれるやつだ。
子供の頃、母親がこの状態から鍋を分けて、カレーとシチューを同時に作っていたのを思い出した。
これって『カレー・シチューの前段階うどん』だ。
とりあえず汁をすすってみると、いい塩梅の塩味がついていた。
野菜の甘みと牛肉の旨味が塩で引き出されている。どの辺がシチューなのかはよくわからないが。
うどんはコシという概念を持ち合わせていないフワフワ系で、これがあっさりしたシチューとよく合う。
あえて名前を付けなおすとしたら、和風ポトフうどんといったところだろうか。 和風って書いたけれど、特に和風の要素はない気もする。丼くらいか。
さすがに意外だったけれど、この味はかなり好きだな。
ナオさんが、「この塩味のシチューが、しみじみうまいんだよな~」と、うどんの入っていないシチュー単品をすすりながらつぶやく。
今日はシチューをつまみにビールだが、お腹が空いているときはシチューとかやくご飯を組み合わせるのが最高なのだとか。なるほど、確かに白いご飯よりも、これには味のついたご飯が合うのかもしれない。
蕎麦屋で常連客が『天抜き(蕎麦なしの天ぷら蕎麦)』を頼むかのように、うどん無しのシチューでビールを飲むナオさん。
シチューうどんの歴史と作り方
お店の方に伺ったところ、このシチューうどんは60年くらい前からこの店のメニューに存在していて、当時はかやくご飯とシチューという組み合わせが定番だったそうだ。それを聞いて、俺の食べ方は正しかったんだと喜ぶナオさん。
そして忙しい人がササっとかっ込めるようにと、最近になってうどんを入れるようになったというのが、シチューうどんの成り立ちとのこと。最近といっても30年くらい前の話らしいが。
市販のルーが簡単に手に入るようになっても、このままの味を貫いているのがすごい。
「このシチューに胡椒が合うんだよな~」とご機嫌のナオさんに、「あら、それ山椒よ」と突っ込む店員のおねえさん。
これの作り方を伺ったところ、ジャガイモとタマネギを塩と水だけで煮て、最後に牛肉を入れるという超シンプルなものだった。うどん屋なので昆布か鰹節くらい入っているかと思ったら、意外にも一切なし。それでこの味ができるのか。
しかしこだわりもあって、その日に作ったシチューは野菜の味がスープに溶け込んでいないので、昨日の残りを足して仕上げるのだとか。
熱心に話を聞いていたら、おねえさんが今朝作ったばかりのものを試食させてくれた。確かにあのまろやかな甘さがない。なるほどー。
「ね、ちがうでしょ!」
私たちがメニューを見ただけでシチューうどんを頼んだので、「ここ初めてじゃないでしょ。普通はシチューってなに?って聞くから」といわれた。
シチューうどんを出す店は、ナオさん調べで大阪に2軒だけなので、府民なら誰でも知っているという訳ではないようだ。
前に親子連れが来店して、シチューを頼んだら予想と違うものが出てきて、子供が大泣きして困ったらしい。その子の気持ち、ちょっとわかる気もする。
二軒目は『かね又』へ
銭湯での休憩を挟んでやってきたのは、天神橋筋六丁目にある『かね又』。シチューのはしごなので、シチュー引き回しである。かね又を一字で表した暖簾の文字がかっこいい。
店の看板には『特製シチュー』の文字がデカデカと掲げられているが、やはり塩味のあれなのだろうか。
板東英二さんがよく来る店らしいです。きっと「チュ」にアクセントを置いて「シチュー」と呼ぶんだろうな。
店の外に掛けられたオススメのメニューでは、ハンバーグ定食の隣にシチュー定食が並んでいた。
ということは洋食系か。ここはドミグラスソースとかを使った茶色いタイプのような気がするぞ。
白菜煮定食の渋さも素晴らしい。
しかし店内に入ってみると、雰囲気がビーフシチューという感じではないので、クリームシチューという線もあるな。
いや、あづま食堂と同じ塩味という可能性も捨てきれない。とりあえず注文をして、じっくりとメニューを眺めながら想像しようではないか。
志村けんのコントに出てくるような食堂らしい食堂。
シチューにだけ『かね又特製』の文字が付いている。カレーうどんと並んでいるから、やっぱりクリームシチューなのかも。そしてシチューそばはないのか。
やはりシチュー定食が人気らしい。昔ながらの玉子焼きとセットのシチューとは一体。
ここでもビールとシチュー単品を頼んだナオさん。彼の中では定番の組み合わせらしい。
やっぱり塩味のシチューだった
しばらくして出てきたシチューうどんは、牛肉とジャガイモとタマネギが入った塩味のスープという、さっき食べたあづま食堂のシチューうどんとまったく同じ構成だった。
なるほど、大阪でシチューうどんといえば、やっぱりこのタイプなのか。まあこの二軒しかないんだけど。
どんなのかわからないものが出てくる瞬間がたまらない。
なるほど、シチューうどんはやっぱり塩味なのか。
さっそく食べてみると、フワフワとしたうどんの感じも、あづま食堂に通じるものがある。具の野菜が少し煮崩れていて、味も少し濃いようなので、シチューを煮込んでいる時間はこっちの方が長いのかもしれない。
ご主人に聞いたところ、味付けはやっぱり塩だけだそうだが、これが焼肉屋で食べるテールスープのようにうまいのだ。
昼間っからシチューでビール。昼酒であり汁酒でもある。
戦後の食糧難で生まれた大阪風シチュー
このシチューは戦後すぐからある人気メニューとのこと。今は一店舗だけのかね又だが、昔は支店がたくさんあったそうなので(ここは支店だが本店も残っていない)、今でいうご当地B級グルメみたいな感じで、大阪ではある程度食べられていた料理なのかもしれない。
ナオさんの豆知識によると、織田作之助の『アド・バルーン』という作品に、かね又のシチューが出てくるそうで、その初出が1946年だから、まさに戦後すぐだ。
戦後の食糧難の時代に、これをシチューだと言い張って出した人がいて、その味がそのまま今日まで脈々と続いているという、終わることのない物語(と書いて“ネバーエンディングストーリー”と読もう)。
このシチューうどんという食べ物を、すごく好きになっている自分がいる。
うどんを入れるようになったのは、あづま食堂と同じく30年位前からだそうで、きっとその頃、シチューにうどんを入れるブームがあったのだろう。
シチューに入れたのが、ご飯じゃなくてうどんというのが、なんだか大阪らしくておもしろい。
「シチューにはやっぱり山椒だよね~」というさりげない発言に爆笑。
大阪のごく一部の店でだけ食べられる、戦後すぐの味がそのまま残された食の重要文化財。今の時代に食べても、それがちゃんとうまいというのが素晴らしい。
こんなにうまいのだから、大阪名物としてもっと普及してもよさそうなものだが、他のうどんが共通の和風出汁を使っているのに対して、これは根本的に作り方が違う。
シチューうどんを出すためには、そのためだけに鍋を用意して仕込まなければいけないので、普通のうどん屋だと提供は難しいのかもしれない。
自宅でも作れるけれど店で食べたいシチューうどん
カレーを作った翌日、あるいは翌々日に、残りのカレーを使ってカレーうどんを作る家は多いと思うけど、ルーを入れる前に取り分けておいて、ぜひ塩味のシチューうどんに挑戦してもらいたい。と思ったけれど、あれはあの店で食べてこそだよなという気もする。
私もシチューうどんを作ってみたのだが、ついついニンジンを入れたり、めんつゆを入れたりしてしまって、よくわからない食べ物になってしまった。歴史と伝統を守ることの難しさを知った。