山の神なのに川魚
まあ、そんなにもったいぶっても仕方ない気がするので早めに白状しておく。ここで言う「山の神」の正体はランナーでもなければもちろんゴッドでもない。まんま「ヤマノカミ」という名のフィッシュである。しかもわりと小さめの。小魚のくせに「神」だと。しかも、水棲のくせに「山の」ときている。樹に登ったことも、土を踏んだことすらもない分際で「山の神」!
…まあ、当然彼らが名乗ったわけではないのだが、なぜそんな名前が付いたのか。腑に落ちないので探し行ってみることにしたのだ。
濁った水と干潟で有名な有明海。この海はヤマノカミ以外にもムツゴロウやワラスボなど珍しい魚をたくさん育んでいる。
ヤマノカミは有明海に注ぐ河川に生息している。僕は都合よくも長崎の在住なので、福岡・佐賀地方へ海沿いに北上しつつめぼしい川をチェックしていくことにした。
こんな感じの川を河口側から遡って捜索する。
長崎では見つけられず
狙う季節は晩秋。冬に入り水温が下がりすぎると産卵のために海へ下り、死んでしまうからだ。じゃあせめて暖かい春や夏でも…とも思うが、その頃はまだ体が小さく、後述する「婚姻色」がちゃんと出ていないので、その魅力を十二分に楽しめないと考えたのだ。
まだ冬本番ではないが、川に膝までつかるとやっぱり結構寒い。
まずは長崎県内の河川から探っていく。個人的には地元県の川で発見できれば最高に嬉しいのだが。
捕れるのはフナや
ウキゴリやというハゼや
同じくハゼの一種であるドンコなど。ヤマノカミは見当たらない。
川に入るとドンコやチチブといった魚たちが多数目につく。しかし、ヤマノカミの姿はなかなか見つからない。地元の方に聞いてみても「昔はいたけど最近は見てないなー」というお返事。
長崎県内のヤマノカミはもはやかなり希少な存在になってしまっているようだ。単に僕の探し方がヘタクソすぎただけの話かもしれないが。
有明海は魚介類も独特なら漁法もユニーク。佐賀県太良町の大浦地区は「もぐり」という潜水漁発祥の地。
仕切りなおすとあっさり見つかる
初日を長崎で費やしたが成果は得られず。というわけで二日目からは福岡・佐賀地方へ足を伸ばしてみることにした。
佐賀の水産直売所で見かけた看板。「くちぞこ」とは「くつぞこ」の訛りで、有明海で珍重されるシタビラメの一種。
ヤマノカミは夜行性が強い。日中は川の下見をしつつ、太良や柳川の魚屋を覗いて時間をつぶす。
柳川は風景もいいし鮮魚店が集中していて楽しいよ。
有明海ではワラスボとかムツゴロウとかシャミセンガイとか、変わった魚介類がたくさん獲れるので、魚屋さんや道の駅の鮮魚コーナーがちょっとした水族館よりもエキサイティングなのだ。
ワラスボはやはりかわいい。
海の幸の後は、再び山の神を探す。
明るいうちに見当をつけておいた川に入り、ライトで浅瀬の水底を照らすと…。
おおお!この方は!
あっけなく結果が出た。開始早々にヤマノカミが現れてくれたのだ。ハゼの仲間に似ているが、大きな胸鰭で区別がつく。
とにもかくにも間近で見てみたい。神様に対して畏れ多いことですが、ひとまず捕まっていただきます。
ヤマノカミ!でも雰囲気はドンコとたいして変わらないような。
顔が!オレンジ色!
これがヤマノカミ!…と言われても、神様っぽいというか目立つ要素は特にないように見える。体の大きさも十数センチほどで、むしろ地味めの小魚と言った印象。やはり山の神なんていうネーミングに名前負けしているのでは?
ん?なんか鰓のところが…
という疑念はすぐに消えた。タモ網で掬うという罰当たりな行為に怒った神が鰓を広げて威嚇を始めたのだ。
鰓ぶたがオレンジ色!
鰓ぶたは鮮やかなオレンジ色に染まっている。怒って膨らんだ顔はライオンのように厳つい。川魚らしからぬ形相。かっこいい!
ちょっとちょっとー
かっこよすぎじゃない?ヤマノカミ。
広げたヒレもかっこいい。これだけはっきりオレンジ色が入っている日本産の川魚ってそうそういない。
頭部以外だと胸鰭の付け根や
尻鰭の根本、
尾鰭もわずかだが朱色に染まる。
威嚇している間は身体を硬直させており、仰向けにしてもなかなか動かない。
こちらはさらに婚姻色が淡い個体で、鰓ぶたが山吹色。でも、これはこれで綺麗。
角まで生えとる
独特の威厳を醸し出しているのはカラーリングの妙だけではない。顔をよく見ると、ある特徴に気づく。
神様、失礼ですがあなたお顔がゴツゴツしていらっしゃる…。
というかあなた…
角、生えてません?
生えてますよね?
そう、このヤマノカミ、頭に短いけれど立派な角のような突起が生えているのだ。
幅の広い頭と大きな口も相まって、鬼のような顔つきをしている。
正面顔はこんな感じ。
ヤマノカミはカジカ科に分類される魚で、日本の淡水性カジカ類ではもっとも南に分布する種。だが、この顔面ゴツゴツ加減はどちらかというと海産のカジカに近い。そう、やっぱり身内のカジカファミリー内でも川魚っぽくないビジュアルなのだ。
後ろから見ても尖っております。
「ヤマノカミ」という名は季節ごとに川へ現れては消える生態と、その独特の容姿を山の神信仰になぞらえて付けられたのだろう。
ちなみに、山の神信仰ではヤマノカミと同じく厳つい顔をしたオコゼを供える習わしがある。オコゼもヤマノカミも、ともにカサゴ目に属す遠い親戚同士。これはただの偶然…とも言い切れないかも?
捕まえたヤマノカミは撮影後に逃がしてやったが、威嚇したまま固まってしまい、なかなか泳いで行かなかった。
仰々しい名前にも納得
実際に捕まえて観察してみると、ヤマノカミという厳かな名前にも納得がいった。その響きに負けない立派な姿をしていたし、ここに生態のミステリアスさが加われば、先人がこう名付けたことも頷ける。
魚類界のキラキラネーム。というわけではなかったよ。
山と言えば、有明海沿岸は緑も豊か。今度は夏にお邪魔しよう。