「用例採集」ってなんだ?
今回参加したのは足立区生涯学習センターでおこなわれた「辞書っておもしろい~国語辞典づくり講座」という教養講座だ。
講師は、日本語学者で早稲田大学非常勤講師の飯間浩明先生。実は飯間先生は「三省堂国語辞典」の編纂委員をつとめる現役の辞書編纂者でもある。
講師の飯間先生
ところで、「用例採集」っていったい何なのか? かいつまんで説明しておきたい。
国語辞典に載っている言葉は、ただやみくもに集められて載せられているわけではない。
国語辞典に掲載するための、現代語や新語、あるいは今まで辞書に載せてなかったことばを、実際どのような場所で、どんなふうに使われたのかを記録し、集める作業を「用例採集」という。
特に飯間先生が編集委員を務める「三省堂国語辞典」のように、現代語や新語も積極的に掲載していくという方針の辞書の場合、「用例採集」はとてもたいせつな作業だ。
例えば、昨年(2013年)「三省堂国語辞典」の第七版が出たさい、ネットスラングであった「キター!」や「w」などが辞書に掲載されたとして話題になった。
「w」は「ダブリュー」の中にあった
これらの「w」や「キター!」などの言葉も、実際に使われた例を「採集」し、記録にまとめ、編集会議で国語辞典に載せるかどうかを検討され、辞書に掲載されたのだ。
新しい意味でつかわれはじめた言葉も「用例採集」
「用例採集」は「w」のような全く新しい言葉だけではなく「キター!」のように、今までの「来た」とはすこし異なった使い方がされるようになった言葉も採集するところがポイントだ。
例えば「替え玉」という言葉。従来の辞書には「ほんものの代わりにつかう、にせもの。代わりの人」という意味しか載ってない。
しかし最近ではラーメン屋などでおかわりの麺のことを「替え玉」というのも一般的だ。こういった新しい意味が生まれた言葉も「用例採集」の対象である。
そういう場合は(麺のおかわりという意味の)「替え玉」が実際に使われているところを写真に撮るなり、メモするなりして「用例採集」をする。
「替玉」
その後、編集会議を経て掲載ということになれば「替え玉」の項目に新しく「ラーメン・うどんなどの、おかわりのめん」という語釈(言葉の解説)が追加されるわけだ。
最新版の第七版では新しい意味が追加されている。
従来「用例採集」は、書籍、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどで使われた言葉から採集するケースが多かったのだが、「三省堂国語辞典」はそれだけではなく、市中の看板などからも用例を集めるのが他の辞典とはちょっと違うところなのだ。
かいつまんで説明したつもりが、長くなってしまった。
ようするに、このワークショップは、町の中にある辞書に載せるべき言葉を歩いて探す。そして、その集めた言葉の中からいくつかを選んで自分で語釈を書く。という、国語辞典作りの一番楽しそうな部分だけをちょっとだけ体験できる、むしのいい企画である。
千住の商店街で「用例採集」開始
さて、用例採集をするために集まったのは足立区北千住。「用例採集」参加者は神社の境内に集合した。
北千住の神社に集合
飯間先生の説明を受ける
飯間先生のいう用例採集のポイントは次の通りだ。
1、国語辞典に載ってるかどうかは気にしなくてもいい。
2、気になった言葉はその前後の文脈を含め、採取した場所や状況、日時を正確に記録しておく。
3、写真が撮れれば周りの様子を含めて撮影をしておく。
言葉を見つけても、前後の文脈や、採取した状況もしっかり記録しておかないと、後で見返したときに「これ、いったいどういう意味で使われてたんだっけ……」となってしまうので、特に2は重要らしい。
写真も、文字だけ撮るのではなく、周りの状況も含めて撮影しておくのは、あとでなんのことだか分からなくなるからだ。
目に飛び込む文字が全部怪しくなってくる
さっそく、小グループにわかれて商店街にくりだす。不思議なもので「言葉を探すぞ」と思って町を歩き始めると、どんな文字もなんだか怪しい光をはなつように見えてくる。
炙り? 麺なのに?
町の中でいちばん目を引くのは、やはり店の名前だろう。思わず足が止まってしまうが、店名は固有名詞なので「用例採集」の対象ではない。
ただ、店名ではなく、商品名に関しては微妙なところがある。
本練羊羹
この和菓子屋さんにあった「本練羊羹」これはおそらく商品名だ。しかしこの店だけでなく、広く一般に「本練羊羹」という羊羹が売られているということが確認できれば、国語辞典に載る可能性もでてくる。
さらによく考えると「本練」という言葉もよく意味がわからないし、国語辞典に載ってなさそうだ。これは用例採集しておきたい。
●本練羊羹
[貼り紙に]千住宿/◆本練羊羹/甘さをおさえたしっとり羊羹
(北千住・和菓子店)2014.9.13
ピヨピヨは履物の名前?
千住の商店街の中にあった、すこし古めの履物店。ここにも気になる言葉があった。
昔ながらの履物屋さん
歩くと音のなるやつだ
あの、歩くたびにピヨピヨ音が鳴る子供用のサンダルだ。値札の商品名をみてみると「ドラエモンピヨピヨ」と書いてある。
「ドラエモン」は正しくは「ドラえもん」だが(藤子不二雄ファンとしてここは譲れない)このサンダルが「ピヨピヨ」というものだとは知らなかった。
これも用例採集しておきたい。
●ピヨピヨ
[歩くとピヨピヨ音がなる子供用サンダルの値札に]ドラエモン◆ピヨピヨ/男.1480円/女.1450円
(北千住・履物店)2014.9.13
気になった言葉はどんどん集めよう
飯間先生にアドバイスを受ける
ここで、飯間先生が巡回にやってきた。
先生が言うには、辞典に載ってるかどうかは気にせず、とにかく気になった言葉は記録しておいて。ということだった。
つい「辞書にまだ収録されてない言葉を……」と気張ってしまうが、そういう言葉よりも、なにげなく記録しておいた言葉のほうがあとで役に立つこともあるらしい。
例えば、こちら。
「消防水利」ってどういうこと?
街でよく見かける「消防水利」と書かれた標識。普段ならスルーする言葉。しかしこの「水利」を正確に説明できるか? といわれると、たしかにできない。
「水の利用」を略したのかな? いやまて、消防用の水があることを示すのなら「消防用水」ではだめなのか? など、さまざまな疑問がわいて出てくる。水だけに。
●水利
[消防用ポンプの標識に]消防◆水利
(北千住・路上)2014.9.13
鎖錠ってなんだろう
言われたとおり、わかりきってると思っている言葉でも改めて注意深く考えると、あれっと思う言葉が見つかる。
「昨対」ってなんだ?
「昨対」。ぼくは初めて目にした。言わんとすることはなんとなく分かりそうだけれど、明確な意味はちょっとわからない。
●昨対
[予備校の看板に]東大/現役合格者/◆昨対/+68名/668名
(北千住・路上)2014.9.13
普段あんまり気に留めない放置自転車禁止の警告看板
警告文の文中に「破損および鎖錠等の損害は」とある。「鎖錠(さじょう)」は初めて見かける言葉だ。あの輪っかになってる自転車の鍵なのは字面からなんとなくわかる。
ただ、鎖錠って普通「かぎをかける」という意味で使われてるような気がするが「鎖錠等の損害」と名詞のような使い方をしているところが気になる。
●鎖錠
[自転車放置の警告看板に]自転車等の損傷や破損/および◆鎖錠等の損害は
(北千住・路上)2014.9.13
よくわからないけれど気になる言葉
他にも、言葉としてちょっと気になる言葉はいくつかあった。例えばこちら。
なぜ二階だけ丁寧に言うのか?
「お二階」という言葉。
これは撮影係で同行してくれた編集部の藤原くんが指摘してくれたのだが、よく考えると「お一階」や「お三階」はなく、なぜか二階だけ「お二階」という言い方がある。なぜだろう?
これもとりあえず、用例採集しておきたい。
●お二階
[居酒屋の柱に]◆お二階へどうぞ
(北千住・路上)2014.9.13
……という感じで、ボチボチ用例採集していると、あっという間に集合時間になってしまった。
本日、用例採集した言葉は、ひとつづつ清書し、意味を調べ、語釈を書くための準備をしなければいけない。
用例採集はひとまず終了、語釈を書くのは次回
続いて語釈に挑戦
さて、用例採集から一週間、それぞれ自分で集め、意味を調べた言葉を持ち寄り、足立区の生涯学習センターに集合した。
あとは語釈を書くだけである。が、飯間先生が振り返りのスライドを作ってくださったので、その中からぼく以外の人がどんな言葉を集めていたのかをいくつか紹介したい。
飯間先生が振り返ってくれました
「洗い場」は人の名前?
パート募集の張り紙だが、用例採集的にどこが面白いところか分るだろうか?
職種が場所?
飯間先生「令や60才の字が略字になってるところも気になりますが、やはりいちばん気になるのは『洗い場さん』というところですね」
「洗い場」という場所であるはずの言葉に「さん」がつき、役割を示す言葉になってしまっている点が興味深いのだ。
「園」を削ったのを後悔
つづいてはこちら。お茶屋さんの看板の写真、いったいどこを用例採集すればいいのか?
お茶屋さんの看板
飯間先生「これ、どこが面白いかわかりますか? じつはこのお店の名前の後についてる『園』この部分です」
飯間先生「この『園』という言葉、なぜかお茶屋さんにつくんです。伊藤園とか福寿園みたいに……実は三省堂国語辞典では、六版まで『園』の語釈に『茶を売る店などにつける名前』というものを載せていたんですが、七版で削ってしまったんです。でも、こういう例をみると、削除しないほうがよかったかなあと思ってるんです」
たしかに「園」は動物園とかナシ園とかそういうものだけじゃなくお茶屋さんにもついている。用例採集、そんなところまで気を使うのか。
耳鼻咽喉科は、みみはなのどか?
「耳鼻咽喉」ってふつう「じびいんこう」と読むと思うのだが、横に「みみはなのど」というふりがなをつけているものはたまに見かける。
飯間先生「これはよく見かけますね、子供たちが読みやすいようにわざとこういうふりがなをふってるのかもしれないですね」
読みにくかったり、まぎらわしかったりするものを、わざと訓読みするときってたまにある。例えば「私立(わたくしりつ)」みたいな場合がそれだろう。この「みみはなのど」も、わかりやすければ、この読み方が一般的になる日がそのうちくるかもしれない。
いよいよ語釈を書くぞ!
さて、いままで長々と用例採集の例を見てきたが、やっと語釈だ。
班ごとの勉強、中学生以来だ
語釈のポイントはわかりやすく、簡潔に、正確に書く。なるべくだらだらと長くは書かないのがいいらしい。
短冊状の原稿用紙がかわいい
歩道柵と鎖錠
ほどうさく[歩道柵]歩道と車道をへだてる鉄製の柵。歩道用防護柵。
さじょう[鎖錠]くさりや錠のこと。特に、自転車用のくさり状のかぎを言う。「―等の損害には責任を負いません」
サプライズ
サプライズ[surprise]イベントなどで、なにをやるかを秘密にし、参加者をおどろかすこと。「―パーティー」
マルチョウ
まるちょう[マルチョウ](=丸腸)牛の小腸を裏返しにしたもの。焼き肉にする。
なるべく簡潔にわかりやすくなるように心がけたつもりだが、鎖錠はもうちょっとすこしスマートに書けたな。と今になって思う。
「鎖錠」にかんしては「くさりじょう」として「三省堂国語辞典」にすでに載っていた。ぼくの読み方が違ってたようだ。
国語辞典作り、本気じゃなければけっこう楽しい
「国語辞典に載せる言葉を探すぞ!」と、嘘でもいいのでそういう気持ちでもって外を歩くと、ふだん見過ごしがちな言葉や文字がけっこう目に飛び込んでくる。たいてい取るに足らない小さな発見なのだが、たまに、心が洗われるようなハッとする発見があって面白い。
町を歩きつつ、おや? と思った言葉を探して集める、そしてその言葉の意味を整理し、簡潔な文章にまとめて説明する。
やってることは、なんだか俳句や短歌を吟行(郊外や名所に出かけること)しながら作るようなそんな感覚に近い。
日本初の本格的な国語辞典「言海」を作った大槻文彦は20年以上かけてひとりで辞書を作ったらしいけれど、そこまで本気じゃなければ用例採集も語釈を書くのもけっこう楽しいことがわかった。