大阪と東京で見られます
文楽はもともと上方の芸能で今では大阪と東京で公演がある。だから大阪で問題になっていたのだ。
東京では国立劇場の小劇場で文楽が見られる。
朝11時、昼4時、夜7時の三回公演があり演目がちがう。今回は一番長い演目の第一部双蝶々曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記を選んだ。夜7時の回にいたってはシェイクスピアだ。うほ。そんなことになってるのか。
(……なんかのオープニングで見たことある!)
チケットは6700円
値段はA席6700円、B席5300円、C席は1500円くらいで席のほとんどはA席。公演二日前ではA席しかなく、それもあと6席のみだった。平日昼間なのに人気あるんだなー。
6700円は芸能人が出るようなお芝居だとそれくらいするし妥当だ。でもふだんそういうのに行かないので懐は痛い。
B席もC席もそこまで見難いわけではなさそうだ。ファンのじいさんばあさん相手に予約がんばれば1500円で見られる。
開演一時間前の10時に同じくこのサイトのライターである西村さんと待ち合わせ。周りはおばちゃんばかりだ
早めに入って予習をすべき
6700円払って「話がわからないし、つまらん」では辛いので予習してきた。ネタバレは数百年前にすでにしている。
検索であらすじが見つかり「早めに入ってパンフレット読み込んでおけ」という文楽の見方ガイドの記述も見つけた。
パンフレットは600円。あらすじと見どころと上演台本までついてくる。くわーっ、忙しい。開場から開演までで消化しきれない。
パンフレットの中に上演台本までついてくる!
とりあえず記念写真を撮ってみたけどそんなことしてる人いなかった
売店とは別にちょっとしたグッズの売り場もあった
ああ、おばあちゃんってこういうのここで買うのか!
おじいさんおばあさん多い
開演を待っているとお客さんのおしゃべりで「三割負担」という言葉が聞こえてくる。平日の昼間からの公演なのもあって95%くらいがおじいさんおばあさんだ。団体客も多い。
同行してくれたライターの西村さんは落語好きでこの劇場も落語を見に来たことがあるそうだが、年齢層の高さに驚いていた。
95%のあとの数%は、古典芸能にふれて自分を研鑽せんとするゴージャス系女性客と文化系女子の発展形、それに無職に近く痔に悩むライター二人で構成されている。
5幕あって開演から終わるまでに4時間半!! つまらなかったら暴動が起きそうな時間だ
食堂があってお昼ごはんを予約するシステム
まるまる一日使うような遊び
午前11時開演で終演が午後3時半。早めに入って予習も考えるとまる一日の遊びだ。
昼ごはん用の休憩は25分あり、お弁当か食堂でたべる。食堂なら25分しかないので先に予約しておく必要がある。
あたりを見るともう弁当を食べている人たちがいる。それが正しいのか、それともただの食いしん坊なのか。いきなりお弁当を食べられるとただ不安である。
一番後ろでも見づらいということはなさそうだ
文楽とは、三味線と唄がつく人形劇
そもそも文楽というものをよくわかってなかったが、まず三味線をひきながら物語を読み上げる浄瑠璃があったそうだ。そこに人形遣いがついて人形浄瑠璃になる。
その中でも近松門左衛門など江戸時代の大阪でぐりんぐりんに発展させたものが文楽で今にいたる。
要するに節のついた人形劇ということでいいのではないか。
人形遣い3人で人形を動かす
開演、黒子って黒い
11時になり床とよばれる壇上に三味線と太夫があらわれる。黒子が出てきて二人を紹介する。黒子をはじめて見た。黒いぞ。そして布にさえぎられた声が罰ゲームみたいだ。
緞帳が上がり、舞台があらわれ床の演奏がはじまる。
はじまった。右の「床」と呼ばれる壇上に唄の「太夫」と「三味線」が。セリフが右上と左上に映し出される。
声がめちゃめちゃすごい
はじまってすぐ驚くのが太夫の声。これがもう、すごい。声ー!って感じ。よく伸びてはっきり聞き取れる。つるつるのしこしこである。
翌日の鍋に残ったぐずぐずのしめのうどんが我々ならば、彼らは打ちたてのさぬきうどんといった感じ。もう、つるーっ!である。そして、しこーっ!である。
なかにはロック歌手みたいに低くてしゃがれているのにちゃんと聞き取れたり、ホーミーみたいに倍音がぐいぐいんに出て脳みそごと持っていかれるような感じになったり。とにかく超人がたくさんいる。
しかも一番すごいのがそれおじいちゃんたちがやっているのだ。すごい声ショーといってもいいかもしれんぞ、文楽。
太夫がすごい。声は自分と比較できるからすごさがわかる。(人形と三味線はやったことがないので)
人形が長い
拍手が起こって人形が出てきた。意外とでかい。三人で動かすからか。そして時として長い。三人で動くとみよーんと伸びて、名古屋にあるナナちゃんくらいに長くなったりする。
足に一人、左手に一人、そして頭と右手に一人。新入りは足からはじめて数年かけて左手、頭といくらしい。頭の人だけが紋付き袴に顔も出せて、あとは黒子だ。黒子、黒子、紋付き。序列の格差がすごい。
そもそも三人で人形を動かしたことがないので声の太夫に比べてすごさが伝わりづらい。ピアノ三人で運んだくらいならあるんだけど……
検索で知った見方ガイドによると人形の動きは日々変わるらしく、とっさの動きにも3人で人に見えるように操作するのである。
ピアノをとっさに動かすときっとどこかにぶつけて傷がつくことだろう。やはりすごい(のだろうが、やっぱりまだよくわからない)。
三味線になるとさらによくわからない。わからないのでただ(…ああ、ありがたいなあ、ありがたいなあ)と崇めた。そしたら本当にありがたく思えてきた。よし、おれの勝ちといってもいいだろう。
当日のメモから。時として長いなと強く思った
意外と話はわかるしおもしろい
話はゆっくりと進む。一場面を一時間かけてやったりするのだ。現実に修羅場があったとしても一時間はかからないだろう。現実より長い。
話の理解は心配ほどではなかった。というかあらすじを読んだ時点で理解はできている。その上で実際のセリフをきいて細部がふくらんでいく。
……はずだった。しかしセリフ自体がわからないことも多いのだ。客席が明るく手元の台本を確認できるのだが、それでもわからない。言葉自体が古いのだ。
三味線。よさがわかるまでまだ修練が必要
ことばはわからない
たとえば基本的な言い回しとして「どうぢや」がある。ぢやだ。柔の道が一日にしてならぬ感じがある。これが基本かと思えばこうだ。
「侍でえす」
侍がでえすでいいのか。みょうに近藤真広感が出てきてるがそれでいいのか。
そして文体の違和感ならまだいいが、やっぱり知らない言葉が出てくる。
「どびつこい!」
そんな音を太夫が発する。あれ? 今のどびつこいみたいな言葉、何て言ったんだろうか? そう思って手元の台本で確認するとそこにはこう書いてある。
「どびつこい」
合っている。さっぱりわからない。しかたない、とにかくどびつこいだ、ああどびつこいなあ彼はと驚いたのだ、と先へ進む。(※検索すると「しつこい」に「ど」がついた上方の言葉、め~ちゃしつこい!ということだろう)
するとまた出てくる。
「ようあんなうつぽんうつぽんにしおつたナ」
うつぽん、もう対処できない。検索でも出てこない。とにかくあいつをあんなうつぽんにしたのだ。それでいいじゃないか。
わかんねーわかんねーと思ってたらおばあさんたちはゲラゲラ笑ってたりする。ウッ。みんな理解度がすごい。
昼休憩がやってきた
どどどどどっと食堂と休憩所に人が流れる
予約していたお弁当と吸い物とお茶が
休憩は25分で終わる
25分の昼休憩になると全員が席を立つ。そして休憩所と食堂への大移動がおこる。
案内された席には注文していた文楽弁当がすでに置いてあった。メイン層が高齢の女性なので量は多くない。食べ終わるころにはほうじ茶と「つまようじご入用ですか?」とつまようじサービスがある。つまようじ、置いとけばいいという話ではないのだな。
食ったなと思ったら開演前のブザーが鳴る。厳しい。富岡製糸場の女工もこんな感じだったのかな。
文楽弁当1100円。すでに残り20分を切っている。いそげ!
「この25分の間に病院に電話しないと…」社会人にきびしい時間配分。痔瘻の手術についての確認を病院に入れる西村さん。
人間国宝率が高くなっていく
再開。再び床の紹介になって「きんし!」と声がきこえた。おや? 治安維持法かしらん。いやちがった、三味線の野澤錦糸さんのことだった。大向うで声をかけたんだ。文楽にもあるんだなあ。
後の方はやはり大物率が上がっていくのか、太夫も三味線も貫禄がある。人間国宝率が高くなっていき、おじいさん率が高くなる。
おじいさんが「父さま~!!」とお姫様を熱演。これがまたちゃんとお姫様に聞こえるのだからすごい。太夫は命を吹き込むらしいが、うまい人がやると本当に命が宿った感じがする。この太夫はもう、いっぺんにファンになった。
かと思えば男9人が人形をケンカさせている。おじいさんも多い。ハッとわれにかえれば一体何をしているのかという気にもなる。
寝る西村さん。さすがに長い。ぼくも3、4回は寝た。しかしステージに迫力があるのですぐ起きる。起きたら話を知ってるし台本があるので復帰できる。
25分の食事休憩のあとにまた10分の休憩がありトイレは長蛇の列。客を甘やかさない姿勢がいい
ついに終わった
10時半には入っていたので全部で5時間。話はどれもおもしろかった。「実はそのときのカゴ屋が娘の実の父親で…」など、そんなことあるかとひっくり返るような展開もある。とにかく話のおもしろさ優先で作られているのだろう。当時の大衆芸能だったことを思い知る。
話の最後はなかなかとれなかったホクロがとれて終わった。いやー、よかったよかった。
投げたお金が顔に当たって「痛い!」となったらホクロがとれたというエンディング。ホクロとれ落ち。
もう一回行ってもいい(ただし短い方)
中学生のころに学校で人形浄瑠璃を見にいったことがあり、話のわからなさと言葉の遅さに絶望して盛大に寝た記憶がある。
しかしもうだいじょうぶだ。私達はもう文楽を受け入れられる下地ができている。手を丸めてハーッとやればかめはめ波が出るような状態になっているのだ。
そりゃ「えーっ、こいつが犯人だったの!?」とか「ウウ、泣けて泣けてしょうがない…」みたいなことはないが、すごい声だったり昔の人の考え方を思い知ったりとか、あとは「えーっ、それでホクロがとれるの!?」みたいなことはある。
人形や三味線のよさ、言葉のわからなさなどまだまだ余地がある。奥はまだまだ深いのだろう。もう一度行いきたい。今度はさらに調べてから行きたい。ただし短い方がいいかなとは思う。