カフェでやること
人は仕事や勉強を家でない場所でやる傾向がある。家でもできることをわざわざ外でやるのだ。特にカフェが人気だ。本を読む人、勉強をする人、仕事をする人。カフェはそんな人で溢れている。
人はカフェが好き!
考えてみれば人類は家でない場所が好きだ。インドア派よりアウトドア派の方が爽やかなイメージがあるし、子供の頃は特に「外食をしよう」と言われると嬉しかった。人は家でない場所が好きなのだ。
家でも読める本をカフェで読む人
だったら本を読んだり、勉強したりはわざわざカフェでなくてもいいのではないだろうか。むしろ「山」だ。
同じことをしていても、カフェでやるより、山でやった方が頑張ってみえるのだ。
同じやるなら頑張っている感がある方がいいに決まっている。だったら「山」なのだ。
ということで、山に来ました!
山でMacをいじる
電車でパソコンをいじったり、ベンチで本を読んだり、我々は日常の中で、外で何かをすることが多い。
つまり山でやっても不思議はない。そして、山でやるだけで、カフェとは違い、頑張っているように見える。
カフェでMac
山でMac
頑張っている。カフェの優雅さはなく、山の斜度と戦う男らしさが際立つ。同じ仕事をやるなら、頑張って見える方が周りからの評価が得られる気がする。
つまり山で仕事をするのは評価をアップさせるには必要なことなのだ。
平らなところもあるけれど斜度を利用しよう!
山で勉強をする
小学校時代を思い出すと、校庭に二宮金次郎像が必ず存在した。薪を背負って本を読む二宮金次郎。山で薪を集めながらも勉強をするという頑張りを表す像だ。
人は山で頑張る人を評価する教育を受けている。
カフェで勉強をする人
山で勉強する人
ピンがズレる程、虫がすごい
この時期の山は虫がすごい。彼らは容赦なく刺してくる。蚊ならまだいいがブヨだ。
ブヨは刺された瞬間にまず痛いし、その後2週間ほど、痛がゆいという、腹は減ったが金がない、みたいな状況が続く。
そんな中で勉強。カフェでは感じれない二宮金次郎的頑張りがある。
Macも虫の前ではオシャレさがない
山で本を読む
カフェに行くと本を読んでいる人がいる。中でもロシア文学を読む人はオシャレの極みな気がする。
マンガとか、流行の小説ならいいが、ロシア文学。きっと難しい小説を読んでいることをアピールしたいのだ。
カフェでロシア文学
山でロシア文学
山だとロシア文学が鼻につかない。ロシア文学が心から好きなんだろう、というのが伝わってくる。
ちなみに私もカフェでは「ロシア文学読んでますよ」をアピールする。しかも下巻を読む。「上巻はすでに読んだんですよ」をアピールするためだ。
ただ実際は上巻も読んでいない。賢さみたいなのをアピールしたいだけ。山でロシア文学を読めばさらにそれが際立つのだ。
問題は山に人はいたが誰も私を見ていなかったこと
とにかく山だ!
カフェでする三大カッコいい「勉強」「Mac(仕事)」「ロシア文学(読書)」を山で行った。
写真では緑豊かな中でする読書だったり、仕事だったりで、オシャレノマド感を全く感じないわけでもないが、現場では本当に頑張っている。
読書中も、
本気で虫がすごい!
とにかく虫である。優雅さゼロの虫である。蚊である、ブヨである。カフェには虫がいない。またチクチクする草もカフェにはない。
農作業をする時などに長袖長ズボンの理由がよく分かる。しかし、そんな中で仕事。頑張っているのだ。
逃げ帰る!
頑張っている感じを出したい
以前から、同じやるなら頑張っているように見えてほしい、と思っていた。難しい仕事を華麗にやるのもいいが、あの人頑張っている、と思われたいのだ。
その結果の山だった。虫とチクチクの草との戦い。ただ頑張っても人が少ないので頑張っているのを見てもらえないという問題に気がついた。今後は山に人を呼ぶ方法を考えて行こうと思う。