海の上にたつ
人気者になるにはいくつかの方法がある。その最たる方法が地位や名誉を手に入れることだ。しかしそれらは難しい。一般人な我々はそう簡単に地位や名誉を手に入らない。でも、人気者になりたい。人は人気者になりたい悲しき生き物なのだ。
みんなから注目されたい!
では、人気者になるにはどうすればいいのか。その答えは「海の上にたつ」である。キチンとした証拠も存在する。それは広島県宮島にある厳島神社の大鳥居だ。この大鳥居は海の上に建っている。これがメインである厳島神社以上に人気を集めているのだ。
宮島の大鳥居
我々が神社に行った時、鳥居を意識するだろうか。意識しても順位としては決して上ではない。くぐれば終わりである。何をお願いするか、おみくじで何が出るか、立派な本殿だな、などが上位であり鳥居はおまけ。しかし、海の上にたっていれば話は変わる。一躍人気者だ。
大人気!
海の上にある厳島神社の鳥居。本殿よりも多くの観光客がカメラを向ける。これこそが人気者への扉を開く鍵だ。広島県の観光PRポスターも本殿を差し置いて大鳥居。見習わなければならない。地位も名誉もない我々が人気者になる道は「海の上に立つ」しか残されていないのだ。
本殿を差し置いて鳥居! 目指せ鳥居!
海の上に立とう!
人気者になる方法は分かった。ではどうすれば海の上に立てるかだ。人類は水の上には立てない。理論上は右足が沈む前に左足を、左足が沈む前に右足を、これを繰り返せば可能だがそんなことは無理だ。もっと現実的な方法を考える必要がある。
とりあえず海にやってきました!
靴に細工をすれば人は海の上に立てるのではないだろうかと考えた。一部例外を除けば靴は足首より下の部分を入れるもの。その常識を逆に利用すれば理論上は立っているように見えるのである。具体的には靴を膝の辺りで履く。これだけいいのだ。
こういうことです!
靴を膝で履き、膝より下は海の中。そうすれば海の上に立っているように見えるのだ。優雅に泳ぐ白鳥が水の中では必死に足を動かしているのと同じ。水の中は見えないのだ。ならばそれを利用すればいい。さすれば海の上に立つことだって不可能ではないのだ。
準備は万全です!
海に立つ
宮島の鳥居が赤かったので念のため赤い法被を着た。地味な服装ではたとえ海に立っていても分からない。やはり赤いことも人気者へのポイントだ。バラもポピュラーなのは赤いバラだし、赤べこもだいたい赤い。つまり赤で海に立てばもはや鬼に金棒なのだ。鬼も基本的には赤い。
立ってるよ!(優しい目で見てみよう!)
立っているよ!
分かりにくかった。初孫を見るような優しい目で見れば海の上に立って見えるが不自然である。頭身がおかしい。
そんなの分かっていることだろうと思われるかもしれない。しかしやることに意味があるのだ。そう思って生きることが世界を平和にすると信じることを信じることで心の平穏を保てると思う。
何事もチャレンジなのだ。我々はその向こう側へと行こうとしているのだ。
一番の問題は誰も見ていないこと!
誰も見ていない
不自然とはいえ海の上に立っている。そして赤い。ほぼ宮島の鳥居だ。しかし、誰も見ていなかった。宮島では誰もがカメラを向けたが、今回はやはり靴が膝辺りにあるのが不自然なためだろうか、誰も見ていないのだ。
あとすごく寒い
人がいないわけではない。しかし注目が集まらない。靴作戦ではやはりダメなのだ。しかし海の上に立たなければ地位も名誉もない我々に注目が集まるはずがない。人気者のなるために残された道は海の上に立つしかないのだ。
そこで脚立です!
宮島の鳥居だって海の上に浮いているわけではない。海中では地面と接しているのだ。つまり脚立を置いてその上に立てば海の上に立っているように見えるのである。これならば先の靴のように不自然にはならない。
これで大丈夫!
海に向かう
脚立を持って冬の海に向かう。実に男らしいと思うが、別に注目は集めていない。冬の海に脚立では全然ダメなのだ。人は海の上に立って初めて人気者となるのだ。そのためならば冬の海など安い。地位や名誉と比べれば冬の海などもはや夏の海と同じなのだ。
脚立を持って冬の海へ!
白波に負けない心
もはや痛いに近い冬の海。沸き立つ白波。しかし、それに屈しない。人気者への扉はその白波の向こうで開くのだ。脚立を固定して、その上に立つのだ。さすれば人気者になれるのだ。夏に見た宮島が今ここに人間で再現される。
立った!
立ったよ!
違うな
宮島の鳥居と同じように海の上に立った。見事なまでの立ち姿だと思う。冬の海に屈せず、白波にも負けず、私はそのような人になりたい、と思っていたがその通りになったのだ。
誰もいない
だっれも見ていなかった。「誰も」ではない。もはや「だっれも」である。虚しさの最上級。机上では確かにこれで人気者になれるはずだった。
にんまり顔で浜辺を見れば、綺麗な浜辺が広がっている。人が一人もいない。虚しさの記号としては素晴らしき浜辺だ。ただ我々はそんな浜辺を求めていない。
確かに私がいるのがいささか手前に見えるかもしれない。でも、入れば分かる。そこで十分深いのだ。
波も高い
白波にも負けず、寒さにも負けずと思っていたが、人気のなさに負けた。急に力が抜け波に飲み込まれる。海に立ったいるだけでは人気者になれないのだ。
こうしてまた我々は世界を知った。世界は広いのだ。たゆまぬ経験が視野を広げるのだ。海に立っても人気者にはなれない。冬の海の空は青く美しかった。それだけは覚えておいてほしい。
とにかく寒い!
人気者への道は険しい
宮島の鳥居を見た時はこれだ、と思ったのだけれど実際にやると全然だった。人気者になるには地位と名誉なのだ。そう考えると宮島の鳥居は歴史があり、国の重要文化財にも指定されている。地位と名誉があるのだ。大きなところを見落としていた。冬の海は人の頭をクリアにしてくれる。そう気づけただけでも収穫があったと考えようと思う。