工場や会社用のでかい区画の中にうどん屋がある
工場街にある
カニやマグロで有名な境港、その近くの埠頭には竹内工業団地という工場や会社がならぶ区画がある。
うどん屋しこう亭はその一角にあった。通りから見える看板には「モーツァルトうどん」の文字はなく、安さのアピールだけあった。
もしかしたらそんなにモーツァルトじゃないのかもしれない。謙遜するくらいのほんのちょっぴりモーツァルトなのかもしれない。
情報が出てこないと逆に想像はふくらむばかりだ。
モーツァルトよどこに
あった、ちょっぴりモーツァルトだ
ポスター発見。讃岐うどんにモーツァルトを聴かせてるらしい。モーツァルトが悠久の時を経て、今うどんのしこしこつるつるにつながる
モーツァルトをうどんに聴かせているらしい
ここで謎がとけた。「音楽熟成 讃岐うどんにモーツァルトを聴かせています」と書かれたポスターを発見。
なるほど、うどんにモーツァルトを聴かせていたのか。これで謎はとけたがまた一つ謎が生まれる。
なぜうどんにモーツァルトを聴かせるのだ。
"熟成"とあるのでたぶん味のことなんだろうが、愛玩の可能性もある。犬に服を着せるような感覚で、かわいさあまってうどんにクラシックを聴かせているのかもしれない。
最初にうどんをたのんで、トッピングを自分で盛っていくさぬきうどんスタイル
店長の片岡さん。取材だというとそんな紹介するものでもないよと謙遜されていた。うどんにモーツァルトきかせておいて、その言い草は。
じいちゃんばあちゃんが二人でやっているお店
厨房のうどん側にこの店をとりしきる片岡さんがいた。忙しい時間だったがちょっとだけ話をきかせてもらった。
――すいません、ほんとにうどんにモーツァルトを聴かせているんですか?
「そうです。夜に冷蔵庫で寝かすんですけど、そのときにね、モーツァルトを聴かせるんです。こっちこっち。とりあえず入ってきて」
急かされて厨房に入る。学食くらい広い厨房の中には奥さんとお父さん二人だけ。
厨房の中には「大きな声で挨拶」「真心こめてうどんを出す」などの貼り紙があった。忘れちゃうのだろうか。
「この冷蔵庫で寝かせてるんです」 きこえるんですか? 「ええ、ええ」 ほんとか
モーツァルトの効果はだれにもわからない
「この冷蔵庫で夜寝かせるんですけど、そのときにモーツアルトをむこうから流すんですよ」
そういって片岡さんが指差したのは厨房の反対側。うどんのそばにスピーカーを置くような感じかと思ってた。
――冷蔵庫の中まできこえるんですかね?
「大丈夫、大丈夫」
――そうですか……ところでモーツァルトを聴かせるとどういう変化があるんですか?
「……やっぱり、味がよくなるというね」
――はい、どのように?
「う~ん、まあ~、おいしくなるというかね」
モーツァルトでうどんの味は漠然とおいしくなるようだ。ま、細かいことはいいじゃないか、とモーツァルトが背中をバンバン叩いてくる。
東京オリンピックおめでとう「日本を元気に!境港を元気に!」とある。東京オリンピックに多くを求めすぎな気もする
元々モーツァルトをきかせる土地柄らしい
「あとは米子だから(※米子と境港はすぐ隣)モーツァルトっていうのもあります」
――えっ! 米子といえばモーツァルトなんですか?
「そう、米子はモーツァルト発祥。ほら、東京印刷さんの」
一体なんのことだろうと思ったらどうやらインキにモーツァルトをきかせる印刷会社があるらしい。
そういう話きいたことある気がする。あれか。うどんにモーツァルトもすごいが、インキにモーツァルトさらにぶっとんでいる。
「とりあえずこれ食べてみて。早く早く」
いきなりわたされたかけうどん。これがモーツァルトうどんか
おすすめは肉うどん
そういって片岡さんからかけうどんを手渡された。温かいやつだ。さぬきうどんだから冷たいのを推すというわけではないようだ。
――メニューめちゃめちゃありますけど、何がおすすめなんですか?
「う~ん、肉うどんかな」
肉うどん。まずは何も言わず醤油かけて食ってくれ、みたいなめんどくさいこだわりは一切ない。聞けばいい肉がのっているらしい。それたぶんうどん関係なくうまいな。
送りがな適当文化は上の世代特有のものなのか
充実のおかずメニューは奥さん手作り。漁港が近くて煮魚がうまい
かけうどん250円に魚(沖ギス)の天ぷら80円。サバの煮付けは150円だったか……これだけメニューがあって手頃な値段なのは毎日行くのにありがたいだろう
これがモーツァルトの味か……
モーツァルトがなかなかうまい
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人。天才的な作曲家であり演奏家であった。
対してモーツァルトうどん、つるつるでありしこしこであった。
表面のつるつるは特筆すべきで、ひっかかりがなく口にどんどん入っていく。うどんだしもかつおが薄目ながらスーっと舌の奥の方まで効いていく。讃岐うどんの修行をしたというから、むこうの味なのだろうか(米子の駅そばはかなり濃い味つけでびっくりした)。
ごちそうというわけではないが満足感は高い。うどんのような日常食はこれくらいの存在感がいい。
これがモーツァルトなのか。これだけへんなことしておいて、いい感じのポジションにおさまってるのがすごい。
モーツァルトからたつ湯気
これも召し上がってね~、とおでん盛りをくれた。多いよ
肉がもりすぎのインチキ
これも食べてね、とおでんの盛り合わせをつけてくれた。この大きな牛すじ串が人気らしい。値段は盛り合わせ小で180円。いかがわしいほどに安い。
「私は41年前からお肉屋さんをしてましてね。それで今は引退してうどん屋をはじめたんです。
肉の卸の会社自体は今もやってるし、焼肉バイキングのお店もやってるからね。そこで出る牛すじを使ってるんですよ」
いかがわしさはちゃんとしたインチキだった。そしてこのお父さん、お肉屋さんの社長さんで今は引退してうどん屋をやってるのだ。
敷地のとなりに片岡さんがいた肉の会社があった。地元の人いわく、けっこういろんなお店が使ってますよとのこと
健康器具としてのうどん屋
このお店、社長の道楽というか、なるほどそれでこんなに安いのか。
「ま~、こう言うとあれなんですけど、ボケ防止というかね。なんかやってないと気がすまなくて」
片岡さんの言うことはわかる。引退した体にむち打ってうどん屋を一からはじめたのだ。たぶんほんとに仕事が好きなんだろう。
しかし「ボケ防止に」と言ってしまうと(……このうどん屋、広い意味でリハビリなのかな)というニュアンスが出るのも事実。
いや、いつまでもお元気でうどんにモーツァルトきかせてください。うどんもモーツァルトききたがってると思います。
やたらに仕事訓のようなものが貼られているのも元社長だったからか。
みつをもあります
「塩は、おふくろの塩」「本物の水」一見いい感じなのだがよく考えるとなんのことだかわからないな
B級グルメ!!と自分で言っちゃうところもすごいが、モーツァルトとラー油とうどんの三者のとりあわせもすごい
「うちでは震災のために募金もしてましてね」と見せてもらったのは……
「会長の募金」 お客さんが入れるんじゃないのか。会長の自慢コーナー?
毎日のモーツァルトうどん
12時をすぎると急にお客さんが増えだした。「この一時間が勝負」というのもなるほど、近隣の工場や会社の昼休みに人がどっとやってくるようだ。
「今日は何にする?」
片岡さんは客にこう声をかける。実際に毎日来てるのだろうか。たしかに毎日来れるような味と値段とメニューの豊富さだ。こういうお店が近くにあるといいなと思う。
だが、これがモーツァルトなのだろうか。うどんにモーツァルトきかせて「毎日来れる店でいいね~」でいいのだろうか。
モーツァルトが安くてうまくていいのだろうか。
お昼時はどんどん人が入ってくる。「今日は何にする?」ほぼ常連なのかそれともそういうフレンドリーなサービスなのか。
取材協力
しこう亭 鳥取県境港市竹内団地269
TEL 0859-45-7700 年中無休 11時~
世界中で愛される音楽とはこういうものか
うちの小学校では先生が好きだったのか掃除の時間にビートルズがかかっていた。なので今でもビートルズといえば掃除である。
同じようにこの店ではモーツァルトといえばうどんなのだ。私もこれからは「この曲なに?」「これ? モーツァルトだよ」というやりとりのあとに(……ああ、うどんがうまくなるんだろうな)と思うことだろう。
音楽は国をこえて世界中で愛される。グラミー賞とって世界で1億枚売れたなんて話があったら、一人くらいはうどんに音楽きかせてるやつがいるにちがいない。
それくらいしてこそのモーツァルトなのだろう。偉大な作曲家は日常にとけこめるから偉大なのだ。
ハイドン、ベートーヴェン、モーツァルト。
つるつる、しこしこ、モーツァルト。