「毎日の食事と栄養について」
以前、祖母の家の納戸から
昭和38年刊の『わたしたちの地理』を発見して持ってきた母だが、今度は母が小学生のときの宿題もろもろを発見したらしい。あらかた捨ててしまったそうだが出来の良いものだけとっておいたと言うので、お盆に帰省したとき見せてもらった。
そのうちのひとつがこれだ。
「毎日の食事と栄養について」
先生の押印から、昭和40年のものとわかる。(1940年ではない。それさすがに母、生まれてない)
これの中身が、たしかになかなかすごかった。
7月25日から8月31日までの38日分、きっちりと毎日の食事記録がとってあるのだ。
「私は毎日、自分は、どれだけ、何を食べているか、38日間調べてみました。すると、次のようなことが、わかりました。」
1日1ページずつ、朝、昼、夜になにを食べたかと、その内訳が几帳面に記録されている。
献立、食材と
栄養成分まで、きっちり。
私は、夏休みの宿題は一気に7月中に終わらせてあとは遊ぶタイプだ。毎日こつこつやらなければいけないものは、3日続けばいいほうで、たいてい1日か2日で飽きる。なのでこういう記録の類を完成させたことがない。この几帳面さは同じ血をひく娘だけに驚愕である。
しかしこの宿題、たしかに38日分調べてあるが、調べただけで、わかったことが特に書いてない。38日間記録をつけ終わって満足して提出したようだ。
ときは2013年の夏休み。ここはひとつ、私が21世紀の文明の利器をつかって、この記録からわかることをまとめてみましょうかね。
エクセルにひとつずつ打ち込んで(1181行あった)、ソートして表記ゆれを修正し、
ピボットテーブルにつっこんで
グラフを作成する
軽く書いたが、これでまる1日かかった。
しかし娘は短期集中が得意なのだ。
だんだん夏になる時代
同時に出てきた母のそのほかの宿題(のうち出来のよいもの)もお目にかけよう。
昭和40年ごろの雰囲気というのが少しわかるかもしれない。
「天気しらべ・実験・観察カード」。こちらはふだんの日課だったらしく、春~冬まで1年分ある。
体裁は植物の観察日記に近いが、わりと自由に、気候にまつわることを絵日記的に描いてある。これが、当時の風俗がよくわかるのだ。
6月にレースのカーテンを出して(テレビに足がついている)
すだれをかけて
素屏風を出して
本格的に夏になると蚊帳をつるのだ。
伝統的でエコな暑さ対策である。というか冷房がそもそも無いわけだが、見るからに涼しげだ。いいな。
と、こんな時代の母の夏休みの献立、けっこうおもしろいことになっていましたよ。
昭和40年の母、自画像。まんまちびまるこちゃんだ。
トマトときゅうりの夏である(それしか売ってないから)
まずはよくつかう食品と、反対にレアな食品のランキングである。
よくつかう食材は、とにかくトマトときゅうりである。毎日、毎食、ほとんど出てくる。トマトのほうがやや多いのは、きゅうりがなくてトマトだけのときはあるが、きゅうりのときは必ずトマトも食べているから。トマト、好きだったんだろうな(祖母が)。
母はこれを見返して数ページぺらぺらやった瞬間、なにかを思い出したらしく、「トマトときゅうりばっかり…!そうよそのぐらいしか売ってなかったのよこの頃!」と叫んでいた。そういうもんなのか。
反対に、レア食材には、うなぎとかメロンとかの高級ごちそう食材が入ってくるのかと思ったら意外にそうでもなく、ほうれん草やりんごなどのおなじみ食材もある。これ、なぜかというと、夏のど真ん中には食べられていなくて、8月後半にちょっとだけ登場し始める食材なのだ。旬じゃないから売ってないのである。なるほどねぇー。
わかったこと1:
旬の食材ほどよく食べている
(それしか売っていなかったから)
外ではオート三輪車ががんがん走る
同時に出てきた宿題その2、のりものグラフ。のりものに全く関係ない絵が描いてあるが
30分間、家の前を通りすぎるのりものを調べたらしい。やっぱりマメだよなぁ。
登場する乗り物の種類がこれまた昭和っぽくていい。スコッパは、スコッパ(という雪かき用具)を売る車なんだろう。
昭和と言えばのオート三輪車もばんばん走る
ダイハツ・ミゼットはわざわざ分けて別項目(画像検索すると悶えるかわいさである)
おなじく出てきた昭和41年刊の『少年朝日年鑑』にこんな写真も。オートバイ全盛期!
冷や麦は主食、スパゲティーとそうめんはおかず
次は炭水化物の内訳をみる。
米食とパン食の割合などが気になるところだ。
結論からいうと、米食優勢であった。 朝食はパンのことも多かったが、小麦粉勢は麺類、フライ類を合わせても米に及ばず。
しかし昼に圧倒的に冷や麦を食べている。
そして気になることには、冷や麦は主食らしいのだが、夜ときたま登場するスパゲティー(原文ママ)は、いつも米が一緒に出てきていることだ。スパゲティーにまだ馴染みのない時代なのかしらね、と納得しかけて、そうめんのときもやはり米が出てくる。
なんでよ。
わかったこと2:
炭水化物は米46%, 小麦28%で米優勢。
麺類では冷や麦は主食だがスパゲティー、そうめんはおかずである。
1965年の栄養ブーム
同時に出てきた『少年朝日年鑑』の中身もなかなかすごくて、それを読んでいるだけで日が暮れそうなのだが、ちょっとだけちら見すると、広告のページが特に素敵だった。
中学生向けの本らしく、南海電車、阪神電車が行楽地をアピールする。レオポンはかわいいが渦潮それでいいのか。業界っぽいことを書くと、競合を同じ見開きにあえて同時掲載するのもけっこう衝撃である。
凸版印刷VS大日本印刷
文房具メーカーのページ。いろんなマニアのひとに見てもらいたい資料がゴロゴロある。
と、このへんは、なんのことだか意味がわかるが、ちょっと1984年生まれには意味がわからない広告も多かった。特に栄養剤系の充実がすごい。
パンビタン…?
メガネ…?じゃなくて肝油…?
そして東京オリンピックのページの横に、日本ボディビル指導協会。「ボディビルで人生を勝ち抜こう」とある。「筋肉美測定機進呈中」ともある。声に出したくなる日本語である。
1964年の東京オリンピックを受けて、ちょっとした栄養ブームだったのかもしれない。母の食事記録もその一環だろうか。
野菜セレブの2013年
ところでこの食事記録、もちろん2013年現在の私のものと比べれば、きっともっとおもしろいことがわかるに違いない。途中までまとめた時点でそうだよなぁと気づいてはいたが、最初に言った通り、毎日の食生活を記録するなんて私にはできない(やろうとすら微塵も思わない)。
こういうとき、エクセルとともに21世紀にはもうひとつの文明の利器があるのであった。
Oisix である。
ちょうど今年の5月ぐらいから、ひとり暮らしのOLっぽく始めてみた、有機野菜中心の宅配通販だ。有機野菜にこだわるつもりは全くないのだが、軽い気持ちで始めたら毎週問答無用で食材が届く制度が便利すぎてやめられなくなった。
そのOisixのユーザーページに、注文履歴一覧があるのだ。
これ見ればだいたい私の食事履歴がわかっちゃうんじゃないのかしらね、と思って、7月~8月のデータをエクセル化してみたらこれが、一目瞭然だったんですよ。
見てくださいよこれ。
なんという野菜セレブであろうか2013年の私。1965年の母があわれなほどのトマトきゅうりづくしだったのに比べて、食材が3倍以上になっておる。主に増えたのは、寒い時期が旬の葉ものの野菜と、アボカドやズッキーニといった海外の野菜である。
娘よこんな贅沢をしてよいのか。
魚介セレブの北陸
いっぽうで、1965年の母の食卓は、魚介に関しては北陸らしく地元の魚が豊富でじつにうらやましいことになっていた。
たんぱく質で比較するとそれが如実にあらわれる。
50%以上、鶏肉、豚肉でしめる2013年の私に対して、母の「肉」の扱いのじつにそっけないことよ(母は鶏肉が苦手なのでこの「肉」は主にコロッケやカレーに入っている牛肉、豚肉である)。それに対して、「鯛の刺身」とか「マスの塩焼き」とか頻繁に登場して、どこの料亭かという魚介セレブっぷりを発揮する。
というか私ももっと大豆とか牛乳とか魚とか食べよう。
わかったこと3:
たんぱく質は1965年魚、大豆中心→2013年肉中心に
(田村家固有の現象かもしれないが)
鯛は能登でとれるので、かなりカジュアルに食卓にあがるのだ。これはやはり同時に出てきた社会科教材、「私たちの郷土」から。
ほぼ完璧な栄養バランス
ところでこの時代、冷蔵庫はあったかもしれないがおそらく冷凍庫はないものとみえる。毎回毎食、祖母が旬の食材でいろいろ考えて食事を作っているのがエクセルをうっているとしみじみ伝わってきた。
全体の栄養バランスも、いろいろ現代の考え方と違うところもあるが、円グラフにするととてもきれいにまとまった。
わかったこと4:
祖母の栄養バランス配分はたぶん完璧である
これを印刷して穴をあけてとじて
48年越しで母の宿題が完成した。
なんだかうっかりいい話になったな
祖母が毎日母に食事をつくり、毎日母が私に食事をつくり、いまの私がある。
当たり前のことだが、エクセルに入力している間じゅう、じつはなんだかずっとしんみりしていた。
空襲のなかった金沢市の年表で、昭和の真ん中に「戦争が終った」とぽつりあるのがしみる。