特集 2013年7月15日

1970年の東京の風景を探しに行く

左、2013年。右、1970年。
左、2013年。右、1970年。
1970年の東京の地理の本を手に入れた。
本に載っている場所がいまどうなっているか、観に行ってきた。
1984年うまれ、石川県金沢市出身。邪道と言われることの多い人生です。東京とエスカレーターと高架橋脚を愛しています。

前の記事:線路を歩ける橋、赤川鉄橋をくぐる、渡る

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興奮の『わたしたちの地理』

ある日、母が上京した際に、お土産として「こういうの、好きでしょ」と言って持ってきたのがこの本である。
昭和38年(1963年)刊、『わたしたちの地理』九州編、四国編。
昭和38年(1963年)刊、『わたしたちの地理』九州編、四国編。
裏側はこんな感じ。
裏側はこんな感じ。
祖母の家の納戸の整理をしていたら、母が小学生のとき購読していたこのシリーズが出てきたらしい。
うむ、大好物である。
昔の学習雑誌に描かれる「未来予想図」は乙幡さんがこちらの記事で紹介されていたが、この本が描くのは、高度経済成長まっただ中のリアル日本だ。環境問題が社会科の基本コンテンツになるちょっと前の時代、九州編に登場する工場地帯には、全体的にがんがんいこうぜ的雰囲気がみなぎっていた。
八幡製鉄所。「世界第4位の製鉄会社」として紹介されている。
八幡製鉄所。「世界第4位の製鉄会社」として紹介されている。
戸畑製造所。「上の写真で左のはしにある溶鉱炉は、一日に二○○○トンの銑鉄をつくる世界最大のものです。」とある。
戸畑製造所。「上の写真で左のはしにある溶鉱炉は、一日に二○○○トンの銑鉄をつくる世界最大のものです。」とある。
世界最大の溶鉱炉とか、世界一の敷地面積とか、自信に満ちている八幡製鉄所。Wikipediaによると戸畑製造所の発足は1958年。できたばっかり自信満々なのだ。
そして、軍艦島。
そして、軍艦島。
当然、現役で、当時の名前「端島」として紹介されている。
空撮だけでなく、島のひとびとの暮らしを紹介するコーナーもあった。せっかくなので、先日のT・斎藤さんの記事から写真を拝借して比べさせてもらおう。
1963年
1963年
ちょうど半世紀後、2013年(T・斎藤さん撮影)
ちょうど半世紀後、2013年(T・斎藤さん撮影)
2013年(T・斎藤さん撮影)
2013年(T・斎藤さん撮影)
1963年。配管の形状からして、同じ建物だろうか。
1963年。配管の形状からして、同じ建物だろうか。
「せまい」が強調されている。
「せまい」が強調されている。
子どももいっぱい。屋上には温室があったということだが
子どももいっぱい。屋上には温室があったということだが
 50年経って、緑化大成功である(T・斎藤さん撮影)
50年経って、緑化大成功である(T・斎藤さん撮影)
いいわー。
これは、現代の風景ともっといろいろ比べたいわー。

東京、変わりすぎ

というわけで、母が持ってきた地方編以外に、古本屋をあたって昭和45年(1970年)刊新版の関東編を手に入れた。
ばばーん関東編(1)東京
ばばーん関東編(1)東京
どこの地方都市の駅前だろうか、という風景であるが、左上に国会議事堂が映っているのがおわかりいただけるだろうか。霞ヶ関なのである。
中央にどーんとかまえるのは、日本最初の超高層ビルとして知られた、霞ヶ関ビルディング。東京タワーをさしおいて東京編トップを飾るほどか?とまず思うが、霞ヶ関ビルディングは1968年オープン(東京タワーは1958年)。このシリーズ、どうもできたばっかりのものを嬉々として紹介する傾向にあるようだ。
現在、上の写真の左側、現在の国会議事堂前はこんな感じ。霞ヶ関ビルディングなどすっかり埋もれてしまう立ち並びっぷりなのだが
現在、上の写真の左側、現在の国会議事堂前はこんな感じ。霞ヶ関ビルディングなどすっかり埋もれてしまう立ち並びっぷりなのだが
1970年の東京の全景はこれ。
1970年の東京の全景はこれ。
このくらいの高さのビルが霞ヶ関ビルディング(36階建て)と世界貿易センタービル(40階建て、1970年竣工)しかないのだ。
このくらいの高さのビルが霞ヶ関ビルディング(36階建て)と世界貿易センタービル(40階建て、1970年竣工)しかないのだ。
空撮と思われる写真が多いが、なんとか同じ景色が比較できないものだろうかと、企画が「東京高いところめぐり」になりそうなくらいいろんなビルの最上階にのぼった。
トイレの窓やら、会員制囲碁クラブの窓からやら(ダメ元でお願いしてみたらこころよく撮影させてくれた)、なるべく同じ方向が見られる場所をねらってみたのだが。
1970年、芝浦運河周辺の工場群。
1970年、芝浦運河周辺の工場群。
上の写真手前の倉庫のあたりにできた展望レストランから、現在の芝浦運河周辺。
上の写真手前の倉庫のあたりにできた展望レストランから、現在の芝浦運河周辺。
うーんと…?
もう1箇所行ってみよう。今度は品川から、東の湾岸地域を眺める。

大きな地図で見る
地図で見るとこのあたり。プリンスホテルから見られるかなと行ってみる。
1970年、品川埠頭の火力発電所を中心に、見渡す限り工業地域。
1970年、品川埠頭の火力発電所を中心に、見渡す限り工業地域。
ええっと…?
ええっと…?
うん、高さがぜんぜん足りないのもあるのだが、湾岸、変わりすぎ。本を持っていって同じものが映ってないかなーなんて見比べてみたけどもう全然わからなかった。
同じ場所から、現在の東京都心方面を眺める。東京タワーを隠さんばかりの高さのビルがにょきにょき。もう同じものって東京タワーぐらいしかないんじゃないのか。
同じ場所から、現在の東京都心方面を眺める。東京タワーを隠さんばかりの高さのビルがにょきにょき。もう同じものって東京タワーぐらいしかないんじゃないのか。

変わる東京湾岸

特に一番変わったのは東京湾岸だ。読んでいくと、東京都の東側から、工場地域がどんどん排除されゆく40年であった、ということがわかる。
豊洲には東京ガスの工場と
豊洲には東京ガスの工場と
石川島播磨重工の造船所
石川島播磨重工の造船所
いまは上を高速道路が通る竪川の周辺も水路を活かして工業地帯
いまは上を高速道路が通る竪川の周辺も水路を活かして工業地帯
木場にはその名のとおりの貯木場
木場にはその名のとおりの貯木場
東京に長い方には当たり前の光景かもしれないが、21世紀に上京してきて住宅街としての豊洲しか知らない私にはかなり新鮮。そして自分もその元工業地域であった江東区に住んでいるのだが
工業用水くみ上げによる地盤沈下で大変なことになってたり
工業用水くみ上げによる地盤沈下で大変なことになってたり
隅田川もドブ川よばわり
隅田川もドブ川よばわり
スモッグもすごい。
スモッグもすごい。
63年九州編の工場礼賛の雰囲気と比べると、70年東京編は公害という言葉も登場し、「そろそろ都心に工場があるとちょっとヤバいよね」という雰囲気のことも書いてあった。
まるで予言のようである。
まるで予言のようである。
なるほど、それでその後、芝浦、豊洲から工場が姿を消し、再開発のタワーマンションが並び立つようになったというわけなのかー。知らなかったなーほへー。
と、ついおのぼりさん全開で感慨にふけってしまったが、空から同じ景色を観るのは諦めて、地道に本の中に映っていて現存するものを探してみよう。

霞ヶ関は全体がいい味だしてきてる

というわけで再びの霞ヶ関だ。
官庁街。このへんの建物には古いものも多くてあまり変わってなさそうにみえるけどどうなんだろうか。
官庁街。このへんの建物には古いものも多くてあまり変わってなさそうにみえるけどどうなんだろうか。
警視庁。
警視庁。
うおーのっけからぜんぜんちがう
うおーのっけからぜんぜんちがう
しかしこういう明らかにかっこいい建物は
しかしこういう明らかにかっこいい建物は
重要文化財として残っていたりする。これは法務省。
重要文化財として残っていたりする。これは法務省。
農林省(現農林水産省)は
農林省(現農林水産省)は
前を走る車が変わったけどそのまんま。地下鉄駅の入り口もそのままだ。
前を走る車が変わったけどそのまんま。地下鉄駅の入り口もそのままだ。
大蔵省も
大蔵省も
名前だけ変わって建物はそのまんま。あと、やや木が育っている。
名前だけ変わって建物はそのまんま。あと、やや木が育っている。
特に重要でもなく、なにげない顔して残っているのっぺり四角い建物たちが、いい味だしててかっこいい。
そして、1970年当時ばりばりのブランニューで表紙を飾った霞ヶ関ビルディングは、3つに増えていた。一番ひだりの一番小さいやつが元祖である。
そして、1970年当時ばりばりのブランニューで表紙を飾った霞ヶ関ビルディングは、3つに増えていた。一番ひだりの一番小さいやつが元祖である。
入ってる会社を比べようとおもったらほぼ全とっかえだった。見事なまでにサービス業にシフトしている。
入ってる会社を比べようとおもったらほぼ全とっかえだった。見事なまでにサービス業にシフトしている。
エスカレーターは間違いなく開業当時そのままのもので、テンションがあがった。ステップ側面がツルツルでロゴが筆記体の東芝の希少な丸ボディ。
エスカレーターは間違いなく開業当時そのままのもので、テンションがあがった。ステップ側面がツルツルでロゴが筆記体の東芝の希少な丸ボディ。
1970年、つい最近のような、なつかしいような、絶妙な時代だ。江戸や明治ほどの重要性もなく、昭和レトロ的な万人の心にひびく郷愁もないんだけど、私はなぜか心ひかれてやまない。こうやって実際にそのまま残っているものを見つけると、なんとなくは「おお!」と思えるぐらいのレトロ感である。
最後のページでは、この調子でいまも残っているものを手がかりに、ほぼ同じ角度から撮ってこれた景色を並べようとおもう。

和田倉噴水公園

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丸の内のあたりのビルは古いのも多いじゃん、と思ってたんだけど、全部違ってる。あと、木が育っている。
丸の内のあたりのビルは古いのも多いじゃん、と思ってたんだけど、全部違ってる。あと、木が育っている。

皇居二重橋

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やっぱり木が育っている
やっぱり木が育っている

赤坂の高速道路

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赤坂見附で首都高が二股になるところ。
赤坂見附で首都高が二股になるところ。
写真に写っている歩道橋(現存)から撮るとこういう感じ。1970年にはもう首都高はいまの形だった。うしろの建物はまったく同定できないぐらいに変わっている。

渋谷歩道橋から

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左の銀行も右の東急東横店もそのままで、意外に変わっていなかった渋谷駅のバスターミナル。街灯が40年モノなのに一番驚いた。
左の銀行も右の東急東横店もそのままで、意外に変わっていなかった渋谷駅のバスターミナル。街灯が40年モノなのに一番驚いた。

東京駅

上からの眺めで、ぴったり同じ場所から撮れたのは、東京駅だった。
どこから撮ったかというと、東京交通会館である。
東京交通会館、ほら、1970年にちゃんと映ってる!
東京交通会館、ほら、1970年にちゃんと映ってる!
高さがどうだろうかと思ったが、上にのってる丸い部分が、回転展望レストランなのだ。ここから東京駅が見えるに違いない。幸いなことに、現在もばりばり営業中である。
銀座のカフェはどこも混む時間だが、あまり知られていないのか空いていた。生演奏用のグランドピアノがあったり、ランチが5,000円からとエレガント。1,200円のケーキセットを頼む。
銀座のカフェはどこも混む時間だが、あまり知られていないのか空いていた。生演奏用のグランドピアノがあったり、ランチが5,000円からとエレガント。1,200円のケーキセットを頼む。
回転展望レストランなので、目的の景色が見られるのは一瞬である。いそいそとカメラをスタンバイしたが、ちょうど通り過ぎたところらしくほぼ一周待つことになった。一周は80分である。はからずして優雅なティータイムとなる。

有楽町駅前
有楽町駅前
元都庁跡地の東京国際フォーラムと、丸の内。丸の内の景色も相当変わってる。
元都庁跡地の東京国際フォーラムと、丸の内。丸の内の景色も相当変わってる。
見たいのはこの景色だ。
見たいのはこの景色だ。
待つこと80分。
きたーーーーー!
きたーーーーー!
43年前、この同じ景色を撮影し、発展しつづける東京の未来に思いをはせたひとのことを思った。まだご存命でいらっしゃるだろうか。

さらに50年後にはどうなるか

43年でまるでたけのこのようににょきにょきと高層ビルがはえそろった東京。50年後にはどうなってるのだろうか、と当然考えるところだが、スカイツリーはできたけど、さらにドバイみたいにあの高さまでビルたちがにょきにょき育つ未来は、やっぱりちょっと想像できない、現代日本である。
長生きしていろんなものを見届けたい。
ちなみに、1988年、バブルがはじける前のアニメ映画『AKIRA』では、ドバイ並の高層ビルが並び立つ2019年のトーキョーが描かれている。(いまならオンラインですぐここから観られますよ http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=205)
ちなみに、1988年、バブルがはじける前のアニメ映画『AKIRA』では、ドバイ並の高層ビルが並び立つ2019年のトーキョーが描かれている。(いまならオンラインですぐここから観られますよ )
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