タマゴが先かニワトリが先か
ケンタッキーに限らず、偉い人の顔が飾ってあるのは時々見かけるだろう。 最近ではテレビでNHKの朝ドラ「あまちゃん」を見ていたら、大物プロデューサー氏のポスターがあちこちに飾られていて、
「あ、これだ!」
と思った。
店に入ろうとした時点で3つのカーネルサンダース氏に会う。
この手法。なにげなく見ているが、自分に置き換えて考えてみると(全部自分の顔だと思ってみると)かなりすごい事態であることに気づく。
店内に飾られている絵も。
壁のライトにも。ライトはあちこちにある。
カリスマ性のあるすごい人物だからこうなったのだ、というのが一般的な見方だと思うが、一方でこうして自分の顔をオモテに出していくことで偉大な雰囲気を作り上げていった、という見方もできる。ドラマの「あまちゃん」では後者の印象だった。
父の威厳が先か、父の顔写真が先か
ところで我が家では、家庭内における父の威厳というものがまったくない。
それはもしかしたら顔写真が飾ってないからではないだろうか?
我が家の居間(ビフォー)。あまりにも生活感丸出しだが、現実ってこうだと思うのであえてきれいにせず撮影。
子供が正月に書いた習字がなかなかのインパクト。習字を貼ると一気に家の中が実家っぽくなるの法則を発見。
「立ち入りきんし」の紙。こういうところにも父の威厳の無さがあらわれている。
反対側はこんな感じ。これがビフォーです。
顔写真のある住まい
写真は、いろいろ悩んだ末、
この記事のものを使うことにした。カラーで大きく出力すると印刷代が高いので、メインは白黒にした。
微笑んでるところが洗脳してる風でいいかな、と思いこの写真をチョイス。
ステテコ姿の写真も印刷したが、あまりバラエティに富み過ぎると写真展みたくなってしまうかもしれないと思い使用を控えた。一方、マイクを持ってる写真は複数枚印刷。
アフター。サイズはA1です。
偉大なる父がいつも見守っている。
テレビ見てたって視界に入ってくるぞ。
子供に見えやすいよう下の方にも貼ってみた。
上にも。
これは自分の部屋に貼った。
A1で印刷してしまったステテコの写真は、もったいないので自分の部屋に貼った。
こうなるとかなり意味不明になってくる。あるいはものすごい自分大好き人間みたいだ。
仕事中に視界に入ってくる。
画面に向かっていても視覚の隅に入って来て、ちょっと視線を移すとドヤ顔の自分が見える。なかなか慣れない光景だ。
さて、家族の反応はいかに
夕方になり、かみさんと保育園上がりの息子(6)が帰ってきた。
その反応は…
「うわ~!おとうちゃんがいっぱいだ!」
ちょっ、、おいコラッ!!
…てそれだけかよ! (それより虫の方に興味がある6歳)
息子(6)の感想:
「わぁ~、お父ちゃんがいっぱいだ!」
↓
「僕のも貼って!」
↓
「うりゃ~」と言って踏んづける
↓
そんなことより虫の方が大事
…という感じ。
一方、かみさんの感想は、
「え~!!なにこれ~!!」
「やめてよ本当に!!」
と全否定。終始機嫌が悪く、
「私が写ってる写真使わないでよね!」
とも。。
威厳回復にはほど遠い感じだった。
見守られながらの夕食。
ちなみに一番感想を言ってくれそうな(雪だるまの習字を書いた)小学生の娘は、夏休みでおばあちゃんちに行っており不在。しかし万が一娘の友達が来てこれを見たらいろいろ厄介なので、むしろ居なくて正解だったかもしれない。
「落ちてきた~。」
まとめ
・威厳、回復しない。
・むしろ険悪。
・長期的な運用では効果が出るかも…?
・時々見ては自分で「誰だコイツ…」と思うが、まんざらでもない。と言うか、落ち込んだ時などに見たら少し励みになりそうな気もする。
・とりあえず遺影には困らなくなった。