函館市の五稜郭
さて、まずは函館の五稜郭を見てみよう。幕末の慶応2年(1866年)、江戸幕府によって築かれたその城は、大層立派なものである。
五稜郭の側には五稜郭タワーなる展望台が建っており、そこから五稜郭の全貌を見渡す事ができる。
幾何学的で綺麗なお城ですな
展望台に置かれていた模型。まさに星形!
現在は国の特別史跡に指定されている
星の先っちょの鋭角っぷりがたまらない
とまぁ、五稜郭である。函館の観光と言えば、五稜郭か赤レンガ倉庫かというくらいに定番なスポットだ。
このような星形の城は、ヨーロッパで発達した西洋城郭であり、星形城郭あるいは稜堡式城郭などと呼ばれている。
本場の星形城郭をちょっと紹介
鉄砲や大砲の登場により、ヨーロッパの城事情は劇的に変化した。
真っ先に砲撃のターゲットとなる高い塔は無くなり、また直線的な射撃での死角を無くすため、星のようなトゲトゲした形になったのだ。
その幾何学的な縄張りは見た目にも美しく、衛星写真を見ているだけでも楽しいものである。
サンティアゴ巡礼で私が訪れた、スペインのパンプローナにもある
日本の五稜郭は、これら西洋の築城技術を取り入れたものである。
日本に築かれた星形城郭は二件。そのうちの一つが函館の五稜郭であり、そしてもう一つが今回紹介する長野県の五稜郭こと龍岡城だ。
長野県の五稜郭は佐久市にあり
それでは、いよいよ龍岡城に行ってみよう。龍岡城があるのは、長野県東部の佐久市。最寄駅はJR小海線の、その名もズバリ龍岡城駅である。
小海線はJR中央線の小淵沢駅から八ヶ岳山麓の高原を抜けて小諸へと続く、なかなかゴキゲンな路線だ。その途中には、日本一標高の高い鉄道駅である野辺山駅があったりもする(参考記事「
野辺山パラボラパラダイス」)。
グリーンの色使いがかわいらしい、二両編成の気動車だ
小淵沢駅には、小海線界隈の見所案内があった
龍岡城もばっちり載ってる
列車に揺られ、緑豊かな高原や山の谷筋を進む事約1時間半、景色に変化が無くなり少しうつらうつらし始めた頃、龍岡城駅に到着した。
龍岡城駅は周囲に住宅街と畑が広がる無人駅であった
思っていたよりも素朴な……というか何もない駅である。利便性を求めるならば、一つ前の臼田駅で下車する方が良いだろう(龍岡城までの距離もさほど変わらないし)。
龍岡城は龍岡城駅から約2kmの地点にある。真夏の太陽にあぶられながら30分歩くのはちと辛いが、その途中には目を引く物も多々あり、なかなか面白い。
途中、ドジョウ筌(うけ)を販売している家があった
藁で日を遮って栽培しているこれは何だろう
赤い実が付いている。見た事無い作物だ
一体これは何だろうと思って地元の方に尋ねてみたら、なんと薬用人参なのだそうだ。普通の人参とは全く違う見た目、栽培方法にびっくりである。
この佐久市は、全国でも珍しい薬用人参の産地らしい。その栽培には土地を選ぶ上、最低でも4年経たないと収穫できないというからまた凄い。高額な理由が分かるというものだ。
……と、少々話が反れてしまった。私が目指すのは五稜郭である。だらだら汗を流しながら歩き、そろそろ到着するかなと思い始めた所、道の先に石積みの構造物が見えた。
私の文化財レーダーが、あれは城の一部だと告げる
うむ、やはり城郭遺構の一部、虎口(城の入口)であった
五稜郭から少し離れた位置に、ポツンと存在している
石垣の高さはそれほどではなく、やや小ぢんまりとした印象だが、それでもここからが城の領域なのだと実感できてわくわくする。
しかしふと思ったのだが、五稜郭は西洋式城郭なのに対し、この虎口は日本式だ。西洋から学んだ要素を取り入れながら、その外郭は慣れ親しんだ日本式で固めたのだろうか。
さらに進むと、城らしきものが見えてきた
おぉ、濠だ。ついに辿り着いた、龍岡城
日本に二つ、五稜郭
しっかり星形の龍岡城五稜郭
常に観光客で賑わう函館の五稜郭とは対照的に、ここの五稜郭は静かでのんびりとした雰囲気である。
この龍岡城を築いたのは、奥殿藩の藩主である松平乗謨(まつだいらのりかた)。完成したのは函館五稜郭の一年後である慶応3年(1867年)で、その翌年には明治維新を迎え、明治4年(1871年)には廃城となった、なんとも儚い運命の城である。
函館の五稜郭よりはだいぶ小ぶりではあるものの、その形はしっかり星形であり、また濠や土塁の現存状態も良く、国の史跡に指定されている。
龍岡城の大手門(正面入り口)
星形の濠は今もしっかり残っている
このような星形城郭は、城内部への入口が突起の付け根に位置している。敵が入口に近付くと、その左右の突起部分から大砲や鉄砲をパンパンと浴びせるワケである。
星形城郭の濠は、形状が複雑で面白い
築城後すぐに廃城となったにしては良く残っている
幕末に築かれたものなだけあって、石垣技術も高度だ
とまぁ、しっかり五稜郭な城である。ただ防衛施設としての機能はそれほど高く無く、どちらかというと珍しい西洋式の城を作り、それを誇る事が目的であったようにも思う。
城の内部は小学校が広がっている
城の内部はどうなっているのかというと、築城時は藩主の邸宅兼政庁(役所)が建っていたそうだが、現在は小学校となっている。
城というのはある程度のまとまった広さがある為、廃城後は学校に転用される事が多い。ここもまたしかりである。
小学校のグラウンドが広がる
その中で、ポツンと建っている城の名残り
グラウンドの片隅に建つこの建物は、築城当時の建物である御台所だ。その名の通り、藩主邸宅の台所であった建物である。
廃城後はほとんどの建物が取り壊された中、この御台所だけは農具倉庫として、また学校になった後は校舎として残されたという。
近寄ってみたい所ではあるが、いかんせん、小学校の敷地内なので侵入がためらわれる。すぐ側に建つ資料館で聞いてみた所、「入ってもいいよ」という事だったので、「それでは」と遠慮無く入らせて頂いた。
が、入口は閉ざされているので外観を見学するのみ
それにしても、立派な建物である
格子がまたセクシーだ
校舎として使われていた時代の名残だろうか。古い時計が残る
今回は外観しか見学できなかったのだが、数日前までに佐久市教育委員会文化財課に予約しておくと、内部の拝観もできるのだそうだ。
外観からしても壮大な建物なだけに、内部はさぞ立派な柱や梁、小屋組みを目にする事ができるのだろう。
五稜郭の周りをぐるっと一周
函館の五稜郭はあまりに巨大すぎて、一周するにはかなりの労力が必要だが、こちらは散策に手頃な大きさである。少しうろついてみる事にしよう。
城の南西側には濠がなく、石垣のみだ
星の先端部分の尖り具合がカッコ良い
石垣は僅かに湾曲しており、上り辛い構造である
こちらの先端は滑らかなアールが印象的
このカーブ具合、たまらんですな
さらに小学校裏手をガシガシ進む
その先には橋の跡があった
向こう側は水を湛えた濠である
とまぁ、龍岡城ではこんな感じで石垣や濠を見る事ができる。
西洋式の城郭ではあるものの、石垣などの細部は実に日本的な感じであり、和洋折衷の独特な雰囲気があるように感じた。
ちなみに、龍岡城を衛星写真で見るとこんな感じだ。
また、当サイトライターの三土さんが作成された画期的なサービス「くらべ地図」で函館の五稜郭とも比較してみた(→
五稜郭くらべ)。
函館五稜郭よりかは随分小ぢんまりとしているが、しかし日本に二つしかない星形城郭という事で、やはりレアで特異な存在である。
臼田駅では、五稜郭記念切符が購入できた
五稜郭の見学を終えた後で知った事だが、この辺りには臼田駅などで乗り捨て可能な無料レンタサイクルが存在する。
これを使えば、駅からの移動や周囲に散在する他の見所散策もらくらくである。暑い中、移動するのも苦ではない。
心の底からありがたいと思った、無料レンタサイクル
心の底からありがたいと思った、無料レンタサイクル
ほぉ、五稜郭記念切符とな!
ほぉ、五稜郭記念切符とな!
函館の五稜郭とのコラボ。立派な台紙付きである
記念になると思って買ってみたのだが、帰ってから調べてみると、この五稜郭記念切符は7月25日から発売開始という事であった(訪れたのは26日)。なんというジャストタイミングだったのだろう。
しかも今年度いっぱいの期間限定。限定3000セットで完売しだい終了という事で、ちょっと得をしたという気分である反面、今年度中に函館の五稜郭にも行ってそちらの切符もゲットしなきゃなぁと、新たな義務感も生まれてしまった。
素朴ながらも珍しい、幕末の遺産である五稜郭
五稜郭というと函館のものが知名度高いが、そこから遠く離れた長野県にも同様の城が存在する。その事実を確認する為に今回龍岡城を訪れたワケだが、想像していた以上にしっかり残っており、暑い中でも無我夢中で楽しんでしまった。
また五稜郭の近くには、室町時代の社殿や三重塔(いずれも重要文化財)が残る新海三社神社など古い社寺も多く、併せて周るとより楽しめるのではないかと思う。