特集 2013年6月22日

日常はハムであふれている

実はハムを食べている
実はハムを食べている
世の中の誰もが食べているハム。ハム。ハムは食卓でだけ食べられるわけではない。日常のあらゆる場面で我々は食べているのだ。
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮

ハムを食べる人々の喜び

食卓に幸せをもたらしてくれる食べ物「ハム」。その歴史は古く、我々人類が長年ハムを愛してきたことを裏付けている。ハムカツやハムマヨなど調理法も豊富であり、もちろんそのまま食べても美味しいという素晴らしき食べ物、それがハムである。
皆さんご存知の「ハム」
皆さんご存知の「ハム」
その美味しさがため、日常生活に実はハムが関わっているということも少なくない。しかし忙しいためだろうか、我々は日常の表面的事実しか見ていない。そのため一歩先にあるハムという事実に気がついていないのである。
韓国語の勉強をしている
韓国語の勉強をしている
実はハムを食べている
実はハムを食べている
パッと見は本を読んでいる人と誰もが思うだろう。もう一歩踏み込めばハングルの勉強をしている人だ。しかし、キチンと踏み込めば事実は異なる。本なんて読んでいない。ハングルの勉強なんてしていない。実はハムを食べているのだ。このように気づかないだけで我々の日常にはハムが密接に関わっているのである。
花の匂いをかいでいる
花の匂いをかいでいる
実はハムを食べている
実はハムを食べている
花を顔に近づけている人を見たら「花の香りをかいでいる」と皆が思うことだろう。しかし本当にそうだろうか。実はハムを食べているという可能性だってあるのだ。人類はハムが大好きだ。花よりハムである。現に上の写真ではハムを食べている。物事を注意深く観察すればこのようにハムに行き着くのだ。
犬の散歩をしている
犬の散歩をしている
実はハムの散歩をしている
実はハムの散歩をしている
ルールが変わった。リードを持って歩いている人を見ると、誰もがペットの散歩と思うことだろう。リードからそのペットは犬と絞ることもできる。しかし、広い視野を持てば必ずしもそれはペットとは限らない。ハムの可能性だってあるのだ。人類に長く愛されてきたハム。そのようなことだって十分に考えられる。
その後、ハムを食べる
その後、ハムを食べる

ハムによる幸せ

ハムは食べるだけが全てではない。もちろん最後は食べるが、スペインにはハムの博物館も存在する。ハムは食べるだけでなく見ることにも意味がある食べ物なのだ。
死んだ彼女の写真を見て泣いている
死んだ彼女の写真を見て泣いている
実はハムを見ている
実はハムを見ている
そして、すでにハムを食べている
そして、すでにハムを食べている
写真フレームに入っているからといって、それが必ずしも写真とは限らない。ハムという可能性も考えておく必要がある。見かけが全てではない。またハムを見ているからと言ってハムを食べていないとはならない。牧場でバーベキューを食べるようにハムにもその可能性はあるのだ。
音楽を聴いている
音楽を聴いている
実はハムを聴いている
実はハムを聴いている
イヤホンをしている人を見ると、誰もが音楽を聴いていると思うことだろう。果たして必ずしもそうなのだろうか。アリバイのない人間が必ずしも犯人ではないように、イヤホン=音楽ではなく、イヤホン=ハムという可能性も考えなければならない。イヤホンの接続先はハムであるため何も聞こえないが、ハムは心に響くと思い込もう。
キスをしようとしている
キスをしようとしている
キスをしようとしているように見えても、必ずしもそれはキスではない。キスと似たような状況が数多く存在することを選択肢に入れなければならない。そのような広い視野が真実を浮かび上がらせるのだ。たとえば上の写真はキスではなくハムに息を吹きかけているところである。
実はハムを吹いている
実はハムを吹いている
その後ハムを食べている
その後ハムを食べている

生活はすべてハムである

生活の様々なところにハムの存在があることが分かったと思う。客観的事実を見ればそこにハムの存在は確認できないが、よく見ればそこには間違いなくハムが存在する。何事においても深く踏み込むことがハムという存在に近づける唯一の方法なのだ。
虫を捕まえた
虫を捕まえた
実はハムを捕まえた
実はハムを捕まえた
その後、ハムを食べる
その後、ハムを食べる
虫かごに入れるのは虫とは限らない。もちろん魚や甲殻類という可能性もある。しかし、それだけであろうか。ハムという可能性もあるのだ。世界は可能性で満ちてる。ハムという可能性も十分にあるし、そのハムがとても美味しいということだってあるのだ。
催眠術をかけている
催眠術をかけている
実はハムにかけている
実はハムにかけている
五円玉に糸を付け振る催眠術。「あなたはだんだん眠くなる」と唱えながら五円玉を揺らす。多くは「あなた」と聞くと人間を思い浮かべるだろう。あるいはペットにも「あなた」と言うかもしれない。しかし忘れてはならないのは「ハム」である。「ハム」をあなたと呼ぶ層のことも考えなければならない。ハムに催眠術はかからないが、そのような柔軟な考えがいま世界に必要とされているのだ。
その後は食べる
その後は食べる

ハムを補完する

我々はないものを補完する力を持っている。たとえば、明日の遠足の話をしている時に「晴れるかな?」と言われれば「明日は晴れるかな?」ということである。このようにハムを補完しなければならない場面も存在する。
土下座している
土下座している
ハムに土下座している
ハムに土下座している
実はハムを継いでいる
実はハムを継いでいる
正座をして頭を下げる行為を「土下座」というが、必ずしもそれは怒りをかって許しを乞うているとは限らない。

襲名している可能性も考える必要がある。ハムに頭を下げているところから「三代目ハムを襲名している」と補完しなければならないのだ。世の中は理不尽であり、必ずしもすべてを説明してくれるとは限らない。柔軟に状況を読むことが大切なのだ。
その後、三代目を食べる
その後、三代目を食べる

ハムのハッピーエンド

多くの映画や小説がハッピーエンドに向かい話が進むように、日常もまたハッピーエンドを求める。これはハムも同じだ。ハッピーエンドに向かわなければならない。つまり食べるのだ。ハムは美味しい。ハッピーエンドである。
探し物をしている
探し物をしている
ハムを探している
ハムを探している
そして、食べる
そして、食べる
探し物をしている人に「何を探しているのですか?」と聞くとする。答えにはいろいろな可能性があるだろう。「コンタクト」かもしれないし、「お財布」かもしれない。もちろんそれは「ハム」の可能性だってある。世の中にはハムを探す人もいるのである。そして、見つかったハムを食べる。美味しい。ハッピーエンドである。
フリーハグをしている
フリーハグをしている
実はフリーハムでハムを配っている
実はフリーハムでハムを配っている
補完することが大切と先に述べたが、脳内で補完するだけではダメな時もある。確実に物事を進めようと思えば確認である。有料だと思ったものが会員だけ無料ということもあるように、勝手な補完が無料のハムを逃す可能性もあるのだ。

見えている「フリーハ」で結論に至るのではなく、「ム」まで確認するのだ。美味しいハム、無料で欲しいではないか。確認がハッピーエンドを導いてくれるのである。
誰ももらってくれないので、自分でハムを食べる
誰ももらってくれないので、自分でハムを食べる

日常にハムはない

ハムが好きで日常を観察するとハムが密接に関わっている可能性が十分にあると考えていた。我々は忙しい毎日に飲み込まれ、一つのひとつの出来事を深く追求しないことが染み付いている。しかし、キチンと追求すればそこにはハムがあるだ、と思ったけれど、意外と不自然でハムはそんなに日常に関わっていないと分かった。ハムの散歩なんてするはずがない。でも、忘れないで欲しいのはハムは美味しいということだ。
CDがハムということも絶対ない
CDがハムということも絶対ない
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