そもそもの紹介者がまず変わっている
発端は群馬県でスカイツリーの高さのm数と同じ、634歩ぴったりでいけるうどん屋(※書いてても意味がわからなくなる)を取材したときのことだ。
[参考]『祝東京スカイツリー一周年!全国にあるスカイツリー』
この橋本さんが「私なんかよりおもしろい人が近くにいる」と言う。
なんでも90歳のおじいちゃんなのに、去年の発明コンクール全国大会で電動三輪車を出品し優勝したんだそうだ。
発明で賞をもらった景品。てきとうに書き加えたにちがいない。
発明おじさんのあやしさよ
「私も館林の発明コンテストで毎年入賞するんだけどね」と橋本さんはまた言う(※橋本さんの話の過剰さは上記記事を参照)。
ちなみにどういうものを作ったのかときくと、便利なブラインドや二つの水槽がくっついたものだそうで、なかでも次のがすごかった。
「シートベルトがね、裏表ちがってね、タヌキの絵が描いてたりするの」
なんだそれは。発明とよべるのだろうか。たんに裏がタヌキ柄のシートベルトじゃないのだろうか。
「私も館林の発明コンテストで二位とったことあってね、一位の男の子がのちの世界大会でなんと金賞!」新聞記事を見せてくれる橋本さん
――しかし発明コンテストって市がやってたりするんですね
「本当はね、子供がメイン。大人はおまけみたいなものだよ」
大人が子供の大会に出て賞をもらってる違和感が、モクモクモク~っとバルサンのようにたちこめた。おじいちゃん、それ出たらだめなんじゃないか。
「ほら連れてってあげるから乗って!」 どこへ~
むりやり連れてく先はアポなしである
車は同じ館林市内のある場所に到着。敷地の中をそのまま踏み入ってく橋本さん。
「約束してないけどさ、それくらいの仲なんだよ」
橋本さんの仲良しじいさん。また個性的なおじいさんが出てくるんだろうなと思ってはいた。
敷地内にある作業場のようなところに入っていく
三輪車をいじる大西さん。真ん中のストーブでふとんを乾かしている。
雑然とした作業場で
「あらあらごめんなさい、お布団そのままで。雨にふられちゃってね、もう少しだけこのままで」
入るなりおばさんが迎えてくれた。どうやらおじいさんの娘さんのようだ。橋本さんが紹介してくれる。
「こちら大西さん。大西勇一さん。さっき言った発明コンテストの全国大会で1位になったの。それがその三輪車」
90歳のおじいちゃんが三輪車でくるくる回っていた
どこに信用をおけばいいのか
はあ、どうも。
これが大西さん目当ての取材なら、モチベーションも高く話が進むだろうが、いきなり連れてこられた身としては、はあ、としか言いようがない。
「大北さん、なんでも聞いちゃっていいんですよ」
雑然とした作業場にストーブががんがん焚かれてふとんが二枚、鎮座している。90歳のおじいちゃんが三輪車にまたがりくるくる回っている。オレンジの帽子には郭なんとかと台湾風の人名が書かれている。
なんなんだこれは。誰と誰を信用していいのだ。
片手で持てる電動三輪車
「これこれ、ほら片手で持てるんだよ」と橋本さんが大西さんの乗ってた三輪車と同じものを片手でひょいとあげる。
なるほど、持てるのか。これでちゃんと動いたらたしかにすごいかも。
車体をよく見れば『片手で持って行ける軽さで大人が乗れる電動三輪車』と車体に書いてある。発明コンテストに出した際の名前だろうか。
それともこれが何か忘れないためのメモなんだろうか。
「片手で持って行ける軽さで大人が乗れる電動三輪車」書いてあるな
こちらは新型の方。5.8kgあるが、2~3時間走れるそうだ。
実際に走らせてみよう
「雨もあがったし、外で走らせてみよう」と橋本さんが電動三輪車片手に外に出た。
「時速5~6kmは出るよ」と言う。なるほど、それも書いてある。
動いた。遅いが小さいためか、見た目にも軽快だ。
おじいさんがおもちゃを乗り回してる感じではある
動いた。
「時速5~6kmは出るよ」と言う。たしかに歩くより少し速めの速度で橋本さんは進んでいく。
群馬名物の雷が終わり、雨上がりの道路をおじいさんが三輪車に乗って進んでいく。
思えば遠くに来たものだ。
これ欲しい
すすめられるがままに、ぼくも乗らせてもらった。
乗ってみると、あっ。これは思ったよりもいいものだ。想像以上にたのしい。
遊園地にいくとこれくらいのはやさの乗り物ってあるが、これは手にもてるくらい軽いという点で決定的にちがっている。
「トラックって乗ってるときの視点が高いからたのしいぜ~」とか聞いて(……視点なんか関係あるかそんなもん)と思いながら乗ってみると(……視点高くてたのしい!!)となるように、視点と同じく"軽さ"ってたのしさに直結することを知る。
小さいし、小回りもきくし、ちょって手にとって位置を直したりもできる。視点の低さも新鮮だ。トータルで物としてのたのしさがすごい。
これ欲しい。電車から降りてさっそうと三輪車にまたがってウィンウィンいわせながら重役出勤したい。
小回りもきく。位置を簡単になおせる手軽さもたのしい
ムダな重さを全部なくした
――実際に手にとって使ってみるといいものですね
これはね、60から90kgくらいの人が乗れて、壊れたときには持って歩けるんだって物。
電動カートってもちろん持てない。どれも60から80kgくらいあるでしょう。そんな重くなくていいの。
今世の中にはPL法ってのがあってね、何か事故があったときにメーカー側が責任をとるんですよ。
だから電動車カートも重い人が乗れるようになってるし、何時間も走れるようになってる。結果、重くなってるんだよね。
橋本さんたちが大西さんに贈った本家電動カート。これがでかくて重すぎるだろということで今にいたる。
一日持ち歩けてしかも乗れる
「電動カートなんて2~3時間も動かなくていいんだよ。そんなものはいらないわけ。でもそれを満たすにはどんどん車体も重くなっていく。
それで調べたの。持ち運べる重さってどれくらいかって。そしたら人間がぶらさげて歩けるのは4kgまで。サラリーマンのかばんは4kgまでなら一日中ぶらさげても大丈夫なんだってね。
そうやって作ったのがそこにある3.7kgのもの。そのかわり電池は1時間」
この三輪車、軽いなと思っていたが一日持ち歩けるのか。サラリーマンがカバンの中身をスマートフォンに詰め込んで、手には三輪車を持つ日も近いぞ。
バッテリーや電気系統が入っている
モーターは模型用。これで80kgの人が動くのだからすごい
私がやってるのは模型なんです
――これ何で動いてるんですか?
「模型用のバッテリーとモーターだね。バッテリーにしたってこれくらいの手のひらに乗るくらいのものだから、予備を持っていってなくなったら替えてやればいい。
基本的に私がやってることは模型なんですよ。
模型ってのは軽く作って力があるようにするわけで、軽く作るためには模型の世界に入らないといけないわけ」
なぜやたらに模型、模型と言うのだろうと思っていたが、娘さんがここで口をはさむ。
「お父さん、昔の写真見せてあげたら?」
なんとこの大西さん。戦後初の自作飛行機で有名な人だったのだ
かつての"ヒコーキ野郎"大西勇一
娘さんが持ってきてくれたアルバムには新聞や雑誌の切り抜きが山ほどあった。
この大西勇一さん、実は日本で唯一の個人の飛行場大西飛行場をもち、自作飛行機「スバルプレン」を作って茅ヶ崎から大島まで飛んだ、自作飛行機で海を越えたおそらく日本初の人だった。
橋本さんが「私なんかよりおもしろい人を紹介しますよ」と言っていたが、この人本当に"おもしろい"人だったのだ。
自作機『スバルプレン』で茅ヶ崎と大島を往復
自作飛行機のパイオニアだった
「昔はアメリカ製の飛行機を買ってね、それで飛ばしてたんだよ。
そのあとグライダーに車のエンジン積んだ自作機でね、そこの新聞記事にあるように大島まで120km飛んだんだよ」
なんでも飛行機用のエンジンで飛行機が飛ぶのは当たり前だから、と自動車のスバルのエンジンを使ったそうだ。すごい。
たしかにすごいが、飛行機を自分で作って飛ぶってそういう発想がないためもう自動車で飛ぼうが何しようがすごいとしか言いようがない。
すごさがもうぼくの手に追えない。ゾウ見て「でかいっすね」と言ってるのと同じことだ。
『大西スバル・プレーン』は航空科学博物館に所蔵され、今は向井千秋記念子ども科学館に移されている
――そういう自作飛行機の世界って当時からあったんですか?
「俺が、最初だったけどなあ。今だったら許可出してもらえないからやる人はいないだろうな」
戦時中、軍で飛行機の整備士をしていたそうだが、よくそんなことする気になったものだ。"誰もやってない"なおかつ"すぐ死ぬ"ことなんて人生3回あったとしてもやりたくない。
飛行機の翼のようなものがころがっている
「これおいしいから買ってあるのよ。食べてくださいね」 おじいちゃん家に行ったらこういうことになってる
パイオニアは法に対して厳しい
――これ実際にあったら買いたいくらいなんですが、作るのにいくらくらいかかるんですか?
「材料は一万円ちょっとだね。もう一回作るなら、そうだなあ、一週間あればできるな。(お父さん、ほんとに? むりじゃないの?) そりゃもう一回やるんだからいけるよ。
何があってもおれが責任持つって人がいたら一般の人にも持てるんだろうけどね。製品としては難しいね。」
実際に乗るなら車道はだめだけど歩道だといいらしい。大西さんは規制に対してたたかってきたパイオニアらしく、法についてたえず文句を言っている。
今の大西さん、90歳ってなんだろうと思えてくる
まだいじるのか
他の新聞記事を見ると大島まで飛んだとの後も、模型用のエンジン6機で飛んだり、水上飛行機を作ったりと挑戦をつづけたようだ。その延長線上に今、電動三輪車があるのかもしれない。
「最新作は静かなんだよ。サスペンションもついているから乗り心地もいい」三輪車の性能を自慢するときの大西さんは心なしか生き生きしている。
「でも音あったほうがいいような気がしないこともないかも。お父さんどこにいるかわかんなくなるから」と笑う娘さんに「そうだ、迷子になっちゃう」と大西さん。
「お父さん、毎日この車をさわってるんですよ。朝も6時から起きてね」
「これいい写真ですね!」「でしょう? これいい写真よね、お父さん~」
ヒコーキ野郎は今
世の中の経済状況や社会の厳しさ、もちろん自分の年齢も体力も変わり、飛行機も飛行場も手元にはない。
それでもかつての"ヒコーキ野郎"は今も"ヒコーキ野郎"に見えた。
(ところでこれがついさっきまで「誰を信用したらいいんだ」とか言ってた人間の言葉だろうか)
"ヒコーキ野郎"大西勇一さん
『大西さんの手作り第一号は昭和三十九年のオートジャイロ。以後「飛行機のエンジンで飛行機が飛ぶのは当たり前」ということで、自動車エンジン利用の"フライト"に挑戦したことは有名。(中略)四十五年には1300ccで東京ー大島間の長距離飛行に成功。翌年は水上飛行機に挑み、これもVサイン。相つぐ成功に、自動車エンジンで飛行機が飛ぶのも当然になってしまった。
「今度は、よりイカサマ的なもので…」とひそかに次なる対象物をさがしていた。』
(切り抜きのため新聞名、発行年月日は不明)
"ヒコーキ野郎"大西勇一さん (冒頭の写真もちがって見える)
スカイツリーまで行くらしい
このあと、また橋本さんが出てきて「これでスカイツリーまで行こうって計画があるんです」という。
今、群馬県館林市では"スカイツリーから63.4kmのまち たてばやし"キャンペーンをやっていて、盛り上げるためにスカイツリーまで行くのだそうだ。
「あなたもね、協力してくださいよ」
ドライバーを交代しながら一週間くらいかけて少しずつスカイツリーまでいくらしい。
しかしその後話は、一日ちょっとだけ進んであとは地域のおいしいものを食べたりボランティア活動をするとか、どんどん橋本さんの夢が盛られていってたのでこれは実現しないんじゃないかと思っている。
実現しなくともこうした挑戦がまだ目の前にあらわれるのは大西さんらしい。自分の作ったもので空を飛ぼうなんて人の人生はちょっとちがう。
「デイリーポー? なに?」タブレットを使うし名刺にはスカイプIDまで書いてある大西さん