中華句会に呼ばれた訳
この中華句会とは、古い歴史や伝統があるというものではなく、中華料理専門ウェブマガジン
80C(ハオチー)の編集をしている口八楽(こばら)さんという俳号の方が始めた、「その日の食事の感動を五・七・五のことばで切り取る」という遊びである。
俵万智の「サラダ記念日」みたいなものだろうか。あれは短歌か。
なぜその会に私が呼ばれたのかというと、「
俳句レシピ」という、以前私がこのサイトで掲載したクラブ活動を口八楽さんが見て、誘ってきたのである。いや、挑まれたといってもいいだろう。
ちなみに俳句レシピとは、こんなのだ。
俳句レシピとは、料理のレシピを俳句にするというものです。
中華句会で求められる俳句と、俳句レシピで作ってきた俳句は、方向性が全く違うものだが、一応文字数は同じである。
多少のルールの違いはあるが、他流試合を挑まれたからには、受けて立たねばなるまいと、誘いに乗ってみた次第だ。
会場となった中華料理店。円卓があるのが会場の条件なのだとか。
そういえば初対面の方との食事会だ
中華句会当日、会場となった中華料理店の個室にいくと、当然ながら知っている顔が一つもなかった。句会云々の前に、初対面の方々と円卓を囲んで料理を食べるというところに、人見知りの私としては高いハードルを感じてしまう。何を話せばいいのかしら。
参加者は私を加えて男性4人、女性2人の計6名。その中で、俳句を趣味にしているのは2名で、1人は俳句結社に所属している本格派だ。
俳句結社とは、「ある文学理念を提唱する主宰者の元で主に俳句雑誌を出すことを目的として集まった作家集団」とのこと。ウィキペディアで今調べた。
中国武術をやっているという参加者が青龍刀(もちろん模造刀)を持参してきた。さすが中華句会。写真左が主催の口八楽さん。
俳号は鮒
中華句会に参加するためには俳号が必要ということで、前日まで悩みに悩んで、己に「鮒」と名付けた。フナである。自宅の水槽で泳いでいる魚だ。
あまり深い意味はなかったこの名前だが、この後に中華句会でアップアップする私の姿は、田んぼ脇の用水路で酸欠になって、水面に口を出してアップアップしている鮒に似ていたと思う。
本日のメニュー。
俳句が全く出てこない
口八楽さんから簡単なルール説明があった後、すぐに前菜が運ばれてきた。もう中華句会はスタートしているのである。
かなり緊張してしまっており、頭が全然回っていないので、これにアルコールが入ったらどうにもならなそうなので、ちょっと悩んで飲み物はウーロン茶にしておいた。
まずは前菜から。
最初に出てきたのは、クリームチーズと空豆だった。普通の食事会だったら何も考えずにただ料理を楽しめばいいのだが、これは中華句会。この料理から句の材料を探していかねばならないのだ。
空豆って 薄皮ごと食べて いいんだっけ
豆腐かと 思って食べたら クリームチーズ
だめだ、全然俳句になっていない。選び抜いたはずの17文字にまったく知性が感じられない。
アワアワしている間に、もう一皿前菜の盛り合わせがやってきた。
これで俳句を作るのか。
とりあえず詠んでみる。
エビにトリ サバに腸詰 あとなんだ?
うん、やっぱり句にならない。
テーブルの向かい側から「中華の前菜にサバって珍しいわね」なんていう話し声が聞こえてくる。
そうか、そういう料理の特徴を拾っていって、句に昇華させていけばいいのか。
サバで一句 これがホントの サバを詠む
なんて、こんなことを考えている余裕は、この時はまったくなかった。
中華句会、思っていた以上にハードルが高い。
軽快な会話をしながらも、要点をメモっていく参加者達。
さすが俳号が鮒だけあって、目が泳ぎまくっている私。
料理の味が記憶に残らない
前菜に続き、次々と料理が運ばれてきたのだが、俳句のことが気になりすぎて、どれを食べても味がすぐに消えて行ってしまう。脳味噌の処理能力が味覚に使えていない。
俳句にすることで、その時の記憶を鮮明に残すという意味で、口八楽さんは、「俳句は心のカメラです」というのだが、僕の心のカメラはどこにもピントが合ってくれない。
ここから先、あなたも写真を見て俳句を考えながら記事を読んでみてほしい。味がわからない感じが少しは伝わると思う。
春巻きか。春うらら…続かない。
春巻きかあ。
春だから 春巻きだねと 君は言う
うそだ、そんなこと誰も言っていない。
この小龍包がもう少し熱ければ、なにかイマジネーションが沸く気がするのだが。
フカヒレスープの下には茶碗蒸し。この二重構造の喜びを伝えるには17文字は少なすぎる。
味の感想を言えばいいっていうものでもないだろうし、なにが中華句会の正解なのかがわからない。
かといって、無理にこの場の空気を読もうとしないで、俺が新しい空気を吹き込んでやるんだ!なんていう根性もない。
一応これでもライターである。こういう会は得意だと自負していたのだが、頭も舌も見事なまでに回らない。手も足も出ないとはこのことか。
この会の写真を送っていただき、自分が見事なまでに無表情でびっくりした。
とりわけする大皿料理が出てきた。
料理をとりわけしてもらう時に、エビの数を数えてしまう自分の貧乏臭さをどう句にすればいいのだろう。
エビの数 数えて安心 人数分
自分としては好きな句だが、中華句会としてはどうだろう。
牡蠣が入っているというのが、言われるまでわからないくらい味覚がマヒしている。
麻婆カリー麺。印象の強い味なのだが、言葉にならない。
いい大人が全員紙エプロンをしている様子を心のカメラで収めたいのだが、さてどうしよう。
自信を持って発表できそうな句が一つもできないまま、最後のデザートが配られてしまった。
メニューを見返さないと、もはや何を食べたのか覚えていないのだが、ここから20分の間で、五句をどうにかして作らなくてはいけないのである。
俳句会 はい、句です!とは 言えなくて
久しぶりに感じる種類のプレッシャーである。
マンゴープリンを囲む杏仁豆腐。美しいですね。はー、どうしよう。
無理矢理5句をひねり出す
どうにかメモをしておいたキーワードを季語代わりに、その場で俳句をひねり出す。制限時間内に5つの句を考えるので精いっぱいで、推敲する余裕などまるでなかった。
5枚の短冊。願い事だったらいくらでも書けるのだが。
今までの料理を食べて、私が作った句はこちらである。
小龍包 喉元過ぎる 熱さかな
実際はそんなに熱くなかったのだが、熱いほうが句にしやすいと、つい嘘をついてしまった。
麻婆麺 辛い辛いも 好きのうち
「いやよいやよも好きのうち」という名言をアレンジしてみたが、これは俳句なのだろうか。
フカヒレの したにとろける 茶碗蒸し
「下」と「舌」を掛けてみたのだが、だからなんだという感じがする。
麺すすり 鼻をすすって 杉の馬鹿
辛いものを食べる際に、花粉症で鼻水が止まらない人の気持ちを詠んでみた。
いま読み返しても、なかなか微妙な5句である。しかし、これがこのときの精いっぱいだったのだ。
提出された句は、全員で清書をして、作者の筆跡をわからなくする。このままずっとわからないでほしい。
これが私の精いっぱい。
選句の結果発表
清書された句にすべて目を通した後、最もいいと思う一句に「最好(ズイハオ)」、いいと思う四句に「好(ハオ)」を入れる選句がおこなわれる。もちろん自分の書いた句に投票してはいけない。
ここで他の人が作った句をはじめてみる訳だが、今になってやっと「ああ、中華句会ってそういうことか」と思った部分が多々あったというのが、正直なところだ。
句を選ぶというのも、また難しい。
開票の結果、「好」を多く集めた句をいくつか紹介したい。カッコ内は俳号。句の内容は、味の感想をそのまま伝えるというよりも、会食中の様子を切り取ったものが多かったようだ。
駅弁じゃ 主役だったと 鯖が言い(有象)
あの前菜のサバ、私も引っかかりがあったのだが、句にまとめられなかった。そうか、こういうことなのか。
腸詰の 歯形のままに 残りけり(泥頭)
このように、その様子が目に浮かぶ句を「景が見える」というらしい。私は一口で食べてしまったけど。
銀婚の 枕のごとき 春巻よ(泥頭)
この句は人によって受け止め方が違いながらも票を集めた。あの茶色い春巻きを古くなった枕に例えるのか。
待ちきれず エプロン破く カリー麺(有象)
焦って紙エプロンを破いてしまった様子をうまく捉えた句。少しエロティックな感じもする。
ちなみに私の作った句には、花粉症の人から「杉の馬鹿」に1票が入っただけだった。1票も入らないことを坊主というそうで、とりあえず坊主を逃れたので良しとしよう。
中華句会ムズカシイネー。
開票の際に、なぜこの句に票を入れたのか、あるいは入れなかったのかを聞かれるのも、また緊張感があった。自分の考えが言葉にならない。句を選んだ自分に責任が持てていない。
そして一票も入らなかった句に対して自らおこなう説明ほど、空しいものもなかなかないなと思った。
こういう場で気の利いた言葉をしゃべる能力も、自分にはもっと必要なのだなと、とても勉強になった一日だった。
とりあえず自主トレを続けます
主催者や参加者にいろいろと気を使っていただいたのにもかかわらず、中華句会を楽しむ以前に見知らぬ人との食事会というところで、まず緊張してしまったのだが、とてもいい他流試合の経験になったと思う。そして楽しかった。表情は硬かったが。
この中華句会という遊びは、別に中華料理でなくても、そして一人でも脳内でできるので、この悔しさが消えるまでは、しばらく一人で自主トレを続けてみようと思う
「サッポロや 結局飲んでる 黒ラベル」っていうのは句じゃなくてコピーですね。