チキンラーメンは間違いなく煮たい
「食べたあと悲しい気分になる」と書いたが、もうちょっと詳しく書くと「物足りなくて、食べた直後なのにお腹が空いた気がして悲しい」である。食い意地の張った人あるある、だ。
おそらく、麺の戻しが足りなくてボソボソした食感が物足りなさを感じさせるのだと思う。
チキンラーメンにおける煮ヌードルの優位性は、乾麺がちゃんと戻ってつるつるした食べ応えになっていることなのだろう。
鍋で煮るだけで美味さが倍は違う。(個人の見解です)
あと、煮た方が卵にイイ感じに火が通ると思う。
早く食べたくて急いで撮影したので、レンズが湯気で曇った。焦りすぎて恥ずかしい。
チキンラーメンといえば卵。卵といえばチキンラーメン。親子丼ならぬ親子麺と呼びたいぐらいのマッチングだ。あとはネギさえあればもう盤石の布陣である。
安定して美味いよねー、チキンラーメン(煮)
カップ麺の代名詞は煮るとどうなる
世界累計300億食以上の化け物麺。朝昼晩食べるとして約2740万年分。
カップ麺の中のカップ麺、キングオブカップこと『カップヌードル』は、じゃあ煮るとどうなるのだろうか。美味いのか。
もし煮ても美味しかったら、日清食品の創業者、故・安藤百福氏の
黄金像に向かって「煮てもイケましたよ」と報告しに行かねばならない。
開けるとまずはかやくだけ出てくる。
続いて麺。これが出すのに一苦労。
煮るためにはまずカップから中身を取り出さねばならないのだが、カップヌードルはカップの中に麺がかなりキツく詰まっているため、取り出すのが難しい。フォークか何かで引っ張り出す必要がある。
空いたカップで水を計量。
水が沸騰したら、立体的な麺とかやくを入れて煮る。
水の量は、鍋の中で沸騰して蒸発する分などを考えると、普通にお湯を注ぐカップ内の線まで入れてもいいと思う。
今までラーメンの丼を自称して大きな顔をしていたカップが、いまや水を量るためだけの計量カップにまで地位を貶められている。悲しき転落人生だ。
一方、変わらず主役本来ならカップに入っている形の麺は通常の袋麺よりもゴロッと立体感があり、これをお湯の中で転がしながらほぐしていく作業はなかなかに楽しい。
煮込み時間は途中で何度か麺をつまみ食いして、2分10秒で火を止めた。まあその辺りはお好みで。あとは丼に移せば完成である。
煮ヌードルこそカップからの解放。麺リブ運動だ。
せっかく麺が古い因習の如きカップから解放された記念日である。お馴染みのかやくだけじゃない、華やかな装いをさせてやりたいではないか。そんな思いで、前日からチャーシューを焼き、メンマを炊いておいた。
「せっかく煮るという手間をかけたんだから、美味しくなってないと勿体ない」という貧乏根性も否定はしない。
いただきます。
真顔になる味。うまい。
当然というか何というか、普通に美味い。
ただ、煮たからこそ美味くなった!と言い切れるほどの変更要素は感じない。毎度お馴染みの美味しさである。
お湯かけ調理に比べると麺の口当たりが若干なめらかになっているようにも思うが、もしかしたら加熱しすぎてノビ始めてるだけかもしれない。
追加の具に関しては、以前から「カップヌードルのスープってセロリに合うんじゃないだろうか」と思っており、今回の機会に便乗して試してみた。
軽く塩胡椒で炒めたセロリを載せてみたのだが、これが大正解。カップヌードルのスープがセロリ臭くなって、セロリ好きにはたまらない美味さだ。
結局のところ、追加した分だけ具は美味かったしカップヌードルも安定のクオリティだった、という結果。特段に書くことがない。
セロリ炒め。これがスープに良く合う
自作チャーシューとコロチャー。コロチャーも美味いな。
次は和の煮ヌードルも試す
カップヌードル同様、安定の美味さ。
カップラーメンの王様がカップヌードルであるならば、個人的にカップうどんの殿様は『どん兵衛』であると思う。赤いきつね派には申し訳ないが、僕はどん兵衛が好きなのだ。
数年前のバージョンアップで麺が縮れ麺からまっすぐに変更され、うどんっぽさが相当に上がったのも良い。これを煮ることで何かよい効果が現れるだろうか。
カップから取り出した図。こちらも立体感のある麺。
お揚げがぐんぐんと汁を吸っていく様に戦慄する。
カップヌードルと違いどん兵衛はスープ別添式だ。作り方には「お湯を注ぐ前にスープを投入せよ」とあったので、沸騰した鍋の中に麺・かやくと同時に粉末スープを入れ、煮込む方式を採った。
今回驚くべきはお揚げの吸水力であった。煮込んでいく途中でスープがどんどん無くなっていき、その代わりにお揚げがふっくらと柔らかくなっていく。
これはお湯を足すべきかどうか、迷っている間に麺が茹で上がってしまった。
スープを吸い尽くして横たわる迫力満点のお揚げと、うどん。
まず言いたいのは「どん兵衛を煮る時は水を通常量より多めに」である。
お揚げの吸水性能を舐めていたのに加え、ラーメン類の1.7倍にもなる煮込み時間(5分)というのも加熱し続ける煮込み調理にはネガティブに働いたようだ。
太いうどん麺も、吸収力をいかんなく発揮していたと思う。
麺を持ち上げても汁がほとんど見えない。
はっきりいって、この水分量ではしょっぱい。関西人を「うどんをおかずにご飯を食う人たち」と馬鹿にする向きもあるが、この煮どん兵衛ならば誰でもおかずに白米が食べられるだろう。
生麺に近い高級路線はどうか
ラ王、昔は本当のレトルト生麺だったよね。今はノンフライ麺。
カップヌードルに対して、同メーカーでも高級路線でノンフライ麺の『ラ王』を煮るとどうなるだろうか。
ラ王はスープ後入れ方式なので、丼に入れておくことに。
麺・かやくと一緒に野菜も茹でてみた。
ラ王は味噌ラーメンをチョイスしたので、味噌に合う具材としてキャベツともやしを追加してみた。麺と同じ鍋の中に放り込み、一緒に煮るだけ。このような具材調理はお湯かけでは不可能。煮ヌードルならではの楽しみと言えよう。
今回も具をたっぷり追加した。麺リブ万歳。
キャベツともやしの他に、チャーシュー、コーンも追加。要はパッケージの写真をまるまる再現してみたかったのだ。
お湯かけで作る以上に生麺っぽい。これは煮た成果があった。
そして、これは煮ヌードルとしては間違いなく成功と言える味だった。
鍋の中できっちり加熱することで、麺のつるつるとした感じが湯かけよりも増していると思う。
ネットで検索すると、カップ麺マニアの方が「ラ王は規定通りの5分で作るよりもちょっと長めに戻した方が生麺っぽさが出て美味い」という旨のことを書いておられた。煮ることで短時間に、より生麺っぽさが引き出せたのかもしれない。
今後ラ王は煮ヌードルでお願いしたい。というか最近は袋麺のラ王も出ているので、それでいい。
煮ヌードル最強、あらわる
ここで結論を言おう。カップ焼きそばが煮ヌードル最強だった。
「ラ王が美味かったし、じゃあ最後にちょっと余興でラーメンじゃない煮ヌードルも作ってみるか」とカップ焼きそばを煮てみたのだが、申し訳ない。余興どころか、これこそ煮る価値のある真の煮ヌードルなのだ。
最強戦士あらわる。
今まで日清ブランド推しできたのだが、焼きそばに限って言えばUFOよりも断然『一平ちゃん夜店の焼きそば』派だ。ソースの味が好みであることもさりながら、焼きそば+マヨネーズの組み合わせを憎からず思うタイプの人間としては、一平ちゃんがソースとは別にからしマヨネーズを別添えしてくれた恩は忘れないようにしたい。
今まで通り鍋で煮たらザルで湯切り。麺リブではカップに一切仕事をさせない。
ところでカップ焼きそばあるあるとして「湯切りしたらシンクがベコンッと鳴る」というのが定番なのだが、何度もあのベコベコを鳴らしていると、いずれステンレスが金属疲労を起こして破損する恐れがあるらしい。
あのベコン回避のためには、湯切りする時に同時に水道から水を流してシンクを冷却しつづければOK。当たり前すぎる話だが、まだベコベコ鳴らしている方はお試し頂きたい。
ボウルに湯切りした麺と具、そしてソースを投入。
ボウルの中で混ぜる。やはりカップの立場は無い。
かき混ぜる最中に気がついたのだが、煮ヌードル焼きそばはソースの馴染みが非常によい。
普段の湯かけスタイルだと、混ぜてもカップの中にしばらくの間ソースだまりのような部分ができていた。今回は数回さかさかと混ぜるだけできれいにソースが絡まっている。
おそらくだが、ザルできっちりと湯切りを行ったことで余剰な水分が完全に飛び、麺の表面にソースが素早く付着したのではないか。
今回は茹でキャベツと細切りのチャーシューを具材として追加しました。
で、食べてびっくり。
これが驚愕の美味さなのだ。
一番に感じるのは、カップ焼きそば特有の油っこい風味が消えていること。
若い頃ならいざ知らず、中年の胃にカップ焼きそばは重すぎることがある。ところがこの煮ヌードル焼きそばはスッキリ軽い食べ応えで、いくらでもズバズバとすすれてしまうのだ。
油っこさが無いので、ソースに含まれているスパイスの風味などもハッキリ感じられるようになった。「カップ焼きそばのソースって、こんな複雑な味が付いていたのか」と驚くぐらいだ。
マジか。マジでか。
鍋で麺を強く煮立てたことによって、フライ麺の持つ油分が飛んだ、ということなのだろう。
いやもう理由とかどうでもいい。今度からカップ焼きそばは全部煮る。絶対に煮るべきだ。少なくとも僕は煮る。「カップ焼きそば食べると胸焼けするんだよな」と感じたことある人は、すべからく煮ると良い。
ところで、そこまで油が飛んでいるなら、茹で湯には相当な油分と味がついていたのではなかろうか。
ライター松本さんが
先週にやっていた実験ではあまり良い評価の出なかった一平ちゃん湯だが、これならイケると思う。湯切りの時にうっかり流してしまったが、次回は忘れず飲みます、松本さん。
ところで『カップヌードルの日本製品ならではの心遣い』としてよく語られる、底に貼られたフタ留めシールが昔から嫌いだった。
一度剥がしたものをもう一回貼るとか、そんなチマチマしたものを付けてるんじゃねえよ、という思いで毎回イライラしながらあのシールを剥いでいた。(結局は使うのだ)
しかし、鍋で煮ることでカップから解放される麺リブ運動に身を投じた今では、そんなイライラとも無縁だ。シールなんかその場で捨ててもいい。水の量さえわかるなら、ラップしてあるフィルムごとカップをばりばり破っても構わない。素晴らしい。