特集 2013年4月17日

シチューかき回しながら市中引き回しのルートをたどる

五街道の起点。日本橋にてシチューかき混ぜ
五街道の起点。日本橋にてシチューかき混ぜ
いまだかつてないほどの出落ちタイトルではないだろうか。

ふつうなら「『市中引き回しのうえ打ち首獄門』と『シチューかき回しながら打ち首獄門』ってにてるよね」「アハハ、超うけるー」でおわるダジャレである。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

前の記事:山登りに適したアルバイトの制服はどれか?

> 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26

「市中引き回しのうえ打首獄門」とは?

江戸時代、死罪を言い渡された罪人は見せしめのため、処刑される前に馬に乗せられ、住所氏名、年齢、出身地、罪状と刑罰の種類をかいた幟や捨て札と共に、江戸の街中を行進させられることがあった。

それが、時代劇とかでよく聞く「市中引き回し」というやつだ。
市中引き回しのようす(「拷問刑罰史」名和弓雄/雄山閣/平成24年/P156)
市中引き回しのようす(「拷問刑罰史」名和弓雄/雄山閣/平成24年/P156)
以前、タモリ倶楽部で市中引き回しルートをたどる企画をやっていたらしく、ネットを検索すると、市中引き回しの行程を現代の地図に落としこんだものがいくつか見つかる。

意外と楽しそうな市中引き回し

市中引き回しのルートは「五箇所引き回し」と「江戸市中引き回し」の二種類あり、伝馬町の牢獄から江戸城のまわりをぐるりと一回りし、伝馬町に戻ってくるのが「江戸市中引き回し」だ。

より大きな地図で 市中引き回しルート図 を表示
ルート図の色が途中で変わっている理由は後述します
このルートをみてみると、伝馬町からスタートした罪人一行は、日本橋、銀座、麻布、四谷、神楽坂、上野、浅草、蔵前を経て伝馬町に戻ってくる。

地名だけみると、はとバスの「江戸情緒を楽しむ一日」みたいなルート構成である。

引き回された後に斬首刑が控えてなければ、市中引き回は意外と楽しい観光ルートではないだろうか。

これはぜひたどってみたい、実際にシチューかき混ぜながら。

言い出しっぺの人と一緒にいく

全行程で約28キロほどある市中引き回しのルート。歩いてたどるのがいいのだろうけれど、時間がかかりそうなので、今回は電動自転車でめぐることにした。
八重洲駅前でレンタサイクルを借りた
八重洲駅前でレンタサイクルを借りた
ちなみに「市中引き回しをシチューかき回しながらたどる」というのはぼくの考えたダジャレではない。当サイトのウェブマスターの林さんが思いついたダジャレである。
ちなみに「市中引き回しをシチューかき回しながらたどる」というのはぼくの考えたダジャレではない。当サイトのウェブマスターの林さんが思いついたダジャレである。
ほぼ生まれて初めての電動自転車
ほぼ生まれて初めての電動自転車
ほぼ、生まれて初めて電動アシスト自転車に乗る林さんは「勝手に前に進む!」という感想が初々しくていい。

小伝馬町に向かう

人混みの中をスイスイとかきわけ、中央区の小伝馬町にある十思公園に到着。
伝馬町牢屋敷あとの看板
伝馬町牢屋敷あとの看板
この十思公園と隣の旧小学校の区の施設、そして公園向かいにある大安楽寺が牢屋敷跡だ。
吉田松陰や橋本左内など、安政の大獄で捕らえられた政治犯も、ここに収容されたらしい。
タバコを吸いに来ているサラリーマンが多い
タバコを吸いに来ているサラリーマンが多い
そんな牢屋敷も、今はタバコを吸いに来ているサラリーマンがたむろする平和な公園だ。

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牢屋敷北側の水路は、現在埋め立てられてしまっている
牢屋敷北側の水路は、現在埋め立てられてしまっている
幕末の地図を確認するとたしかに「小テンマ丁」の上に「ラウヤ」の文字がある。牢屋敷のことだろう。
大安楽寺
大安楽寺
明治になって、牢屋敷が市ヶ谷に移ったあと、元牢屋敷だったこの場所には誰も住もうとはしなかった。
そこで、大倉喜八郎(帝国ホテルの創業者)と安田善次郎(安田財閥、オノ・ヨーコの曽祖父)が寄進して建てたのが十思公園の横にある大安楽寺だ。
大安楽寺というのは大倉の大、安田の安をとって名付けられたともいわれている。

いよいよ、シチューかき混ぜませます

ではさっそく、シチューをかき混ぜておきたい。
きのう、家で作ってきたホワイトシチュー
きのう、家で作ってきたホワイトシチュー
親戚の結婚式の引出物で貰ったホーローの鍋。柄がちょっと野暮ったくて使ってなかったのだけど、まさかこんな局面で役に立つとは思わなかった。シチューをかき混ぜておきたい。
祈るようにシチューをかき混ぜる
祈るようにシチューをかき混ぜる
ピンときた方も多いと思うが、今回のこの記事、ずっとこんな感じである。

引き回しルートは町民がたくさん住んでいた場所をまわる

伝馬町の牢屋敷を出発したあと、罪人たちは日本橋方面へむかうが、ルートは細かく何回も曲りくねりながらすすむ。

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おそらく、見せしめという意味で、当時町人の多く住んでいたあたりを練り歩いたのだろう。
当時の下町は今ではオフィス街だ
当時の下町は今ではオフィス街だ
ビル街をくねくねと曲がりくねりながら日本橋に到着。もちろんここでもシチューをかき回す。
記念撮影の順番待ち
記念撮影の順番待ち
さすが五街道の起点、日本橋である。平日の昼間であっても観光客が絶えない。

観光客が多いなか、シチューの鍋を自転車のカゴから取り出すのにじゃっかんの迷いが生じたのは白状しておきたい。

シチューをかき回しながら町をあるくと、市中引き回しをされる罪人の気持ちの数%ぐらいはわかるかもしれない。
東京都章を抱えたかっこいい守護神とシチューかき回し
東京都章を抱えたかっこいい守護神とシチューかき回し
しかし、日本橋はおもしろい。

日本橋は、南にまっすぐ進むと東海道でその先には京都がある。しかし、逆に北に進み、中山道をそのままっすぐ進んでも行き先は京都なのだ。

南北どっちに進んでも京都につながっている不思議な橋、日本橋。

シチューをかき回す写真だけだとつまらないので、こういうトリビアを入れていかないと間が持たないのである。

ところで、市中引き回しのルートは、せっかく五街道の起点、日本橋にきたにもかかわらず、このまま東海道を南下するのではなく、茅場町や八丁堀の方へ入り込んでしまう。

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江戸の町の警察業務を分掌していた与力や同心が、たくさん住んでいたといわれる八丁堀をわざわざ回るというのも何らかの意味があったのかもしれない。
八丁堀から京橋へ、ピーポくんの横でシチューかき回し
八丁堀から京橋へ、ピーポくんの横でシチューかき回し
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銀座で罪人の気持ちにせまる

八丁堀を遠回りした罪人一行は、京橋から東海道に入り、その後はそのまま南下し、三田のすこし先、札の辻まで進む。
現在の地図で言えば、中央通りを南下し、銀座を通り抜けるかたちになる。

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銀座四丁目にやってきた
銀座四丁目にやってきた

いよいよ、銀座四丁目にやってきた。なにがいよいよなのかよくわかないが。とりあえず、シチューはかき回しておきたい。
はいっ
はいっ
さすが東京屈指の繁華街、平日にもかかわらず人どおりが半端ではない。

ひと目を避けながら自転車のカゴからさっと鍋を取り出し、サッとかき回す。別に悪いことしてるわけではないのだけど、なぜか腰が引けてしまう。

目の前のひとたちは「市中引き回しとシチューかき回し」というダジャレを知らないから、みな一様に視線が冷たい。(知ってても冷たいかもしれないが)
目の前はこのありさま
目の前はこのありさま
確かに、ぼくだって三越のライオンの前で、シチューをもったおっさん二人組が写真を撮り合っていたら冷たい視線を投げかける。

冷たい目線、ごもっともでございます、それ正解。 もう矢でも鉄砲でも持って来いという心持ちだ。

またひとつ、衆目にさらされる罪人の心情に近づけたのではないだろうか?

近づいたとしても特になんの感慨もないけれど……。

ついにシチューを食べる。店の。

「シチュー」というダジャレにちなんで銀座までやってきた。せっかくなのでここは前からきになっていた店へ行っておきたい。「銀之塔」というシチュー専門店だ。
蔵のような建物だ
蔵のような建物だ
市中引き回しのルートからは若干ずれるが、先日完成したばかりの歌舞伎座のほど近くにある。

市中引き回しの罪人は、今生との別れとなるため、お上のお情けとして幾らかのお金が罪人に渡され、引き回しの途中、希望すればお酒やたばこを買うことができたらしい。それにくらべれば、とくに罪人でもない我々は、ルートからちょっと外れてシチュー屋に立ち寄り、シチューに舌鼓を打つぐらいのことは多めに見てもらえるだろう。
作ってきたシチューは自転車のカゴに隠して店に入る
作ってきたシチューは自転車のカゴに隠して店に入る
銀座のシチュー専門店「銀之塔」は昭和30年創業の老舗シチュー専門店だ。メニューはシチューとグラタンしかなく、パンではなくご飯がついてくるのが特徴だ。ビーフとタンのミックスシチュー2500円を頼む。
泡がボコボコでてる
泡がボコボコでてる

しばらくすると、地獄みたいなグツグツした状態のシチューが運ばれてきた。
じゅうぶんに冷えてから、シチューの中の肉を食べてみる。
うんめー
うんめー
……タンもビーフも噛むまえ舌の上で崩壊するほど柔らかい。柔らかい食べ物を求め続けた人の叡智が生み出した最終回答のような肉だ。

さらに中に入っている根菜も同じ形に切りそろえられていて、手が込んでいる。
にんじんとじゃがいもの形がかわいい
にんじんとじゃがいもの形がかわいい
とってもおいしかったので、店の前でシチューをかき回させてもらった。
かき回し入りましたー
かき回し入りましたー
林さんも「3000円ぐらいなら、飲みに行くの一回がまんして、こういう店でちょっとぜいたくなもの食べるのもいいなぁ」と、ついマジメな感想をいってしまうほど満足していた。

いっきに札の辻まで行きます

銀座で寄り道したシチューかき回し一行は、自転車で次の目的地、札の辻交差点までいっきにむかう。
銀座から札の辻までは一本道なのでわかりやすい
銀座から札の辻までは一本道なのでわかりやすい
自転車をこぐこと約20分ほど。札の辻交差点に到着した。
自転車だからはやい
自転車だからはやい
札の辻。東京にお住まいの方でもあまりなじみのない地名かも知れない。

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三田のすこし先で泉岳寺までは行かない。という微妙な位置にある。
三田のすこし先で泉岳寺までは行かない。という微妙な位置にある。

むかし、お触書などが書かれた高札が掲げられた場所であったため、「札の辻」と呼ばれるようになった。

このあたりは、東海道から江戸に入ろうとすると、ちょうど江戸の町の入口にあたるところだったのだ。
「江戸とは別のまちといった感覚だったのではないだろうか?」
「江戸とは別のまちといった感覚だったのではないだろうか?」
「札の辻よりもっと先にある品川は、今はすっかり東京の市街地に取り込まれてしまっているが、むかしは日本橋の次の宿場町だったわけで、江戸とは別のまちといった感覚だったのではないだろうか」と、いうようなことを、シチューかき回しながら言っていると思っていただけると幸いです。

昔の道が残っているところ

ここからは札の辻から折り返すように北に進む。
タワーをバックにシチューかき回し
タワーをバックにシチューかき回し
ところで、ルート図をみてみると、ちょっと不思議な道があった。

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道が太い桜田通りからわざわざ細い道に入り込んでまた太い道に出ているのが見て取れると思う。ちょうど霊友会釈迦殿前のかぎ型の道がそれだ。
この建物の前の道
この建物の前の道
そう、これはみなさんご想像の通り、江戸時代の道がそのまま残っている場所だ。

古地図をみてみると、たしかにかぎ型になっている。「西クホ」というのは隣の西久保八幡神社のことだろう。
矢印のさきのかぎ型の道がそのまま残ってる
矢印のさきのかぎ型の道がそのまま残ってる
しかし、残念なことに、これは家に帰ってから地図をみて気がついたので、現地でシチューはかき回し忘れた。
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しばらく東京各地でのシチューかき回し写真をお楽しみ下さい

麻布から神谷町をへて赤坂、四谷、市ヶ谷とシチューをかき回す。
アメリカ大使館のまえでおっかなびっくりしながらシチューかき回し
アメリカ大使館のまえでおっかなびっくりしながらシチューかき回し
すっかり縮んでしまった赤坂プリンスと一緒にシチューかき回し
すっかり縮んでしまった赤坂プリンスと一緒にシチューかき回し
迎賓館の前でかき回し、不穏な空模様
迎賓館の前でかき回し、不穏な空模様
この辺りのルートは江戸城の外堀端にそって北上するというものだ。赤坂の弁慶堀から市ヶ谷まで決して外堀から内側には入らない。

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見せしめといっても、市中引き回しは、おもに罪人を町人に向けて晒すものであり、大名屋敷や旗本などの武家屋敷が立ち並ぶようなまち=外堀の内側に行く必要がなかったからかもしれない。

そしてついに市ヶ谷までやってきたが……

残念ながら、ここで自転車の返却時刻がせまってきた。
すみません、これダジャレです……。
すみません、これダジャレです……。
本日最後のシチューかき回し。シチューは、すれ違う人々の視線のようにすっかり冷たくなってしまった。

今日は終わりにして、残りはまた日を改めて再チャレンジすることにした。

再チャレンジは徒歩で挑戦

数日後、シチュー鍋を片手に市ヶ谷に降り立ったひとりの男。
みょうに白っぽい写真になってしまった
みょうに白っぽい写真になってしまった
今回は自転車もなく、撮影についてきてくれるひとも居ない。ひとりで行くしかない。

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ルート図の色が変わっているのは、一日目と二日目という意味だ。
ふつう、この市中引き回しルートは1日でまわれるルートらしいが、初日はお昼ごろにスタートしたので時間が足りなくなった。

二日目は朝からと意気込んだものの、持ち前のルーズさが発揮され、結局お昼ごろからのスタートとなってしまった。

もっとも、朝からスタートできるような人間であれば、今頃シチューをかき回しながら町を歩いたりはしていないだろう。

二日目は市ヶ谷から牛込神楽坂のほうに向かって住宅地に分け入る。
大日本印刷の工場に向かって坂になっている
大日本印刷の工場に向かって坂になっている
市ヶ谷といえば、防衛省や大日本印刷があることで有名だが、崖や急な坂道が多いというイメージもある。
こんな断崖絶壁もナチュラルにある
こんな断崖絶壁もナチュラルにある
崖が多いので、歩道橋がある
崖が多いので、歩道橋がある
崖や坂道が多いので、崖の下の道から高台にある住宅地へ抜けるための歩道橋も存在する。
歩道橋の先は高台の住宅街だ
歩道橋の先は高台の住宅街だ
高台には敷地の広い一軒家が多い
高台には敷地の広い一軒家が多い
と思ったら、庶民的な商店街もある
と思ったら、庶民的な商店街もある
市ヶ谷から牛込神楽坂あたりまでは、大きなお屋敷が多く。高級住宅街なのかとおもいきや、庶民的な商店街もある。
まちの様子がめまぐるしく変わるので、展開の早い紙芝居をみているようなきになる。

なぞの和菓子屋

言いたいことが多いお店
言いたいことが多いお店
神楽坂に向かう途中、変な張り紙の和菓子屋をみつけた。
チャンネル川?
チャンネル川?
「チャンネル川」ってなんだろう? お店のひとに聞いてみた。
表の張り紙はご主人が書いているそうだ
表の張り紙はご主人が書いているそうだ
ーー表の張り紙のチャンネル川ってなんですか?
「あぁ、あれね、チャンネル111ってこと」

よくよく聞いてみたら、チャンネル111であった。どうやら地元のケーブルテレビかなにかのチャンネルで紹介されたということらしい。

おばちゃんにこの和菓子店の名物をきいたら「インドラ」と「おっぱいちゃん」を勧められた。
どら焼きにカレーを入れた「インドラ」
どら焼きにカレーを入れた「インドラ」
おっぱいの形のおっぱいちゃん
おっぱいの形のおっぱいちゃん
どうやら「革新和菓子」ということで、その方面ではけっこう有名な和菓子店らしい。

インドラもおっぱいちゃんもその味が気になるので、買って食べてみた。
スライスアーモンドが入っている
スライスアーモンドが入っている

「インドラ」は、中身のカレーがけっこう本格的に辛い。ピリピリする。しかし、どら焼きの甘さもして、口の中で辛さと甘さが戦争している。うまい、まずいの境界線上を歩く瀬戸際外交の国みたいな味だ。一緒に味見した妻はうまいと言っていた。
おっぱいちゃんはどうか
おっぱいちゃんはどうか
「おっぱいちゃん(りんご味)」は、ものすごく甘い。甘いけどあとからほのかにりんごの風味がしてくる。牛乳で食べるとものすごく合いそうだ。さすがおっぱいである。
注意したいのは、いっきに食べずに片方だけかじったりすると、けっこうグロテスクな形になってしまうので気をつけたい。

和菓子を味わってる場合ではない

なんだか、ぶらり途中下車の旅みたいになってきた。ちがう。シチューかき回しの旅だ。
市中引き回しルートに戻ります
市中引き回しルートに戻ります
閑話休題。

残り1ページで神楽坂から小伝馬町までいっきにいきます。
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本郷もかねやすまでは江戸の内


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神楽坂からは大通りを堀端にそって東進し、水道橋から本郷方面へ向かう。
東大に向かってあるく
東大に向かってあるく
本郷の住宅街を抜け、本郷三丁目交差点まできた。ここから上野の方に向かうため、ルートは右折する。

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むかしの川柳に「本郷もかねやすまでは江戸の内」というものがある。

こんな川柳が残っているくらいなので「かねやすまでが江戸だろ」「いや、前田さまの赤門ぐらいまでは江戸でいいんじゃないの?」のような「どこまで江戸?」みたいな会話が交わされていたのかもしれない。

この「かねやす」とは本郷三丁目にある小間物店で今でも営業している。
営業はしているが、訪れた日はちょうど休業日であった
営業はしているが、訪れた日はちょうど休業日であった

幕府が、当時の江戸の市域を定めた朱引きは、かねやすのあるあたりよりももっともっと北にひかれた。

しかし、防火のため当時の町奉行、大岡忠相(大岡越前)に瓦葺きを命じられた建物が、このかねやすよりも南側の建物だったため、江戸っ子にとってはこのあたりまでが「江戸」という気持ちだったのかもしれない。
シチューかき回しいただきましたー
シチューかき回しいただきましたー
したがって、市中引き回しのコースは江戸の内である本郷三丁目で右折して上野や浅草の繁華街へ向かうのだ。

適当に引かれているように見える市中引き回しのルートも、現地に赴いてみてみるとちゃんと理由が判明したりするから面白い。

いっきに浅草に飛びます

上野駅でシチューかき回し
上野駅でシチューかき回し
雷門でシチューかき回し
雷門でシチューかき回し
いっきにワープした感があるが、実際は2時間ほどかけて歩いている。

市中引き回しのルートは浅草からさらに北上し、待乳山聖天の近くまで伸びて引き返すことになっている。

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予備知識無しで見ると驚く
予備知識無しで見ると驚く
突然「スリッパ」とだけ書かれたビルがある。思わず「えっ!?」となるが、この花川戸周辺は靴問屋が集中している地区だ。おそらくスリッパを取り扱っている問屋かなにかがあるビルなんだろう。
待乳山聖天に到着
待乳山聖天に到着

しかし、不思議なのは、なぜ市中引き回しルートはわざわざここまで来て引き返すのだろう。

待乳山聖天裏の山谷堀跡
待乳山聖天裏の山谷堀跡

実は待乳山聖天の裏にはむかし、山谷堀という堀と土手があり、隅田川から吉原へ行く場合の通り道のひとつだったのだ。
矢印が待乳山聖天うしろの山谷堀と土手。日本堤という地名はこの土手からきている
矢印が待乳山聖天うしろの山谷堀と土手。日本堤という地名はこの土手からきている
昔の地図を見てみても、この辺りは「田」という文字が多い。

実際、吉原は江戸の町はずれに作られた町なので、やはりこのあたりは当時としては「江戸の端っこ」という感じだったのではないだろうか?
橋の跡が残っている
橋の跡が残っている
土手の跡はなくなってしまっているけれど、堀のあとは公園として今も残っている。

山谷堀から吉原へ遊びに行くひとが、引き回しされている罪人を見物したりすることも、当時はあったのかもしれない。いま流行りの言い方でいうと胸熱である。
山谷堀あとに作られた公園でシチューかき回し!
山谷堀あとに作られた公園でシチューかき回し!

いっきにゴール!


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待乳山聖天からは、最後の伝馬町牢屋敷跡までほぼ一直線だ。
待乳山聖天からは、最後の伝馬町牢屋敷跡までほぼ一直線だ。
浅草橋から柳橋をながめる
浅草橋から柳橋をながめる
区界のある公園
区界のある公園
いよいよ蔵前、浅草橋をへて伝馬町牢屋敷跡に近づいてきた!

罪人ならば気が重くなるところだが、シチューかき回してるだけのぼくは、なんだかあしどりが軽くなってきた。

そしてついに……。

市中引き回しツアー面白い

シチューはかき回さなくてもいいと思います
シチューはかき回さなくてもいいと思います
二日かけた「シチューかき回しながら市中引き回しをたどる旅」は、はからずも「江戸の端っこを歩いて実感する旅」になった。

時間がかかったとはいえ、妙な達成感がじつに心地よい。

勢い余って今、どこでもいいから踏破したい! という歩きたい欲が高まっている。
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